episode_003

文字数 3,787文字

 約束どおり、岡崎は店に現れた。最初に来店した翌日に岡崎の方からメッセージが来た時点で、勝負は決まっていたと言える。
「約束のもの」
 といって、岡崎は、無造作に免税店の袋を史子に渡した。
「来ていただいて、すごくうれしいな。それからホントにおみやげ買ってきてくれたんですね、ありがとうございます」と頭を下げてから
「でも、みんなが見てるから、隠してくださいね。恥ずかしいじゃないですか。内緒の約束でしょ」
 と史子は、岡崎の耳元で囁いた。
「あっ、ごめんごめん。ついうっかり」
 と言いながら、囁かれたことがうれしいのか、また、来る前に飲んだお酒のせいか、岡崎の頬は赤くなっており、明らかに、前回とは違うテンションである。そのテンションに乗じて、史子はたたみかける。
「お酒、どうしますか?この前は、谷田部長のマッカラン十八年をお飲みになっていましたよね。ハウスでもウイスキーあるけど、海外出張の多い岡崎さんだと、本場の物を多く飲んでるから、合うか心配」
 スプレンディでは、予め店側が無料で準備しているハウスボトルを飲む客は少ない。キャストもハウスボトルを飲むような客は、客としてみていない。さりげなく寄ってきたボーイが、メニューを岡崎に手渡す。
 岡崎は、回りのテーブルを見渡した。ボトルネックを下げた高価なウイスキーやブランデー、そして焼酎が立っている。それとは別に、ワインやシャンパンを頼んでいる客もいる。
 なんで、コンビニで千円で売ってる鍛高譚が八千円もするんだよ
「これだったら、飲みやすいから、私も飲めるかな」
 そういって、ウイスキーでは一番安い二万円の価格がついたシーバスリーガル十二年を史子は指さした。
 まさか谷田部長のボトルを飲むわけにはいかないし、玲香が飲めるというなら、しかも、気を遣ってくれたようだし。
 一回しか行かないつもりだったはずの岡崎だったが、今は救われた気持ちでシーバスをオーダーした。
 それ以降、岡崎は二回、店に現れた。そして、来るたびに三国志や「今の中国はね」という内容の話を、一人でしゃべり続けた。史子は、真剣に話を聞くふりをし、たまに質問をした。
「原油が騰がると、プラスティック製品が騰がるなんて、今まで、全然知りませんでした」
「そうなんだよね、玲香ちゃん、知らなかったでしょ」
 岡崎は、しゃべり続ける。そして、一回だけ延長して、きっちり帰って行く。
 岡崎が帰ったあと、次のテーブルへ送り出される前につく待機席で、史子は麻菜の一緒になった。
「おつ、今日来てた中国語のおやじ、どうよ?」
「月いち程度の細客だけど、話を聞いているだけで満足して帰っていく楽な客だから、いいかなって感じ。こっちが話題を振らなくてすむし」
「それいいじゃん。席についてもなんも話さない客とかさ、何かおもしろい話しろ、とかいう客より、全然、楽だよね。玲香にほれてるみたいなの?」
「最初は店外とか狙ってたようだけど、今はそれもないし。同伴ぐらいしてもらわないと、って思うけど、そんなに持ってる方じゃないから、細く長くつないでって、感じかな。麻菜も知ってるように、私、色恋営業とかしないじゃん。でも、勝手に熱くなってるみたい。行動起こす勇気はないみたいだから、助かるけどね」
「そりゃ、いいね」
二人は、笑いあった。

 セット料金が高くなる九時前に入って、一回延長して帰る。岡崎はそう決めていた。定時に帰れる仕事ではなく、早い時間は玲香が同伴していることが多いので、苦肉の選択で選んだ方法だった。「これなら飲めそう」と言っていたシーバスを「やっぱり無理みたい」と飲まない玲香のために、軽めのカクテルを取ってやる。そうすると会計は二万円ちょっとなる。それで月に一回から二回。もっと多く玲香に会いたいが、岡崎が決めている小遣いでは、限界だった。
 今日は仕事が片づかず、スプレンディに行く前に必ずたち寄る立ち飲み屋に行けなかったので、何も食べていない。新宿から乗った中央線を高円寺で下り、アパートへの道すがらコンビニに寄って、カップラーメンとおにぎりを買う。
 カップラーメンをすすりながら、ふと、お腹に目をやる。学生時代から痩せていた岡崎だったが、最近は腹の回りにぜい肉がつきだした。二十代の最後、三年前に買ったスーツのズボンがきつくなっている。
 岡崎の会社は、給料は決して高くないが、出張時の食事代ももってくれる。しかも、月の半分は中国にいるので、読書とパソコンにしか趣味のない岡崎は、お金を使わない。その気になれば結構貯金をすることができる。課長に昇進したことで上がった給料も、その分、貯金に回している。独り身ということを差し引いても、大学時代の友人より、岡崎は貯金をしていた。
「おまえも課長になったんだから、ゴルフぐらい始めろ。中国のゴルフ場は桁が違うぞ。180コースもあるところもあるからな」
 昨日、部長の尾上に言われた。
 こつこつやってきて、課長になって、貯金もできたけど、腹に肉がついて、彼女もいなくて、何がゴルフだっていうんだよ
 あまりスポーツが得意でない岡崎は、やる前から、自分は接待ゴルフに向いていないと思っている。実家の福島には、親父と親父と同じ県庁に勤める五つ年上の兄がおり、
「両親の面倒は、俺が見るから、お前も早く身を固めろ」
 と帰るたびに説教される。
 俺は、なんのために働いてるんだろう
 岡崎が斡旋している中国の工場で働く工員達の月給は、スプレンディで岡崎か一回に使う金額とほぼ同じだ。スプレンディで使う半分の金額で、カラオケバーの子を連れ出せる。 
 そんなことを考えながらパソコンを立ち上げると、大学時代からの数少ない友達で、たまに飲むこともある村上からメールがきていた。村上は大手の建材メーカーで営業職についていて、社内恋愛だった四つ下の彼女と三年前に結婚した。結婚当初、何度か招かれて遊びに行ったが、楽しそうに生活していて、憧れたものだった。ところが、去年の暮れに子供が産まれてから、村上から来るメールに愚痴が多くなった。
「元気でやってるか。昨日も建設会社の資材部を接待して、二時過ぎに家に帰ると、尚子が、
「どうしてこんなに帰りが遅いの。私は家事をしながら、拓ちゃんの面倒を見ていて、夜もちゃんと寝れないのよ」
とおかえりも言わないでかみついてきた。息子の拓也は、どっちに似たのか寝付きが悪くて、夜泣きが激しいんだよな。こっちも疲れているけど、怒鳴り返すわけにもいかず黙っていると、
「あなたは会社があるからいいわよね。都合が悪いことは、黙ってるだけだし」と言い出した。
「お前には、申し訳ないと思っているが、明日も早いから寝かせてくれないか」と辛うじて言って、布団かぶって、寝たよ。
岡崎はいいよな、独身だから。結婚なんてするもんじゃないぞ。しょうがないんで、今日は接待がなかったから、八時に帰ってきて、拓也を風呂に入れたよ。今は、横で尚子と一緒に寝ている。
今度は、いつから中国だ? あのお茶、頼んでいいかな? 尚子がすごく気にいっててさ。それじゃ」
 結局はのろけじゃないか
 そう思いながら岡崎は、返信した。
「来週から一週間、中国だよ。お茶は今度会った時に渡すから。それから、ゴルフって、どうやって覚えればいいんだ? 教えてくれないか」
 メールを打ち終わって、岡崎は、今日会った玲香のことを考え始めた。
 真剣に俺の話を聞いてくれる玲香。今まで、あんなに三国志の話を真剣に聞いてくれる女の子はいなかった。玲香だけが、俺の話を聞いてくれる。玲香にもっと会いたい。玲香なら、結婚しても俺の話を聞き続けてくれるはずだ。いや、まだ二十歳だから結婚は無理だ。貿易の仕事をしたいって言ってたし。大学を出て、数年は仕事をしてもらおう。あと五年はかかるな。俺が37歳で玲香が25歳。村上の嫁さんだって、25歳で結婚したしな。玲香にもっと会おう。貯金なんてしたって、ゴルフなんて始めたって、玲香と過ごすことに比べれば、何の意味もない。
玲香にもっと会おう。
 岡崎は、今日会った玲香の鎖骨を思い浮かべた。肩が出たドレスをいつも着ている玲香だったが、今日は、その上にショールを羽織っていなかった。初めてみた玲香の鎖骨。水割りを作るために横を向いた、髪をアップにまとめた玲香の首筋から鎖骨へのライン。真っ白なライン。
「何見ているの岡崎さん、恥ずかしいから見ないで」
 水割りを作り終え、振り向いた玲香が言った。
「恥ずかしいから見ないで」
 胸の中の熱くなる。この熱さだけが、いま、ここに自分がいることを証明してくれる
 頭の中の玲香は、顔を軽く傾け、少し頬を赤らめて言う。
「恥ずかしいから見ないで」
「俺にだけは、見せてくれよ」
「岡崎さんだから、恥ずかしいの。だから見ないで」
「玲香の全てがみたいんだよ」
 強引にドレスを脱がせると、アップにしていた髪の毛が、崩れ、いやいやと頭を振るたびに、流れるようになびく。
「恥ずかしいから見ないで」
 ブラジャーをはぎ取る。
「恥ずかしいから見ないで」
 決して豊かとは言えないが、形の良い真っ白な胸。薄い色の乳首が息づいているように見える
「恥ずかしいから見ないで」
 パンティに手をかける。薄い翳り見えたところで
「いやっ」
 と頭の中の玲香が叫んだ。
 その時、岡崎は果てた。
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