第1話

文字数 3,313文字

 とある沼のほとりにある公園の小さな広場。その端には、古代メキシコの神を象った銅像が立っている。

 風の神だと言われるその像の前の小道を、ステッキ片手にひょうひょうと歩く、背の高い男が一人。

 真冬だというのに着流し姿で、うっすらと全体が透けたようなその男に、ふと目を留め、像の後ろから立ち上がる影が一つ……


 これは、良く晴れた冬の日の午後、沼のほとりで取り交わされた、小さな問答のお話。


申す、申す……
そこを通るのは、我が書記、一郎太ではないか? 良いところに来た。ひとつ相談に乗ってはくれぬか。
……?
失礼ですが、私のことでしょうか。
む? 

見れば其方(そなた)、肉体がないようだな。魂のかたちは良く似ているが、器はなにやら大きいような。別人のようにも思える。

ははは、なるほど。

この地には、私の遠い血縁者がいるらしいのです。もう100歳以上は年が離れてしまいましたが。

貴方様は、私をその子と間違われたのやもしれませんな。知人の話では、背格好をのぞけば、瓜二つと言ってよいほど似ているそうですから。

おお、これはどうやら、いらぬ声掛けをしたようだな。もしや、其方(そなた)の旅路の足止めをしてしまったのだろうか。すまぬことだ。
いえいえ。死出(しで)の旅路はとうに済ませました。

いまの私は気儘(きまま)な旅人。妻との待ち合わせ場所に赴く途中、所縁(ゆかり)ある土地を訪れてみようと思ったまでのことです。どうかお気になさらず。

そうか。ならば旅人よ、其方の名を訊ねても差し支えなかろうか。
私の名は『参肆(さんし)』。松島参肆(まつしまさんし)と申します。
マツシマ。やはり其方と我が書記一郎太は、血族であるようだな。
そのようですな。

一郎太か、そう、私が知人から聞いたのも、確かにそんな名でした。私自身は子を残せなかったので、直系の子孫、というわけではないのですがね。良く似ていると聞けば、悪い気はしないものです。

そうか。ヒトの縁とはそういったものか。
ところで貴方(あなた)は……ヒトの姿はとっておられるが、異国(とつくに)の、自然(じねん)の神、で在らせられましょうか?
そうだ。私はEhecatl《エエカトル》。アステカの風つ神である。書記は、ただ『風の神』と私を呼ぶ。
おおっ、アステカ文明の! これは僥倖(ぎょうこう)、このようなところでまさか、古き神々の一柱に拝謁(はいえつ)できるとは!
むむ? 

いやしかし、ということはです、こちらに立っているこの……愛らしい銅像が……もしや……

そこに立っている像は、アステカの民から見た私の姿だ。

いま現しているこの姿は、書記の力を借りて、この地に合うよう新たに練り上げたものなのだ。

ほう……
一郎太、あれはなかなかに面白き男だな。

しかし、其方もまた面白い。年経た霊とはいえ、私を眼前に据えておきながら、こうまで物怖(ものお)じしない者は珍しい。

いや、はは、面目ない。

此処(ここ)に居りますは、物好き爺の、干からびかけた魂ですのでね。天災、幽霊、病気、暴力、死……生きている間には怖いものがたくさんありましたが、こうしてひとたび自由の身になってみれば、怖いことなどもう、なにもありはしません。

どうか無礼をお許し下さい。

良いのだ、私はこの国の者たちの、そういったおおらかなところが好きだ。
ふふ、ええ、そのようにおっしゃると思っておりました。

貴方は、個であるものに危害を与えるような、卑小なことはしない。貴方が振るう力はきっと、もっともっと大きなものだ。

……。

この国においては、私はただの客人に過ぎない。この地にいるこの私が、大きくも小さくも、神としての力を振るうことはないだろう。

それでも、貴方のそのお姿は、実に威風堂々としていて、まこと美しい。この地の者たちに愛され、尊ばれているからこそのお姿でしょう。

そちらのご神像も、冬だというのにこうしてたくさんの花々に囲まれて……

おお、それだ。サンシとやら、それなのだ。

其方、書記代(しょきだい)として、私の力になってはくれぬか。知りたいことがあるのだ。

えっ?
頼めぬだろうか。
い、いえ。私のようなものに答えられることでしたら、なんなりと。
では。
この地のものは、私を水の神・河童と混同しているらしい。
(おお。そうくるか……)

はい。

そこで度々(たびたび)、水神としての私に供え物をしてくれる。特に、その身にたっぷりと水気を含み、緑に輝く、あの果実を……
(緑……葡萄(ぶどう)だろうか)

ほほう。

瑞々しく香り高く、ゆるやかに曲がるあの細い腰……
(葡萄にしてはなにやら艶めかしいが)

むむ。

素晴らしきあの作物、キュウリをな。
(胡瓜か! そうか、河童! うっかりしていた!)

おお。

しかしだ。

このところ、あれをとんと見かけない。このように花や、花のような葉……

葉牡丹です。ハボタン。
そのハボタン?を周りに植えたりはしてくれるが、キュウリはない。

我が友人の河童は、

(なんと、ここには実際に河童もいるのか! しかもご友人、と)
……『いまはしょうがねえよ』と笑うだけだ。

そういえば毎年、供物が少なくなる時期があったような気もするが、書記に出会ってこの姿を得るまでは、胡瓜のことも、河童のことすら知らなかったこの私だ。どうにも朧気(おぼろげ)で話にならぬ。

なるほど。
どうだろう、答えられるだろうか、書記代よ。何故に、キュウリが供えられなくなったのか……
ええ。お答えしましょう。ご心配召さるな、そんなに深刻なことではないのですよ。
おお!
四季のはっきりしているこの国においては、胡瓜に限らず作物にはみな『(しゅん)』、つまり、最も美味で、最も収量の多い収穫時期というものがあります。

そして、この土地での胡瓜の旬は、『夏』なのです。

なんと!
日本の『夏』は、様々な生物がすくすくと伸びゆく大切な季節。であるのにかかわらず、雨が少なく、大地がからからに乾いてしまうことがある。そうかと思えば、暴風雨や台風がやって来て、作物を押し流し川を溢れさせてしまう。

そこで人々は、土地の神々に旬を迎えた美味なるものを供え、ほどよい雨を願うのです。

貴方の神像に胡瓜を供えるのも、その一環であるのでしょう。河童は親しみやすく、且つよく知られた水の神ですからな。

うむ、そうだ、私と河童の関係性については、一郎太も同様の見立てをしていた。
なるほど、そうか。

今はヒトの四季では『冬』にあたる。空気は乾いているが、水は不足していない。この地には雪もめったに降らない。

雨乞いも水難除けも要らぬわけだな。

そういうことです。

『春』を経て、また『夏』が廻り来れば、旬を迎えた美々しい胡瓜がまた、供えられましょう。

はは。それは楽しみだ。


現金なようですが、いつの時代もヒトとはそんなものなのです。
いや……。

旬の作物が無いこの時期には、せめてもと花やこのハボタンを植え、私を飾ってくれるということだろう。この地では、そのような細やかな心遣いを、(まろうど)である私が受けられる。素晴らしいことだ。

ふふ。貴方にそのように思って頂けるとは、この地の者たちも幸せなことでしょうね。
書記代、サンシよ、ありがとう。

疑念は解けた。

土地の神には及ばずとも、私もまた心穏やかに、この地を見守ることができる。来る夏を待ちながら、な。

お役に立てて良かった。

では、私はそろそろ出立いたしましょう。あまり妻を待たせるのもいけない。

書記、いや、一郎太には、会ってゆかぬのか?
ええ。

幸いにも私は、貴方にお目にかかることができました。お話しぶりから、彼の人となりについても、おおよそのところは分かったような気がします。

まあ、計らずともいつか会えるでしょう、その必要があれば。

そうか。ではその時には、ぜひ此処にも立ち寄ってほしい。私もまた、其方に会いたいものだからな。
身に余る光栄。そのお言葉、しかと心に刻んでおきます。

 一陣の風がやって来て、ひととき渦を巻き、ラクウショウの梢へと吹き去っていった。


 風の神は静かに神像の台座に腰を下ろした。その足元では、小さなパンジーがひと群れ、やわらかな午後の日に照らされていた。

この物語はここでおしまい。

次はまた、別のお話……

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登場人物紹介

風の神(EHECATL-QUETZALCOATL)


古代メキシコの神。沼のほとりに立っているのは、カリストラワカ遺跡から出土した石像……を模した、銅像。


松島 参肆(まつしま さんし)


所縁ある地を巡る旅の途中、たまたま風の神の前を通りかかった、明治生まれの霊魂。1900年代初頭に渡英し、スコットランドで客死したと言われている。

一郎太とは遠縁にあたり、風貌はよく似ているらしいが、身長は参肆の方がだいぶ高い。

河童(直接は登場しません)


沼のほとりに古くから棲んでいる、小さな神。風の神とはきゅうりともだち。

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