第1話

文字数 3,834文字

Kazi:「ええ・・。手紙が届かないらしいんです。追跡番号?いや、無いみたいですね・・。ええ。ええ。」
これは2017年、冬の話。
ここは病院。私は患者。
ネフローゼ症候群を発病した私は、大学病院の腎臓内科に入院していた。
いま、目の前にいるのはフィリピン人“Chris”。
なんだこのシチュエーション?
過去に戻ろう。
Chrisとの出会いはこんな感じ。

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「ちょっと、Kaziさん!こっちきて!こっちこっち!」
看護師さんに呼び出された私は、ベットから抜け出して、トボトボと後をついていった。

「あ~、letter? 」
「うー no letter, no letter no no!」
眉毛をへの字にした看護師さんが、フィリピン人の患者に片言の英語で説明しようとしていた。
このフィリピン人が、Chris。
この病棟に入院してるってことは、腎臓が悪いんだろうか?
で、なんで私、呼び出されたんだ?

看護師: 「Chrisは英語しか話せないからさ~。なんか、手紙が届かなくて困ってるんだってさ~。
Kaziさんいつもロビーで英語の勉強してるじゃん?英会話の練習するチャンスだとおもってさ~。」

英会話?Chris?
ニヤニヤ笑う看護師さん。

Kazi: 「Can I help you with anything? Anything like interpretation?」

えー、すごーい!Kaziさん英語うまーい!みたいな看護師さんの絶叫を聞いて、ちょっといい気分になった。
うまく乗せられただけだとも気付かずに・・。

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その日から毎日、
「Kaziさん、ちょっと通訳に来てください。」
「Kaziさん、ちょっと!」
「kazi!」
「通訳!早く!」
「何やってんの!通訳!早く!」
いつの間にか、私はChris専用の通訳にされてしまった。

で、このChris、
アメリカにいる叔父さんから大事な手紙が届くはずなんだけど、
未着で困っているそうです。

英語が話せないChrisの代わりに、私が郵便局に問い合わせてあげることになったんだ。
正直、面倒くさい。
でも、捨てられた子犬みたいに眉毛をへの字にするChrisをみたら、なんか可哀そうになってしまった。

病棟の看護師さんにキャーキャー言われて嬉しくなった。
私はアホです。

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Kazi:「ダメだクリス。手紙なんか見つからないよ。」
病院の受付で聞いても“ダメ”、配達地域の郵便局に聞いても“ダメ”。
あちこち聞きまわって、結局は諦めた。
郵便局のおばさんに“なぜか”電話でひとしきり怒られた後、私はChrisに手紙が見つからないことを説明した。
Chris:「OK....」

精一杯聞きまわって、これ以上は探しようがないって納得してくれたみたい。
手紙の中身についてChrisは私に教えてくれなかった。
ひょっとして現金??
そんな大事な手紙なら、なんで書留で送らないんだ?
とにかく、それ以来、Chrisは手紙の話は持ち出さなくなった。

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Kazi:「AC/DC? Have you met AC/DC?」
Chris:「Yes, I met. And I was surprised to hear that Malcolm Young was dead! 」
Kazi:「Yeah! Me,too. Very surprised!!

言葉が通じなくて不安だったChrisは、話し相手が出来たことが嬉しかったらしい。
あれから毎日、会いに来るようになった。
Chrisは他人の携帯電話を勝手に借りたりする“厚かましい”奴だったけど、音楽の趣味は最高だった。
Nirvana, AC/DC, Guns n Roses, Van Halen, それからRolling Stones.
アメリカでイベントのプロモーターをやっていたChrisはこれらのバンドメンバー全員に会ったと言う。
プロモーター?
実に嘘くさい話だ・・。

ちょっとまて、Rolling Stones??

Kazi:「Wow!! Because you have a lot of rolling stones in your kidney!!
とっさに閃いた冗談に有頂天になって私は大声で言っちまった。
Chrisは腎臓結石だったんだ。

Chris:「Yes.. I have a lot of rolling stones in my kidney....」
答えたChrisの“寂しそう”な笑顔・・!
全然笑えないぞ。
こんな冗談は言わなきゃよかったとすぐ後悔した。

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看護師:「Chrisの話し相手になってくれてありがとう!」
採血をしながら看護師さんはニヤニヤ笑っていた。

Chrisの事はみんな気になっていたらしい。
お金もあまりないらしく携帯も通信制限で使えない、わたし以外話ができる相手がいないChrisは一日中寂しそうにロビーで共用のテレビを観ていた。

Kazi:「知ってる?あいつ、一日中テレビ見てるけど、全然理解できてないんだぜ。」
看護師:「え!?全然理解できてないの??それなのに、毎日あんなに真剣にテレビ観てるの(げらげら笑)」

本当に、いつ見ても、Chrisは神妙な顔でテレビを見つめていた。
Chrisには悪いけど、あんな表情で、あんなに真剣に観てて、なに一つ理解していないって知ったら、笑うわ!

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Chrisは毎日テレビで報道されている大男の事が気になっていた。
ある日、週刊誌に写った写真を指さしながら、

Chris:「Who is this guy? This person is always on TV. Why??
Kazi:「OK.... This guy is Japanese SUMO champion.. And.....」

写真の大男は日馬富士だった。
当時、貴ノ岩をビール瓶でぶん殴ったことが大問題となって、連日テレビで報道されていた。
事件の顛末を説明しながら私は、Chrisが毎日ニュースを見ながら本当に全く理解できていないことに驚いた。
日本語力ゼロの彼が日本で情報を入手するのは本当に難しい事らしい。

彼は退院した後ちゃんとやっていけるんだろうかと、少し不安になった。

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Chris: 「They will insert the endoscope through my penis. My penis!! My penis!!

手術の日が近づいている。
Chrisはナーバスになって何度もMy penisという言葉をつぶやいていた。看護師さんも聞いてるのにデリカシーのない奴め!

Kazi:「Will anyone come to see you on the day of surgery? 」
Chris:「My daughter is in Fukui. But I don't think she will come...」

Wow..
なんだか重い話だな。
Chrisがわざわざ福井に来たのは娘を頼っての事らしい。
なんだけど、ちょっとした事件があって娘さんと仲が悪くなって、助けてくれなくなっちゃったんだって。

Chrisはここを退院した後、友人の勤める会社に入れてもらう予定だそうだ。
とても、嘘っぽい・・。

Chris: 「My penis!! My penis!!
いや、もうpenisはええっちゅうねん!
それより退院後の生活の心配をしろよ!

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Chris: 「Hey! Look at this picture!!
Chris: 「Look at rolling stones in my kidney!!

Chrisが差し出したスマホには、ガラスの容器の上に置かれた石ころが写っていた。
Chrisの腎臓から取り出した結石だ。
ピカピカしてて綺麗だね。

Chrisが気にしていた“あの部分”も無事だったようです。
Chrisは絶好調だった。

Chris: 「And, I'm leaving the hospital today. Thank you so far. Kazi」
なんだよ~、退院かよ・・。
お別れを言いに来たんだ。

Chris:「I'm sure we can meet again somewhere, right? somewhere, somewhere....」
Kazi:「Somewhere, at a Guns N' Roses concert?」
Chris:「Yeah...!!

この時の「Yeah...!!」が、
目がキラキラしてて、腹の底から唸るような音で、とても印象に残った。
それがChrisを見た最後。
最後にちょっと気の利いたセリフを言えて、私は嬉しかった。

あれから結石はもうできない?
娘さんとは和解できた?
うまく就職できたんだろうか?
ちょっとは日本語しゃべれるようになった?
それとも、もう日本にはいないんだろうか?
連絡先ぐらい聞いとけばよかったと今では思う。

でも、多分、彼はどんな場所でもうまくやっていけると思う。
うまく言えないけど、いつも明るく振舞うChrisの言葉や表情には“生命力”を感じた。

この世界のどこかで、
あの嘘くさいChrisが、
転がる石ころみたいに荒々しく、
ロックを愛して生きている。

コンサートに行くたびに、ちょっと探してしまう顔がある。

おしまい。
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