文字数 976文字

 丸の内のオフィス街を抜けていると空の上だった。舗道が青くなった。自分の右足は、そして身体が空を切った。
 青い空には地面がない。自分は落下した。
 気が遠くなる下降のあと地面に激突したが、どういうわけか自分は怪我もなく、しかし小学生みたいな子供にもどっており、煤けた、ガキ大将みたいな前時代的衣服を身に着けていた。ノスタルジーを実感する楽しさで、僕は自分の垢じみた体を眺めまわした。
 30万もしたスーツはどこかに消えてしまっていたわけだが、その代わりに、引率の女性教員というものが現れた。ごちゃごちゃとした、僕と同じ年恰好の児童たちの列の中に自分は吸収されており、呼子をぴっぴっ、ぴっぴっ吹く女性教員が先頭を歩いているのだった。彼女はしょっちゅう後ろ向きに歩いた。
 丸の内の街並みは上面を見せるように反転して、ゴミ屑かなにかのように空の彼方に吹きさらわれていくところで、自分はなんとも清々しい気持ちになった。今この瞬間に夏が終わったのだと知れた。
 子供時代に戻ったといっても、まわりの女児も男児も自分には見知らぬ者たちで、そのせいだろう、教員に誘導されながらも皆、ふりかえりふりかえり、自分に好奇の目をむける。だから自分は、じっさいの自分の子供時代にはしたことのないゴリラのまねというのをして見せ、腰を落とした超ガニ股で前かがみの上体を左右にゆらゆらと、のっそのっそ歩いてみたり、腕をふりあげては胸を叩いてうーっ、うーっ、大声を出してみせた。汗がどっと出たが、そんなことは数十年ぶりの経験で、快哉を叫びたいほど気持ちがよかった。
 ほんもののゴリラと僕との間には懸隔があっただろう。僕の振る舞いにはリアリティに問題があったのだ。
 教員は誤謬というものに黙っていてはイケないものだ。僕を注意しなければならない。
 だから僕のゴリラを見た教員は引率の歩みを止め、呼子を吹くのをやめ、無表情に呼子を歯の間から落とした。そして両手でロングスカートの裾をつかみバサッと頭にかぶると、そのまま布にくるまった丸いものになってしまった。布をとおしたくぐもった彼女の声が、
「これは罰ですよ! いいえ、教訓よ! 何かをするときには上手にやりなさいね!」
 すると、これは前からそうだったのかもしれないが、自分たちが歩いているのは、トンネルが無数に地面から突き出た空き地なのだった。
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