第3話 予期せぬ同乗者

文字数 5,102文字

 イムレッヤ帝国領。
「では行ってくる」
 老人が言った。老人の名前はシュナイ・エルメック。かつてアクレビューと共に、イムレッヤ帝国の双璧と呼ばれた屈指の用兵家である。
「ああ、頼んだぞ」
 イムニアはムスッと答えた。
「これこれ、自分の思い通りにならんからといって、へそを曲げるでない」
 エルメックは子供をあやすように言う。
「だがなエルメック、なぜ私が皇帝のおもりをせねばならぬのだ? フェーザ連邦の国力が低下した今、フェーザ連邦はこちらの要求を受け入れるしかなかっただろう。シャマタルは昨年の大敗で弱体化した。…………とはいえ、あのファイーズ要塞がある限り、こちらにも無視できない被害が出る。去年の戦いでそれを実感した。シャマタルを滅ぼすのに、ファイーズ街道へこだわらないのは当然だ。だから、私はこの戦略を考えたのだ。皇帝は三男までの皇子を今回の親征に同行させるらしい。奴らはハイエナだ。皇帝は私の武勲を横取りし、実子どもに与えるつもりなのだ…………!」
「これこれ」
 エルメックは五〇以上歳の離れた年少の上司の頭を撫でる。イムニアは恥ずかしかったが、嫌悪はしなかった。
「やめろ。私を子供扱いするな。…………エルメック、ファイーズ要塞方面は頼んだぞ」
 わかっとるよ、とエルメックは言った。
 イムニアの部屋を出ると、リユベックが控えている。
「リユベック、イムニアを頼んだぞ。あやつは激情家なところがあるのでな」
 リユベックは頷き、「御武運を」とエルメックに言った。
「これはこれは、帝国の最年長の将軍と最年少の将軍に会えるとは」
 その声は冷気のように冷たかった。
「失礼ですが、あなたは?」
「申し遅れました。私はマチアン・ウルベルと申します。中央軍で参謀の任に就いております」
 中央軍、その言葉でエルメックとリユベックは警戒のレベルを上げた。
 ウルベルと名乗る者は、男か女か判断しがたい中性的な容姿だった。しかし、イムニアのように可憐とは程遠く、その印象は陰険の一言だった。
「ほう、今回の戦いでは中央軍も動くと聞くがどのように動くか、少し聞きたいものじゃの?」
「それは公式の場で発表するのが筋なのでは?」
「おおっ、ワシとしたことがそなたの言うとおりだ。不適切な発言を忘れてはくれんかの? どうも老い先短いと結論を焦ってしまうのじゃ。ワシはファイーズ要塞の攻略に全力をあげるとしようかの」
 エルメックはわざとらしく笑う。
「お気になさらずに。それにファイーズ要塞は簡単に落ちるやもしれません」
「はて、ワシのような老いぼれにそのような魔術的な策はないのじゃが?」
「エルメック様の策ではございません。私の策でございます。それでは失礼致します」
 ウルベルは自分の策をそれ以上言わなかった。
「不思議な方でしたね。それに何か暗躍しているように思えます」
 リユベックは、不気味と言いたげだった。
「ウルベル、確か上級貴族にそんな名の一族がおったな。二十年ほど前に権力闘争に負け、それ以降は名前を聞かなくなったが。リユベック、あの男には少し注意するのじゃ。どうも中央軍の無能たちとは違う気がしてならん」
 それだけ言うと、エルメックが自室に戻る。
 ウルベルの言葉の意味をエルメックはすぐに理解していた。
「内応者がいるのか」
 エルメックが呟く。
「もし、内応でシャマタルが崩壊するとすれば、それは団結により成立した独立同盟の、シャマタルの寿命ということやもしれん」
 ドアをノックする音がした。エルメックが入室を許可する。入ってきたのは、エルメックの幕僚の一人だった。
「で、現状はどうなっていおる?」
「フェルター・ガリッター、両将軍共、すでに帝都を出立しております。我々も早くしましょうぞ!」
「これこれ、あまり年寄りを急かさんでくれ。我々は遅れていくとする。あの二人には、最善と思う行動を取れ、と伝えよ」
「よろしいのですか?」
「よい。あやつらは今までイムニアの指揮の元で武功を重ねてきた。自らで考え、一個軍団の運用を経験するいい機会じゃろうて」
 エルメックの口調は、教師のようだった。。
 イムレッヤ帝国最年長の将軍は、のんびりと出立の準備に取り掛かる。


 シャマタル独立同盟領。
 ファイーズ要塞に向かう一団。
「気持ち悪い…………」
 リョウは真っ青だった。現在は、馬車でファイーズ要塞へ移動中である。馬車の中は、武器や食料、その他諸々の物資が一緒に積まれ、閉鎖的で空気も悪い。それでなくても、リョウは馬車というものが苦手だった。
「大丈夫ですか? 水を飲みますか?」
 ルピンが声をかける。馬車のなかには、傭兵団の兵士しかいない、そのため、ルピンはフードを被っていない。リョウを心配する表情が窺える。
「いや、いいよ。何か口に入れたら、吐きそうだ…………」
「ちょ、ちょっと、ここで吐かないでよ!」
 ユリアーナが後ずさりをした。
 道の窪みで、馬車が跳ねる。リョウはよろめき、近くの木箱にぶつかった。
「ひゃうっ!」
 木箱から小さな悲鳴が上がった。
「……………………んっ?」
 リョウは木箱の蓋を開ける。
「ちょっと。リョウ、勝手に箱を開けちゃだめじゃない! それはファイーズ要塞に運ぶ物資なのよ。封が開いていたら、盗難を疑われるわ」
「僕たちが何も盗んでいないことは、この中の物資に証言してもらおうかな」
「はぁ、あんた、何言っているの? 物がしゃべるわけないじゃない」
「確かに物はしゃべらないけど、人はしゃべるよね?」
「えっ?」
 ユリアーナは木箱の中を覗き込んだ。
「……………………」
 かくれんぼをしていて、「てへっ、みつかちゃった」みたいな顔をするクラナ。
「……………………」
 信じられないものを見て、口をパクパクさせるユリアーナ。
「クラナさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 ユリアーナは絶叫した。
 ルピンは咄嗟にフードを被った。
「リョウ、あんた、ついにやったわね!」
「えっ? ええっ!?」
「と、とぼけるんじゃないわよ! クラナ様を誘拐するなんて、とりあえず首を刎ねてあげる!」
「待って、待ってよ! とりあえずって、それ明らかに〆だよね!? 冤罪もいいところだ。僕はユリアーナが水浴びをしているところを覗いたり、気持ち良さそうにうたた寝しているルピンに抱きついたりはしたことはあるけど、犯罪に手を出したりはしないよ!」
 リョウの中で覗き、痴漢は犯罪にならないらしい。
「まったく、私が寝ている時に抱きつくのはやめて頂きたいのですが…………今はそれよりも、ネジエニグ嬢がここにいる理由を聞くことが先決ですね」
「そ、それは…………シャマタルの大事に私も何かしないと思って…………」
「嘘ですね」
 ルピンは言い切った。
「私に下手な嘘は効かないと思ってください。もし、満足いく答えが返ってこない場合は今すぐに首都へ帰っていただきます」
「そ、それは……………………」
 クラナは黙り込んでしまった。
 ルピンは、クラナを覗きこんだ。そして、何かに気付き、溜息をつく。
「やはりいいです。大層立派な理由でもあるのかもと思いましたが、果てしなく単純で、つまらない理由な気がしてきましたので。あなたがここにいる理由は問いません。ただこの後はどうするつもりですか? ファイーズ要塞には民間区画もありますが、身一つで暮らせるほど甘くはありませんよ。娼婦の真似事でもしてみますか?」
「ちょっと、ルピン、クラナ様にそんな言い方をしなくてもいいじゃない!」
 ユリアーナは感情的に言う。
「いえ、いいのです。ユリアーナさん。私は確かに世間知らずです。ですから…………」
 クラナは頭を下げた。
「私をユリアーナさんのところで使ってください。武術もできます。戦場に立てと言われれば、立ちます。雑用をしろと言われれば、やります。なんでもしますので、私をここに置いてください」
「んっ? 今、なんでもするって…………」
「リョウ、あんたは黙っていなさい! えっと、クラナ様、本気なんですか!? グ、グリフィード、意見を聞かせて頂戴」
「お嬢様、覚悟はあるのか?」
 グリフィードは、クラナに顔を近づけた。
「あ、あります!」
「そうか、俺がやらせろって言えば、あんたはやらせてくれるのか?」
「グリフィード、あんたまで何言い出すの!」
 ユリアーナの顔が真っ赤になる。
「やらせる? 一体、何をやるのですか?」
 クラナはキョトン、とした。
 ユリアーナを除く一同が笑う。
「なるほど、さすが温室育ち。俺たちとは生きる世界が違うな! いいか、お嬢様、やるっているのはな…………」
 グリフィードが言う必要があるのか? ということまで全て言い終えると、クラナとユリアーナは真っ赤になっていた。
「なんであなたまで、そうなっているのですか?」
 ルピンは呆れ顔だった。
「う、うるさいわね! 苦手なのよ。そういう話は…………」
「まったく、生娘じゃないんですから…………で、そちらの生娘さんはどうしますか?」
 クラナは大きく深呼吸をした。
「け、経験が無く、い、至らぬ点が、あ、あるとお思い、ますが、ご指導のほど、よ、よろしくお願い致します」
 クラナはこれ以上ないほど、真っ赤になりながら、頭を下げた。ユリアーナは、クラナに詰め寄り、肩を掴んだ。
「クラナ様、もっと自分を大切にしてください!」
「おじい様が以前、何事も経験だと言っていました!」
「こんな経験はしちゃダメです!」
 ユリアーナは泣きそうだった。
「そ、そう言えば、屋敷はどうしたのですか? クラナ様がいなくなったと知れば、大騒ぎになりますよ」
「それは大丈夫だと思います。侍女の一人に私の代わりを頼んできました」
「そんな安直な…………」
 ユリアーナは頭を抱えた。
「思った以上に面白いお嬢様だ! 分かった。いいだろう。うちの団に置くとしよう。ただし、人目は避けてくれよ。英雄の孫娘が前線に居るなんてことになったら、大騒ぎだ。リョウ、お前のところで使ってやれ」
「えっ、僕のところ? でも僕は教えてやれることなんてないと思うよ」
 ユリアーナが、リョウの胸倉を掴んだ。
「あんた、クラナ様に指一本触れてみなさい…………あなたのアレをちょん切って、ブタの餌にするから…………」
「き、君から空前の殺気を感じるよ…………」
「落ち着け、ユリアーナ、別に俺はお姫様に娼婦の真似事をしろっていうわけじゃない。お嬢様、リョウはな、言葉はしゃべれるが、文字を書いたり、読んだりするのがあまり得意じゃない。だから、あんたには翻訳兼書記をやってほしい。できるか」
「は、はい、できます。リョウさん、よろしくお願いします!」
「まったくグリフィード、あなたは甘いですね」
「美人には優しくしてやらないとな」
「よしこれで一件落着だね。よろしく」
 リョウは、クラナに握手を求めた。クラナはそれを受ける。
 ユリアーナは、リョウの肩をポンと叩いた。
「ところでリョウ、どんな制裁を喰らいたい?」
「ユリアーナ、これはただの握手だよ」
「ええ、分かっているわよ。これは指一本触れる、には関係ないわ。同意の上だもの。けどね、リョウ」
 ユリアーナは笑顔だった。
「私の水浴びを覗いた件はどう弁解するの?」
 リョウは寒気がした。
「ユリアーナさん、それだけじゃありませんよ。あなたが無防備に寝ているところを…………」
「おい、ルピン、ばらすんじゃない! 僕の命に関わる! ユリアーナ、落ち着いて話をしよう。僕は乗り物酔いが酷いんだ。今はよそう」
「そう言えば、そんなことを言っていたわね。なら簡単よ。馬車を降りればいいんだわ。あら、でもそうすると徒歩で移動することになるわね。ファイーズ要塞まではまだ距離があるから、歩くのは大変だわ。こんな時、馬に乗れればいいのだけれど。あなたは馬にも乗れないのよね。そんなリョウに朗報よ。なんと、こんなところにちょうどいいロープが!」
 ユリアーナの言い方は、とてもわざとらしかった。
「これで両手両足を縛って、ファイーズ要塞まで引きずって行きましょう」
「待て、待って、待ってくれ、待ってください! もうしませんから、許して下さい」
「大丈夫、もうそんなことができない体にしてあげるから!」
「ゆ、許して~~~~~~~~」
 リョウは絶叫した。


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