星降る夜に

文字数 5,483文字

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【♪雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう】

 一時間ほど前、待ち合わせのツリーの前に到着したばかりの時に聴いた曲がまた流れている。
 どうやら一時間ほどのプログラムがリピート再生されているようだ。

(ちぇっ、一時間以上も待ってるようなら、とっとと帰れってことかよ……)

 巨大な樅の木に華やかなイルミネーション。
 この時期、客寄せにはクリスマスツリーが効果絶大だ、都内のあちらこちらで様々なクリスマスツリーが競うように色鮮やかな光を纏い、『クリスマスの魔法』を演出する。
 恋人達は夢の大樹の前で待ち合わせ、宝石店やブティックでプレゼントを選び、レストランで『クリスマス・スペシャル』コース料理に舌鼓を打ち、ドアにリースを掛けたカフェやバーに消えて行く。
 大規模複合商業施設にとって、クリスマスツリーは、恋人達の財布を空にする魔法の杖なのだ。
 で、どうやら、その魔法にかけてもらえるタイムリミットは一時間と設定されていて、それ以上待ちぼうけを食うような輩は邪魔なだけ、財布の心配をしなくても良いから帰ってくれ、ということらしい。
 
(そっちがその気なら、こっちにだって意地があるんだぜ)
 善男は花束を抱え直した。
 たいして重いものではないが、ずっと抱え続けているので少し腕が強張る。
 だが、雪国の出身らしく粘り強さなら人後に落ちない。

(そもそも名前が良くないよな……)
 善男、善い男……実際の人柄も実直で誠実、真面目な男。
 友達にして置くには良いが、トキメキの対象にはなりにくい男ですよ、と宣言しているような気がしてしまう。
 身長はまあまああるが、イケメンとは言い難いことは自覚している、と言っても特にひどいと言うような事もない、要するにあまり印象的な外見ではないと言うことだ。
 出身大学は、まあまあ二流と言った所、バカにされるようなこともないが、感心されるようなこともない。
 まあまあの会社に勤め、まあまあの収入がある……何を取っても『まあまあ』なのだ。
『まあまあ』でないのは女性の好みだけ。
 奔放で少々派手な美女に目がないのだ。
 その結果……クリスマスツリーの前で一時間以上待っていることになる……それも三年続けて、しかも毎年違う女性を。
 最初の女性は、待ち合わせには来てくれた……一時間遅れで。
 そして、ディナーの席で別れを切り出された、理由は『好きな人が出来たから』……『他に好きな人が……』ではない、要するに熱を上げていたのは善男だけ、彼女にとっては単なる『つなぎ』でしかなかったのだ。
 しかし、彼女はまだ良い、『別れる』と言うからには、善男と交際していたと言う自覚はあったのだから。
 二人目の女性は待ち合わせ場所に来なかった、翌日電話すると『忘れていた』と言う……待っている間に何度かメールしたが返信はなかった、忘れていただけなら、たとえ翌日になっていても『ゴメン』くらいは送って来そうなものだ、しかし、善男がそれを口にすると、いきなり電話を切り、その後は何の連絡もなかった……数日後、人づてに彼女がクリスマスにふられたことを知った、義男ではない男に。
 そして、今日の相手……今日の約束を切り出した時は『うん、わかった、良いよ』と軽い返事、しかし、『あ、それでね』と他愛のないお喋りを続けた……。
 クリスマスディナーに誘ったのだ、ハンバーガーショップでのランチに誘ったのとは訳が違うのに。
 そして、案の定だ……少し前にメールをしたが、返信はまだない。
 おそらくこの先もないだろう……。
 奔放さに振り回されるのはかまわない、と言うよりも義男は振り回されるのが好きなのだ、『恋をしている』ことを実感できる……しかし、無造作に棄てられるのは、その都度空っぽになってしまうだけにいささか辛い。
 そう、善男はいわば缶コーヒーのようなもの、喉が渇いた時、移動の合間にちょっと一息入れたい時、手軽に手に入れられ、飲み終えたらポイと棄てられる、そんな存在……。

【♪きっと君は来ない ひとりきりのクリスマスイヴ】

 三度目の『クリスマス・イブ』が流れ始めた。
(ちぇっ、言い当ててやがる……また一時間経ったのかよ……さすがに三度目は堪えるな……)

 善男は強張った腕を伸ばし、花束をだらりと下げた……。

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【♪心深く 秘めた想い 叶えられそうにない】

(あ……またこの曲だわ……)
 瑞恵がこの場所でこの曲を聴くのは、今日二度目……。

 瑞恵は美容師、このシーズンは美容院にとって書入れ時だ、店長に頼み込んでなるべく早く上がれるようにしてもらったが、上がり予定の六時半時過ぎまではてんてこ舞いだった。
 今日最後のお客も待ち合わせの時間が気になっていたのか、早く、早くと急かすわりには細かい注文が多くて十五分ほど予定をオーバーしてしまった。
 『彼』との約束はあいまいだった……。
 『ああ、なるたけ行くようにするよ』
 半分、いや、七、八割方は『行かないよ』と言われたようなものだ。
 しかし、瑞恵は大急ぎで待ち合わせのツリーの前にやって来た、息を切らしながら時計を見ると、約束の時間を五分ほど過ぎていたが、彼の姿はなかった……。
 まだ来ていないなら、そんなことはちっともかまわない、でも、五分の遅刻を許してくれなかったなら悲しいし、来ないならもっと悲しい……。

【♪必ず今夜なら 言えそうな気がした】

 美容師専門学校を卒業して、地元の美容院に三年勤めた後、都内の大規模な美容院に移るために上京して更に三年。
 手先は器用で、真面目に腕を磨くので技術は高く評価されている。
 だが、東京に限らず、大きな都市で生まれ育ち、街中で知らず知らずのうちにセンスを磨いて来た同僚には、その点でどうしても及ばない。
 手堅く綺麗にまとめてくれるので年配の顧客には評判が良いが、思い切った変身をしたい若い女性にとっては物足りないのだ。
 このシーズン、美容院は大忙し、普段は年配の女性を中心に腕を奮うことが多い瑞恵も、若い女性、それもデートやパーティのために大変身したい女性の髪をいじる機会が増える、そして、その都度イライラしたような口調で細かい注文をつけられる、そんな時、瑞恵は自分が根っからの都会人ではないと身につまされてしまうのだ。
 
 
 待ち合わせにやって来ない『彼』は美容院で使う設備の営業マン。
 ぱっと目を惹くイケメンで髪型や服装にも一部の隙もない、瑞恵にとって彼は、思い描いて憧れていた王子様の姿そのままだった。
『あ、アレはやめときなよ、もう、プレイボーイで有名なんだから』
 瑞恵が彼への好意をちょっと口にしただけで、先輩から忠告された。
『誰とは言わないけどさ、この店にも【被害者】は何人も居るんだからね』
 しかし、恋は人を盲目にするだけでなく、耳も聞こえなくするようだ。
 先輩の忠告は右の耳から左の耳へと通り抜けてしまった。
 
(今日会えたら、私をどう思っているか訊くつもりだったのに……その時、彼がなんて言うのかを聞くのは怖いけど、もう宙ぶらりんは嫌……でも、これが答えなんだろうな……)

【♪まだ消え残る 君への想い 夜へと降り続く】

 ツリーの周りからはどんどん人が少なくなって行く……。
 瑞恵は夜空を見上げた。
 まばゆいばかりのイルミネーションが夜空を照らし、星はほとんど見ることが出来ない。
(星が淋しいな……田舎じゃもっと降るように見えたのに……)
 都会のまばゆさに憧れて上京した……まばゆい人工の光、それは待ち合わせにやってこない『彼』と重なる……。
 ふと、疲れを感じた……憧れは憧れのままである時が一番美しいのかもしれない……。
 このツリーだって、魔法で輝いているわけじゃない、無数のLEDが仕込まれているだけ、電気が切れればただの樅の木……そう思うとちょっと空しい。

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 善男は時計を見る……9:45、さすがにこの時間になれば待ち合わせの人影はまばら。
 このツリーの前に立ったのが6:50、あと5分で四度目の『クリスマス・イブ』が流れる筈。
(もう沢山だ、この上ダメ押しまでされたくはないな……)
 善男はツリーを囲んでいるベンチから腰を上げた。
   
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 瑞恵は時計を見る……9:45
 ここに着いたのが7:35、もうすぐ三度目の『クリスマス・イブ』が流れる筈。
(もう一回聴いたら、泣いちゃいそう……)
 瑞恵は立ち上がってコートの裾を直した。
 
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「あ……」
「あら……」
「もしかして……瑞恵?」
「やっぱり善男君だ」
「高校の卒業式以来になるのかな?」
「ええ、そうね、善男君は東京の大学に進んだんだよね」
「ああ、それからずっとこっち、瑞江は?」
「あたしは三年前から……ひょんな所で会ったわね」

『こんなところで、どうしたの?』と言う問いを、善男はぐっと飲み込んで、自嘲気味に笑顔を作った。
「ははは……俺、フラれちゃったみたいでさ……」
「……実は、あたしもなの……」
「……」
 こんな時になんと言ったら良いのか……善男にはとっさには思いつかなかったが……。
「あのさ……これ、花束……持っててくれねぇ? ずっと抱えてたから腕が疲れちゃってさ」
 義男が花束を差し出すと、瑞恵はクスリと笑った。
 その拍子に涙が一筋こぼれそうになったが、それは手袋でそっと押さえた。
「いいわよ、あたしもフラれたみたいに見られなくて済むから……」
 
 
 時刻はとうに過ぎているが、予約したレストランに電話してみると、席は空いているのでお待ちしていますと言う返事。
「席、空いてるってさ」
「それはそうでしょうね、この時間だもの……あ、もしかして、ご馳走してくれるの?」
「どうせ、ドタキャンになったら料金取られちゃうしね」
「わざわざそんなこと言わなくてもいいのに」
「え? ああ、まあ、そうだったね」
「ふふふ……正直なんだから」
 二人は、少しぎこちなく笑い合った。

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 本来は別の女性と楽しむ筈だったディナー。
 しかし、約束の相手とのディナーでは何かと気が張るが、瑞恵の唇から流れ出す懐かしいアクセントはむしろ心地良く、自分も喋るのに気を使わなくて済むのが嬉しい。

 本当は別の男性と過ごす筈だった夜。
 高校時代の思い出話や、卒業後のクラスメートたちの進路や近況……全然オシャレな話題じゃないけど、素直に楽しい。

「向こうじゃ、もうかなり積もってるんだろうなぁ、雪」
「きっとそうね……」
 
 東京のクリスマスに雪が降ることはほとんどない。
 窓から差し込む明かりはLEDの光ばかり。
 しかし、二人はテーブルに暖かな雪明りが差し込んでいるかのように感じていた。

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 結局、閉店間際まで話し込んで、二人は再びツリーの前。
 店舗が一斉に店じまいを始めると、ツリーのイルミネーションも徐々に消えて行く。

「あ……星が見える」
「本当だ、イルミネーションに邪魔されてたんだな」
「きっとそうね……」

 二人はしばらく星空を見上げていた。
 
「あ、この花束、貰っちゃっていいの?」
「ああ、もちろんいいよ……それと……これも良かったら」
「何?」
「ペンダントなんだけどさ……なんか、使いまわしみたいで悪いんだけど……」
「来年まで取っておけば良いのに」
「来年か……いいよ……なんかさ……」
「なんか……何?」
「いや、なんでもない」
「じゃ、あたしからもお返し」
「え? 何?」
「ネクタイピン……ちょっと派手かもしれないんだけど」
「そうなの?……」
「こっちも使いまわしみたいでごめんね」
「いや……」
「あたしも、それを来年まで取っておく気は全然ないから」
「どうして?」
「そんな気にならないだけ……もういいの」
「いいって……カレシ、諦めるの?」
「諦めるんじゃなくて、もういいの……あのね……」
「何?」
「あたし、やっぱりイルミネーションより星明りのほうが好きみたいって、わかっちゃったから……」
「あ……あのさ……俺もそう言おうとしてたんだ」
「今日はありがとう、さっき、ばったり会った時は泣きたい気分だったのに、今はなんだかあったかい気持ち」
「まあ、その……なんだ……俺もだよ……」

【♪街角にはクリスマスツリー 銀色の煌き Silent Night, Holly Night】

 銀色の煌き、それは星の煌き。
 イルミネーションに隠されてしまう淡い煌き。
 しかし、それは静かな、聖なる煌き……。
 そして、消えることのない永遠の煌き……。

 二人は肩を寄せ合うように、もう一度星空を見上げた……。
 
 



(『星降る夜に』 終  良いクリスマスを……)
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