ムンク

文字数 2,727文字

おじいちゃんの家は古い。ぼくの家とは違って、部屋は畳だし、廊下は暗くて、歩くとぎしぎし音がして、なんだか怖い。茶の間の柱には人の顔みたいな木目があって、ぼくは心の中で「ムンク」と呼んでいた。あの怖い絵にそっくりだったからだ。
お昼ごはんのあと、おじいちゃんは町内の集まりに出かけた。家の中はしいんとしている。ぼくは一人でマキオカートをやって遊んでいたけど、それにも飽きて、ムンクの顔をぼーっと見ていた。不気味なんだけど、つい見てしまうのだ。
「そんなに見ないでよ、恥ずかしいじゃない」
「うわーーーっ!!」
ムンクがしゃべった。ぼくは驚いて部屋のすみまで急いで逃げて、体をすくめて怖々ムンクを見た。
「なによ、化け物でも見たみたいに」
「だって、化け物じゃないか!」
「失礼ねえ。あんたがあんまり辛気臭い顔してるから、親切で話しかけてやったっていうのに」
もしかしていいお化けなのかな。あまり怖くないし。話し相手ができて、少しうれしいような気がしてきた。
「辛気臭いってどういう意味?」
「辛気臭いっていうのは、元気がないってこと。言葉を知らないのね。まあ子どもだからしょうがないか」
「そっちこそ失礼だな。ぼくもう七歳だぞ」
「あたしなんか、樹齢70年の杉の木だったのよ。さらにこの家の柱になって、40年以上もたつの。すごいでしょう?」
「超ババアじゃん」
「なんてこというのよ! このクソガキ!」
「ていうか、女なの? おじさんみたいな顔だね」
「おじさんですって!? あたしは木の精霊よ。性別なんて超越してるの。でも心はれっきとした乙女なのよ! あんたみたいな生意気な子どもの面倒みなきゃいけないなんて、おじいさんも大変だわ」
ムンクの言葉が胸に刺さった。言われなくても、ぼくだってわかってる。
「どうせぼくは悪い子だよ。おじいちゃんだって迷惑してるだろうさ。だけどお母さんが退院するまでここにいなきゃいけないんだよ。お父さんは仕事が忙しいし。ぼくなんていないほうが、きっとみんな楽だよな」
「……悪かったわよ。言い過ぎちゃって」
「べつにほんとのことだよ。お母さんが病気になったのだって、きっとぼくのせいなんだ。ぼくがいい子じゃなかったから、お母さん疲れちゃったんだよ」
「ばかねえ。あんたのせいで病気になるなんて、あるわけないでしょ。そういうのは、数えきれないくらいたくさんの、いろんなことの積み重ねなのよ」
「そうかな……」
「そうよ。それにあんたは、そんなに悪い子でもないし。あっ! おじいさん帰ってきたわ。あたしのことは内緒にしてちょうだい」
「ただいま」と玄関からおじいちゃんの声がした。ゆっくりした足音が近づいてきて、おじいちゃんが顔を出した。
「颯太、いま誰かと話してなかったか?」
「誰とも話してないよ」
「なんだか声がしたようだったがなあ」
「きっとゲームの音だよ」
内緒にしてって言われたし、それにおじいちゃんは心臓があまり良くないんだ。柱がしゃべるなんて聞いたら、きっとびっくりさせてしまう。ムンクのことは黙っていよう。

お夕飯は煮魚と野菜の煮物だった。おじいちゃんは料理が上手だけど、お母さんのオムライスが早く食べたかった。それから二人でお風呂に入って、茶の間のテーブルをどけて布団をしいた。おじいちゃんがいつも寝ている部屋は、布団を二枚しくには少し狭いから、ぼくが来てからはこうしていっしょに寝てくれていた。
おじいちゃんのことは大好きだ。でもやっぱり早く家に帰りたい。お母さん、ちゃんと元気になって戻ってきてくれるのかな……。
なかなか寝れなくて何度も寝返りをうった。おじいちゃんは隣で寝息をたてていたけど、なんだか息の音がだんだん苦しそうになってきていた。
「おじいちゃん、おじいちゃん、どうしたの? 大丈夫?」
不安になって声をかけたけど、おじいちゃんは相変わらずぜえぜえと苦しそうだ。
「颯太、電気つけて!」
ムンクの声だ。ぼくは立ち上がって電気のひもをひっぱった。
おじいちゃんは苦しそうに顔をゆがめて、胸を押さえている。どうしよう。おじいちゃんが。おじいちゃんが――。
「颯太、茶箪笥の左の引き出しに薬が入ってるから出して。あと、台所へ行ってお水を持ってきて」
言われたとおりに引き出しを見ると、おじいちゃんの名前が書いてある薬の袋があった。それから急いで台所へ行ってコップに水をくんできて、畳の上に置いた。
「薬を二粒だして、お水といっしょにおじいちゃんに渡して」
白い薬を二粒取り出した。手が震えている。おじいちゃんは胸を押さえながら、なんとか体を起こそうとしていた。ぼくはそれを手伝って、おじいちゃんの体を左手で支えた。痩せているけど、大人の体はとても重かった。そして手に持っていた薬をおじいちゃんの口にねじこんで、コップを取って水を口に運んだ。口から水がたくさんこぼれたけど、「ごくん」と音がして、なんとか飲み込んでくれたようだった。
「よくやったわね、颯太。もう大丈夫よ。おじいちゃんを寝かせてあげて、タオルを持っておいで」
おじいちゃんはまだ苦しそうだった。横になるのを手伝って、それから洗面所にいってタオルをとってきて、濡れたところをふいた。おじいちゃんの息は、さっきより少しだけ静かになっていたみたいだった。まだ眉毛をよせて辛そうな顔をしていたけど、さっきより少し良さそうに見えた。ぼくはじっとおじいちゃんの顔を見守っていた。時計を見ていなかったから、何分くらいの間だったかわからない。とても長い、不安な時間だった。だけどおじいちゃんはちょっとずつちょっとずつ、楽そうになって、やがていつもどおりのおじいちゃんに戻った。目を開けて、ぼくを見て、笑った。
「颯太、ありがとう。おじいちゃん、最近調子がよかったもんだから、すっかり油断して薬を飲み忘れてしまったみたいだな。颯太のおかげで助かったよ。でもなんで薬のこと知ってたんだ?」
「ムンクが教えてくれたんだ」
つい、口をすべらせてしまった。
「ムンク? ムンクって誰だ?」
「内緒だよ。内緒の友達なんだ」
おじいちゃんは不思議そうな顔をしていたけど、それ以上は何も聞かなかった。

それから五日がたった。あの後ムンクに何度か話しかけてみたけど、まるでただの木目になったみたいに何も話さなかった。お母さんは退院して、前の日から家に戻っている。電話で早くぼくに会いたいって言ってくれた。
お父さんが車で迎えに来てくれて、おじいちゃんといっしょにぼくの荷物やらお土産の野菜やらを運びこんでいた。
ぼくは最後にムンクに話しかけた。
「じゃあね、ムンク。家に帰るよ。あの時は本当にありがとう」
ムンクは答えなかった。でもほんの少し、優しく笑っているように見えた。

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