第2話

文字数 4,554文字

その日は大学が休みで京子と二人、川崎にある岡本太郎美術館に来ていた。京子は岡本太郎の作品が好きで一緒に来て欲しいとせがまれたのだ。岡本太郎が芸術家であると言う事は、彼が生前、TVのバラエティ番組でギョロ目を寄せて「芸術は爆発だ!」と叫んでいたから知っていた。小学校の社会科の授業で大阪万国博覧会跡地にある「太陽の塔」をデザインしたのが岡本太郎だとも習っていたので、その異様な作風も知っていた。作品をこの目で実際に見た事は無かったが、正直に言うと、本格的に芸術を学んでいる京子が岡本太郎の絵画に興味があると聞いた時は少し驚いた。美術館内に入り初めて岡本太郎の絵を見た時は圧倒された。色合いや構図にも驚いたが何よりもその絵自体がどれも僕が想像していたより遥かに大きかった。畳二畳分の大きさのものが沢山あった。京子はいつもよりテンションが高く飾られている絵画を見ては食い入るように顔を近付けていた。
「弘君、見て見て!この黄色の使い方。やっぱり太郎さんは凄いわ。私にはこんな黄色を出せない」
僕からしたら京子の絵の方がよっぽど上手く見えるが、京子は岡本太郎の絵や彫刻を見ては凄い凄いを連発していた。県立や国立の物と比べてさほど大きくはないその美術館を僕達は3時間ほどかけて周ってから外に出た。バスで駅前まで戻ると、こじゃれた喫茶店に入った。京子は席につくなり興奮さめやらぬ感じで話し出した。ただ最初に口にしたのは作品の感想では無かった。
「ねえ知ってた?岡本太郎は秘書と結婚してたんだけど、籍は妻じゃなくて養女として入れていたんだって」
「へえー」
知らなかった、と言うか僕は岡本太郎についてほとんど何も知らない。
「二人はとても仲が良かったんだって。この美術館も養女の敏子さんが、亡くなった太郎さんの意志をこの世界に繋ぐ為に作ったんだって。なんだかロマンチックよね」
「そうだね」
僕は熱中して話す京子に軽く相槌を打っていた。
「でも二人には子供が居なかったんだって。できなかったのかな?作らなかったのかな?」
「そんなに仲が良かったのなら、二人とも子供がいらなかったんじゃないのかな」
「ふーん。私はもし結婚したら絶対に子供が欲しいな。弘君は?」
「えっ、俺は、今はまだそんな事分からないよ、」
京子の口から結婚と言う言葉が出て来て何故か驚いてしどろもどろになってしまった。
「ふふっ、そうよね。だって弘君はまだ彼女も居ないものね」
「お前だって彼氏いないじゃないか」
僕は馬鹿にされた気がして少しカッとなって言い返した。
「でも私にはちゃんと好きな人がいるもん」
「そんなの出まかせだろ。誰なんだよ。言ってみろよ」
「弘君。あなたが好きなのよ」

あの時の京子の照れてはにかんだ顔は二十年以上たった今でも昨日の事のように鮮明に覚えていた。岡本太郎美術館のデートの後、僕達は付き合うようになった。キャンパスの憧れのマドンナである京子と友達になっただけでも、男子学生だけではなく女子学生にまで羨ましがられていたのに、自分でも信じられなかったがその京子が彼女になったのだ。どんな人でもその人なりの青春時代があるだろうが、あの頃が正に僕の青春だった。デートではよく美術館巡りをした。新しい展示会の情報が入れば可能な限り二人で訪れていた。好きな芸術を見つめる京子の瞳は輝いていた。あれから長い時間が過ぎて、今、ほんとうに久し振りに二人で美術館に居る。
「なんだか昔を思い出すなあ」
僕は努めて明るく京子に声を掛けた。
「そう?」
「ああ、学生の時はよくこうして二人で絵を見たなあって」
京子はじっと黙り込んだ。僕はやはり美術館は失敗だったかと悔やみ始めた。京子にとって絵は特別なものだった。芸術学科でプロの画家を目指していた京子は学生の頃、数々のコンクールで入賞していた。このままこの調子で行けば間違いなくプロの画家として生計を立てて行けると本人だけでなく周りの人間もみんな思っていた。だけど次第に入賞回数が減ってしまった。何故か?本人も周りもはっきりとした理由は分からなかった。絵画の世界は僕らが思っているよりも、もっと不純で複雑なものなんだろうと思う。いわゆるコネ社会が根強く残っていて、美大でも芸大でもない京子には最初からチャンスは無かったのかもしれない。ただその頃の京子は自分の絵が世に出ないのをそれほど嘆いてはいなかった。若さと言うエネルギーが京子の全身からほとばしっていた。

僕達は宮城県立美術館の中庭が見えるレストランに入った。外は快晴で壁一面のガラスからは美しい光が差し込んでいた。
「京子は何にする?」
自分で言葉を発しながら僕はハッとした。こんなに自然に京子の名を呼んだのはいつ振りぐらいだろうか。旅の解放感か?あるいは暫く振りに二人で美術館を訪れたからだろうか?何も考えずに京子と呼んだ。当の本人は僕の心の中の動揺を全く気にする感じもなくメニューも見ずに
「ホットコーヒーとサンドウィッチでいいわ」
と言った。
「そしたら俺もそうするか。コーヒーとサンドウィッチが二人分で、ん!そこそこするんだね」
僕はその値段を見て少し躊躇したが、京子は何も気にする風もなく僕のその言葉にも顔色一つ変えなかった。
「で、どう?」
僕は美術館の絵の感想を京子に聞いてみた。
「まあ、こんなもんでしょ」
京子はあっさりと答えた。昔の京子なら、学生時代の京子なら、今頃大騒ぎしてゴッホの絵の特徴について語っていたに違いない。来るべきじゃなかった。僕が美術館に来たのを再び後悔し始めた時、京子が口を開いた。
「綺麗な美術館ね。仙台は街並みも美しいし何だか垢抜けた感じがするわ」
「確かに杜の都と言われるだけあって緑も多くて綺麗だよね」
僕はホッとして答えた。仙台は今の僕達にはちょうど良い場所だったのかもしれない。此処には圧倒されるほどの自然があるわけでもなく、東京のようなコンクリートジャングルでもない。仙台はなんだか少しホッとする街だった。
「昼からはどうしようか?」
僕は京子に尋ねた。もしかしたら美術館はこれ以上乗り気じゃないかと思ったからだ。だが僕の予想に反して京子は言った。
「もうちょっと見て行こうかな」

(弘君、パパになるのよ)
僕が仕事から帰ってリビングソファーに座ると京子がそう言った。
「えっ」
「ふふ、できたみたいなの」
「そうなのか!」
結婚して2年目で父親になる。予定していたとは言え少し動揺した。僕はそれを隠すように明るく
「ありがとう」
と京子に言った。京子はとても嬉しそうだった。やはり女性にとって母になる事は何よりも意味のある事なのかもしれない。
「弘君には今まで以上に頑張ってもらわないと」
京子は生き生きとして言った。大学を卒業して僕は当時日の出の勢いだった通信業界に就職した。京子は絵の夢を繋げる為に都内にある画材店に就職した。社会人になってからも僕らは付き合い二十五歳の時に結婚した。プロポーズはありきたりだが「結婚して下さい」だった。京子は顔を赤くして頷いてくれた。ウェディングドレス姿の京子を僕は一生忘れないだろう。結婚式の日、僕の妻となった女性は信じられないほど美しかった。そしてもうすぐ母親になる。
「男の子かしら?それとも女の子かしら?私はどっちでもいいわ。弘君は?」
「うん。俺もどっちだっていいよ」
「名前考えてくれた?」
夫婦で話し合って、男の子なら僕が名付け親に、女の子ならば京子が名付け親になると決めた。京子は沢山の名前を考えていた。自分の名前には「子」がついているから娘にはあえてそれを付けずに、ありふれた名前にはしたくないと言っていた。僕はまだ父親になる実感が沸かなくてなかなか名前が思いつかなかった。虫の知らせだったのかも知れない。結局、僕は名前を決めなくても済んだ。そして、京子も考えた名前を実際に使う事は無かった。人生に分岐点があるとしたら京子も僕も間違いなく其処になるだろう。事故が起きた。体調を崩した京子が流産をしたのだ。京子の落ち込みようは酷かった。一挙に十年は歳を取ったのではないかと思うぐらいに憔悴していた。
「弘君、ごめんね。ごめんね」
毎晩泣いていた。僕もそんな京子を見ているのが辛くてかなり落ち込んだ。世の中には色んな事情があるだろうが、子供を自ら堕ろす親も居るというのに、期待した僕達の子供は何で生まれて来なかったのか?いくら考えても納得のいく答えは出なかった。だから僕は忘れる事にした。その子については極力考えないようにした。だけど、母である京子の苦しみは僕の想像を遥かに超えていた。京子は変わってしまった。太陽のように輝いていた瞳から光が消えてしまった。

宮城県立美術館は外から見るよりも意外と中が広くて、展示品を一つ一つ見ていたら結構な時間が過ぎていた。
「なかなか良かったんじゃない?」
僕はわざと軽い感じで言った。
「そうね。あんがい楽しめたわ」
その言葉の含みで僕は京子がこの美術館を気に入ったのだと思った。
「で、どうしよか、これから?」
僕の質問に京子は少し間を空けてから
「久し振りに海が見たいわ」
と呟くように言った。
「海、」
僕はドキリとした。今回の旅行では、やはり、触れずにおこうと思っていた「海」の話が出たからだ。あれは今からちょうど二年前、長い日本の歴史の中でも類を見ない未曽有の災害、東日本大震災が起こった。東京に居た僕達も被災したが、此処仙台を初めとして南三陸町や石巻市などの太平洋沿岸の都市は地震の後に起きた高さ十メートルを超す巨大津波によって壊滅的な打撃を受けていた。行方不明者を含めると何と二万人の犠牲者が出た大災害だった。今でもニュースで流れた荒れ狂う真っ黒な津波の衝撃が忘れられない。それはこの世の終焉に思えた。日本が終わったと思った。あれから二年経ったのだ。不幸中の幸いで東北最大の都市仙台は海から少し内側に入った所にその中心部があったおかげで復興への第一歩は早かった。仙台の基礎を創った伊達政宗はやはり戦国の乱世を生き抜いた英雄だけあって危機管理に対しても先見の明があった。午前中に降り立ったJR仙台駅もあれから二年経ち地震の影響は全く無いように思えた。しかし、それは表向きの話だ。震災によって大切な人を失った人達の悲しみは消えていない。今も多くの人が悲しみと闘っている。僕は京子が今回の旅行で宮城県を選んだ理由が震災にあるとは思っていなかった。だけどやはり京子には自分の体に宿った失われた命への思いが未だに消えていないのだ。そして僕も。あの日、旅行会社へ行き其処彼処に並ぶパンフレットの中から僕の目に真っ先に入って来たのが宮城県だった。何故なら其処は僕達夫婦と同じ悲しみを共有している土地だったから。
「行ってみようか」
僕は京子に言った。そして、京子も僕も行ってみたい場所は同じだった。
「荒浜」
津波が直撃して二百人もの人が亡くなった場所だ。当時ニュースで何度も見たが、被災した小学校の傷ついた校舎や陸の孤島のようにポツリと残ってしまった老人ホームが其処にあったはずだ。だけど僕達がその場所に行きたい理由は他にあった。その地区で子供の遺体が、赤ん坊の遺体が見つからなかったと言う話を聞いたからだ。僕達は目的地へ向かった。



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