おひさまクレヨン

文字数 9,943文字

 木枯らしが吹く昼下がり。その日はとりわけ日差しの強い一日でした。
 ターコイズ通りは、今日もたくさんの露店でにぎわっています。
 くだものを売っているちょびひげのおじさんのお店は、とびきり大きなカゴにその日一番のオススメのくだものを入れています。
 靴を売るみつ編みのおばあさんのお店には、プレゼントを入れるような長靴の看板が目を引きます。
 東の国から来たという双子の少年のお店は、ばんがさという赤い傘を屋根代わりにしてお客を呼び込んでいます。
 交易商買をしていた今の領主が、誰でもお店が出せるようにと、屋敷へ続くメインストリートを露店街にしてからというもの、町は色々な国や文化の人が行き交うようになりました。その活気に喜んだ人々が、領主の名前にちなんで「ターコイズ通り」と呼ぶようになったのです。
 そんなターコイズ通りのはしっこで、サンはいつものように開店の準備を始めました。
 ほつれてきたキルトをレンガ道の上に広げて、流木で作ったイーゼルをふたつ並べます。出来あがったカンバスを左のイーゼルと足元に立てかけて、右のイーゼルに真っ白なカンバスを乗せると開店準備も終わり……というより、キルトからはみ出してしまうのでした。
 サンは絵描きでした。小さい頃から絵が大好きで四六時中描いていました。コンテストに出せば必ず賞を持ちかえる腕前で、いつもまわりから一目置かれていました。サンにはそれが嬉しくて誇らしくて、ますます夢中になって描いていき、ついに絵描きとしてこの町にやってきたのでした。
 ところが、なかなかうまくはいきませんでした。

「あなた、これはクレヨンね?」
 この日一番にやってきたのは、買い物帰りの婦人でした。両手で抱えた紙袋のかげから首を伸ばしてカンバスを見ています。
「こんにちは。ええ、そうです。ぼくが使うのは油性のものなので厚みがありますが、そこを――」
「こんなの、うちの坊やのほうが上手だわ!」
 婦人は紙袋からのぞくりんごと同じくらい赤くなって、去っていきました。

「きみ。これは売り物なのかね?」
 次にやってきたのは、山高帽子をかぶった背の低いおじさんでした。メガネを何度も動かしてカンバスを見ています。
「こんにちは。ええ、そうです。クレヨンは誰もが馴染みのある画材ですから、いつでも――」
「きみは、日に焼けたものを客に売りつけるというのかね!」
 おじさんは山高帽子を飛ばす勢いで地面を踏みならして、去っていきました。

 こんな具合です。これまでに売れた絵を数えようにも、指一本も折ることが出来なかったのです。そのあとも、サンがカンバスに向かう姿に立ちどまる人が何人かいましたが、しばらく見ると満足したようにそのまま立ち去っていくのでした。
 サンは真っ白のカンバスと向き合ったまま、なにも描かず、長い間じっと考えました。
 そして結局なにも描かないまま、ターコイズ通りに向いて座りこんでしまいました。
「今日もまぶしいなあ……」
 サンは手をかざして空を見上げました。綺麗に塗りつぶされた青空に、太陽が浮かんで見えます。まるで水と油のように、くっきり形がととのった太陽は、ほっぺたをたたく風を忘れてしまうほど、じりじりとサンを照らしました。
「おいおい。まだ昼すぎたばかりだぞ。もう店じまいする気か?」
 ぼーっとしていたサンの視界を遮るように、一人の青年がのぞきこんできました。
 サンと同じ年格好の青年は、ぱっちりした目を片方閉じて、かぶっていたニットキャップのつばを上げました。
「やあ、ロイズ。さっき開けたばかりだよ」
 サンは笑って立ち上がると、ロイズとあいさつ代わりの握手を交わしました。
「調子はどうだ」
「いつもどおりさ。ぼくの絵は魅力がないみたいだからね」
 力なく首をふって、サンは出来あがっていたカンバスを悲しそうに見つめました。
 真っ青な空を描いたカンバスと、ターコイズ通りを行く人々を描いたカンバスは、ずっしりと厚みがありますが、今にも軽快に動きそうです。表面がでこぼこしたカンバスに、高い鼻がくっつきそうな勢いで、ロイズはサンの作品を眺めました。
「画材をクレヨンにしているのは初心を忘れないため。日に当てるのは油分をなじませて滑らかにするためだろう? サン、こだわりと欠点は別物だ。そう気を落とすなよ」
「ありがとう、ロイズ」サンは少し照れくさそうに微笑みました。「見てくれる人は、いるんだけどね」
「そうか」ロイズはカンバスからはなれて、ニットキャップをなおしました。「世界は広いんだ。サンの力をわかってくれる人だって必ずいる。オレみたいなヘンテコじゃない、ホンモノが」
 ヘンテコ、という言葉が、サンにはぎゅっと身に染みました。
 サンが町に来てすぐ、ロイズはどこからともなく現れました。家柄も、普段何をしているのかも知りませんでしたが、とにかくサンのことを気に入ってくれたようで、いつの間にかよく顔を見せてくれるようになりました。ただ「オレは芸術じゃなくて芸術家が好きなんだ」と言って、絵を買うことはしません。その代わり、画材を用意してきては「描けたら見せてほしい」と頼むのでした。
 ロイズは絵描きの間で有名人でした。サンだけではなく、気になる絵描きに声をかけては、自分が思ったことをはっきりと言うのです。そして最後には、描けたら見せてくれと頼みます。そんなロイズを人々は「ヘンテコな男だ」と言い、ロイズ自身も口ぐせのように「ヘンテコなんだ」と笑っていたのでした。
 けれどもサンは、ロイズがヘンテコだなんて思っていませんでした。
「きみは感想を言っているだけじゃないか。ロイズが見てくれたから、良くなった絵だってあるのに、どうしてみんなヘンテコだなんて……」
「買いもしないのに言いたいことだけ言って、次を描いてくれと頼むんだから、そりゃあ良くは思わないだろうさ。けど、サンがわかってくれるからちっとも気にならないぞ!」
 しょんぼりするサンの肩をたたいて、ロイズは白い歯を見せてにっこりと笑いました。
 ロイズの笑顔はまぶしくて、気持ちも自然と明るくなってしまいます。
 だからこそ、サンには、決めた思いがありました。
「それはそうと、そろそろクレヨンが短くなった頃じゃないか? カンバスもいるだろ?」
 ロイズはポケットから紙とペンを取り出して言いました。サンが使う画材は、いつもこうして必要な数をロイズに伝えて、次の日には持ってきてもらうのです。
 けれどこの日、サンはゆっくりと首を横にふりました。
「ありがとう、ロイズ。でも、もう……必要ないよ」
 突然のことに、ロイズはしばらくポカンとしていました。そして目をまんまるくしてサンにたずねました。
「……どういうことだ?」
「この残りを使いきったら、ぼくは絵描きをやめようと思う」
「やめる? どうして!?」ロイズの声は大きくなります。「サン、おまえの腕は確かだ。それにココロがある。焦る気持ちは分かるが、評価されていないわけじゃないだろう!?
 ロイズの言うとおりでした。先日、ターコイズ領主のお屋敷であった展覧会に出品して、サンの絵は良い評価をいただいたのです。お屋敷で働かないかという声もかかりましたが、サンはそれを断ってしまったのでした。
「絵はもっと、自然で身近であるべきなんだ。特別な場でだけ評価をもらえても、本当に良い絵描きとは言えないよ。それに、ロイズ。きみが応援してくれているのに、ぼくは一度だってこたえられていないんだ」
「オレがやりたくてやっていることなんだ。サンが気にすることじゃない!」
「ありがとう。でも最近は、自分が描きたいものすら見つけられなくなってしまったんだ。こんな気持ちじゃこれから先、良い絵は生み出せないよ……」
 ロイズはまだなにか言いたそうでしたが、サンの固い意思には敵いませんでした。しぶしぶ紙とペンをポケットに入れると、ニットキャップをかぶりなおしました。
「サンがどうしてもそうしたいなら、オレが言うことはないが……。寒くなるとココロも固くなるもんだ。決断する前にひとつ、オレの頼みを聞いてくれないか」
 そう言ってロイズは、一本のクレヨンをサンに渡しました。
 それは、サンがいつも使っているものと太さも長さも同じでしたが、ちょっと変わったクレヨンでした。
「とうめいな……クレヨン……?」
 ガラスのようにすきとおったクレヨンが、光をあびてキラキラと輝いていたのです。
「なにいろでもなくて、なにいろにでもなれる、魔法のクレヨンだ」
 そして、イーゼルに乗った真っ白のカンバスを指さして力強く言いました。
「このクレヨンで、そのカンバスを仕上げて欲しい。その時、おまえの答えを聞こう」
 驚くサンに、ロイズは「サン、それでいいな?」と念を押しました。
「期間は一ヶ月。題材はおまえに任せる。報酬はその時に決めるということにしよう」
 それは、サンの、絵描きとして初めての依頼でした。
 ほかでもないロイズの頼みですが、今のサンは、断ってしまいたいくらい不安な気持ちでいっぱいでした。
 とうめいなクレヨンを見つめると、鏡のようにサンの顔をうっすら映しました。
 ロイズも真剣な表情でサンの返事を待ちます。
 レンガ道に広がる影がいちばん小さくなったころ、ついにサンは心を決めてうなずきました。
「わかった。ぼくが納得出来る絵にしてみせるよ」
「ありがとう、サン。楽しみにしているぞ」
 ロイズは手をふって、露店でにぎわう人混みに消えていきました。


 赤く染まりだしたターコイズ通りは、急ぎ足で家へ向かう人が増えてきました。
 サンはとうめいなクレヨンを持って、カンバスの前に立ち尽くしていました。
「いったい、なにを描けばいいんだろう……」
 ロイズと別れてから、サンはなにを描こうかとずっと考えていました。
 ロイズとの約束です。適当な絵なんて描けません。だけど、考えれば考えるほど、頭の中はカンバスと同じようになるのでした。
 なにいろでもなくて、なにいろにもなれるとは、まるでなぞなぞのようです。
 昼間はすきとおっていたクレヨンも、今は夕日を浴びてあたたかい色をまとっていました。
「おひさま……」
 サンはふと、出来あがっていたカンバスに目を向けました。
 どのカンバスにも、すみっこにおひさまがあります。サンは絵が完成すると、いつもサイン代わりにおひさまを描いているのでした。
 サンはひらめいたようにうなずいて、ついにカンバスにクレヨンを走らせました。
 腕をいっぱいに伸ばして、まるをひとつ描きました。そしてカンバスを突きぬける勢いで線を引っぱると、大きな大きなおひさまが出来あがり――
 ――のはずでした。
「……あれ……?」
 カンバスは真っ白のまま……いえ、描いたおひさまが見えなかったのです。さわってみると確かにクレヨンがとおった感じがあるのですが、とうめいのせいで形がちっとも見えませんでした。
 首をかしげるサンの背中に、叫ぶくらいの大きな声がかかりました。
「よお、サン! なんだあ、そりゃあ!」
 くだもの屋のおじさんでした。今日は店じまいをしたらしく、あの大きなカゴを背負ったおじさんはカメのようでした。
「ついに描きはじめたと思ったら、青い太陽とは、悲しいことでもあったか? ずいぶん思い切ったなあ!」
「え!?」サンは驚きました。「おじさん、これ見えるの!?
「なんだ、なんだ?」
 サンはクレヨンのことを話しました。おじさんはちょびひげをいじりながら、とうめいなクレヨンをしげしげと眺めました。
「なるほど、魔法のクレヨンか。なあ、俺も描いてみていいか?」
 サンがうなずくよりも前に、おじさんはカンバスにクレヨンを走らせてしまいました。
「さあ、どうだい!」
 サンは思わず、あっと声を上げました。
 サンのおひさまの中に、燃えるような真っ赤なおひさまがカンバスに現れたのです。
「こいつは驚きだあ!」
 おじさんはみんながふり向くくらい大きな声で笑いました。
「かあちゃんにもよく言われるよお! 『あんたは炎みたいに暑苦しい』ってなあ!」
 ごきげんでクレヨンを返すと、サンに言いました。
「サン。これはホンモノかもしれねえぞ。他のヤツにも描かせてみたらおもしろそうだ。その時は見せてくれよ!」
 おじさんはガラガラ声で歌いながら、夕日に溶けこむように帰っていきました。


 それからというもの、サンは毎日、道行く人を呼びとめて、魔法のクレヨンでおひさまを描いてもらっていきました。くだもの屋のおじさんから聞ききつけて、他の露店の人達も、仕事の合間をぬって来てくれました。

 靴屋のおばあさんのおひさまは、にこにこ笑顔が描かれたうすいピンク色でした。
「おばあちゃんのほっぺたと同じだ。こっちまで笑顔になれる、優しくてあたたかい色」
「うふふ。ありがとう、サン。わたしには、あなたのおひさまが、澄んだ水のように見えるわ」

 東の国から来た双子のおひさまはにじゅうまるで、二人がいつもしている手ぶくろと同じ、黄色と緑色でした。
「これはすごいや。サン! もっと描いていいかな?」
「ダメだよ兄さん。これは、サンのものなんだからね」
「きみたちは似ているけどちがう。ちがうけど似ているんだね。どっちも明るくて、しっかりしていて、まぶしいな」
 双子はサンに、おんなじ笑顔を向けて胸をはりました。
「そうさ! まったく同じじゃないから、いろんなアイデアが生まれるし」
「とっても似ているから、いつだって力を合わせられるんだ!」
 手をつないで、双子は声をそろえます。
「そしてサンはぼくたち二人のお兄さんだね! 黄緑色のおひさま、きれいだよ!」
 
 サンはみんなのおひさまを見るのが楽しみで仕方なくなりました。
 みんなには「おひさまを描いてほしい」としか言いません。でも、ある女の子のおひさまには顔があったり、大道芸のおねえさんのおひさまはぐるぐるうずまきだったり、無口なおじいさんのおひさまは四角いおひさまだったりするのです。そして、みんなそれぞれ色が違ったのでした。
 サンは必ず、そんなおひさまたちから感じたことを伝えていきました。すると、最後にはみんな、サンのおひさまの色を教えてくれました。
 けれど、サン自身にはまだ、おひさまが見えずにいるのでした。
「みんなには見えているんだ……。どうして、ぼくには見えないんだろう……」
 この日は朝から雲がかかって太陽が見えませんでした。空一面が白くて、風がなくても寒く感じてしまいます。人の行き来も少なく、早めに店じまいをしようと決めた時でした。
 向かいのベンチに一人の少女が座っていました。フードのついた赤いマントを着て、手にしたフルートを見つめる姿は、とても楽しそうには見えません。人形のような大きな目からは、今にも涙がこぼれてしまいそうでした。
 サンは心配になって、少女のところへ行きました。
「こんにちは。どうしたの?」
 少女はびっくりした様子でしたが、サンがしゃがんで目線を合わせると、笑顔を見せてくれました。
「こんにちは。クレヨン使いさん」
「ぼくのこと、知っているの?」
「もちろんよ。魔法のクレヨンで、おひさまを描いているんでしょう? みんなとても楽しそうにしているわ」
 少女はそう言って、順番に露店をゆびさしました。
「くだもの屋のおじさま、前よりももっと威勢がよくなって、近くにいると寒さを忘れてしまうんですって。おかげでお客さんも増えたそうよ。靴屋のおばあさまはとてもお若くなった気がするわ。たくさんお話を聞かせてくださるから、つい立ち寄ってしまうの。双子のおにいさまたちは、ますます楽しそうで引き込まれてしまいそうよ」
 少女の言うとおり、おひさまを描いてくれた人達はとても生き生きとしているように見えました。
「すごいな。きみは、みんなのことをよく見ているんだね」
「そんなことないわ。ココロが伝わるものは自然と目をひくのよ。……だからこうして、落ち込んだ時は、みんなの元気を分けてもらいに来るの」
 そうして少女はまたうつむいてしまいました。
「わたし、ずっと前からフルートを演奏しているの。演奏を聞いてもらうことが楽しくて、大きな舞台で発表もたくさんしたわ。……でも最近、うまく吹けなくなってしまったの。音が固いんですって。失敗するのが怖くて、舞台にもあがれなくなって、なにを吹けばいいのかも分からなくなってしまったわ……。こんなにココロが重たいんですもの。もう、良い演奏なんて出来ないわ。……だから、フルートをやめようと思っているの」
 少女の手は震えていました。本当はフルートが大好きなのでしょう。
 サンはなんとか少女に元気になって欲しいと思いました。
 しばらくして、こんな提案をしてみました。
「ねえ。よかったら、きみも描いていかないか?」
 少女は驚いて顔を上げましたが、すぐに首を横にふりました。
「出来ないわ。きっとひどい色になるもの。すばらしい作品が台無しになってしまうわ」
「そんなことはないよ。ココロを大切にしているきみの描きだす色が、ひどいなんてことはないさ。クレヨン使いのぼくが言うんだ。まちがってなんかいるもんか!」
 サンは力強く言うと、露店に招いて、少女に魔法のクレヨンを差しだしました。少女は戸惑っている様子でしたが、やがておそるおそる手に取ると、クレヨンをカンバスにゆっくりと滑らせていきました。
 少女が描きだしたのは、小さな小さなおひさまでした。岩のようにごつごつとしていて、今日の空よりももっと深い雲の色をしていました。
 少女はしょんぼりとして、クレヨンをサンに返しました。
「ほら、やっぱりダメなのよ。こんな色のおひさま、見たことないわ……」
 雨が降り出してしまいそうな色のおひさまは、少女がうつむくとさらに深い色になりました。
 サンは少女のおひさまをじっと見つめていました。そして、こんなことを言ったのです。
「雨の日のおひさまって、どこにいると思う?」
 少女は「え?」と、サンをふり向きます。サンはにっこりと笑って、雲が広がる空を指さしました。
「雨の日も風の日も、もちろん今日だって、おひさまはちゃんといるんだよ。ぼくたちからは見えないから、いないように感じてしまうけどね。きみにはきっと、見た目だけじゃない、本当のおひさまの姿がちゃんと見えているんだ」
 少女は空を見上げました。いつの間にかうすくなっていた雲の向こうでは、太陽が雲をくりぬいて、いっしょに丸く光っていました。
「おひさまだってぼくたちと同じさ。ずっと光り続けていたら疲れてしまうし、ときどきは、雲や雨にかくれておやすみしたっていいんじゃないかな。それでも、ぼくたちに朝を教えてくれることは一日だって欠かさないだろう? だから、姿が見えるときはあんなに輝いていられるんだよ」
 雲はゆっくりと流れていきます。ところどころ出来た切れ間からは、青い色が見え出していました。
「……わたし、うまくいかないのは全部ダメなことだって思ってた。でも、そうじゃないのね。おひさまだってかくれるんですもの。うまくいかないことがあったっておかしくないんだわ」
 少女はフルートをにぎりしめて言いました。岩のようだった少女のおひさまは、鏡のようにキラキラとした美しい銀色に輝いていました。
「ありがとう、クレヨン使いさん。なんだか勇気が湧いて来たわ。わたし、フルートを続ける。今ならきっと、ココロのこもった演奏が出来るわ。さっそく帰って練習しなくちゃ! そうしてかならず、また舞台へ戻って見せる。そのときはあなたを一番に招待するわ!」
「ああ、約束だ。楽しみに待っているよ!」
 二人はしっかりと握手を交わしました。
「そうだ、クレヨン使いさん!」
 曲がり角の手前でふりかえった少女は、大きく手をふってさけびました。
「あなたのおひさま、まっしろで宝石みたい! とってもきれいだわ!」
 すっかり晴れた空の下、マントと同じ色のほっぺをした少女は、おひさまに負けない輝きをしていました。


 その日は、この冬初めての雪が降りました。
 真っ白になったターコイズ通りに背を向けて、サンはカンバスをじっと見つめていました。
「出来たみたいだな」
 ふり返るとロイズが立っていました。ニットキャップを持ちあげて、サンと同じようにカンバスを見ています。
「うん。こんな気持ち、ひさしぶりだよ」
 サンはとても穏やかな表情で言いました。その手には、小石ほどに短くなった魔法のクレヨンが握られていました。
「ちょっと前までが嘘のようだな。サン。こいつはおまえの最高傑作だ」
「違うよ、ロイズ。ぼくは最初に少し描いただけだ。この絵を完成させたのは町のみんなだよ」
「そうか? オレにはちゃんと見えるぞ。おまえの――」
 ロイズはそう言って、カンバスで一番大きなおひさまを指さしました。
「なにいろでもないけれど、なにいろにもなったおひさまが。まぶしいくらいにな」
 真っ白だったカンバスには、大きな大きなおひさまがありました。
 町の人たちが描いてくれた、いろんな色の、形の、大きさの、たくさんのおひさま。
 そして、サンのおひさまが、みんなを包みこむように、虹色に輝いていたのです。
 
 それは、今までに見たどんなおひさまよりも、まぶしくて、あたたかでした。

「さあ。それで報酬だが」
 ロイズはサンの顔をのぞきこんで言いました。
「こんな最高の一枚にしてくれたんだ。サンの希望も聞かないとな」
 サンは微笑んで、首を横にふりました。
「いらないよ。魔法のクレヨンもこんなに短くしてしまったし、この絵のおかげで、もう少し絵描きを続ける勇気が湧いてきた。とても値段なんて付けられないよ」
 ロイズはしばらくキョトンとして、それから、やれやれといったふうにニットキャップのつばを持ちました。
「おまえのことだから、そう言うとは思ってたよ。だけど今回はれっきとした依頼だ。オレも、報酬を渡さないわけにはいかない」
「でも……」
「しかも、サン。オレはたった今、この一枚だけに値段を付けるのがもったいなくなってしまってなあ」
 ロイズはちょっぴりいじわるく笑うと、ニットキャップを取って丁寧におじぎをしました。
「貴方の才をもらいたい。正式に、うちの屋敷に来てもらえないだろうか」
 突然のことに、サンはびっくりしてしまいました。
「……え? お、お屋敷って……? あの……、ロイズ、一体……どういうこと?」
 ロイズは頭を上げると、ますますにんまりと笑いました。
「ロイズってのは、親しい間での呼び名でなあ。本当の名前は、ロイド=ターコイズって言うんだよ」
 この町でターコイズの名を知らない者はいません。ロイズは領主の跡取りだったのです。
「ロイズ、きみは……」
「おっと、サン。堅苦しいのはナシだ。屋敷といったって、今までどおり自由に町に出て、自由に描いていいんだ。ただし、次にオレが頼んだときは迷わず描いてくれよ?」
 手を差し出して、ロイズは言います。
「ココロの宿った作品を生み出す者は、なにより他人のココロも引き出せる力がある。そのクレヨンでココロを、これほどたくさんの色を引き出したのは間違いなくおまえだ。だからこれからも、もっともっと描き続けて欲しい。オレは友として、サンが絵描きを続けてくれることがなにより嬉しいぞ!」
 ロイズのとびきりまぶしい笑顔は、寒さも忘れてしまいそうで。
 サンはほっぺたを赤くしながら、その手をしっかりと握りました。

 それからサンは、魔法のクレヨンでいくつも絵を描きました。
 あの大きな大きなおひさまの絵は、町のシンボルとしてお屋敷の入口に飾られ、毎日のようにたくさんの人が見に来てくれています。
 サンは今でも、ロイズと町に繰り出しては、みんなにおひさまを描いてもらっているみたいです。二人の周りには人が集まり、笑いが絶えませんでした。
 そうしていつしか「おひさまクレヨン」と呼ばれるようになった魔法のクレヨンは、それからもたくさんの人のココロをあたためてくれたのでした。
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