第4話 はじめてのおつかい(前編)

文字数 2,082文字

 広い広い太平洋のどこか。一年を通して深い霧で覆われた岩礁地帯がある。座礁を恐れて歴戦の船乗りでさえ近づけない危険地帯を地元住民は『人魚島』と呼び、畏れていた。

 そんな人魚島の岸壁に人影があった。

「いいわね、アト。この包みに入った宝物を売って、調味料を買えるだけ買ってくるのよ?」
「……わかっているです、母様」
 既に百回は言われただろう言葉に若い人魚、アマビエ氏族のアトはうんざりとした表情を浮かべた。

「で、人間に捕まったら何て言うの?」
「疫病が流行るから私を書き写して見せなさい、です」
 これは氏族に伝わる呪文だった。ひとまずこう口にしておけば人間たちは人魚たちを敬ってくれる。

 古来より、人間は人魚を食べると不老不死になれると信じてきた。もちろん、迷信なのだが、権力者ほど『可能性があるなら試してみよう』と馬鹿なことを考えるのだ。

 また、食べられはせずとも捕獲され、飼い殺しにされる可能性もあった。人間は好奇心の塊のような生き物で、珍しい生き物を捕まえては、鉄の檻や水槽に閉じ込め、見世物にするはた迷惑な習性を持っている。

(まったく、母様は心配しすぎなのです)
 確かに、陸に上がるのは危険が伴う。特にアマビエは他の氏族よりも体格に劣っており、一見、人間の少女のように見える。つまり、舐められやすい。だからこそ、こうして知恵を使い、人間たちから逃げのびてきた。

 本来なら安全な人魚島で暮らしていきたいアマビエたちだが、人間が生み出す酒や味噌、醤油といった調味料は、婚礼等の儀式に欠かせないため、数十年に一度、アマビエの一尾を陸に遣わし、海で採れる真珠や珊瑚と調味料を交換しているのだ。

「それでは、いってくるです!」
 アトは見送りの一族に別れを告げると、海に飛び込んだ。

 この陸に向かう者は『御使い』と呼ばれ、一族では大変名誉な務めとしている。

 アトは、若くして人魚島を代表するまじない唄の歌い手と呼ばれている。また体力もあり、人語も使いこなす知性があった。恐らく歴代でも最優の部類に入る『御使い』だ。初めてのお役目とはいえ彼女で務めを果たせぬなら、他の誰も果たせまい。

 氏族の誰もが、いや、アト自身もそう思っていた。




 陸に上がった当初は何の問題もなかった。アトを見るや人々は、鯱の姿を見かけた海驢(アシカ)のようにオウオウと言いながら遠巻きにするだけで、危害を加えてくることはない。たまに『ありがたや、ありがたや』と拝んでくる人もいて困惑したぐらいだ。

 氏族の姿が広く流布されていることを知ったのは街中に入ってからである。醤油や味噌の蔵元を探していると、時折、店先にアマビエの肖像画らしき絵が飾られている。

 アトはその事実を誇らしく思った。当然だ。陸の覇者にして、巨大な鯨を狩り、凶悪な鯱さえも従えると噂の人間たちから、畏敬されている。嬉しくないはずがなかった。

 意気揚々と街を歩いていると、ついにアトに声をかけてくる者が現れる。

 それは言知勇派(ゆうちゅうば)を名乗る男だった。何でも目に見えない通信網を使って、世間に情報を届ける存在らしい。

 新手の瓦版屋のようなものと理解したアトは、機材を片手に様々な質問を投げてくる男の丁寧に回答した。

「病流行早々吾ヲ写シ人々ニ見セ候」
 最後に人語で告げれば、言知勇派の男は感嘆の声を上げる。

 言知勇派が情報をあげたところ、今度は別の言知勇派が声をかけてくる。対応しているうちに一人また一人と言知勇派は増えて言った。一部の言知勇派の中には態度が悪い者が居た。彼女を囲み、質問攻めにし、不躾に耳のヒレに触れようとさえしてきた。

 身の危険を感じたアトは、一度、海へ戻るべく背びれを返した。しかし、過激な言知勇派が、行く手を遮る。

 そこでアトは氏族に伝わるまじない唄を歌った。その気になれば聞く者を絶命させるほどの危険な呪いだが、アトは一流の歌い手なので効果を抑えることもできる。

 取り囲む人々を眠らせ、アトは悠然と浜辺へ向かった。

 しかし、新たな言知勇派が現れる。もう次から次へと引っ切り無しに現れる。浜辺の町はアマビエの噂を聞きつけた人々によって大混乱に陥っていた。

「こっちに居たぞ!」
「撮れ! とりあえず、撮るんだ!!」
「くそ、ブレた!」
「何としても撮影するんだ!!」

「ひぃいぃぃぃ!! 無茶苦茶、追いかけてくるですぅぅぅ!!」
 逃げるアト。しかし言知勇派は時を追うごとに増え始め、いつしか夏の海月のようにどこを見ても言知勇派がいるという状況にまで追いつめられてしまった。

「だ、騙されたのです……」
 恐らく奴らは瓦版屋の振りをした祓魔師なのだ。現に、怪しげな木札をカシャカシャと鳴らしながら、獲れ、殺得異しろ(多分、異形を殺せという意味だ!)と叫んで追いかけてくる。

 アトは恐怖した。一人二人ならまじない唄で倒せても、こう引っ切り無しに現れては妖力が先に尽きてしまう。

「ひっ!?」
 人目を避け、路地裏に入ったところで肩を掴まれる。

「あの、あなた……大丈夫?」
 そこには白い魔神を従えた、可憐な少女が立っていた。

(書き終わらなかったので)来週に続く


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