第5話

文字数 2,550文字

 それから十日くらい経った頃。サクラと私とマリはお店近くのカフェで会った。ママには内緒で集まったのである。
 三人で話したい、と、いい出したのはサクラだった。
 カフェで会ったサクラは、憔悴していた。
 私は驚いた。「スナック亜夜」の店内は薄暗くてわからなかったけれど、カフェの真昼の明るさはサクラのやつれた様子をよく見せたのである。
「どうしたんですか?」
 三人で話したいといったサクラにそのわけを聞くつもりの私だったが、それよりも彼女が心配になった。
「ユリちゃん、私、疲れた」
 と、サクラは力なく笑った。
 音楽関係者を店に呼びはじめた頃からサクラとママの間がうまくいかなくなったらしい。マリが疲れたサクラを気遣い、代わって経緯を私に話してくれた。
「サクラが音楽仲間と盛り上がるとママがすねるねん。ママは客の相手もせんと機嫌の悪さ見せつけてさ、一人でカウンターの端でトランプ占いはじめた事もあって。いくらなんでも客の前やし、ウチも目に余ったから注意したけどな」
 サクラもママに意見した。ママはお店の営業の邪魔をしていると叱るようにいったという。
 するとママは、
「なんで? ここは私のお店だもん。サクラちゃんたちだけが楽しそうで、なんで私が仲間外れになるの?」
 といって、口を尖らせたという。
「歳とった子どもや」
 マリがそういって、サクラは頷いた。
 サクラとマリは険悪ではなく、二人はすっかり職場の同僚だった。
 私はママから二人の仲が悪いと聞かされたが、どうやらママの思い込みか、ママが私にそう思い込ませようとしたらしい。
「それでさ、先々週の貸切にママがお店に出てきてん」
 と、サクラはいった。ちょうどサクラの大学の先輩が所属する合唱団のコンサートの打ち上げだった。
 サクラが驚いたのはもちろんだが、合唱団の人たちも突然登場した店のオーナーに恐縮し、店を安価で貸してくれた事のお礼をいった。
 おおぜいの人から頭を下げられ気分を良くしたママはその場に居座り、飲んで食べて喋り出した。中に市民オペラの歌唱指導をするプロの声楽家がいる事を知ると「あれ、歌ってよ、イギリスのオーディションのやつ」と、ユーチューブで話題になった「夢やぶれて」をリクエストした。その声楽家はサクラの大学の先輩であったのだが、ママはサクラの先輩が自分のリクエストにこたえて歌うと手を叩いて喜んだ。
 そしてママは大入袋を配り出した。
 袋の中にいくら入れたのか知らないが、いきなり現金を貰った人たちは戸惑いながら受け取ったという。
 サクラが後でママに抗議したのはいうまでもない。
 身内の集まりの場へ部外者がズケズケと入り込んだ非常識さや無神経さをサクラはいった。話を聞いてその場にいたマリも、貸切で店に来るのもお客さん。お客さんにおもてなしさせてどうするの? と、ママを諭したという。
 するとママは、
「私、自分のお金をみんなにあげたんだよ。それのどこがいけないの? お金をもらったら感謝するものでしょう? みんなも喜んでたじゃない。私、いい事をしたのに、どうしてサクラちゃんは私をほめないの? サクラちゃんは恩知らずなの? 私、サクラちゃんの事、大切にしてるでしょ? サクラちゃんは悪い人なの?」
 いい人だから悪い事をしないと思っていたのに、私、裏切られたわ、と泣きだしたママは手をつけられなかった、と、サクラは肩を落とした。
 ママは自分がサクラに好かれていると私から聞いて、貸切パーティへ乗り込んでしまったんだと思った。同じ事を繰り返しいうママがうっとうしくて、私はつい、サクラさんはママを慕っている、といってしまったのだ。
 だからといって私に何の責任があるのだろうか。でも逆上したママに自分を否定された感じのサクラは精神的に参っていて、少なくともそのきっかけを作った私である。
 私は、罪を感じないわけにはいかなかった。
「サクラさんは、何も悪くないです」 
 開店当時からママを献身的に支えたサクラに、ママのした事のほうが恩知らずで、ママがサクラを裏切っている。そう思った私は精一杯、サクラを庇ったつもりだった。あえていうなら私が悪い。私がママを暴走させてしまいました、とはとてもいえなかったけれど。
「いや、悪いで。サクラは悪くていい」
 と、マリはいった。「裏切り者といわれたら、はい、その通りです、というたらええ。人を裏切らなあかん時もあるやろ。誰かが悪者にならな世の中回らんしな」
 裏切られるより裏切るほうが勇気も度胸もいる、と、マリがいたずらっぽくいうと、サクラは微笑み、力強く頷いた。
 二人は私に「スナック亜夜」を辞めるといった。
 私も、店を辞めるといった。
 私は償いのつもりで辞めるのではない。マリのように仕事はできないし、マリに張り合ったサクラみたいに自分を変えようともしなかった。何もしない傍観するだけの私だったが、何か一つくらい、二人と一緒にしようと思ったのである。
 サクラとマリはほっと胸をなで下ろした。もし二人が辞めて私だけが店に残ると、ママは今度は私に依存する。そうなると今度は私がサクラと同じような目に遭うのではないかと二人は心配したのだ。
 私は二人の心遣いに頭が下った。二人に大切にされた感じもして、「ありがとうございます」と、いったら、少し泣きそうになった。「せやけどママは、もともと私には関心がないというか、執着しないはずですよ。私はBですから」
「何それ?」
 と、マリが聞いた。私はママが子犬の安楽死の話を聞かせて、人をランク付けする話をいった。その話を聞いた人のリアクションを見て、ママがABC判定をすると説明したら、「ブラのカップか」と、マリは鼻で笑った。
「私はBで、サクラさんはAだそうです」
 私がそういうと、「マリちゃんはどうかな?」とサクラがいう。
 マリは両手でワサッと自分の豊満なバストを持ち上げ「ウチはDや!」といった。
 サクラと私は笑った。
 
 その後、三人でお店を辞めるといった時、ママがどういう反応したのか今では覚えていない。「スナック亜夜」がどうなったのか、サクラやマリが今どうしているのか、私は知らない。
                                        (了)
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