上司の秘密

文字数 2,015文字

「イレタテノコーヒーハイカガデショウカ」
 桜の花びらみたいな足を滑らせ、自立式ロボットが喋る。名はPENGY。ペンギンがモチーフだが、構造上の問題でよちよち歩きはできず、細っこいR2―D2と言われた。設計者としては残念だ。
 早歩きの速度で移動し、注文の聞き取りや、お勧め商品のテキストを次々読み上げる。障害物のデスクをスムーズに曲がれたので、試しにお盆とボトルを二本持たせてみたら、角で激しく転倒した。
「ああ……」
 部署のどこからか残念がる声が聞こえる。PENGYは多忙な飲食店の注文から配膳までこなす目的のロボットだ。目標の半分も達せず、溜め息が漏れた。
 僕は今年、この南野商事に転職した。二十代半ば。将来的な給料を見据えての決断だ。技術職は夢を創るようで、その実リアリストな必要がある。高専、大学と出て知ったのは、壮大な夢を語る人材ほどドロップアウトするということだ。
「ドンマイ。次はうまくできるさ」
 そんな僕の直属の上司は有働さん。五十過ぎのベテランだ。南野商事は二十年以上前から有名で、業界随一の超軽量型バッテリーが多くのロボットを生み出した。有働さんはその技術を一身に引き受ける凄腕技師。機械が動かない時、皆揃って彼に相談する。
「明日には直しておくよ」
 それが誰より遅く帰る有働さんの口癖だ。そして翌日には回路がぐちゃぐちゃの機械も、ただ充電が切れていただけみたく元通り。社内の誰もが憧憬の念を抱くのは無理からぬことだった。

 その日は繁忙期手前だった。遅くまで残っていたら、有働さんに声をかけられた。
「残業お疲れ様。今日はもう上がりなさい」
「でもPENGYは……」
「明日には直しておくから。ほら、若者が夜更かしはいけないよ」
 子ども扱いは癪だが、実際に彼からすれば息子くらいの年齢なのだろう。有働さんに家庭があるのかは知らない。彼は周囲に気を掛けるばかりで、身の上話はしないから。
 僕は言われた通りに退社した。アパートへ帰る途中、都内を走る電車の中で、思わず口をついた。
「……スマホ忘れた」
 現代人の生命線を会社に置いたままだ。改札は腕時計型端末で通っているから暇な時間まで気が付かなかった。暫く悩んだが、一人暮らしでテレビもない部屋は凶悪なまでに静か過ぎる。僕は一駅で会社へ引き返すことを決めた。

 戻った会社で奇妙な声が聞こえた。んんん、とトイレでいきんでいるような荒々しさ。何だ何だと慌てて部屋に入ると、中腰の有働さんが掌を正面に向け、カンフーみたいな謎の姿勢で居た。おかしな上司と目が合うと、PENGYがガチャンと激しく倒れ込む。数々のテストでボロかったが、余計に嘴がひん曲がる。もう鳥類の面影はない。
「……見られてしまったね。ぜひ内緒にして欲しいんだが」
 天井を見上げて薄ら笑いを浮かべる有働さんには、後悔とも諦念とも区別のつかない表情が浮かんでいた。
「今、PENGYが動きませんでしたか。もう直ったんですか」
 弛んだ皺のある顔が「まさか」と鼻で笑った。
「実はこいつ、私の念力で動いているんだ」
「有働さん、休んだ方が……」
「頭はすこぶる快調さ! 見ててご覧」
 心配する僕を差し置き、彼がさっきみたく力むと、十五キログラムの機械が独りでに頭の高さまで浮いた。唖然と見つめる中、花びらの足はゆっくりと地に戻る。有働さんは激しく息を切らしながら言った。
「子どもの頃、テレビで見たスプーン曲げに憧れて練習したんだ」
「あれ、ただのテコの原理ですよね?」
「私がそれを知ったのは、鉛筆を自由自在に動かせるようになった後だったよ……私は念力を鍛え続けた。そして二十歳の頃には念エネルギーを物体に与えられるようになった」
 キラキラした目で語る有働さんに童心が垣間見えた。物理学には存在しない名前を聞いた僕は開いた口を塞げず、彼の妄言じみた過去話に囚われる。
「私はこの念力で大成した。色々持て囃され、気づけば後戻りできなかった……機械の見てくれを誤魔化す技術ばかり上手になってね」
「じゃあいつも残業していたのは……」
「無論、念力を隠すためさ」
 罪の告白でもしたような有働さんは、実に清々しい表情だ。心なしか毎日の残業でできた隈が薄くなり、憑き物が取れたみたいだった。
「本当は見つかりたかったのかもしれない。ありがとうね」
 お礼なんて、と言うのも憚られる夜だった。

 程なく、僕は会社を辞めた。以降、南野商事は業績悪化の一途を辿っている。理由は長年勤めてきた凄腕技師が亡くなったからだ。
 出来過ぎも考えものだ。他人の期待に応え続け、弱音も吐けずに過労させられる。自分のキャパシティにまで気を掛けなくてはいけない現代は、有働さんのような人には残酷な世界だ。
「ゴチュウモンハオキマリデスカ」
 あの細っこいペンギンは今も偶に見かける。僕が転職した直後に商品化された配膳ロボット。液晶画面の付いた鳩胸には、二度と次の寿命が与えられることはない。
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