2-2 飄々 B

文字数 4,774文字

「起きてヘルク。早めに起きてさっさと次の集落へ向かわなきゃ」
 朝の日差しを洞穴の影が遮る時に、マギの一声で目が覚めた。水筒の水で顔を洗った後に朝ご飯。丸いパンを半分に切り、それに薄い肉と苦い野草を挟んだものを頬張る。久々の肉、貴重だ。
 そんな僕が食べ盛りの少年のそれに見えたらしく、ライラックがカカカと笑い出した。それに釣られて、マギも笑みを漏らす。普段この二人はあまり会話をしない。でもこうして笑い合う二人の姿は、僕にとってはどことなく『お似合い』だった。それはそれとして、こんなところで笑われるのはちょっとむっとする。
 朝食を終え、また集落を目指して歩き出す。真上には青空があり、その下に白い綿雲があり、その遥か下に僕らがいて、歩くたびに少しずつ緑が深まる大地を踏みしめる。途中で旅人と巡り合い、ライラックが彼と話している時に、彼の靴に穴が空いていることを確認する。道外れの岩に旅人を座らせ、靴を脱がせた後、ライラックは靴の穴の辺りの汚れを落としてから磨き、そこに皮を切り取って被せ、接着させる。これらの一連の動作を、ライラックは慣れた手つきで行った。
「即席だから不格好だけど、これでしばらくは持つだろう」
 と言って、彼は旅人に靴を返した。感謝のお駄賃を貰うと、これで少しだけご飯が増えるな、という喜びが僕の胸に宿った。ハァ、こんなんだから二人に笑われるのだろう。
 旅人を見送ってから再び足を進める。名も知らぬ平原や森の中を歩き、そこで向こうから流れてきたごく小さな川と出会い、一緒に歩いていく。時々休憩を挟み、また歩き、日が暮れそうになるとテントを張り、夕陽が暗闇と見張りを交代するまでのわずかな合間にそれぞれの役割をこなす。ライラックは火起こしと料理、僕とマギは見張りと採集。バレないように、少しだけ。
 森は手付かずのまま放置された自然のように見えて、その実誰かが所有しているものだ、と過去に二人が教えてくれた。そうでなければ、森は森のままでいるはずがないとライラックは続けて説明する。偉くて賢い人がそれを守らないと、目先の欲に駆られる人が次々と壊す。そして、森の恵みは完全になくなってしまうと。
 この言葉を聞いた僕とマギは、珍しく同じ顔をしていた。『不服』という感情だ。ただ、マギは偉い人がそこまで考えるものかしら、という類の不服だが、僕の不服は違った。
 ライラックはあの時、僕らが助けるべき人を見下していた気がした。精一杯の優しさを向けるべき相手に対して、彼はその反対の気持ちを示した。僕にはそれが少し分からない。不思議で、少し不愉快だ。
 そこまで考えて、僕は昨日の事件を思い出す。自分のしてきたことを歯がゆく思った。
 小一時間かけて森で採ってきたのは樹皮や枝、木の葉といった素朴なものだ。それらは野宿の時の焚き火や、食べ物を出来るだけ長く保存したり、口の広い布袋に入れてなるべく暖かく眠れるように使ったりする。木の実や動物の身体も手に入れようとしたが、マギに止められた。そこまでする度胸は無いと。
 落ち葉をどかした地面には薪をくべられた炎がゆらゆらと燃え、その上に鍋がかけられている。両隣に物が置いてあり、右には大きな水筒。まな板の上には刻まれた野菜があり、鍋にそれを傾けてゆっくりと具材を入れていく。
「今夜は魚を入れるぞヘルク。魚といっても、すり潰した団子の干物だけどな。俺とマギは二つでいい、ヘルクは倍の四つ食え。魚は肉より身体に良いってどっかの誰かも言ってる」
 ライラックが言ったことに僕は少しときめいたが、すぐにマギが制止した。
「それはダメよ。ヘルクが食べるのは二つで十分。扱う水はなるべく綺麗にさせなくちゃいけないのよ。ヘルクはこれからも頑張るんだもの」
 やっぱりそうなるよな、と思いつつ、期待が砕かれたことは普通にショックだった。けれど、鍋の中で薄い桜色の球体が淡く白く変わっていく様に、僕は落胆を忘れて顔をほころばせた。背後で服が擦れるような小さな音がする。誰かさんが後ろで首を横に振る音だろう。
 小さい頃、マギから「その年頃で魚が好きなのはお利口だね」と言われた。理由を聞くと、子供は大体肉が好きで、魚は骨を取るのが面倒くさいし、生臭い匂いも嫌われるからだと言っていた。もちろん臭うほどに日を置いた魚を食べるくらいなら、干物を食べる方がよほどいい。
 とはいえ肉も魚も生臭いものは少なくないけど、今日ライラックが腕をふるった魚はとてもおいしかった。生臭さはまるで感じられないし、柔らかくほぐれた身の食感と、噛めば噛むほど強く感じられる魚の味がたまらない。それに魚に染みついたスープの味――淡い黄色の液体はあまり経験の無い味だけど、とにかくおいしい。優しいのにしっかりした味わいで、いくらでも飲めてしまいそう。
「あっ、このスープの味好き。何使ったの?」
 あまり自分からライラックに話さないマギが、身を乗り出して問い詰める。
「北方で獲れる海藻を干した奴だよ。使ったの今日が初だったか?」
「うん、確かそう。これ気に入ったから、また明日も飲みたいなぁ」
「悪いが量が少ないんだ、ここぞという時に使わせてもらうぜ。ヘルクも美味かったか?」
「おいしかった」
「おー良かった。ヘルクのお墨付きなら絶品の証拠だ」
「……僕ってそんなに味にうるさい?」
「一杯食べてるからね。あっ、だから好き嫌いも多かったりして?」
 マギの余計な一言にライラックが腹を抱えて笑い出す。僕はなるべく二人と目を合わせないようにした。
「どうした、すっかり拗ねちまって。こいつの秘密を話せば許してくれるか」
「鍋に秘密って、さっきの海藻のこと?」
「そうさ。さっき使った海藻には、天上からもたらされたっていう秘密がある」
「空からだって?」
 その言葉に思わず振り向いてしまった。マギが驚きを漏らして、再び身体を前に寄せる。
「それって異界の食べ物ってこと?」
「ああ。秘密というより、噂に近いが。ほら、やっぱ反応した。やっぱ異世界の話になるとヘルクは弱いな」
 再び僕をからかうので、また目をそらす。さっきの話にも簡単には信じられなくなってきた。
「……あんまり僕をいじらないでくれる?」
「ああ、悪かった悪かった。さっきの話も本当のことだから、許してくれよ。な?」
 そう言われて、信じる人があるかと思った。
「ほら、早く食べて寝る準備に入らないと。僕はすぐに見張りだけど、二人は寝る時間がなくなるよ」
 それを口実に、二人にとって楽しい時間を無理やり終わらせることにした。それでもしばらく笑い合う二人を見ていると、僕の身体の中に妙な違和感を覚えた。それは焚き火の温かい空気が乗り移ったかのように、僕の奥深くにほのかな灼熱を感じる。この心臓を癒すような炎が灯る瞬間は、これまでにも何度かあった。
 それを握り潰したいと考えてしまうのは、何故だろうか。僕が水の魔人だからだろうか?いいや、違う。それは絶対に関係ない。きっと二人に何かあるんだ。僕に火をつける何かが――

 遅番のライラックが僕らを起こし、洗顔と朝食を経て出発する。正午ごろに森を抜け、僕らに憩いの時間を与えてくれた川の流れとさよならをした。そいつは少しずつ大きくなっていて、別れる頃には一人でも平気だと言いたげに恰幅が良くなっていた。
 看板の向きに従って旅を続け、通過した村で団長が困り事が無いかと尋ね、三人で雑用をこなした。壊れた屋根の修復や補強。森や店で手に入れた資源の分配(これって良いのか?)。賊や害獣・猛獣の襲撃に耐えるための防護柵の建造。本来ならば村人だけでも出来るはずの物事だが、凶作や栄養失調、若者の都市流入、疫病などで、やりたくてもやれないことが積まれ続ける。その間にも悪人や獣どもが村を襲い、より衰えていく。
 そのきっかけになったのが、一時この地域をも巻き込んだ戦争だった。未だに終わらない戦いの舞台はここより離れた所にあるが、一度だけこの地域も暴力の渦に巻き込まれたことがある。隣の敵国が地魔法の魔人部隊を従えて、この地域を含む河川の流域に『腐毒』を仕込んだ事件だった。
 地魔法の力は地震や岩盤の隆起といった『地変』だけじゃない。その中の一つに、限られた範囲の養分を成熟させる力を持つ。腐毒はそれを逆手にとった武器だ。さらに定着した地面に扱わず、常に流れる水に溶け込ませることで、広範囲の大地一帯を効率的に汚すことができるんだ。だから、僕らが歩いてきた大地はすっかり痩せ細り、そこで暮らす住民たちは抱え切れないほどの問題を抱えた。
 そんな山積みの課題を、ライラック達は持ち前の器用さと手際の良さで次々と果たしていった。まともにやれば十日以上はかかる物事を、丸二日の早さで成し遂げた。
 そんな依頼を果たす上で必要なのが『信頼』だった。僕らはこの地域で地道に努力を積み上げたおかげで、そこそこ名が知られていた。それに貢献しているのが、たぶん僕の魔法と、団長の手際、僕以外の二人の態度の良さだと思う。人見知りが少しある僕と違い、二人の態度は決して偉そうではない。『謙虚』という言葉にぴったりだった。
 ただ、二人が一番重要視していたのは僕の魔法だった。水魔法が無ければ、ここまで名の知れた手助けの団にはならなかっただろうとライラックは言う。毒の混じった汚水を飲み、或いは飲まずとも息絶えた人達がひしめくこの場所では、清水の存在が不可欠だった。僕らは偶然にもその力を誰かの為に使う機会を得た。
 もちろん、体液などから作り出した水を生活水として利用する分、僕の身体がどれほど健康かを確認する必要もある。その役割がマギで、管理された食事と習慣、確認用の濾紙とガラスの広口瓶を使って無害さを主張した。やや取り繕っている気もするが。
 そんなことを思い出しながら、僕は村の井戸の奥へ向かう。マギが井戸の柱にロープを固定し、ライラックお手製の革のベルトを着用。靴も履き替える。ベルトに付いている木のフックをロープに引っかけ、石の留め具で外れないようにする。それから合図用のカスタネットも。
 万全の準備を整えて、ゆっくりと狭い井戸の奥へ下りていき、底の乾いた水源に辿り着く。丸裸の水底に手をつけ、右手の平から渾々と水を湧き起こす。膝下くらいまで水が溜まると、僕は上の人達に向かって合図を送った。もう片方の手の平に仕込んだカスタネットを鳴らすと、地上の人達が少しずつロープを引き上げてくれることになっている。水かさが増すたびに楽器を打ち、井戸の穴が狭まる所の下くらいまでに水を溜めたところで、左手を素早く開閉して打ち鳴らし、一気に引き上げてもらう。
 井戸から地上へ上がると、僕は少しふらついた。喉から唇の先まで激しい渇きがひりつく。これくらいの大仕事になると、流石に身体にも悲鳴が上がっている。
 マギが水筒とコップを用意して水を汲み、僕に少しずつ飲むよう促した。この水も元々僕が生んだもので、そいつが再び僕の身体に入り込んで吸収されていく。
「今日一番の仕事は終わりましたよ。これでどうですか?」
 額についた汗を拭いながら、ライラックがいつになく礼儀正しい様子で村長に報告する。
「ええ、もちろん。いやあ良かった。ここ数日を凌げるだけでも、なんと嬉しいことやら」
 目に涙を浮かべる彼の顔を見る団員の顔は、三者三様だった。団長は素直な笑みを浮かべて村長に握手し、その隣で僕らの紅一点が、この結果を自分の心に刻みつけるような苦笑いを浮かべている。
 僕自身は全く別の意味で素直だった。納得いかない。これはここでしか通用しない優しさなんじゃないか。やっぱり僕らは取り繕っている。嘘をついている。特にライラックは、あらゆる意味で本音を隠しているんだ。
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