第1話 「彼女の恋」

文字数 18,332文字

 「もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするかのように音楽を聴くのだ。」
 村上春樹「意味がなければスイングはない」より

 二〇〇X年六月某日付の朝西真麻から辻本勝彦への返信メール
 
 件名「彼女の恋について」

 親愛なる辻本勝彦様

 こんにちは。お元気ですか。
 ハローハロー。
 オラ、リオデジャネイロ。
 ボア・ダルジ。

 こちら東京は、ここしばらくずっと降り続いていた雨が今朝方ようやく止み、久しぶりに太陽が晴れやかな顔をのぞかせ、穏やかで心地よい涼やかな風も吹き始めました。
 そちらリオデジャネイロのお天気はいかがですか。
 先日、お会いした時には、少し風邪気味のようだとおっしゃっていましたが、もうお加減はよろしいのでしょうか。

 さて、私はといえば、この前、お会いした時にはご心配をおかけしましたが、お陰様で一人暮らしにも、大学にも、そしてこの東京という街にも大分慣れてきました。
 四月の初めに大学に通うために東京に出てきて、一人暮らしを始めた最初の頃は寂しくてたまりませんでしたが。
 そうなんです、ちょうど勝彦さんとお会いした頃が一番辛い時期だったのです。
 あの日、勝彦さんと二人でお食事した時に伺ったお話の中で、長いこと一人でずっと暮らしてきて、仕事の都合で、何度も色々な町に引っ越しをしたけれど、違う町に引っ越すと、どんなところでも最初の頃は随分寂しい気がするものだ、ということをおっしゃっていましたよね。おそらく暮らしていた町というものは自分で考えている以上に心や体の隅々に、つまりはその人の記憶の中に、しっかりと根を張ってくい込んでいるものなのだ、って。
 きっとその通りなのだと思います。
 私も東京に来て、それをしみじみと感じています。例えば、故郷にいたときには全然意識もしていなかったような光景がふと懐かしくなるのです。それこそ、高校に通う途中の坂道にあったどこにでもある電信柱の一本一本でさえ。そして、その電信柱に書かれた落書きの一つ一つさえ懐かしく思えてくるのです。おかしいですね。
 でも、だんだん、こっちの、東京の電信柱にも慣れてきました。東京の電信柱は、最初はちょっとクールでツンとしていると思っていたけれど、よくよく見るとなんてことないですね。結構悪ぶってるけどいいヤツなのかもと思えるようになってきました。

 あ…。えーと、電信柱のヤツのことなんかはどうでもいいんです。ごめんなさい。
 まずはお礼を云わなくちゃですね。
 長い長いとっても素敵なメール、本当に本当にありがとうございました。こんなに長いメールを誰かからもらったのは私の人生で初めてのことです。私なんかのために誰かがこんなにたくさんの文章を書いてくれるなんて、素敵、素敵。本当にとても嬉しかったのです。
 そしてメールの中で勝彦さんが触れていたCDも航空便で先日確かに届きました。メールをいただいてからずっとこのCDが届くのを楽しみに待っていましたから、早速聞いてみました。メールの中で勝彦さんは、君は覚えていないかも、と書かれていましたが、おあいにくさまです。私、ちゃんと、しっかりと、この曲を覚えていましたよ。イントロが流れた瞬間、私の体のすべての細胞ひとつひとつにこの曲が沁み渡るように溶け込んで、ああ懐かしいっていっせいに歓喜の歌声があがりました。ハレルヤ。
 昔、何かの本で読んだのですけれど、人間の体の細胞は二年間で全部入れ替わってしまうのですって。ということは、二年前の私の細胞はもうこの世界には存在していないわけで、当然なことに、この曲を聴いていたころの十五年前の三歳の頃の私の細胞なんて、もう、この世にひとかけらも残っていないはずなのに、ちゃんとこの曲を、このメロディを、この歌声を、つまりは私の音楽を、私の古い細胞たちは新しい細胞へと伝え続けていたのですね、まるで黙々と走り続け、懸命にタスキをつなぐ駅伝のランナーのように。箱根の山もなんのその。ずっとずっと長いこと、繰り返し繰り返し、新しい細胞にタスキは渡し続けられたのです。そしてそのタスキはちゃんと今の十八歳の私に届いたわけです。長い時間をかけたタスキリレー。そして届いたものは懐かしく美しく優しいメロディ、私の音楽。

 話は、更にどんどん横道にそれ、まるで深い深い森の中をさまよっていくようですが、私の通っている大学のフランス語クラスのクラスメイトに少し変わった面白い男の子がいるんです。いつもぼーっとしたような印象で、目をショボショボさせ、一見ちょっと頼りなさそうで、もじゃもじゃの頭をひっきりなしにガリガリかいているような男の子なんですが、たくさん本を読んでいて、色々と面白いことを知っているの。
 その彼がこの前、ニコニコ笑いながら、大学の学食で、好物のしそから揚げ定食を食べながら、こんな話を私にしてくれました。
 彼は一年間浪人して、私と同じこの大学に入ったのですけれど、一年目に大学受験に失敗して落ち込んでいるときに急にある歌が聴きたくなったんですって。どうにもこうにもその歌が気になって、随分昔に聞いた歌だったのですけれど、自分の部屋を隅から隅まで大捜索して、どうにかその歌が入っているCDを探しだしたのだそうです。早速聞いてみたら、その時の落ち込んでいる彼を慰めてくれるのにぴったりの歌詞だったのだそうです(確か『暗闇から手を伸ばせ』という、少し不気味なタイトル。歌手の名前は忘れてしまいました)。彼は、その歌詞をすっかり忘れていたそうなのですけれど、その歌を聴きながら、その歌詞に感動する以上に、「さ、さすが、僕だなあ」と自分自身に感動してしまったんだそうです。彼に言わせると脳天を直撃するような衝撃を受けたのだそうです。大げさですよね。
 「つ、つまりね、僕は僕を守ろうとしているって思ったんだよね。ぼ、僕が落ち込んでいるときに、僕の脳はフル回転して、僕がすっかり忘れて記憶の奥の奥にしまいこんでいた歌を無意識に自分の記憶から引っ張りだしてきて、僕に聞かせようとしたんだね。じ、自分という生命を生かし、元気づけるために。や、やるなあって思ったよ。そして、こうも思ったんだ。こんな凄い自分に守られているんだから絶対にこれから先も僕はきっと大丈夫なんだろうなって。き、きっとこれからも、僕の記憶の中の素晴らしいものが僕を守ってくれるだろうって。」
 後半はうっすらと自慢が入っているような感じもして、ちょっとちょっと、何言ってるのよと呆れてしまいましたが、言いたいことはなんとなく私にも分かるような気がします。  
 過去の記憶が現在の私たちを守ってくれることがあるのですね。偉いぞ、自分。
 あなたからのメールを読みながら、彼の言ったことをふと思い浮かべたのでした。

 いけない、いけない。随分と、話が飛んでしまいました。ごめんなさい。ヘンゼルとグレーテルのようにあやうく深い森の中で迷子になるところでした。そう、勿論、発見!お菓子の家、ではなく、あなたからいただいたメールとCDの話です。
 今日も、CDプレイヤーで、この数日、よくしているように、この曲を繰り返し聴きながら、あなたのメールをまたじっくりと読み返したのですが、また、ポロポロと涙がこぼれて、止まらなくなってしまって困りました。もう、何十回と読んだのに。やれやれです。今日もいっぱい泣いちゃいました。ふう、最近どうも涙もろいようなのです。
 そして、この曲を流しながら、三歳の頃の私がかつてしたように音楽にあわせて頑張って踊ってみようとしたのですが、残念ながら、ステップはすっかり忘れていて、くるくると少し回っただけでふらふらして倒れてしまいました。残念。
 そういうわけで、踊ることはいったん中断して、勝彦さんへの返信メール(このメールのことです)の続きを書くことにしました。色々と頭の中を整理しないといけないと思ったので、アールグレイの紅茶をいれて、家の近くのケーキ屋さんで買ってきた美味しいロールケーキを食べながら。まずとりあえずは甘いもの、なのです。私が激しく甘いものに恋い焦がれるのはご存じのように母方の遺伝なのです。

 さて、まずは、メールの中に書かれてあった、十五年前に私たちが一緒に水族館に行った時のことですけれど、ごめんなさい、残念なことに、私は全く覚えていませんでした。でも、読んでいて、勝彦さんも誉めてくださっているように、私もこの小さな女の子はなかなかいい子ねって思いましたよ。ふふふ。えへん、えへん。
 そして、この時一緒に撮った写真については、勝彦さんの教えの通りに、家に電話をして母に訊いてみました。ご推察通り、母が持っていました。「よく覚えていたわね。」と笑いながら言われましたが(まあ、私は覚えていなかったわけなのですけれど)、適当に答えて、あなたからのメールのことは内緒にしておきました。
 私が母に、この勝彦さんが教えてくれた話をしたら、母はきっと喜ぶと思うのですけれど、あなたはきっと、嫌がりますよね。もし、許可してくださるなら、話をしたいと思うのですけれど、いかがでしょうか。ぜひ、考えてみてください。でも私たちの秘密にした方がよいのかしら。
 とりあえず、その写真は夏休みに帰省するときに見せてもらうことにしました。本当に、勝彦さんが言うほど、その小さな女の子は可愛らしかったのかしら。ちょっと疑わしいのですけれど。それよりも、一緒に写っているスポーツ刈りの高校生の男の子に私はとっても興味があります。母はなかなかカッコよく写っていると言っていたのでとてもとても楽しみ。それから、帰省するときには、『トム・ソーヤーの冒険』を買って父にプレゼントしようと思います。まだ、読んだことがないということなので。残念ですが、カンは外れましたね。

 そして、実は一番あなたに伝えたいこと。とても大切なこと。
 昔の勝彦さんが、つまり、十八歳の勝彦さんが不思議に思ったこと、私、その理由わかりますのよ。うふふのふ。嬉しすぎて少し浮かれています。
 つまり、なぜ母が水族館の帰り道であんなことを言ったのかということ。実はそのことをどうしてもどうしても勝彦さんに伝えたいがために、こうして文章を書くことが苦手な私が一生懸命、悪戦苦闘しながら、パソコンのキーボードを叩いているといってもいいくらいなのです。だから返信が遅れてしまったことを許してくださいね、気持ちとしてはすぐに返信をしたかったのですが、と、これは言い訳です。

 あなたからのメールの中の、水族館からの帰り道、母があなたを呼び止めて声をかけた箇所を読んだとき、私、泣きながら笑っちゃったんです。どうしてだか知ってる、どうしてだか知ってるって思いました。二回繰り返して思っちゃいました。
 なぜ母があなたにあんなことを言ったか、その理由を知っているのは、この世の中では母本人とそして私だけです。でも、今から母には内緒でこっそりそのことを書こうと思っているので、勝彦さんも知ってしまうことになりますけど。
 でも大丈夫、いいんです。というか、おそらく私がこの世に生まれた理由のひとつに(しかもわりと大きな理由のひとつに)、「このメールをあなたに送ること」というのが含まれているのではないかと、今、真剣に思っているくらいなのです。黒字でゴシックでしっかりと書かれているのではないかと思うのです。私の重大な使命なのです。
 きっとこのメールが、勝彦さんの胸に長いことつかえていたことに対するひとつの答えになるのではないかと思います。それを知れば、きっとあなたは昔のあなたに、もうちょっと優しくしてあげられるようになると思うのです。だって、どう考えてみても、昔のあなたに、つまり十八歳の頃のあなたに今のあなたはちょっと冷たすぎると思いますから。

 そしてこの手紙は勿論お礼でもあります。あなたがある小さな女の子にまつわるとても素敵なお話を教えてくれて、私を勇気付けてくれたので、私も同じように、私が知っているある女の子のとても素敵なお話をしようと思うのです。女の子というのは少しずうずうしいかしら。でも、その当時、彼女は、現在の私とほとんど変わらない、少しだけお姉さんの二十歳だったのですから、許してくださいね。
 これも、勝彦さんが手紙で教えてくれた話と一緒で、公園のベンチに腰をかけていた二人に起こった話なのです。そしてその二人の内の一人が、また、私の母なのです。私たちが一緒に西葛西臨海公園に行った時の五年くらい前の話になるのだと思います。

 この話を、私は、今から二か月前、大学に合格して上京する時、羽田行きの飛行機に乗る前に、空港ロビーの喫茶店で母本人から聞きました。
 私たち、空港にちょっと早く着きすぎてしまって、飛行機が出発する時刻まで少し時間ができてしまったのです。私たちは空港のロビーにある小さな喫茶店に入って、隅の席に向かい合わせに座りました。私はロールケーキとロイヤルミルクティーを、母はコーヒーを頼みました。
 これから始まる東京での一人暮らしのことを考えると、期待よりも不安の方が先に立って、私は随分とナーバスになっていました。父と母と弟と離れて暮らすのもとても辛いことでした。しばらく、二人でとりとめのない話をしていたのですが、母が私と同じ年の頃、短大を卒業して東京で働いていた頃のことを話していたら、これから私が書くこの話をしてくれたのです(実は、その前日の夜に母から「お守り」として一枚の写真を貰っていて、私がその写真について尋ねたのがきっかけだったのですが。その写真については、後で詳しく書くつもりです)。
 母が昔の話を、つまり私が生まれる前の話をするのはとても珍しいのです。おそらく、父に悪いと思うようなのです。
 だから、勝彦さんからメールを頂いて、そこに書いてあることを読んで、とても不思議な気がしました。ついこの間、母から聞いた話とつながっていたので。
 世界はおそらく私たちの知らないところでつながっているのですね。そして、人はある日、ある時、偶然に、あるいは必然に、ただ気づくのでしょうね、きっと。うん、本当にそう思います。そう、ただ、ある日どこかで気づくのです。

 と、ここで、私も勝彦さんのように、前置きが随分と長くなってしまったことに気づきました。昔、仲良しだったからかしら。どうせなら、あなたのように上手く書けるといいなあと思うのですけれど、とても心配です。でも、がんばって書いてみることにします。
 あなたにとってささやかだけれど役に立つことになると信じて、なんとかうまく伝えられますようにと静かに祈りながら、真面目に一生懸命に書くことにします。誓います。だから、どうかどうか上手く書けますように。

 それでは始めます。
 そう、これは私の母がまだ小沢真琴だった頃のお話。今から二十年以上前の、彼女が初めて恋に落ちた時の話です。

 ある夏の日のことでした。八月の半ばと母は話をしていたので、ひょっとしたら、時期で言うと、それから何年か後に、私たちが水族館に行った時と同じような頃だったのかもしれません。
 彼女が初めて恋に落ちた場所は東京のJR五反田駅の近くの小さな公園です。すべり台と砂場。いくつかのベンチ、そして何本かの木と小さな時計塔のある小さな公園です。
 どうして私がそんなにその公園について詳しく知っているかというと、実は、母から空港でこの話を聞いたあと、東京についてすぐに、私はこの公園に行ってみたのです。東京に行って初めていったのがその公園でした。東京タワーでも、お台場でも、ディズニーランドでも、そして西葛西臨海公園でもなく、その小さな公園に行きました。どうしても見ておきたいと思ったから。母はその話をした時、随分昔の話だから、もうその公園はないかもしれないわねと笑いながら言っていましたが、その公園は今でもちゃんとありました。
 でも、私がその公園に行った時の話もまた後で書くことにしますね。物語には順番というものがありますから。私がその公園に行ったことも含めて、色々と書きたいことはあるのですけれど、現在の私が出しゃばってしまうと話がごちゃごちゃになってしまうので、自分の言葉はあまり交えずに母から聞いた物語を、ここからは、あなたのように私もできるだけ正確にシンプルにストレートに伝えようと思います。
 その夏の日、東京の五反田のその小さな公園で何が起こったのかを。どうしてその日一日落ち込んでいた彼女は笑うことができたのかを。

 その夏の日、つまり、今から二十年前の八月の半ばのある暑い夏の日の午後、東京はJR五反田駅近くの公園で、彼女はベンチに腰をかけてひどく落ち込んでいました。母の隣には同じ会社の営業の男性が腰をかけていました。
 二人はお得意先の会社に謝りにいった帰りだったのです。その日、母はとんでもない失敗をしてしまったんです。

 こういうことなんです。
 当時、母は短大を卒業したばかりの社会人一年生でした。短大を出た母はあるオフィス機器メーカーに勤めていました。勤務地は東京の五反田にある東京地域の事務センターだったそうです。ここで母は契約書や請求書の作成、売上データの入力などの事務職として働いていました。それは新人期間がばたばたと過ぎて、やっと仕事も覚えてきた頃のことでした。その日の何週間か前に、母が事務を担当している取引先の会社に新しいファックス機の納入がありました。通常、母の会社ではコピー機やファックス機を納入した場合、代金の支払いは振り込みでもらうことになっているのですが、今回、その会社ではすでにコピー機を使用していて、そのコピー機のコピー料金が毎月口座からの引き落としになっていたので、先方の希望で新しく購入したファックス機の代金もコピーの使用料と一緒に口座からの引き落としにしてほしいと依頼があったのだそうです。
 詳しいことはよくわからないのですが、この場合、そのためには一旦振込として計上された代金を取り消す処理をして口座引き落としとして再登録してコンピュータに計上しなければならないのだそうです。その入力処理を母がしたのですが、その際に入力のミスをしてしまったのでした。つまり桁を間違えて入力してしまったということです。簡単に言うと、本来十万円のところを百万円と誤って入力してしまったということで、その額が先方の口座から引き落としされてしまったのです。さあ、大変!本来であれば入力のプルーフリストでチェックするのですが、そのチェックも漏れてしまったらしいのです。
 引き落とし日の当日、恐ろしい剣幕で相手方の部長さんからクレームの電話があり、すぐお金は返金することになったのですが、とりあえず謝りに行かなければということになり、その会社の担当の営業の人と謝りに行くことになったのだそうです。
 その担当の営業の人は、母よりも三年ほど先輩の男性社員でした。ちょうどお盆の時期でその人は外出せずに営業所にいて、電話で一生懸命報告する母からの言葉を静かに聞いて、「うん、分かった。これからお詫びに行くけど、詳しい説明を求められるかもしれないから、僕と一緒に行ってくれないかな。」と言いました。母は怖くて行きたくなかったのですけれど、やはり自分の責任でもあるので、上司と相談した上で、その営業の人と一緒にお詫びに行くことになりました。
 二人は五反田の駅で待ち合わせをして地下鉄でその会社に向かいました。その営業の人とは電話では何度か話をしたことがありましたが、実際に会って話をするのはこの時が初めてでした。中肉中背、二十代半ばの若い人で、二枚目という感じではありませんでしたが、真面目で優しそうな人でした。母がその人に挨拶をして、今回は申し訳ありませんとお詫びをすると、その人は静かにきっと大丈夫だよと言いました。

 しかし、実際は全然大丈夫ではありませんでした。相手の会社の人に、当然ですけれど、厳しく怒られて、母はとても落ち込んでしまったそうです。それからもう随分たちますが、母は、今でもその時の先方の部長さんに怒られる夢を見て、夜中にはっとして目が覚めることがある、と話していましたからよっぽどトラウマになっているんでしょうね。
 その会社にお詫びに行った帰り道、あまりに落ち込んでいる母を気の毒に思ったのか、一緒に同行した営業の人は、そのまま帰るのではなく、母に五反田駅近くの公園で休んでいこうと誘ったのでした。母は言われるままにふらふらとその人について行きました。ハンメルンの笛吹きについていった子供のように。

 二人はベンチに並んで腰をかけました。営業の人は母を元気づけようと色々と優しく声をかけてくれたのですが、その時の母の耳にはその言葉は全く届かなかったそうです。言われた言葉にいちいち弱々しい微笑みを返すだけでした。それくらい落ち込んでいました。私はなんてダメなんだろうと母は心の中で繰り返し思っていたのだそうです。
 その公園にはベンチに滑り台、時計塔、そして何本かの木々。夏の夕暮れでうるさいくらいに蝉が鳴いていました。
 二人が座ったベンチから少し離れた木の下に、小学二年生くらいの男の子とそれよりももっと小さい四歳か五歳くらいの男の子がいました。二人は同じ青い野球帽をかぶっていて兄弟のようでした。
 男の子二人は、木の下でなにか小声で話をしながら、ちらちらと母たちの方を見ていました。なんだか話しかけたそうにしていたのです。その二人に母が気づきました。何かしら。

 すると、しばらくして、大きな方の男の子、つまり兄と思われる方が、意を決したようにベンチに腰をかけている二人のところにやってきて、母の隣に座っている営業の人に向かって、自分が持っていた虫網をぬっと差し出してこう言ったのだそうです。
 「すみません。網に蝉がひっかかってしまったので、とってください。お願いします。」

 見ると、男の子が手に持っていた虫網に一匹の蝉が絡まってもがいているのでした。そして、母がふとその男の子の隣を見ると、後からやってきた小さな男の子の方、つまり弟と思われる方が今にも泣き出しそうな顔をしていたので、母はこう想像したのだそうです。
 きっとこの二人の兄弟は(母は兄弟と決めつけていました)、一緒に蝉を取りにきたのだ。そして弟は兄にねだって買ったばかりの虫網を使わせてもらう。兄の大事な虫網。弟は一匹の蝉にその虫網をかぶせる。でも少しずれてしまった。蝉は網から抜け出そうと死に物狂いにバタバタと動いて網に絡まってしまう。弟は一生懸命押さえたのだけれど、蝉は余計に虫網にからまっていく。兄が慌てて、弟から虫網をとりあげる。しかし蝉は虫網にきつくからまってしまい、どうやっても取れない。兄は懸命に虫網にからまった蝉の足を外そうとするが上手くいかない。兄はだんだん不機嫌になる。弟はそんな兄を見て怖くて悲しくなってしまう。さっきまであんなに楽しくて、お兄ちゃんも機嫌がよかったのに。弟はさっきまでの晴々と高揚していた気持はすっかりなくなってしまい、お兄ちゃんに怒られるんじゃないか、もう一緒に公園に連れてきてもらえなくなるんじゃないか、一緒に遊んでくれなくなるんじゃないかと不安な気持ちでいっぱいになる。その小さな胸ははりさけそうになる。その時、兄はふと辺りを見渡し、公園のベンチに腰かけている二人の大人を見つける。紺のスーツを着た優しそうな男の人と、エンジと青のストライプのネクタイをつけてどこかの会社の制服を着ている可愛らしい女の人(これ、あくまでも母の想像ですから。この箇所は無視してもよかったのですが、なるべく正確にということで)。
 兄は、弟の手を引いて、二人のところに行く。そして、スーツの男性の目の前でこう言う。「すみません。網に蝉がひっかかってしまったので、とってください。お願いします。」
 はい、ここで母の妄想終了。ふう、長かった

 「うん、いいよ。」と母の隣の彼はにっこりと微笑んで、男の子たちに優しくそう言いました。そして、話しかけてきた男の子から虫網を受け取ると、網に絡まった蝉の足をひとつずつ外していきました。ゆっくりゆっくりと。丁寧に慎重に。蝉も傷つけず、網も破らないように。彼は黙って、まるで一言でもしゃべったら、全てが失敗してしまうかとでもいうように真剣にもくもくとその作業を続けました。
 すべてをシンプルに、すべてを神の元へ、世界をあるべきところに戻すかのように、その魔法の手はきびきびと動きました。
 母はその隣で、黙って真剣なまなざしで成行きを見守っていました。そして心の中で世界を動かす大きな歯車が正しい方向に動き出すことを祈っていました。

 蝉のそのたくさんの足のひとつひとつが自由になった時、彼はセミを親指と人差し指でそっとつまみ。男の子が首からかけていた蝉籠の中にその蝉をゆっくりと入れ、蓋をしめ、虫網を男の子の手に戻しました。その動きにはなんの無駄な動作もなくなんだか優雅なダンスを見ているようでした。そのダンスが終わりました(我慢できないので書いてしまいます。えーと、つまり、「ダンスが済んだ」いわずと知れたおなじみの素敵回文の王様です)
 その時、母は本当は拍手をしたいのを思いっきり我慢していました。なにしろいい大人なので、そんなことをしたら子供たちに笑われてしまいますから。

 子供たちの兄の方はありがとうございましたとお礼を言いました。弟は兄の影に隠れて恥ずかしそうにもじもじしていました。弟はずっと黙っていましたが、立ち去ろうとした時に、初めて声をだしました。

 「あの人、セミを網からとるのが上手だったね。」

 彼は、そう兄に同意を求めたのだそうです。兄はちょっと驚いたようでしたが、ちらっと母たちの方を見て、小さく恥ずかしそうに小さい声で「そうだね。」と弟にそっと囁き、「帰ろう。」と言って行ってしまいました。弟は兄の後ろをちょこちょことついて行きました。
 あ、あの子お礼を言った。と母は思い、嬉しくなりました。そっと隣を見るとそこにも笑顔があることを知り、また嬉しくなりました。
 そして、公園を出る前に、最後に二人はもう一度母たちの方を向き、ぺこりとお辞儀をしました。兄が弟の頭を右手で下げて。夕陽をバックにぺこりと頭をさげたその二人の姿を母はとてもとても愛おしく思いました。二人は公園を出て、角を曲がり、母たちの視界から消えました。

 二人が見えなくなると「今、あの子たちお辞儀しましたよね。」と母は、もうすっかり嬉しくなって、興奮して、思わず、隣の営業の人に声をかけました。
 彼は「うん、そうだね。」とのんびりと言って、二人は顔を見合わせました。そして声をあげて笑いました。その時、母は心が通じ合ったような不思議な気がしたのだそうです。同じことで笑えるっていいことですよね。そして、母はその時、改めて営業の人を見て「ああ、この人は耳たぶが大きいなあ。」と思ったそうです。耳たぶって…。もう少し他の所は印象に残らなかったの…。

 それから、その営業の人は、「そうだ、ちょっと待ってて。」と母に言い、近くの売店のスタンドでソフトクリームを二つ買い、ひとつを母に渡しました。「はい、どうぞ」と言って彼は母に笑いかけました。
 「わあ、なんて優しいのだろう」と母は彼の笑顔を見ながら、夢見心地にうっとりと思いました。そしてソフトクリームを受け取り、ゆっくり口に近づけました。唇に冷たく甘いものがそっと触れました。
 二人は公園のベンチに腰をかけ、夕暮れの公園でしばらく黙ってソフトクリームを食べました。
 でも、その沈黙はこの公園にやって来たばかりの時のものとは違って、母にはとても快い沈黙でした。たぶん、私はいつまでもずっとこうしていられると母は思いました。
 この公園のベンチに二人で座り、いつまでもソフトクリームを食べながら夕陽を見ていたい、そう思いました。いつのまにかそれくらいリラックスしていたんですね。
 やっぱり、泣く子には甘いものが一番ねと母は、この昔話を私にした時に笑いながら言いました。それって、確実に私のDNAに刻まれてますから。

 そして、二人がソフトクリームを食べ終わると、営業の人は、腕時計をチラッと見て、「もう四時だ。帰ろう。」と母に声をかけました。母の言葉によると彼は少し「おどけた感じ」で、そう言ったのだそうです。その言い方がなんだかおかしくて母は「はい」ととても真面目に丁寧に、そしてはっきりと答えた後クスクスと笑いました。そうだった、いつまでものんびりとしてはいられない。お仕事、お仕事。
 世間知らずの母は、その「おどけた感じ」の言い方については。それが何を意味していたのかには、全く気付きませんでしたが、感心なことに、彼女はその時にちゃんと自分が完全な恋に落ちたことには気づいていました。えらい、えらい。
 夕暮れの公園は蝉の鳴き声が響き、夕陽の温かいオレンジ色の光線が世界を優しく包んでいました。
 その世界の中で、彼女はちゃんと正しく恋に落ちましたとさ。めでたし、めでたし。

 それから二十年後、地方の空港のロビーにある小さな喫茶店の片隅で、彼女はすっかり冷めてしまったコーヒーの入ったカップのとってを優しく触りながら、自分の娘に語ったささやかな長い長い昔話をこう締めくくりました。
 「私はね、その時のことを一生忘れないだろうと思うの。私は失敗ばかりをして、昔も今も、本当に不完全な人間だけれど、だからこそ、完全な瞬間を覚えていることができると思ったの。蝉を虫網から取ることで、そんな単純で、簡単なことで、あの瞬間、その場にいたすべての人が、二人の子供たちは勿論、私もあの人も幸せになったの。みんなにっこりと笑ったの。世界が微笑む瞬間を私は確かに感じたの。そして二人の男の子はとても可愛らしくお辞儀をして、私たちはとっても美味しいソフトクリームを食べて、とっても綺麗な夕陽を見たの。もし私が完全な人間で、そういうことがいつもできる人間だったら、きっと私は日常のこととしてもう覚えていないでしょうね。でも不完全だからこそ、美しい瞬間をいつまでも大事に心の中にしまっておくこともできるのね。嬉しいことに、不完全な人間にも完全な瞬間は起こりうるのね。」

 その公園の出来事から、少しして母はその営業の人、おわかりですよね。つまり、ご存じのように、あなたのお兄さんとのお付き合いが始まって(このあたりの事情はもう少し詳しく聞きたかったのですが、母は恥ずかしいようで、はぐらかしてちゃんと教えてくれませんでした)、二人は二年後に結婚をして、そして私が生まれることになるわけです。
 私は、母が、私、真麻という女の子がちゃんとお互いを愛する人たちから生まれたという事実をちゃんと聞かせてくれたことをとても感謝しています。
 これが彼女が、つまり私の母が恋に落ちた日の物語。どこにでもあるありきたりで、でも、どこにも二つとない嬉しい物語。二人が出会ったのは彼女が二十歳で彼が二十四歳の時でした。私の好きなアガサ・クリスティの作品の『トミーとタペンス』風に言うと、「二人の年を足しても四十五歳にならなかった」頃のお話。

 先ほど、書いたとおり、母は私が東京に向かう前日、つまり彼女が恋に落ちた日の話を私に空港の喫茶店でしてくれた日の前日に、一枚の写真をくれました。その人、つまり、この話の登場人物の、母と同じ会社の営業の人にして、私の生みの父親にして、あなたのお兄さんにして、今はもういない辻本信一さんと生まれたばかりの私が映っている写真です。私が一番最初に撮られた写真。私のこの世界での、嬉し恥ずかしデビュー写真です。
 母は、今の父と再婚するときに、辻本信一さんが写った写真はこれ以外は全部あなたの実家に送ってしまったそうなんですけれど、この写真だけは手元に置いておいたそうなのです。これは父には内緒なんだそうです。
 そして、今、その写真は私の手元にあります。もっと正確にいえば、このメールをうっているパソコンが乗っている私の机の上のクマの形をした可愛いらしい写真立ての中に入っています、そして写真の中でその男の人は生まれたばかりの私を腕の中に抱いています。まわりまわってその写真は、この写真に写っているもう一人の人物、つまり私の手元に届いたわけです。
 私はここ最近いつもしているように、またこの写真をじっと見つめます。
 この写真に写っているのは、世にも不機嫌で信じられないくらい肥っていてちっとも可愛らしくない赤ちゃん(誰、このブーちゃん。これが、私だなんて絶対に絶対に信じられない)と、その女の子を大事そうに抱えた、世にも幸せそうな笑顔を見せている男性です。こんなに嬉しそうな笑顔を見せている人を私は生まれてこのかた見たことがありません。正確に言うと生まれたばかりの私の瞳にこの笑顔は写っていたはずですが、当然ですが覚えてはいないのです。
 この写真は母が病院から戻ってきて家で撮った写真なのですけれど、母曰く、自分が撮った中で一番いい写真なんだそうです。
 私があまり上手に撮れていないというか、ねえねえ、ちょっと、わざと不細工に撮ったんじゃないの、という不満はあるものの、でも、確かに素敵な写真です。

 残念ながら、私とこの写真に写っている人の人生の軌跡は、この人が交通事故で亡くなるまでの、たった三年間しか交わりませんでした。だから、私にはこの笑顔の記憶は残っていないのですが、でも、この写真を見ていると、この人の笑顔を見ていると、私の記憶の深い底の底に深層海流のようにこの人の思いは流れているんだと信じることができます。嬉しいことです。

 でも、東京へ行く前の飛行場のロビーで、この話を聞いたのは、やっぱり失敗だったなって思います。そう、母はいつも間が悪いの。
 だって、この写真を貰って、こんな話をされたら、私、泣くに決まっていると思いません?そうでなくても、初めて故郷を離れるということで、心細くて、センチメンタルな気持になっているのに。
 飛行機の中で、私、本当に大変だったんですから。ぐじゅぐじゅに泣いてしまって。隣に座ったおばあさんが、気分が悪いのって聞いてくれて、その優しい言い方に、更に私わんわん泣いてしまって、綺麗なキャビンアテンダントさんが急いで来てくれて、大丈夫です、大丈夫です、って私は言ったんですけれど、でも涙が止まらなくて。飛行機の機内が大騒ぎになってしまったんです。
 こめんなさい。また、話がずれてしまいました。

 さて、これで私が母から聞いた話はおしまいです。
 随分と長くとりとめのない文章になってしまいましたが、いかがだったでしょうか。
 これを読んでいただけたら、あなたの記憶の中で不当に扱われている(と私は断固抗議したいと思っているのですが)十八歳の時のあなたが、今のあなたにもっと優しくしてもらえるんじゃないかって思います。私、あなたの手紙の中に出てきた十八歳の勝彦さんがとても好きなんですもの。あなたがしてくれたこと、とても素敵だと思いますよ。今の私と同じ頃の歳にあなたが一生懸命にしてくれたことをきっと母も感謝しているはずです。もし、私の近くにそんな男の子がいたら、きっと好きになってしまうのにと思います。
 だから、あなたのメールに書いてあったように、もし、タイムマシンが開発されてしまって、あなたが十八歳の頃のあなたに回し蹴りをしに行ったら、私は急いでタイムマシンに乗って後を追いかけて「キャー、やめて、やめて。」と大声で叫んで止めるつもりなんです。だから、あまりいつまでもご自分を責めないでくださいね。と、いうかほめてあげてもいいくらいだと思いません?私が隣にいたらきっと頭をなでてさしあげるのですけれどね、きっと。

 そして、あなたはきっと、あなたのお兄さんにとてもよく似ているのだと思います。あの時も、そしておそらく、今も。
 実を言うと、この間、勝彦さんと話をしながら、もしあの人が生きていたら、きっと私にこんな風に話をしたのだろうなとずっと想像しながら聞いていました。ごめんなさい。でも、とてもとても嬉しかったので。
 そして、実は、私、気づかれないように、こっそりあなたの耳たぶを見ていたんです。遺伝なんですね、きっと。あなたの耳たぶも大きくて素敵な耳たぶでした。
 そうなんです。私だってあなたのようにちゃんとちゃんと確認していたんです。おあいこですね。

 そうそう。それから、もうひとつ。最後にもうひとつだけ補足させてください。長いですか。長いですよね。でも、しょうがありません。こういうのを遺伝というのです。辻本家の素敵に呪われた恐るべき血ゆえなのです(キャー!)。ということで、もう少しだけ書かせてください。

 最初の方に書きましたが、実は、私、母たちが二人の子供たちと会い、ソフトクリームを食べて、夕陽を見た、その公園に東京に来てすぐ行ってみたのです。
 その五反田駅の近くの公園はまだありました。二十年前に母が腰かけたベンチも、おそらくは蝉が鳴いていたであろう木も。そしてこれはとてもとても感動したのですけれど、二人が腰かけたベンチから見た木、そしておそらく少年たちが蝉を捕まえたその木。その木は桜の木だったんです。私が行った四月の初めのその日は桜の花が満開でした。母は知っていたのかしら、この木が桜の木だって。
 まるで、東京に出てきた私を迎えてくれたように、その桜の木は雄々しく美しく立ち、満開の花を咲かせてくれていました。この桜の木が私の母と父を、そして小さな男の子たちを、そして夕陽をきっと見ていたのですね。
 この小さな小さな桜の園で、私はチェーホフの『櫻の園』に登場するラネフスカヤ夫人のように呟いちゃいました。「天使がお前を見捨てなかったのね。」
 二十年以上前に母が腰かけたベンチに腰をかけて、私はじっと桜の木を眺めました。そっと落ちていく花びらを目で追いながら、二十年前の暑い夏の日にベンチでソフトクリームを食べていた二人のことを思いました。
 勿論、私も近くのコンビニでソフトクリームを買って、そのベンチに腰かけて食べました。母たちが食べたソフトクリームを売っているお店を見つけることが出来なかったのは少し残念なことでしたけれど。
 春が過ぎ、桜の花が散って、夏になって蝉が鳴き始め、やがて蝉の声が消え、秋になって枯葉が舞い、やがて枯葉もなくなり、冬になって雪が降り積もり、やがて雪が消え、そしてまた春になって花が咲く。そのことを何度も何度も繰り返していたら、昔ベンチに座ってソフトクリームを食べていた二人の娘が現われてあの時の二人と同じように、嬉しそうにソフトクリームを食べるなんて、きっとあの桜の木も想像しなかったことでしょうね。くすくす。
 時が移るのは当り前のことですけれど、本当に不思議なことですね。

 ふと、その時、ベンチの隣にスーツを着た男性と女性が、仲良く二人腰かけて、ソフトクリームを食べているのを見た気がしました。へんなの。それは公園の記憶だったのかもしれません。私の思いと公園の記憶がリンクしてそこに父と母の若い頃の二人の姿を見せてくれたのかも。でも実際にそこにいたのは太った野良猫でした。私が不器用にウィンクをしてみせると、その太った猫は大きく欠伸をしてどこかに行ってしまいました。ひげよさらば。
 ゆっくりゆっくり、ソフトクリームを食べ終えて、夕暮れが空を染め始める頃になっても私はしばらく桜の木を眺めていました。ひょっとしたら蝉の鳴き声が聞こえるかも、なんて妄想にひたりつつ。
 夕暮れの公園は蝉の鳴き声は響き渡っていませんでしたが、夕陽の温かいオレンジ色の光線が世界を優しく包んでいました。その時も確かに優しく包んでいました。

 以上が、母から空港のロビーにある喫茶店で聞いた話と私が五反田の公園に行った時の話です。これで本当におしまいです。とっぴんぱらりのぷうです(これは私の好きな昔話の終りの言葉です)。私も勝彦さんの心に何か残せたらとちょっとずうずうしく思いながら、このメールを書きました。
 どうか、このメールがあなたの思い出の違う面を浮き上がらせて、あなたの心の中の十八歳のあなたを助けてあげられますように。
 私があなたからいただいたメールに、どれくらい驚いたか、どれくらい嬉しかったか、その感謝の気持ちの十分の一でも伝わればいいのにと思います。少しでもあなたからのメールのお礼になったら嬉しいのですけれど。
 
 勝彦さんは十五年前に西葛西臨海公園で天使を観たと書いていましたが、ひょっとしたら、この話に出てくる小さな男の子たちも天使だったのかも。
 そして私は思うのです。もし天使の役割が泣いている人を笑顔にするということならば、十五年前の西葛西臨海公園にも、もう一人天使がいたのかも。私の母にとっては。勿論、十八歳の高校生のあなたのことですよ、と今十八歳の大学生の少しだけお姉さんの私はそっと囁くのです。あなたもきっと『トム・ソーヤーの冒険』が好きですよね。
 私たちが普段は気がつかないだけで意外に世界には天使があふれているのかも知れません。そして、様々な時に、様々な場所で、歯をくいしばって立ち続けている人たちの横で、彼ら彼女らを笑わせようとしているのかもしれません。
 なんでやねん。んなアホな。
 …結構、暇なのね、天使たち。

 本当に素敵なメールをありがとうございました。
 勿論、私もあなたの幸せを心から心から祈っています。
 早く素敵な方を見つけて結婚してくださいね。そして、もし結婚式に招待してくださるなら、私があなたのために久しぶりに。「私の音楽」にあわせて素敵にダンスを歌い踊ります。一応、発音はきっと昔よりも上手になっているはず。昔よりももう少し上手に歌えると思います。問題はダンスですね。こちらはブランクが長いので、踊れるのかなあ。うん、それまでには何とかしてみせますとも。

 地球の裏側のブラジルで私のことを想ってくれる人がいるということの喜びをかみしめて。これから私はこっそりと地面に向かってこう呼び掛けることでしょう。「ブラジルの人、聞こえますか」これは日本でちっともはやっていないあるお笑い芸人が言う私の好きなギャグです。私のお笑い好きは、これは明らかに父方の遺伝ですね。「間違いない。」うん。

 母も父も一人っ子で兄弟がいないので、私の叔父と呼べるのは、失礼、おじ様と呼べるのはあなただけなのです。たとえ、どれだけ遠くに離れていようと(比喩ではなく、たとえ地球の反対側にいようとも)、私たちの体には同じ血がちゃんと流れているわけですね。こうして、一人になって分かること。私はたくさんの人たちの目に見えない優しさでずっと生かされてきたということ。同じ血が流れる家族が私の知らないところで私のために祈ってくれていたということ。バファリンと同じように私の半分もたくさんの人の優しさで出来ているということ。

 最後に私についての近況です。私も急にブラジルのことが気になってきて、この間HMVでブラジル音楽のコーナーをのぞきこみ、お勧めのコーナーの中からCDを何枚か買ってみました。その中で特に気に入ったのはマルコス・ヴァーリの『サンバ68』というアルバムです。特にその中の『She told me,She told me』という曲、静かで優しい曲がとても好きです。何度もリピートしながらこのメールを書きました。このメールの内容も「彼女が私に話してくれたこと」なので。地球の裏側から送られてきたメールのおかげで、こうして私の世界も少しずつ広がっていきます。嬉しいことです。

 大丈夫。きっと、またお目にかかります。
 どうかどうか、それまで、お元気で。
 私もあなたと同じのように音楽の力を信じます。心から信じます。
 それでは、またお会いできる日まで。
 ごきげんよう。
 さようなら。
 きっときっと、またお逢いしましょう。

 追伸
 大切なことを忘れていました。あなたのお手紙の最後に書いてあったこと。母への伝言は確かに電話で母に伝えました。その母からあなたへの伝言です。
 「こんにちは。ご無沙汰しています。お元気ですか。私のことを覚えていてくれてどうもありがとう。とても嬉しいです。私も元気に暮しています。」

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