第12話 絵師の長屋

文字数 1,612文字

 半吉は甲州屋を出た足で眠々斎の住む長屋を訪ねた。半吉の住むねずみ長屋と同じ九尺二間の裏長屋だが、ねずみ長屋よりましな作りで落ち着いた雰囲気だ。
 井戸で水を汲んでいたおかみさんに尋ねると、不審がることもなく大家のことを話してくれた。大家は藤次郎という名の四十絡みの男で、すぐ近くに住んでいるとのことだった。
 早速藤次郎の家を訪ね、眠々斎の死を伝えると、藤次郎は表情を変えた。詳しい話を聞きたいと家に招き入れられた。
 半吉が座るやいなや、藤次郎が口を開く。
「眠々斎さんとはどのようなご関係で?」
「眠々斎は身内みてえなもんだ。まあ、竹馬の友ってやつだな」
 半吉は眠々斎と身内のような関係ではないし、幼友達でもない。でも、非常に親しいということにしておかなければ、後々都合が悪くなるので嘘を吐いた。
「眠々斎さんは上方の人ですが、あなたは関東の出のようだ。竹馬の友とは思えませんがね」
 藤次郎に疑いの目で見られ、半吉は焦った。
「ちっ、竹馬の友って聞こえちまったか。竹馬の友じゃねえ、竹輪の友よ。お互い竹輪に目が無くてよ、それで仲良くなったって訳なんでえ。」
「まあ、竹輪のことはどうでもいいですが、眠々斎さんが亡くなったのは本当ですかな?」
 半吉は、箱根に行き確認したこと、眠々斎が箱根で追い剥ぎに殺されて当地の寺に埋葬されたことを伝えた後に持参した風呂敷を解いた。眠々斎の遺品を取り出して藤次郎に見せる。
 藤次郎は矢立、帯、着物を手に取り、見ながらしきりにうなずいていた。特に血で染まった着物は丹念に調べ、切られた背中の部分を確かめるように手で触った。
「どれも眠々斎さんの物ですな。眠々斎さんが亡くなったのは確かなようだ。それに、遺品を持ち帰るくらいだから、あなたが眠々斎さんのお身内同然というのも本当のことでしょう。もう一度訊きますが、あなたは眠々斎さんのお身内と考えてよろしいのですかな?」
「それで構わねえ」
「申し上げ難いのですがね、眠々斎さんは店賃を溜めていましてな、代わりに払っていただく訳には……」
「冗談じゃねえや。何で、アッシが眠々斎の店賃を払わなけりゃならねんだ」
「お身内なのでしょう。だったら、払っていただくのは当然かと」
「本当の身内に払ってもらいやいいじゃねえか。大家なんだから、知ってるだろうよ」
「それが……人別帳は昔ほど厳しくないですからな。それに、お身内がいたとしても上方でしょうから、取り立てに行くのは割に合わないので……何とかならないでしょうかね」
「諦めてもらうしかねえな」
 キッパリ言われてガックリと肩を落としている藤次郎を気にせず、半吉は続ける。
「ところでよ、眠々斎の弔いをやってやりてえんだが、眠々斎の家を使っても構わねえか?」
「えっ、あなたが葬儀の喪主を務めるということですかな?」
「『大家は親も同然、店子はこの同然』っていうからよ、身内がいなけりゃ、大家が弔いをするのが筋かもしれねえが、アッシがやらなきゃならねんだ。どうしてもな」
「友人のあなたが葬儀を取り仕切ることに異存はありませんが、何か事情がありそうですな」
 藤次郎は「どうしても」という言葉に引っ掛かったようだ。
「箱根で眠々斎の墓に手を合わせた時によ、『半吉ー、お前に頼みがある。この世で世話になった人と別れをしたいんや。来なかった奴には化けて出てやるって、お前からみんなに伝えてくれー』って聞こえてきたのよ。空耳かもしれねえけどよ、やらねえ訳にはいかねえだろうよ」
「突然亡くなって、未練が残ったのかもしれませんな。どのくらいの方が来るかわかりませんが、長屋の部屋では手狭でしょう。番屋で葬儀ができるよう手配しましょう」
「葬儀なんて大層なもんをするつもりはねえ。既に墓に入っちまってるからよ、線香をあげてもらったら(けえ)ってもらう。だから、眠々斎の家で十分だ。二、三日中に弔いをするから、よろしく頼むぜ」
 半吉は藤次郎に深々と頭を下げた。
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