第1話 ○○の魔神

文字数 4,250文字

[前書き]
以前投稿した「○○の魔神」とほぼ同じの内容です。
既読の方は次話へお進みください。

*
 私こと、藤木アリスがバイトしている骨董屋『にかい堂』は今日も閑古鳥が鳴いている。シャッター街の片隅にひっそりと佇むこの店が忙しいはずもなく、お客さんは一日に五人も来ればいいほう。売り上げがゼロという日もざらにあった。

 果たしてアルバイトなんて雇えるご身分なのか、はなはだ疑問ではあるのだが、年金暮らしの坂井のおじいちゃんが趣味でやっているお店なので別に赤字でもいいらしい。

 バイト内容は簡単。店番と店内の掃除、陳列のお手伝いぐらいだ。十畳間ほどの小さな店舗なので時間はあまりかからない。最初の頃は店内に所狭しと並べられた骨董品の数々を羽箒で撫で回すのが怖かったが、今ではすっかり慣れたものである。

 掃除が終われば、あとは時間が過ぎるのを待つだけだ。

 私はレジ横の信楽焼のたぬきと一緒に、壁にかけられたアンティーク時計の秒針の音を聞き続ける。胡坐をかいて目を閉じていると、禅寺に修行に来たような気分になる。

 果たして、花も恥じらう女子大生がすべき仕事だろうか? という疑問は尽きないが、優しい坂井のおじいちゃんが、アリスちゃんが居てくれるとお店が華やかになって嬉しいね、と毎日のように言ってくれるので辞めるに辞められない。

「アリスちゃん、裏に値付けが終わったものがあるから、お店に出しておいてくれる?」
「はーい、わかりました」
 店の裏口に向かうと、本日の仕入れてきたらしい骨董品が並んでいた。

「えっと、手押し車に搾乳機、ピッチフォーク……牧場でも行ってきたのかな?」
 またぞろ、変な場所から変な商品を仕入れて来たようだ。

 街中にある商店街に、牧場グッズを買い求める客など訪れるのだろうか。

 とはいえ、おじいちゃんの目利きは案外馬鹿にできない。私にはガラクタにしか見えない品々も、インスタ映えすると嬉々として購入していく方がいるのだ。それにネットのフリマサイトに出品すると結構な値段で売れたりもする。

 つまり、みんな大事な商品なのだ。私は牧場グッズを店内に運び込み、濡れ雑巾と乾いた雑巾で拭き上げるという作業を繰り返した。

 そのうち、小ぶりな――せいぜい五リットルくらいしか入らなさそうな――鉄のミルクタンクが出てくる。

 それは牧場ゲームなんかで出てくる取っ手のついたステレオタイプな牛乳缶で、銀の塗装が剥げ、錆が浮いているにも関わらず、なんと五〇〇〇円という値札が付いていた。

 これがアンティークというやつだ。私には理解不能な世界だ、と思いながら雑巾で拭く。

 すると突然、タンクの蓋が開き、白い煙が噴き出してきた。

「ごほ、げほ……なに、これ……」
 煙は無味無臭(いや、味わっていないけど)で、色が濃いだけで水蒸気のようにさらっとしていた。お店が汚れなかったは不幸中の幸いだ。

「お呼びですかな、ご主人さま」
 私が安堵していると、頭上から声をかけられる。

 顔をあげる。大理石のような乳白色の肌をした、筋骨隆々の大男(半裸)がこちらを見下ろしていた。

「ひっ、い、いらっしゃいませ!? なにもの、いや、なにをお求めですか!?」
 明らかにお変態さまだが、お客さまは神様、という鉄の掟ホスピタリティの下、何とか笑顔を作る。

「いえ、吾輩を求めたのはご主人さまのほうでしょう?」
 半裸マッチョのぽってりとした唇から紡がれるパワフルなフレーズに卒倒しそうになる。

「いえ、わたくしめにそのような倒錯的な趣味はございません」
「ですが、確かにご主人さまが、その布巾で吾輩の尻を撫でた事実は変わりなく」
「え、冤罪です! わざとじゃありません! 手が当たってしまったんです!」
 まるっきり満員電車で吊し上げられる中年男性のようなセリフを吐く私。

 もちろん、私は痴漢行為などやっていない。むしろ、女子大生わたしは被害者側のはず。逆に触らされたと訴え出れば勝訴できる気がして、私は冷静さを取り戻すことができた。

「あれ……足?」
 それでよくよく見てみれば、お変態きゃくさまの腰から下は乳白色の煙で覆われていた。もこもことした煙は段々と細くなり、ミルクタンクに吸い込まれていた。

「あ、あなたは……一体……」
「(ミルク)タンクの魔神です」



「えーっと、つまり、あなたはこのミルク缶に宿った魔神で、アラビアンナイトよろしく、こすった人の願いを叶えてくれるって理解でOK?」
「はい、気軽にダヴとお呼びください」
「名前のミルク感!」
 ダヴは苦笑いを浮かべる。

「あ、ごめん! 他人の名前やネーミングセンスを笑うのは失礼だよね……」
 私もどちらかというと笑われるタイプの人間なので、辛い気持ちはよく分かる。

「いえ、お気になさらず」
 ダヴは優しく微笑むと、胸に手を当て丁寧に頭を下げる。出会い方があれだっただけで、意外といい人そうである。むしろ、彼については真面目な好青年めいた雰囲気が漂っている。

 イケメンだ。ギリシャ彫刻を思わせる美丈夫である。服さえ着ていてくれたらと思わずにはいられない。

「じゃあ、ダヴ。早速だけど去年死んじゃった、猫のニャン太郎を生き返らせてくれないかな?」
「猫の、ニャン、太郎……?」
「お前が他人のネーミングセンスを笑うな!」
「し、失礼しました! ご主人さま、吾輩たち魔神にも制約がありまして、死者を蘇らせることはできないのです」
「あー、ランプの魔神と一緒だ」
「左様です。死者蘇生以外ですと、生き物を殺すこと、感情をコントロールすること、願い事を増やすこと、その上で牛乳で解決できる範囲のこととなってます」 
「牛乳……?」
「ええ、吾輩、ミルクタンクの魔神ですから」
「そっか……魔神も色々あるんだね。一応、何ができるか聞いてもいい?」
「もちろんです」
「とりあえず、魔法の力が欲しいってのは?」
「好きな時に母乳を出せる魔法でしたら可能ですよ」
「なにその赤ちゃんのいるご家庭でしか活躍しそうにない魔法!?」
「すいません、吾輩、ミルクにまつわる魔法しか付与できぬのです」
「……いや、こっちこそ、ごめん。別にダヴが悪い訳じゃないし」
 ダヴが心苦しそうに言うので、私は申し訳なくなって謝った。嫁ぎ先の義理の両親が毒親である可能性だってある。この魔法が大活躍する未来だってあるかもしれないのだ。

「じゃあ、王様になりたいってのは?」
「令和のミルク王と呼ばれる程度なら可能ですよ」
「その新手の成金農家みたいな呼ばれ方は嫌だなぁ……」
 まあ、お金持ちになれるならそれに越したことはないけども。

「金銀財宝が欲しいってのは?」
「代わりに、吾輩謹製の乳製品詰め合わせセットをお譲りするのはいかがでしょう?」
「いや、普通に成城石井に行くよ……」
 答えながら私は、ランプの魔神ならよかったのに、と思った。条件が厳し過ぎる。だいたい乳縛りってなんだ。字面までひどいじゃないか。

「た、たしかにランプの魔神も凄いですが、吾輩の場合、願い事を四つも叶えられるんですよ? すごくないですか?」
 そんな考えが顔に出ていたのか、ダヴが己の有用性をアピールしてくる。

「あー能力が限定されている分、回数が多い的な?」
「ええ、ちょうど牛のお乳の数と一緒です!」
「いい加減にしなさい、このセクハラ大魔神!」
 そもそも登場の段階から、ちょいちょいセクハラを混ぜてきているのだ。これ以上の狼藉を許すつもりは私にはなかった。

「も、申し訳ありせん、ご主人さま! あ、それでは牛乳ならではの効果を得るというのは、いかがでしょうか? 例えば……そう、身長を伸ばすとか?」
 私が怒ると、今度はダヴのほうから願い事を提案してくるようになった。

「私、一六〇センチあるから別に要らないかな」
「では、体を健康にするのは?」
「牛乳で治るのってせいぜい骨粗しょう症ぐらいでしょ?」
「……イライラしたくない、とか?」
「のんびりしてるのが長所ね、とみんなからよく言われます」
「……いったい、どうしたら……?」
 ダヴが頭を抱える。切羽詰まった様子から、私は彼が焦っている理由を推察する。

「あー、もしかしたら、信頼関係を結んで、最後の願いでミルクタンクの呪縛から解放されたい感じ?」
「な、なぜ、それを……」
「まあ、アラビアンナイトの映画を見てたからね。じゃあ、いいよ、ダヴ。解放してあげる」
「そのような施しは困ります! これでも吾輩、れっきとした魔神。きちんとご主人さまに満足してもらった上で解放して頂かなくては」
「そっか……それなら、さっき言ってた詰め合わせセットを三回分、ちょうだいよ。私はそれで十分満足。その後で解放してあげる。それならどう?」

「本当によろしいのですか……? 吾輩の力さえあれば、世界の乳製品市場を支配することだってできるのですよ?」
「うん、凄いんだけど。なんでだろう、ダヴの言い方のせいか、いまいち魅力を感じないのよね……」
 凄みさえも乳成分でマイルドになっているのかもしれない。いや、単純に『令和のミルク王』と呼ばれたくないだけの気がする。

「いずれにせよ、あれよ。貰い物は消え物が一番だっていうし」
「なんと無欲な方だ……」
 ダヴは感動した面持ちで呟いた。

「ありがとうございます、ご主人さま。この御恩は絶対に忘れません。では、早速……」
 ダヴは咳払いをすると、重々しい口調で続けた。


 ダヴが中空をこねこねし始める。すると優しいクリープ色をした光の粒子が生まれ、帯となり、徐々に球状に成形されていく。

「ご主人さま、ちょっとサービスして乳製品セット十年分を三セット、ご用意いたしますね」
 ダヴが爽やかな笑みを浮かべる。成形された光の玉を、なんか大きなモッツァレラチーズみたいだな、と暢気に考えていた私は驚愕する。

「え、待って、この場に出すの!?」
「もちろんです! 吾輩の感謝の気持ち、どうぞお受け取り下さい!」
「ちょっと待って、止め――」
 慌てて止めるものの、ダヴは解放の喜びからか、ろくにこちらの話を聞いておらず、満面の笑みを浮かべたまま、光るモッツァレラチーズを地面に落とした。

 瞬間、十畳の狭い店内に三十年分のミルク、生クリーム、チーズ、バター、ヨーグルト、クリープといった乳製品がドバドバと土石流のような勢いで溢れ出す。

「せめて容器に入れてぇぇぇぇっ!!」
「ご、ご主人さまぁぁぁあぁぁっ!?」
 乳製品の群れに飲み込まれた私は、店外にまで押し流されるのだった。




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