第4話 ファイーズ要塞

文字数 4,629文字

 シャマタル独立同盟とイムレッヤ帝国の国境には、険しい山脈が存在する。シャマタルとイムレッヤを繋ぐ唯一の街道、それがファイーズ街道である。ファイーズ要塞はファイーズ街道のシャマタル領側出入り口に存在する。その規模は街に匹敵し、要塞内には生活に必要な施設の全てが備わっていた。兵糧・武器の貯蔵も十分で、長期に渡り、帝国軍の侵攻を食い止める用意がある。
 ファイーズ要塞は元々イムレッヤ帝国の要塞だった。北方の民シャマタル人を征服した後、監視する目的で建築された。ファイーズ要塞はシャマタル人が反乱を起こした際、最前線と想定されていた為、強固な要塞となる。
 この難攻不落の要塞を落としたのはアレクビューとフィラックだけである。
 ファイーズ要塞を正面から攻略することは不可能だと考えたアレクビューは一計を案じた。
 それはすでにイムレッヤ帝国に対して宣戦布告をしていたアレクビューをフィラックが捕えた、というものだった。
 フィラックを知る者は、彼を融通の利かないつまらない男と思っていたので、アレクビューの反乱に賛同できず、隙をついてアレクビューを捕えたのだと考え、疑わなかった。アレクビューの身柄を引き取る為にファイーズ要塞は開門した。
 これが策だった。アレクビューとフィラックの一同が要塞内に入ると一気にファイーズ要塞の司令部に攻め込み、あっという間に制圧してしまった。アレクビューの手勢は僅かに五十だった。
 たった五十人で難攻不落の要塞を落としてしまったのだ。
 このように奇策で一度だけ落ちたファイーズ要塞であるが、正面から攻め込まれて陥落したことは一度もない。それがファイーズ要塞の強固さを示している。ファイーズ要塞の防御能力に疑う余地はない。
 不安要素は動員される兵力だろう。ファイーズ要塞に集まった兵力は一万。数としてはそれなりだが、一国と対するには少なすぎる。不足は明らかだった。シャマタル独立同盟は昨年、アレクビュー不在で挑んだオロッツェ会戦で大敗した。そのせいで戦力が枯渇していた。首都には、まだ軍団規模の兵力が残っているが、これは最精鋭で、アレクビューが出陣しないため、動員に対して反対意見が多かった。今回も結局、動員は見送られた。 
 状況は極めて不利である。それでも最善を尽くす為にリョウたちは独自に行動を起こしていた。
 ルピンは情報収集に奔走していた。敵の規模、進軍速度、後方部隊の状況、内部事情など、可能な限りの情報を集める。集められた情報・資料はリョウのもとへ集められる。リョウは作戦の立案に一日のほとんどを使っていた。リョウが使っている机とその周辺には、シャマタル独立同盟とイムレッヤ帝国の歴史書、ファイーズ街道の地図・気候、両軍の現状などに関する資料、それらが散乱していた。
「お嬢様、次はこれを清書してくれないかな?」
「は、はい」
 ファイーズ要塞に到着してから、五日が経った。リョウはその間に宿舎で数十の作戦立案書を作成した。クラナはそれを清書していく。
 獅子の団は、一つの宿泊施設を宿舎として与えられた。豪勢とは言い難いが、不自由することはなかった。
「リョウさん、こんなことをして意味があるのですか?」
 クラナは筆を止め、リョウに問う。
「それはどういう意味かな?」
「だって、リョウさんたちは軍議に呼ばれませんよ。どれだけ作戦を考えても、発表の機会が無いじゃないですか」
「別に僕が、僕の案として、これを発表しなくてもいいんだよ。僕の考えた作戦書が有効と思ってくれる人に渡って、司令官の耳に入る場所まで届けば、発信者が誰かなんて、どうでもいいんだ。その辺の手回しはルピンが動いているから、任せているよ」
「でもそれでは、リョウさんには何の利益もないじゃないですか」
「利益を考えていたら、この戦争に参加なんてしていないよ。僕らはユリアーナのためにここへ来たんだ」
 リョウの言葉に少しだけ力が入った。
「ユリアーナのために全力で作戦を考える。僕の考えた作戦が採用されれば、帝国軍とどうにか戦えると思うんだ。まぁ、僕以外でも、僕と同じことを考えている人がいれば、僕は何もしなくていいんだけど」
「リョウさんは戦略家なのですか?」
「さぁ、どうなんだろうね。僕自身は歴史家だと思っているよ。僕の立てる作戦は、過去の偉人がやったことの模倣に過ぎないからね。本音を言えば、もっと妙手を打ちたいのだけれど。あまり奇抜な作戦を考えても周りが付いてこないから。…………お嬢様、ちょっと休憩しようか。働き詰めで疲れたでしょ?」
 リョウはそう言って、紅茶とお菓子を出した。
「う~~ん、紅茶は好きなんだけど、どうやら紅茶は僕のことが嫌いらしいね。おいしく淹れられたことがない」
 リョウは、自身で淹れた紅茶を飲んで、顔を歪めた。クラナも一口飲む。お世辞にもおいしいとは言えなかった。
「あの、私が淹れてもよろしいですか?」
 リョウが構わない、と言う。
 クラナは手際よく、とは決して言えない手付きで紅茶を淹れた。それでも香りも色も、リョウの淹れたものとは、良い意味で違う。リョウは、一口飲んでみる。
「ど、どうですか?」
「僕の淹れた紅茶よりもおいしいよ」
 リョウは嘘のない感想を言う。
「本当ですか! よかった。私、誰かに何かをするのって初めてなんです。私、お役に立てていますよね!?」
「う、うん、役に立っているよ。書記をやってくれているから、すごく助かっている」
「そうですか~~~~」
 クラナは、好きな子から告白されたように、顔を真っ赤にして笑った。
「二人で何をやっているですか?」
 ルピンが二人を尋ねて来た。フードを深く被り、表情を窺うことはできない。
「午後のティータイムだよ。ルピン」
 ルピンはテーブルの上の紅茶とお菓子を見る。そして、リョウのカップを手に取り、紅茶を口に含んだ。
「おいしくないですね。誰が淹れたのですか?」
 辛辣な一言を放つ。リョウが淹れたもので無いことぐらい、ルピンには分かっていた。クラナが落ち込む顔を見せる。それを確認し、ルピンが紅茶を淹れ始めた。
「よければ、ネジエニグ嬢もどうぞ」
 勧められた紅茶をクラナは飲んでみる。同じ茶葉を使用したとは思えないほど、おいしかった。クラナは、リョウに褒められた自分の紅茶が恥ずかしくなった。
「あんまりお嬢様を苛めないでよ。姑みたいだよ」
「しゅ、姑!? 失礼なことを言わないでください。私は事実を言ったまでです。そんなこと言っていると、もうリョウさんの為に紅茶を淹れてあげませんよ」
 ルピンはプイッとそっぽを向いた。
「それは困るな。僕の楽しみが一個減っちゃうよ。………………で、用件はなんだい? ルピンだって、暇じゃないでしょ。君がここに来たってことは、ここの司令官、名前はえーっと…………まぁ、いいや。とにかく、司令官との連絡線は確保できたのかい?」
「その件ですが、リョウさんの作戦を流すのは後回しです。実は…………内通者がいます」
 リョウは特に大きな反応はしなかった。
「なるほど、あり得ない話じゃないね。けど良くこんなに早く分かったね」
「初めから疑っていましたから。これだけの劣勢なら内部から腐るものだと。まぁ、それが誰なのかなんて見当もつきませんし、内通者の存在自体も推測の域を超えていませんけどね」
「だけど、金髪の司令官の印象とはちょっと合わないな」
 金髪の司令官、イムニア・フォデュースはフェーザ連邦との戦争で比類なき戦果を上げた。イムニアの天才的な軍事の才能は大陸中に轟いている。
 イムニアの気質は兵を並べての決戦、戦勝を最高とすることで有名である。暗殺や内通、謀略の類は嫌うと言われていた。
「まぁ、世間の噂なんてどこまで本当か分からないか」
「いえ、恐らくイムニアさんは戦勝を望んでいるでしょう。謀略を考えているのは別の勢力です。注目する点は、今回の軍事行動がイムニアさんの単独で行われないという点でしょうね。今回の軍事行動にはイムレッヤ帝国中央軍、つまり皇帝直属軍が動いています。裏切りの謀略は、恐らくそっちが行っているのでしょうね。イムニアさんを過大評価するわけじゃありませんけど、彼は謀略を使わないだけでやれば、それなりに手強いと思います。私がこんなに早く情報を掴めたのは、大した能力のない帝国中央が主導しているからでしょう」
「なるほど、じゃあ、まずそのことを司令官の、えーっと、名前は…………」
 リョウは頭を振る。
「アーサーン司令官ですよ。元はシャマタル独立同盟軍第五連隊の連隊長です」
 現在のシャマタル独立同盟で、一万以上の兵を束ねられる現役の指揮官は、アクレビューとアーサーン、現役に復帰したフィラック、それとフェーザ方面に配置されている第七連隊のローラン連隊長ぐらいしか残っていなかった。
「そのアーサーンさんにどうにか伝えられるかな?」
「私はやめた方が賢明だと思います」
「…………なんで?」
「裏切り者が誰か分からないんですよ。会ったこともない人を信用するのは危険です」
「君はアーサーン司令官が裏切ったとでも思っているのかい?」
「可能性は0じゃありませんし、理由もあります。アーサーン司令官はシャマタル人ではありません。どうして、他民族と命運を共にすることができますか? それならシャマタル独立同盟を手土産に、イムレッヤ帝国に付いた方が得じゃありませんか?」
「確かにそうかもしれない。どうする?」
「味方が必要です。軍議に呼ばれる身分の人間で、信用のおける人物」
「そんな都合のいい人物いるのかな? それにそれだけじゃないよ。もし、軍の上層部の人間が裏切っているなんてことになったら、全体が混乱する。シャマタル独立同盟軍がまともな状態で居られるかも怪しい。よっぽど強い求心力が無ければ、軍は瓦解してしまうかもしれないよ」
「英雄が必要ということですか…………」
 リョウとルピンは沈黙した。
「あ、あの、フィラックでは駄目でしょうか?」
 発言したのは、半ば空気と化していたクラナだった。
「フィラックは引退してから私の教育係をしていました。接触に関してはどうにかなると思います。それにフィラックがシャマタルを裏切るとは思えないのです」
 ルピンはため息をついた。
「まったくこういうのを、リョウさんの世界の言葉で『灯台もと暗し』と言うのでしょうね。こんなところに活路があるじゃないですか。問題は全て解決ですね」
「でも、フィラックさんは引退していたんだよ。僕たちが思うほど求心力があるかな? いくら『英雄の右腕』でもそれは過去の評価じゃないかな?」
 リョウは冷静に意見する。
「ええ、そうですね。フィラックさんには上層部の連絡役としての働きだけ期待していますよ」
「えっ、でもルピンさん、問題は全て解決したと言いましたよね!?」
 クラナが言う。
「ええ、言いましたよ」
「?」
 クラナはキョトンとする。
「全て解決です」
「!?」
 ルピンは、クラナに迫った。
 それは獰猛な肉食獣がか弱い草食動物を捕食するようだった。笑顔でこう言った。
「何でもするって言いましたよね?」
 クラナが外の世界に出て初めて、恐怖を感じたのはこの時である。
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