第1話

文字数 1,363文字

 今を去ること約 40年前のある夏の夜のことだった。
 私は医師になって3~4年目で、夏休みを取った先輩の代わりに市中病院の当直をしていた。
 「もしもし、先生、食中毒の患者が来ますよ。起きて下さい。」
 深夜の2時頃、私は院内電話で起こされた。
 「はい、今、行きます!」
 今から考えると当時の私は修羅場の経験も浅く、何事にも緊張してピリピリとしていた。
 (あれ? 救急車はまだ来ていないのか…。)と思ったその時、1台のマイクロバスが救急外来の玄関に横付けした。
  オゥエッ! ウェェ∼!!
 車の中から嘔吐(おうと)しながら12~13名の大の男達が飛び出てきた。
 彼らは救急外来の診察室に転がり込むと、椅子に座るやしゃがみ込むやらして、ビニール袋、洗面器、バケツ、ごみ箱などに手当たり次第に吐いた。カエルの合唱ではない、嘔吐の大合唱だった。私はどうしていいか分からず、頭が真っ白になった。
 「はいはい、大丈夫だから、吐きたい人は我慢しないで吐いて。」「今から紙を配りますから、名前、年齢、生年月日、それから昨日、食べたものを順番に書いて下さいね。」
 外来の2名の看護師のうち、年寄りの看護師は相当の強者(つわもの)だった。皆に白紙のカルテ用紙と鉛筆、ボールペンを配った。吐き疲れて顔面蒼白な人には、
 「はい、先生、こっちこっち。この患者さんを先に診察して点滴を出して。」
 テキパキと出す彼女の指示に私はただ言われるがままだった。
 「あの~、夕方、オロナミンCを飲んだんですが、それも書いた方がいいですか?」
 比較的元気な患者さんに尋ねられた。
 「何でもいいから、口にしたものは全部書いて下さい。」
 私は、少し余裕が出てきた。書かれた用紙の内容と、問診で事の全貌が見えてきた。皆がそれぞれ食べた物の中で共通していたのは、昨日の夜食に食べたおにぎりだった。患者は皆、職場の寮に住んでいて、同僚が余ったご飯を夜食のおにぎりにしたそうだった。
 私は、おそらく「おにぎりに付着し増殖した黄色(おうしょく)ブドウ球菌による食中毒の集団発生」と診断した。

 黄色(おうしょく)ブドウ球菌(Staphylococcus aureus)は人の化膿した傷口をはじめ、手指・鼻・喉・耳・皮膚などに広く生息し、健康な人の20〜30%が保菌している。決して珍しい菌ではない。
 この菌は、食べ物の中で増殖するときにエンテロトキシンという毒素を産生し、この毒素を食品と一緒に食べることにより、毒素型の食中毒を起こす。
 症状出現までの潜伏期間は、食後 30分~6 時間程度と比較的短い。症状は悪心、嘔吐、下痢などで、悪心・嘔吐は必発である。
 食中毒の治療の基本は、補液である。
 予防の基本は菌を食品に付けないことである。(←手洗いと手指消毒)そして、菌を増殖させないこと(←食品の10℃以下の低温保存)である。また、菌自体は加熱には弱いが、産生された毒素は 100℃ 20分の加熱でも分解されないので、「加熱すれば安心」ではない。
 さて、写真は培養基上に発生した黄色ブドウ球菌の集落(コロニー: colony)である*。(*www.photo-ac.com>main>search 黄色ブドウ球菌の写真素材 - photoAC から引用した)

 いかにも凶悪そうで不衛生な感じがする。

 んだんだ。
(2024年8月)
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