閑話

文字数 1,967文字


 ここは清藍国の皇宮奥深くにある後宮。
 数々の美姫が皇帝の寵愛を争い、権謀策略を張りめぐらす狭いが深遠な社会。
 皇宮には大きな宮が四つあり、それぞれを春殿、夏殿、秋殿、冬殿いう。蓮花が住んでいるのは皇妃だった母が賜った夏殿だ。夏に一番の見頃を向かる広い蓮池があり、皇妃が生きていたころは幼い蓮花と蓮池にかかる橋を渡り散歩していた姿がよく見られていた。
 その一角を蓮池の橋から、後宮にふさわしくない声が響く。

「え~い! やあ!」
「姫様~。腰が引けていますよ~」

 蓮花の側仕えであり、従姉妹でもある玉葉が、蓮花に声をかかる。

「分かった~」

 蓮花は、長い棒の先に丸めた布をつけたものを、一生懸命に振り回している最中だ。これは、春からの龍騎士訓練所に向けて、槍の練習をしているのである。……全く、そうは見えないが。
玉葉は、複雑な気持ちで見つめていた。まさか蓮花が適性検査を合格するとは思わなかったのだ。今年の合格者は十三人。そのうちの一人が皇女でもあり、自分の主人でもある蓮花だなんて……。
玉葉は、最近ではすっかり癖になった、ため息をつく。

 と、シャランと、水晶と水晶がぶつかる澄んだ音がして、玉葉は後ろを振り返った。そして内心「げっ!」と思いながらも、ごくごく上品な笑顔で礼の姿勢をとり、後ろに下がる。

「アレは、何をしておるのじゃ?」

 皇后から直接声をかけられるとは思いもせず、玉葉は目をさまよわせた。それにいったい何と言って答えたらいいのだろう。槍の特訓だとはとても言えない。

「はい。皇后様。蓮花姫がなさっているのは……、あの……その……。む、虫取りの練習でございます」
「何? 虫取りじゃと?」

 幸い、蓮花の槍はまったく様になっていない。虫取り網を振り回す練習をしている……と見えなくもないはずだ。

「はい。間もなく、姫様は山籠もりに入られます。山は虫が多うございますゆえ……」
「……山では、庶民の生活を学ぶのであったな?」
「はい」

 それは蓮花がひねり出した、後宮を出るための口実だ。
 龍騎士候補生は、皇都にある龍騎士訓練所で三か月間寮生活をしなくてはならない。
たった一日の適性検査を街に出るのにも苦労した蓮花が、三か月間も外で暮らすには、何か特別な理由が必要だ。それが、この「庶民の生活を学ぶための山籠もり」だ。
清藍国には、『第三皇女は、龍騎士と結ばれるべし』という掟がある。蓮花の結婚相手となる龍騎士のほとんどは、庶民の出である。「庶民と結ばれるのに、庶民の生活を全く知らないでは、結婚しても幸せにない!」と、例のごとく氾皇后に滑り込み土下座で訴えかけた蓮花は、すったもんだの末、見事、三か月間皇宮から出る許可を得たのだ。

 水晶がぶつかり合いシャランと音が鳴る。その音は、氾皇后の簪から下がる水晶の鳴る音だ。

「アレは……、結婚に乗り気ではないと思っておったが……」
「……乗り気かどうかは関係なく、姫様はご自身の役割を重々承知しておりますゆえ」
「左様か……」

 氾皇后は、しばらく蓮花を見つめていたが、見飽きたというように、踵を返して去って行った。玉葉は頭を下げて、それを見送る。

――それにしても、驚いたわ。なんで、氾皇后が来たのかしら? ううん。それよりも、三か月間も後宮の外で暮らす許可を出すなんていうのも驚きだわ。いったい、何を考えているのかしら?

 何せ、母の法要だからと、蓮花が丁家への宿下がりを許可が下りたのも異例なのである。それが王都から遠く離れた龍騎士訓練所別館で、三カ月もの滞在を許すなど、ありえる事ではない。……まあ、実際には、龍騎士訓練所別館には、第三皇女のフリをした玉葉が向かう手筈になっているのだが。

 そこへ、のんきな蓮花の声がする。

「玉葉~。どう? 少しは良くなった~?」
「姫様! それどころじゃありません! 気付かなかったんですか!?
「気付くって何を?」
「氾皇后です! ついさっきまで氾皇后がこちらにいて、姫様を見ていたんです」
「げっ!」

 蓮花も腰が引ける。

「そ、それで……、氾皇后は、何をしに来たの?」
「それが……。よく分かりませんでした。山籠もりの事を聞いていましたが……」

 蓮花は口を手で押さえる。

「ま、ま、まさか」
「まさか?」
「龍騎士候補生になる事がバレちゃったなんて事は……?」
「それはないと思います。いくら皇后様でも、女が龍騎士候補生になるなんて、想像もつかないのではないでしょうか?」
「……そうよね?」
「何しにきたんだろう? まさか見送りにとか?」
「まさか……」
「まさかね……」

 二人は、首を傾げながら、氾皇后が去って行った方向を見つめた。



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