2.彼女と雨の話
文字数 1,245文字
ゴォォォォォ……。
電車がトンネルを駆け抜けていく。激しい音に乗客たちは僅かばかり身体を震わせた。彼女は吊り革を握っていた手に力を込めた。薄く目を開ける。トンネルの壁に張り付いた電灯が眩しくてすぐ瞑った。
(ふぅ……)
声に出さず溜息をつく。首をグルリと大きく回し――ポキ――頸椎の関節を――ポキポキリ――鳴らす。反動で左腕に引っ掛けていた黒い小さめの傘が揺れ、腰の辺りにぶつかった。
(はぁ……)
電車はトンネルを抜け出たが、窓の外は暗いままだった。太陽は雨雲の向こうに隠れている。
対照的に、車内は静かだった。
彼女は目蓋を重ねたまま欠伸を噛み殺し、吊り革に体重の半分近くを預け、夢と現とを行きつ戻りつしていた。何を考えるでもなく、何を意識するでもなく。うつら、うつらと――。
「降ってきちゃったわねぇ」
突然、背後から響いた声につられ、窓の外を見やる。
(わぁ……ほんとだぁ……)
窓ガラスに水滴が増えていく。一つ、また一つ。増殖を続ける雫は、風を受け互いにくっつき合い大きな塊となって斜めに滑り落ちていく。
(気が滅入るなぁ)
彼女は自分を夢から覚ました犯人を振り返った。五十前後のオバサンが二人、どうでもよさそうなことを喋っている。
「はぁぁぁ……」
今度は声に出して、長く深い溜息をついた。
腕時計は一時五分前を指していた。電車が目的の駅に着くまで、まだ二十分はかかる。彼女は携帯電話を取り出した。
「遅刻魔でぇす!
わーい。
せいぜい待っていてくれたまえよ。はっはっはー。
ごめんね。」
一分と待たずにバイブレーターが震えた。
「分かったから、早く来なよ。
俺はもう着いてるから」
(分かってんのかなぁ? 分かってなさそうだなぁ)
笑う。彼女の口から溜息が漏れることは、もうない。
(早く逢いたいなぁ)
窓に映る彼女の影。その幻影の頬に重なるように雫が流れて落ちていった。泣いているような自分の影と見つめ合い、一度大きく頭を振ってから、返信メールを出す。
「電車に言ってくれー!」
(うん。大丈夫。問題ない)
昨夜の電話。今朝母親が口にした言葉。一月前に起きた事件。半年前から始まったもの。去年の今ごろまで続いてたアレコレ。いつもの口癖になった約束たち。その一切を意識することなく、彼女は今日のこれからについて思いを巡らせた。
(今日もいっぱいワガママ聞いてもらおう。そんでいっぱいお話して、お買い物もして、お食事もして、それでそれで、いっぱい優しくしてもらおう。それからそれから――)
電車が止まる。人の流れが急に激しくなった。飲まれるように、彼女は電車を降り、足早に改札へと向かう。
彼の後ろ姿が目に入った。
(それから……もしも、泣きたくなっちゃったら、そんな弱い自分は、彼にまた殺してもらおう)
何をするでもなく、雨降る駅前広場を眺めている彼。いつもと同じ。昨夜のことなど無かったかのように、そこにいてくれる彼。
その肩を叩いた。
彼が振り向く。
ぷに。
「へへっ」
《IN THE PAIN》
電車がトンネルを駆け抜けていく。激しい音に乗客たちは僅かばかり身体を震わせた。彼女は吊り革を握っていた手に力を込めた。薄く目を開ける。トンネルの壁に張り付いた電灯が眩しくてすぐ瞑った。
(ふぅ……)
声に出さず溜息をつく。首をグルリと大きく回し――ポキ――頸椎の関節を――ポキポキリ――鳴らす。反動で左腕に引っ掛けていた黒い小さめの傘が揺れ、腰の辺りにぶつかった。
(はぁ……)
電車はトンネルを抜け出たが、窓の外は暗いままだった。太陽は雨雲の向こうに隠れている。
対照的に、車内は静かだった。
彼女は目蓋を重ねたまま欠伸を噛み殺し、吊り革に体重の半分近くを預け、夢と現とを行きつ戻りつしていた。何を考えるでもなく、何を意識するでもなく。うつら、うつらと――。
「降ってきちゃったわねぇ」
突然、背後から響いた声につられ、窓の外を見やる。
(わぁ……ほんとだぁ……)
窓ガラスに水滴が増えていく。一つ、また一つ。増殖を続ける雫は、風を受け互いにくっつき合い大きな塊となって斜めに滑り落ちていく。
(気が滅入るなぁ)
彼女は自分を夢から覚ました犯人を振り返った。五十前後のオバサンが二人、どうでもよさそうなことを喋っている。
「はぁぁぁ……」
今度は声に出して、長く深い溜息をついた。
腕時計は一時五分前を指していた。電車が目的の駅に着くまで、まだ二十分はかかる。彼女は携帯電話を取り出した。
「遅刻魔でぇす!
わーい。
せいぜい待っていてくれたまえよ。はっはっはー。
ごめんね。」
一分と待たずにバイブレーターが震えた。
「分かったから、早く来なよ。
俺はもう着いてるから」
(分かってんのかなぁ? 分かってなさそうだなぁ)
笑う。彼女の口から溜息が漏れることは、もうない。
(早く逢いたいなぁ)
窓に映る彼女の影。その幻影の頬に重なるように雫が流れて落ちていった。泣いているような自分の影と見つめ合い、一度大きく頭を振ってから、返信メールを出す。
「電車に言ってくれー!」
(うん。大丈夫。問題ない)
昨夜の電話。今朝母親が口にした言葉。一月前に起きた事件。半年前から始まったもの。去年の今ごろまで続いてたアレコレ。いつもの口癖になった約束たち。その一切を意識することなく、彼女は今日のこれからについて思いを巡らせた。
(今日もいっぱいワガママ聞いてもらおう。そんでいっぱいお話して、お買い物もして、お食事もして、それでそれで、いっぱい優しくしてもらおう。それからそれから――)
電車が止まる。人の流れが急に激しくなった。飲まれるように、彼女は電車を降り、足早に改札へと向かう。
彼の後ろ姿が目に入った。
(それから……もしも、泣きたくなっちゃったら、そんな弱い自分は、彼にまた殺してもらおう)
何をするでもなく、雨降る駅前広場を眺めている彼。いつもと同じ。昨夜のことなど無かったかのように、そこにいてくれる彼。
その肩を叩いた。
彼が振り向く。
ぷに。
「へへっ」
《IN THE PAIN》