第2話 「君の音楽」

文字数 16,830文字

 「彼女は歌う、「あなたが微笑めば、世界そのものが微笑む」
 When you are smiling,the whole world smiles with you.
 そして世界は微笑む。信じてもらえないかもしれないけれど、ほんとうににっこりと微笑むのだ。」
 和田誠 村上春樹「ポートレイト・イン・ジャズ』より

 二00X年五月某日付の辻本勝彦から朝西真麻への送信メール

 件名「君の音楽について」

 親愛なる朝西真麻様

 こんにちは。
 元気ですか。
 先日は東京で久しぶりに会って、話をすることができて、とても懐かしく、そして楽しい時間を過ごすことができました。どうもありがとう。
 さて、その後、いかがですか。

 …いや、そんな堅苦しい言い方はよそう。
 うん、やめ、やめ。
 さて、その後、どうだろうか。
 少しは一人暮らしにも、そして大学にも慣れたのだろうか。そうだといいのだけれど。
 あの日、つまり、君と会って一緒に食事をした後、帰りの電車の中でもそのことがずっと気になっていた。『ルパン三世カリオストロの城』のルパンを気取って「大きくなりやがって」と僕には珍しくメランコリックに呟き、電車の窓から見える、暗闇の中を流れては遠ざかっていく東京の街の灯をぼんやりと眺めながら、もっと今の君の役に立ったり、勇気づけられるような言葉を伝えられていたらなあと残念に思っていた。

 その翌日、帰国のため、えーと、つまりはブラジルに向かう飛行機の中でそんなことを思っていたら、その音楽が流れてきた。懐かしい旋律、ハッピーな歌声、君の音楽。
 もし、これがビートルズの『ノルウェーの森』が機内で流れていたということなら、それは僕の好きな村上春樹の小説の冒頭の部分になってしまうわけだが、勿論、そうじゃない。その音楽が流れたのは、僕の頭の中でだけ。僕以外の誰にも聞こえはしなかったのだ。
 でも、確かに僕の頭の中ではその音楽が流れた。つまりは、久しぶりに君の音楽が流れた。そして、昔々、君と君のお母さんの真琴さんと一緒に水族館に行った日のことを思い出した。夕陽の中、僕が見た光景、恥ずかしい思い、真琴さんに言われた言葉、そして君の笑顔。そんなもろもろのことを、あの夏の日のことを、本当に久しぶりに、そしてはっきりと思い出した。それは、昔々、東京の片隅で起こった小さな小さな物語。
 ああ、そうか、僕は昨日この話を君にすればよかったんだなあ、飛行機のシートに深く持たれ、大きくため息をついてそう思ったわけ。肝心なことはいつだってこんな風に後から思い出すことになる。やれやれ。

 実は、この話を君に伝えるのは、僕にとっては自分の恥ずかしい過去をさらけだすことでもあるので、ちょっと厭なのだけれど(まあ、とりあえず、君が実際にどう思っているかはともかく、一応、本人としては、商社勤務でブラジル在住のカッコイイおじさんを気取っていたいわけだ)、君はきっと知っておくべきなんだろうなと思い、こうしてメールを書くことにしたのさ。そうさ、そうなのさ。そうなのよのさ。あっちょんぶりけ(と書いても君は分からないだろうな。『ブラック・ジャック』のピノコですけど)。

 まず、最初に言っておくけれど、この話は、君がいかに素敵な女の子だったかという話でもあるので、少しかしこまって、心して読んでほしいな。なんてね。
 ほんの少しでも君の心になにかが残るように、がんばって書きたいと思う。
 ブラジルのおじさん、頑張るの巻。
 そして、この物語をどう考えるのかは君に任せることにする。なるべく事実に即してシンプルに書くことにしようと思う。ただ、この物語で君が笑ってくれるととてもうれしい。たとえ、それが苦笑だったとしても、だ。うん。

 まずは登場人物の紹介を。
 主役は三歳の女の子。女の子はとっても優しい素敵な子。
 その子と僕とはかれこれ十八年近く前に初めて出会った。僕が初めてその子を見た時、彼女はその母親の腕のなかに抱かれていた。僕が覗き込み、おそるおそる右手の人差し指を突き出すと、彼女はその小さな手をはむはむと動かして僕の右手の人差し指を握ってくれて、本当に本当に小さな声で、「くぅ」と言った。えらいことに泣きもせず。
 それが僕と彼女との初めての出会いだったわけだけれど、これから話す物語は、それから三年後の、この子がもう少し大きくなってからの話。誰だかは、まあ、分かるよね。
 当時の名前は辻本真麻。今は朝西真麻。つまりは、君のこと。もし、これが君のことじゃなかったら、このメールを書く意味がなくなってしまうわけだから。この子、とっても可愛いくて、いい子なんだよ。
 そして、その時、彼女を腕に抱いていたお母さんも勿論登場する。当時の名前は辻本真琴さん。今は朝西真琴さん。君のお母さん。
 それから、僕。辻本勝彦。今も辻本勝彦。当時十八歳。高校三年生。ニキビとそばかすあり。B型。この物語の語り役。この男はまあ、どうでもいいや。脇役。エキストラ。その他大勢。
 色々と前置きが長くなってしまったが、では、早速、三歳の頃の、つまりは、まだ僕と同じ名字だった頃の君の物語を、今は十八歳に成長し、僕とは違う名字になってしまった君に伝えたいと思う。

 十五年前の夏のことだった。八月の半ば、お盆の頃のことだったと思う。
 僕は、君と君のお母さんの真琴さんと東京の江戸川区にある西葛西臨海公園に遊びに行った。
 西葛西臨海公園は、江戸川区にある区立の公園だ。水族館や、大きな観覧車もある広い公園。もっとも僕らが行った時にはまだ観覧車はなかったけれどね。君は覚えているのだろうか。確か真琴さんがあの時、何枚か写真を撮っていたと思うのだけれど。ひょっとしたら、その写真はまだ君の家にあるのかもしれない。真琴さんに聞いてみるといい。
 その頃、君たちは、毎年夏になると僕の家に遊びにやって来た。
 正確にいうと君のお父さんの実家に、毎年夏になると、お父さんとお母さんと君の三人で帰省したわけだ。その頃、君たちは君のお父さんの転勤の都合で新潟に住んでいた。
 それは、春に兄が、つまり、君のお父さんが交通事故で亡くなった年の夏のことだった。お葬式だの色々なことがばたばたと駆け足で過ぎて少しずつ悲しみが日常の喧噪の中に溶け込み、僕の中ではその悲しみが薄れたように感じられ始めた頃のこと。
 その年の夏も、いつも通りに、君たちは僕の家にやって来た。いつもの夏とは違って二人で。そして、それは、君たちが二人だけで来た最初で、そして最後の夏になった。
 それからこの間君に会うまで、もう十五年経っていたことになる。やれやれ、こうして改めて考えてみるとずいぶん経っていたんだよね。

 あの年の夏、君と僕とは随分と仲良しだったのだけれど、覚えているかなあ。あの夏、君はよく僕の部屋に来て一緒に音楽を聴いたり本を読んだりしていた。
 僕はその頃、兄が残したたくさんのジャズやロックやソウルミュージックのCDを、むさぼるように聞いていた。あの夏に聞いたたくさんの音楽がその後の僕の音楽の嗜好性を決めたように思う。僕がそんな音楽を聴きながら受験勉強をしたりしていると(信じられないことに僕は受験生だった。もう、上手く思い出せやしないけど)、君はそっと僕の部屋へ絵本を脇に抱えてやってきた。そうすると僕はもちろん君を歓迎しないわけにはいかない。ウェルカムだ。当然、僕は君に来てもらいたくてわざとドアを少し開けておいた。君がそのわずかな隙間からこっそりと部屋に入ってくると、勿論、僕は休憩時間にしなければならないわけで、僕は参考書を閉じ、読みかけの小説(サリンジャーだとか村上春樹だとか)を広げる。君は僕の隣にペタンと座り、僕のまねをして絵本(ひとまねこざるだとかカトリーヌだとか)を広げ、熱心に読んでいた。なんだか、くすぐったい気持がしたっけ。そしてそれは同時にとても嬉しいことでもあったのだけれど。
 そしてしばらくすると真琴さんが申し訳なさそうに現れてお勉強の邪魔をしてはだめでしょと言って、ぐずる君を連れていくという光景がその夏はしばし繰り広げられた。夏の甲子園のアルプススタンドで高校野球を応援し涙ぐむ女子高生くらいよく見られた。世間の常通り、心惹かれあう二人の仲は裂かれ続けるのであった。

 そんな二人の幸せな読書タイムに流れていた曲で特に君がお気に入りだった曲がある。ビリー・ホリデイの『When you are smiling』。それは古いジャズの曲。むかしむかしの素敵で楽しい曲だ。
 今、考えると、なんていい趣味なんだとしびれるけれどね。この曲が流れると君はにこにこ笑い、静かに立ち上がり、流暢というかなんというか不思議な英語で歌いながら、僕の目の前でふわふわくるくるりと踊り始めたものだ。とても可愛らしく、そしてとても優雅に。君に謝らなければならないのだけれど、僕は君がふわふわくるくるりと踊るのを見たくて、何回も繰り返してこの曲をかけたんだっけ。ごめんね。
 そういうわけで、今でもこの曲を聴くと君のことを思い出す。
 だから、これが君の音楽だ。
 僕にとって、誰が何と言おうとこれは君の音楽。今もそしてこれからも。
 あの頃、美しい曲を聴くたびに(世界は今よりもずっと美しい曲にあふれていたような気がする)、この曲で君は踊ってくれるだろうかと考えたものだ。君は気に入るだろうか。君は喜んで踊ってくれるだろうか。君はにっこりと笑ってくれるだろうか。そして目を閉じて君の踊る姿を想像してみたりした。

 このことを思い出したら、どうしても君にこの曲を聞かせたくなって、CDを送ることにした。後日届くと思うので、届いたらぜひ聞いてみてほしいな。君は覚えているだろうか。ある意味この手紙はこの曲に関する覚書、ライナーノーツといってもいいかもしれない。随分と呆れるくらいに長くてセンチメンタルなライナーノーツだけれど。うん、でも、それも悪くない。

 話がすっかり飛んでしまった。そう、西葛西臨海公園に遊びにいった時の話だ。
 どういう話の流れで、そうなったか、詳しくは覚えていないけれど、僕は、君と君のお母さんと一緒に西葛西臨海公園に遊びに行くことになった。いつもだと、僕の父と母が君と真琴さんを連れて、はりきってディズニーランドやなんやかやに連れていくのだが、どういう訳か高校生の僕の出番になったわけだ。僕は高校三年生でちょうど受験勉強中のはずだったわけで、両親が、息子の大事な大学受験をどう考えていたのか、あるいは考えていなかったのか分からない。でも、今では、その大事なはずの年の夏の記憶は、君たちとその公園に行った時のことしか覚えていない。so that構文もサイン、コサイン、タンジェントもアレキサンダー大王の東方遠征も、ふっと宙に舞って、時の遥か彼方にさっと消えてしまったが、君たちと一緒に公園に行った思い出は今でも生々しく僕の中にあり、ある時は懐かしい思い出として、そしてある時は恥ずかしい思い出として、僕の記憶の緩やかな流れの中でぷかぷかとずっと浮き続けている。
 最初は、僕の母も行く予定だったのだけれど、夏風邪をひいて体調を崩してしまったのだった。夏風邪は本当に気をつけた方がいい。特に環境が変わった今年の夏は要注意だね。ま、僕はこの間、東京に戻ってすぐに体調を崩して君に心配をかけるはめになったわけで、大きなことは言えないわけだが。まあ、今は大丈夫なので、気にしないでね。もう治ったから。
 ああ、そうそう、だから、僕は君と真琴さんと東京の外れの西葛西臨海公園に行くことになったんだった。

 行きの電車の中ではとにかく緊張していたことを覚えている。人見知りの僕は何を話せばいいのだろうかと思っていたのだけれど、真琴さんはとても上手に僕に話をふってくれて、僕が興味を持っていたこと、映画や音楽や本のこと、それから部活のこと(僕は男子校に行っていてなぜか男声合唱をやっていた。なぜ僕が男声合唱部に入るはめになったのか、このことについては長い長い理由があるわけだけれど、この話には全く関係ないので省略することにする)などを上手に尋ねてくれた。君も知っていると思うけれど、真琴さんは高校時代にバスケ部に入っていた。そのことなどを楽しそうに話してくれた(ちなみになぜ彼女がバスケ部に入るはめになったのか、このことについては短い理由があるだけだ、楽しそうだったから。そう言っていた)。副キャプテンだったんだよ、知ってた?

 西葛西臨海公園はJRの京葉線の西葛西臨海公園駅を降りると目の前に広がっている広い広い公園だ。前に書いた通り、公園内にドーム型の水族館がある。僕たちは駅に着くとさっそく水族館に向かった。切符を買いエレベーターで地下に下りていく。今はどうか知らないが当時はマグロが泳いでいる大きな大きな水槽がこの水族館の目玉になっていて当日もとても混んでいた。ほとんどが家族連れだった。僕らははたして他の人からはどう見られるだろうと思ったことを覚えている。おそらくは、母親と娘、そして母親の出来の悪い義理の弟というところがぴったりだ。そのまんまだね。
 僕らはマグロが泳いでいるのを見たり、不思議な深海魚を見たり、ペンギンの歩き方の真似をしたりした。ものすごく楽しかったという記憶はあるのだが、詳細はどうも思い出せない。きっと、この後に起こったトラウマ的衝撃が強すぎるのだな。

 水族館をゆっくりと回って、売店で少し買い物をして、公園の芝生の上で三人で少し遅いお昼を、持ってきたお弁当を食べた。お弁当はその日の朝、麻琴さんが作ってくれたものだった。お弁当を食べ終わると、君は公園の石を拾い始めた。それをどうするのか僕のような凡人にはまるで想像がつかなかったけれど、君は大事そうに石を一生懸命吟味しつつ拾っていた。
 空は晴れ、日差しは強かったけれど、風は心地よく、気分は上天気、すべては平和で申し分のないように思えた。お弁当はおいしく、君は買ってもらったイルカのぬいぐみを嬉しそうに抱きしめ、おそらく、僕がそれを見なければそれはただの平和な一日だったのだろう。いつもと同じような、いや、僕にとってみればいつもよりもずっとずっと楽しいご機嫌な一日だったのだろう。

 それは家に帰る少し前に起こった
 僕は、ちょっと尿意をもよおして、真琴さんに断って、トイレに立った。トイレは僕たちがいた場所から少し離れたビルにあった。つつがなく用を足して、小走りに君たちのところに戻ってきてみると、少し離れたところで僕は立ち止まらざるを得なくなってしまった。
 ベンチに腰かけた真琴さんが、ベンチの上に立った君をぎゅっと抱きしめて、君の頬に自分の頬をつけ、体を震わせ、声を出さずに泣いているのが見えた。
 僕はそこから少し離れた芝生のところで立ち止まって、しばらく茫然としていた。
 そして君は、三歳の君は、彼女の頭を優しくなでていた。いいこいいこというように。おそらくは君が真琴さんからいつもそうされているように。あるいはいつも二人の時にそうしているように。
 それはまるで神聖な儀式のように見えた。君たちはこの広い世界の片隅で二人でしっかりと抱き合っていて、夕暮れの公園に蝉の声が激しく響き渡っていた。

 それから十五年以上たって、その光景を思い浮かべると、それはとても美しいシーンとして僕の記憶のスクリーンに映し出される。今ならその時の動揺とか、驚きとか、そういったものを排除して、その光景だけを思い浮かべることもなんとかできる。客観的にその光景を思い浮かべるときに、僕は、真琴さんが君を抱きしめて泣いている姿を美しく思い出す。
 それはまるで一幅の風景画のように、光と影の芸術のように、例えるのならばミレーの絵のように、僕の脳裏に残っている。バックの音楽は、そうだな、エンニオ・モリコーネの『ウェスタン』のテーマ曲。
 勿論、その中に秘められた悲しみを思うときに、ただ美しいで済ますわけにはいかない訳だが、夕暮れの中で、繰り広げられたその光景を美しいという言葉でしか言い表せないのも事実だ。
 もし、誰かに天使を見たことがあるかいと聞かれたら「ある」と答えるだろう。そう、あるとも、ずっと昔のある夏に西葛西臨海公園のベンチの上で女の人の頭をなでていたのを見たよ。

 いまにして思うと、こうやってその光景をはっきりと描写もできるわけだが、その時の十八歳の僕のテンパリ様はすごかった。どうしよう、どうしようと完全に頭に血が上ってしまった。当り前じゃないか。兄が亡くなったばかりなんだ。一生懸命それに耐えているに決まっているじゃないか。なぜ、それに気づかないんだ。それどころか何、ちょっと楽しい気になっているんだよ。最悪だ、って思ったよ。本当に最悪だ。完全に調子にのっていた。自分が二人のために何かをできていると、自分があたかも何者かであるように思い込んでいたのだけれど、実は全くの無力だったわけ。当たり前だよね。
 もし、タイムマシンが開発されて、過去に戻ることが許されるとしたら、僕が行く時はこの時に決まっている。まっ先に僕はこの時に戻って、後ろから間抜けな十八歳の男の頭に回し蹴りをくらわせるのだ。
 まあ、現在の僕の頭に回し蹴りの跡が残っていないことを考えると、どうやら、僕が生きている間にはタイムマシンは開発されないってことだけどね。まあ、そんなタイムパラドックスめいたことはどうでもいいや。

 古今東西の教訓的な物語には、たいてい間抜けな奴が登場する。絶対に道に迷うに決まっているのに「こっちの方だぜ」とか偉そうに言って反対の道に行っちゃうような奴。絶対に押しちゃいけないって誰でも、子供でも分かるのにドクロマークのボタンを押しちゃったりするような奴。ヤッターマンのボヤッキーのようなタイプ(と言っても分からないかな)。
 この物語においてその役を担うのは残念ながら僕ということになる。間抜けでどうしようもない奴。
 つまり、その時、最悪なことには、十八歳の単細胞で臆病で愚かで間抜けな僕は「見なかったことにしよう」という非常に若者らしくも男らしくもない結論にあっという間に達したわけだ。
 やれやれ、びっくりするね。
 もっともそれから十五年たった今でも、白状してしまうとあのときと同じ状況になった場合、相手にちゃんとした言葉がかけられるのかというと自信はないわけだけれど。
 十五年という期間はこの問題についていえば、僕にとって答えを出すのに短すぎるわけだ。
 十八歳の僕は、回れ右をして、少し小走りにその場を離れた。軽蔑するかな。軽蔑するね。全く構わない、しょうがないね。

 そして、僕は、五分くらい時間をつぶして君たちのところに戻った。その手に言い訳と悔恨を握りしめて。
 君たちはもうすっかり何もなかったように二人で海を見ていた。笑いながら。あれ、さっきのことは本当に起こったことなんだろうかと思った。でも、残念ながら、それは確かに起こったことだった。そのことは誰よりも僕が、僕のトクトクトクトクと驚くくらい早く鼓動を打つ小さな心臓と汗ばんだ脇の下とそのためにじっとりと濡れたTシャツのせいで一番よく分かっていた。
 そのとき、僕は、兄が死んでから、真琴さんは僕の知らないところでいったいどれくらいの涙を流してきたのだろうとふと思った。そして、どれくらい歯をくいしばって立ち続けてきたのだろう、と。そして世界中の僕の知らないところで流れているたくさんの涙とそれを受け続けてきた人間の頬の柔らかな弾力のある皮膚の強さについて、その関係性について想いを馳せた。人間の頬は涙をはじき返すのに十分な弾力を持っている。ありがたいことに。
 僕はベンチに座っている君たちの前にたち、手に持っていた言い訳と悔恨という名前のソフトクリームをそっと差し出した。
 「こ、これ、美味しそうだったので、ちょうど、そ、そこでみかけたんで、お、美味しそうだなと思って。」と僕はおそらく顔を真っ赤にして、しどろもどろになって、どもりながら、確かこんなようなことを真琴さんに話しかけた。ふー、ちゃんとした言葉なんか覚えているわけないじゃないか。
 つまり、なんとかかんとか遅く帰って来た理由をこしらえて説明したわけだ。そのためにソフトクリームの屋台の前に並んで、なけなしのお小遣いをはたいて三人分のソフトクリームを買って。
 つまり、こういうこと。僕が戻ってくるのが遅れたのは、このソフトクリームがあまりに美味しそうでついつい並んで買ってきてしまったからなわけで、遠くの方から二人を見て、真琴さんが泣いているのにびびったからじゃありませんぜ。
 今考えると本当にかっこ悪い。ひどいアリバイだ。これでは僕には完全犯罪なんて永久に無理だね。
 「認めたくないものだな。若さゆえの過ちというものを。」というのは、ルウム戦役で5隻の戦艦を沈め、「赤い彗星」と名づけられたある有名な軍人の言葉だけれど、僕だってやはり、認めたくないものだ。若さゆえの過ちというものを。 

 彼女は僕を見上げ、不思議そうに首をかしげた。そして、僕の手元のソフトクリームを眺め、それからもう一度ゆっくりと顔をあげ、僕を見つめ、とても美しく、にっこりと微笑んで、どうもありがとう、と囁くように言った。その時の笑顔は僕がこの世で見た最も美しい笑顔のひとつだと今でも思う。いや、正直にはっきりと、最も美しい笑顔だったと言ってしまおう。
 そして、彼女は僕の手からソフトクリームを二つ。右手に一つ、左手に一つ、そっと宝物を受け取るように大切そうに慎重に受け取り、ひとつを君の手に渡し、ひとつを自分の両手でしっかりと握りしめた。
 そして、ソフトクリームを受け取った君もにっこりと嬉しそうに笑った。この子は、そして真琴さんはどうして、僕のようなこんな情けない男に優しく微笑んでくれるのだろう、とその時思った。僕にこんな笑顔をしてもらう資格はないのに。どうしてあなたは僕に微笑んでくれるのだろう。そう、思った。

 そうして、十八歳の僕の完全犯罪、または、ツジモト忍法「見て見ぬふりの術」はこうして完成したわけだ。本当に真琴さんがそのときどう思っていたのか僕には分らない。ただ僕は彼女の笑顔を観て、ほっとした。それは事実だ。
 その時、僕は、真琴さんの左ほほを一筋すっと涙が流れるのを見たような気がする。気のせいかもしれないが。そうだといいが。何しろ、十年以上前の出来事だ。けれど、もし、そうだとすると、それが僕が見た彼女の最後の涙ということになる。僕が見た中ではね。
 そして僕たちは公園のベンチでソフトクリームを食べた。
 夕暮れの中、海からの風が心地よかったのだけは覚えている。その風が僕の火照った心を少しずつクールダウンしてくれた。

 ソフトクリームを食べ終わると、真琴さんは僕に向かって、もうそろそろ帰った方がいいかしら、と尋ねた。僕は、腕時計をチラッと見て、「もう四時だ。帰ろう」とビートたけしのモノマネをして答えた。
 これは少し説明がいるね。僕が子供のころ、『オレたちひょうきん族』という僕と兄が大好きなテレビ番組があって、その初期の頃、番組の最後にビートたけしが「もう九時だ。帰ろう。」と言うと、エンディング曲としてエポが歌う『ダウンタウン』が流れてきて番組が終了する。それは辻本家のごくごく当たり前の日常だった。つまり、僕は姑息に、この状況の中、ビートたけしのモノマネをやって、笑いをとろうとしたわけだ。どういうことだ。
 真琴さんが『オレたちひょうきん族』を見ていなかったことはすぐに判明した。彼女は、一瞬、びっくりしたように眼を丸くすると、にっこり笑って、はいととても真面目に丁寧に、そしてはっきりと答えた。あー、そ、そうですか。僕のあまり似ていないモノマネは軽くスルーされ、かすりもしなかったわけだ。実はこのモノマネには少し自信はあったのだが。冗談じゃないよ。コマネチ。
 僕は心の中で少しがっかりして、おそらくはちょっとしょんぼりした顔で小さくうなずいた。隣に座っていた君はニコニコ笑いながら大きくうなずいた。

 そうそう、その帰り道、ちょっと意外なことを云われたことを、これを書きながら思い出した。駅へ向かおうとしたら、真琴さんが、後ろでずっとくすくす笑っているのだ。僕は気になって、どうしたんですかと尋ねた。
 真琴さんは、ごめんなさいと言った後に、まだくすくす笑いながら、ああ、あなたは本当にお兄さんにそっくりなのね、と言ったのだった。
 ちょっと驚いた。僕と兄はずいぶん年が離れていたし、兄は父親似で僕は母親似で、似ているといわれたことはほとんどなかったから。理由は聞かなかったので、どこが似ていたのか、その理由は分からなかったけれど、そして今でも分らないけれど、悪い気はしなかった。というか、なんだか嬉しかったな。まあ、後姿や歩き方が似ていたのかもしれない。自分の後ろ姿はよくわからないからね。でも、違うかな。彼女が、こんなポンポコピーの僕と兄のどこに類似性を見出したのかは永遠の謎ですね。

 以上が、今から十五年前の、銀河のはずれ、太陽系第三惑星、我らが愛する緑なす地球、その星における最大の大陸ユーラシア大陸、その大部分をしめるアジア地域の極東、かってヴェネチアかどこかの商人のマルコポーロがジパングと呼んだ黄金の国、日本の花の都大東京の片隅で起こった、ホモ・サピエンス、アジア系民族日本人、十八歳の頭の悪い、スポーツ刈りの高校生に起こった、思い出話だ。Once upon a time in the east.むかしむかしのお話だ。
 要するに、その年の夏のある日に君とあの人と僕に起こった物語だ。もう語る人のない遠い昔の記憶の破片だ。
 今でも、あのとき、本当は、僕はどうするべきだったのか考える。その答えは、分からない。あまり脅かすのもなんだと思うけれど、年をとっても分からないことは星の数ほどある。というか、分らないことは年をとればとるほど増えていくような気もする。昔の方がよっぽど物事を知っていたような気さえするのだ。ただ、あまりに多くて、いちいち考えていられないだけなのかもしれない。だから、分らずにずっと抱えているようなものが本当は一番自分にとって大事なものなのかもしれない。

 さてさて、随分長く書いちゃったけど、まあこの後の話は長くないのでもう少しだけ我慢してほしい。

 その後、僕らは電車に乗って家に帰った。帰り道、真琴さんは何もなかったかのように、行きの電車と同じように明るく優しく僕に話しかけてくれた。それが何の話で僕がどう答えたのかはもう全く覚えていないが、その時真琴さんに話したかったことは今でもはっきりと覚えている。そう、その時、僕は君のことを話したかったのだ。辻本真麻のことを。君がどんなに素敵な子か、どんなに心の優しい子か、そして、君がビリー・ホリディの歌声に合わせて、つまり、君の音楽にあわせてどんなに上手に、歌を歌えるのか、ダンスを踊れるのか。そして、実は、僕、この子があなたの頭を優しくなでているところをちゃんと見ていたのですよ。そんなことを声高らかに話したかったのだ。
 でも話せなった。僕はただ、電車の窓を流れる景色をぼんやりと見ながら、真琴さんの質問に曖昧な笑みと返事を返していた。そして、その肝心の君は帰りの電車の中ですやすやと眠っていた。あんなに大活躍したのだから当然だね。

 その夜、僕はなかなか寝付けなかった。布団に横になって、ビリー・ホリデイの『When you are smiling』を繰り返し聴きながら、今日起こった出来事が僕にとって何を意味するのか考えていた。そして、どうすればすべてがうまくいくのかということを。
 何かその時にものすごくいいことを考え付いたような気もするが、今ではすっかり忘れてしまった。だから、きっともともといいことなんて十八歳の僕ではやはり考え付けなかったのだろう。
 僕は起き上がってベランダに出る窓を開け空を見上げた。ひんやりとした夜気が心地よかった。CDラジカセから流れてくるメロディが開け放たれた窓から夜の空気の中を通り抜けて、かすかに聞こえる電車の音と一緒になり、闇に溶け込んでいった。空には下弦の月。その月の光が優しくこの世界を照らしていた。

 その夜空に浮かぶ黄金の月を見ながら、とりあえず祈ろうと思った。
 君と真琴さんのために。
 二人がこれからの人生を幸せに生きることができますようにって。
 何の力も持たない僕はただ祈った。
 それが僕にできる唯一のそして最善のことのように思えたから。

 昔見た僕の好きなある古い映画のファーストシーンに、こんなのがある。小さな町のたくさんの町民たちが、主人公のために祈っている。すると神様が「あれあれ、今日はあの男のために祈っている人が多いなあ。」と気づく。みんな、ジョージ・ベイリーのことを祈ってるなあ。そして、神様はその男のために『トム・ソーヤーの冒険』が好きな天使を使わすことになる。
 とりあえず、その日、僕は蒲団の中で、いつの間にか眠りにつくまで、ずっと君たち二人のことを祈っていた。ずいぶんとしつこく祈ったから、神様も気づいてくれたと思うんだけど。しつこいなあとあきれられたかもしれないけど。
 とにかく、その晩についてだけは世界中で誰よりもひとつのことをひたすらに祈ったと思う。自信がある。
 そして、おそらく天使は行ったのだと思う。

 誰でも知っている当り前のことだけれど、すべてを無視して、時は流れてゆく。犬は吠えるが、キャラバンは進む。世界の片隅のちっぽけな十八歳の男の子のことなんて完全に完璧に無視して、暴力的とでも言った方がいいくらいに時は過ぎてゆく。
 その翌年以降、真琴さんの実家に戻った君たちが夏に僕の家に来ることはなかった。そして、僕らが水族館に行った年の三年後、真琴さんは新しい勤め先で出会った今の君のお父さん(これは僕の勘だけど、お父さんは『トム・ソーヤーの冒険』が好きなんじゃないかな)と再婚して、お父さんの転勤とともにだいぶ西の方の僕の聞いたこともない遠い街に引っ越していった。
 ちなみに僕は一年の浪人の後、東京の外れの私立大学に入り、特に目立つこともなく普通に地道に平穏に四年間を過ごし、卒業して、ある小さな商社に勤め、コーヒー豆を扱う部署で働き、海外と日本を行ったり来たりして年を重ねた。そして君は僕の知らないその遠い街で美しくすくすくと健やかに成長し(関係ないけど「健やか」とは語感が良くて、いい言葉だね、君の笑顔を上手に思い浮かべることができる)、僕とは違いちゃんと現役で(ここ大事ね)東京の大学に入学した。改めて、おめでとう。
 そして、君のお母さんは、そのことを、折にふれ連絡をとっていた僕の母に伝え、母は僕に電話を入れ、かくしてたまたま東京に戻ってきていた僕は、赴任先のブラジルに戻る前に君と十五年ぶりに東京の地で再会を果たしたわけだ。

 この、君たちと水族館に行った時の話、もしくは愚かな高校生の話は、僕の頭の中に読みかけの本のようにずっと残っていた。しおりを差したまま、いつか続きを読もう、いつか続きを読もうと思って、いつのまにかずっと本棚の片隅に置かれていた本のように。
 君と会って、久しぶりにこの話を、読みかけの物語を取り出してみたわけだ。このメールを書くことで、やっとこの読みかけの本も読み終えることが出来たように思う。ありがとう。ふう、長かった。
 なるべく、シンプルに、そしてなるべくその時のことを思い出しうる限り正確に、正直に、ストレートに書いてみたつもりだ。

 この前、十五年ぶりにあった時も、僕はいろいろ君に、大人のふりをして(まあ、もう確かにいい大人ではあるのだけれど)、ちょっと気取ってイタリア料理なんぞをご馳走しながら、分りきった当り前のことを偉そうに色々並べて言ってみたのだけれど、既に書いたとおり大事なことは大概、あとから思い出すことになるのだ。
 そう、なんのことはない。あのとき、僕が君にいうべきだった言葉は、あの時、もしゃもしゃと口ごもりながらつぶやいた下らない偉そうな忠告などではなく、こんな当り前の祈りだったはずなのだ。
 えーと、年をとると、もったいぶった長い前置きが多くなってしまう訳だけれど、こんなもの、つまりは、長い長い照れ隠しにすぎない。僕の今回の祈りは、たったひとつだ。

 どうかこれからの君の人生の長い道のりの中で、もし君の心が悲しさで押しつぶされそうになることがあったとき(そんなことはどうせきっと長くなんて続きやしないけど)、その時、君の側に、君の心を癒し、そして励ましてくれる美しい音楽がありますように。三歳の君が僕の部屋で、心から楽しそうに歌ったり踊ったりしたような素敵な音楽が。
 そして、君の側に心から君を愛する人がいて、君をそっと静かにギュっと抱きしめて優しく頭をなでてくれますように。真琴さんが三歳の君に西葛西臨海公園でそっと静かにギュっと抱きしめられて優しく頭をなでられたように。
 あれ、ひとつってかいたけれどふたつになってしまったな。まあ、いいか。多い分にはね。

 とにかく、そんなようなことを、えーと、つまりは君の幸せを心から心から祈っている。
 ひょっとしたら、色々なことを知ったかぶりをしたり、斜に構えた方が人生を分かっているのだとでもいうような、皮肉っぽい、どこかの誰かが、特に珍しくもない、随分と陳腐なよくある願い事だと言ってとせせら笑うかもしれないけれど、そんなことは知ったこっちゃないのだ。誰にも文句は言わせないのだ。賛成の反対なのだ。これでいいのだ。

 さて、一番目の祈りの、音楽については、とりあえずこれから送るCD、今僕の目の前にあるCDをまずは聞いてもらおうか。これから梱包するつもり。君はもう覚えていないかもしれないとも思うが、覚えていようといまいと、君がこの一曲目を、つまりは君の音楽にあわせて、ふわふわくるくるりと回りながら幸せそうに楽しく歌い踊ってくれることを心から願っている。ぜひ恥ずかしがらずに踊ってほしい。さあ、どうぞ。楽しく歌い、踊ってくれたまえ。Let's sing and dance.

 これは声を大にしていいたいところだが、いい映画にはいい音楽がつきものだ。
 つまりはフェデリコ・フェリーニの映画にニーノ・ロータの音楽があるように。
 それからセルジオ・レオーネの映画にエンニオ・モリコーネの音楽があるように。
 あるいはダリオ・アルジェントの映画にゴブリンの音楽があるように。
 そして、おそらくはいい人生にもいい音楽はつきもののはずだ。音楽がきっと君を様々な場面で励ましてくれると思う。

 二番目の祈りの、心から君を愛する人の出現については、僕には残念ながら、どうすることもできないわけだけれど、でも、はっきりいって、その実現の見通しには自信がある。
 なぜなら、僕は、この前、東京で、色が白くて、セミロングの、久しぶりの僕との対面にちょっと緊張気味に話をしながら、可愛らしい笑顔を見せてくれた女の子を正面からしっかり、そしてじっくり見ているわけだから。
 僕を見つめる君のその涼やかなまなざしから、すらっとしっかりと背筋を伸ばした姿勢から、綺麗な鼻筋から、そしてその薄く形の良い唇からもれた緊張気味の言葉の端々から、君のお母さんの真琴さんから、そして君の今のお父さんから、そしてわずかではあるかもしれないけれど、僕の兄、つまり君のもう一人のお父さんから受け取った「よきもの」をたくさん持っているように感じたから。
 そして、昔と同じように、つまり三歳だった時の君と同じように、君が微笑むときに世界も一緒ににっこりと微笑むことを、ちゃんと確認したから。
 かけねなく君はとてもとても素敵な女の子だと思うよ。自信を持ってね。
 そうそう、会った時にも言ったけれど、君は本当にお母さんに似てきたね。横顔を見て、本当に似ているなあと感心した。美人になるね。いや、もう既になってるね。

 そんな君を見て、十八歳の僕の祈りは、無駄にならずにちゃんと神様に届いたことがはっきりわかった。
 辻本真麻は朝西真麻になった。でもちゃんと僕の知っている君はそこにいたし、今現在幸せな君も見た。そして、こんな素敵な女の子に育った君を喜んでいる真琴さんの笑顔も想像できた。この世から、我が偉大なる辻本家の人間が減ってしまったのは実に残念なことではあるけれど、でも、十八歳の僕の祈りはちゃんとに神様に届いたのだ。きっと三十三歳の僕の祈りも上手く届くに違いない。

 今度、いつ日本に戻ってこれるか、まだはっきり分からないけれど、またいつか会えるといいなと思う。でも、もし例え二度と会えなかったとしても、君のことはちゃんと考えているし、君の幸せをいつも祈っている。
 地球の反対側のブラジルで自分の幸せを祈っている人がいると思うのは悪くないんじゃないかな。地球の裏側で自分とはさかさまに立っている人間がね。

 そして、きっと、また僕はこの曲を、君の音楽を何度も繰り返し聞くことになるんだろう。
 そして、三歳の君を思い出す。この音楽にあわせて踊っていた君を。真琴さんの頭を優しくなでていた君を。そしてこれからは嬉しいことに十八歳の君も思い出すことができる。僕のくだらない冗談に笑ってくれた君を。デザートを美味しそうに幸せそうに、リスのようにほっぺたを膨らませほおばっていた君を。嬉しいことだ。
 それに、これからは、君くらいの年の女の子を見るたびに君のことをきっと懐かしくそして楽しく思い出すだろう。この空のどこかの下で君が元気でやっていると思うとうれしいし、世の中捨てたものでもないなと思うことだろう。そう、みんな忘れがちだけれど、実は世界はこの空の下でちゃんと繋がっている。そして、手を伸ばせば、その先が意外に誰かの手の先とぶつかったりもする。
 君のおかげで、僕の人生におけるささやかだけれど確かな楽しみがまた一つ増えたわけだ。どうもありがとう。

 こんなセリフがある。
 「あ、そうそう、困ったことがあったらすぐに言いな。オジさんは地球の裏側からすぐに飛んできてやっからな」
 かの有名なアルセーヌ・ルパンの孫、世紀の大泥棒ルパン三世が、可憐なカリオストロ公国の王女クラリス・ド・カリオストロにそう告げたように、まさしく宮崎駿の『ルパン三世カリオストロの城』の昔から正しいおじ様というのはそういうものなのだ。特に僕の場合、比喩ではなく正しく地球の裏側からかけつけることになる。もっとも、僕が地球の裏側からかけつけるような大変なことが君の身の上に起きないようにいつも祈っているけれどね。

 こんなセリフもある。
 「大丈夫、音楽が私たちを出会わせてくれる。」
 高校時代に、文化祭で観た芝居の中でヒロインが言うセリフだ。僕のクラスメイトの女の子がそのヒロインを演じていた。
 タイトルは忘れてしまったが、確かこんな場面のセリフだった。
 ある男の策略により、別れさせられようとされる主人公の男とその恋人のヒロイン。「もし会えなくなったらどうするんだ」という主人公の言葉に恋人の彼女が答えるセリフだ。その言葉通り、物語の最後で、音楽は、離れ離れになってしまった二人をちゃんと出会わせてくれる。
 もし僕たちが君の音楽を大事に覚えていて、たまにそのメロディをふと口ずさんだりなんかしていたら、またいつかきっと会えるような気がする。というか、ぜひそう信じたい。
 音楽が僕たちを出会わせてくれるその日まで、どうかお元気で。
 ちなみに僕は音楽の力を全面的に信じている。
 昔の人がよく言うように、便りがないのは良い便り。
 そうだね、音楽がゆっくりとまた僕らを結び付けてくれるのを気長に待つのがちょうどよいのかもしれない。

 まだお会いしたことのない君のお父さん、そして僕と誕生日が同じだという三月生まれの弟くん、それから、あれからずっとお会いしていない真琴さんに、どうかよろしく。
 もし、そう、真琴さんと話す機会なんかがあったら、僕は、なんとか元気で暮していると伝えてほしい。うん、機会があったらで、これはいいんだけど。
 ああ、今、こうしてメールを書きながら、君の頭を優しくなでながら、頑張れよって心から何度も何度でもいいたい衝動にかられている。本当にね。
 そう、君は人の頭を上手にそして優しくなでられる人だから、きっと君もたくさんの人に優しく頭をなでられるよ。
 大丈夫、きっと君は愛し愛されて生きるのさ。
 それでは、またいつか会える日まで。
 さようなら。

 追伸
 でも、やっぱり、深夜に考え事をしたり、メールを書いたりするのはよろしくないね。センチメンタルになりすぎる。やれやれ。
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