第8話 この世への未練

文字数 4,534文字

 明日からゴールデンウィーク。東京で単身赴任をしているお父さんが帰ってくる。会社から1週間もお休みをもらったそうだから、たくさん一緒に遊ぶことができる。お母さんは今もまだ近所付き合いが大変そうだけど、お父さんが帰ってくるおかげで、今日はとても機嫌がいい。おかげで、ずっと延期していたバターづくり体験にもやっと行くことができそうだ。
「明日はお父さんを8時に駅へお迎えに行くから、そのあとみんなでナツモト牧場へ行こうか」
 ぼくとお姉ちゃんは笑顔でうなづいた。
 その日の夜、明日が待ちきれなくてワクワクして眠れずにいると、枕元にハナコの気配を感じた。もちろん、もう怖くはない。ぼくの方から「どうしたの」って誰もいない暗闇に問いかけると、めずらしくハナコが悲しそうな顔をして現れた。
「リュウタはいいな。家族とおでかけできて……」
「ハナコはお父さんやお母さんと遊びに行ったりしなかったの?」
「うん……」
「どうして?」
「う、うん……」
 ハナコはあまり昔のことを教えてくれない。ただ、友達からいじめられたり、先生や周りの大人から怒られたり、叩かれたとしか言わない。どうしてそんな酷い目にあうんだろうと不思議に思って何度もたずねたけど、そのたびに黙り込んでしまう。
「そうだ、いいこと思いついた。ねえ、ハナコ。ぼくたちと一緒にナツモト牧場へ行く?」
「ほんと? いいの?」
「うん、いいよ。だって、一人で留守番はさみしいでしょ?」
「リュウタはやっぱりやさしいね! 大好き!」
 ハナコはとても嬉しがっていた。その笑顔を見ていると、ぼくまで嬉しい気持ちになった。でも、大好きだなんて女の子から言われたのは初めてだから、ちょっと照れくさかった。

 翌日、お父さんが久しぶりに家へ帰ってきた。ぼくとお姉ちゃんがとてもニコニコしていることにお父さんは驚いているようだった。さっそく、みんなで車に乗って、牧場へバターづくり体験へと向かった。でも、おじいちゃんは疲れちゃうから留守番なんだって。
 目的地へと向かう車の後部座席で、ふと、ぼくとお姉ちゃんのあいだに気配を感じた。横を見ると、うっすらとハナコが見えた。明るい時間にハナコを見たのは初めてだった。
「リュウタにしか、あたしは見えてないんだよ」
 透明なハナコの向こうにはスマホをいじるお姉ちゃんが座っていた。お姉ちゃんが隣にいるハナコのことを見えていないのがこっけいだった。

 ナツモト牧場は町のはずれにあるとても大きな観光牧場だ。敷地には動物園みたいにいろいろな動物がいて、手で触ったりして動物たちとふれあうことができる。それだけじゃなく、遊園地のような遊具や、アスレチック、芝生の山からソリで滑り降りるアトラクションもあって、遠くの町からも多くの人たちが遊びに来ていた。
 牧場の入り口には、赤い三角屋根の大きな建物があって、そこでチケットやお土産を売っていた。バターづくりは、そこの二階で体験できる。プラスチック製のコップを二つ合わせたような容器に、牧場で取れた牛乳と生クリームを入れて何度も振りまぜると、いつのまにかバターができるという仕組みだ。ただし、何度も振らないといけないから、腕がだんだんと疲れてくる。少し休んだら、またシャカシャカと振って、それを何度も繰り返すと容器の中に丸いかたまりができ始める。これがバターだ。さっそく、手に取ってひとくちかじってみた。
「わあ、買ってきたバターよりおいしい!」
 お父さんは、はしゃぐぼくの姿を見て、「そうだろう」と得意げな顔をした。
「ねえ、あたしも食べてみたい」
 ハナコの声が聞こえた。そうだ、バターづくりに夢中になっていたけど、今日はハナコも一緒に牧場に来ていたんだっけ。でも、ハナコは幽霊だからバターなんか食べられない。かわいそうだけど、あきらめてもらうしかない……。
 いや、一つだけ方法があった。それは、この前みたいにお姉ちゃんに憑りついて、お姉ちゃんを通してバターを味わう方法だ。でも、そんなことしたら、またお姉ちゃんの機嫌が悪くなってしまう。どうしたものかと考えていたら、ハナコがすっとお姉ちゃんのうしろにまわった。
「だめ、だめだよ、それはだめ!」
 思わず叫ぶと、ハナコはほっぺをふくらませて、すっとお姉ちゃんから離れた。そして、お姉ちゃんが不思議そうな顔をしてぼくを見た。
「なにがダメなのよ?」
「ううん、なんでもない!」
 バターづくり体験が終わると、今度はみんなで動物を見にいった。牧場はとても広くて、いろんなところにいろんな動物がいて、見て回っていたら歩き疲れてお腹が減ってきた。そこで、牧場内のバーベキュー施設にいって、みんなでお昼ご飯を食べることになった。
「ねえ、あたしも食べたい」
 またハナコの声が聞こえた。さっきのバターの件もあったし、今回もまた食べられないハナコがかわいそうだった。でもハナコは幽霊だからどうすることもできない。食べるのは我慢してと小声で伝えたら、ハナコはふてくされた顔をしてお姉ちゃんの後ろに回って、体の中に入ろうとした。
「だめー、絶対にダメー!」
 ぼくが叫ぶと、お姉ちゃんは不機嫌そうな顔をしてぼくをにらんだ。
「さっきから何がダメなのよ!」
「ううん、なんでもない……」
 ハナコはさっきと同じようにお姉ちゃんから離れて、ぼくを見てぷっと吹き出した。どうやらハナコはぼくをからかったみたいだ。
 バーベキューのあとも、アスレチックで遊んだり、広場でお父さんとボール遊びをしたり、たっぷりと楽しい時間を過ごした。ハナコも少し離れて高いところからぼくたちを見ていた。ぼくが楽しそうにすると、ハナコも笑顔になるのがわかった。

 その日の夜、布団に入ってハナコが現れるのを待った。今日は楽しいことばかりだったし、ハナコもずっと笑っていたから、きっとまた枕元にハナコが来てくれると思った。今日は楽しかったねって、二人で笑いながら話したい。そう思ってじっと布団で待っていたけど、いっこうにハナコは現れなかった。
「ねえ、ハナコ、いるんでしょ? 返事してよ」
 ハナコに呼び掛けてみたけど、何の返事もなかった。耳を澄ましても、居間でお父さんが見ている深夜のテレビ番組の音だけがかすかに聞こえてくるだけだった。
「ハナコ、どうしちゃったんだろう」
 ハナコはずっと一人ぼっちだったから、ぼくが家族と楽しそうにするのを見て、イヤな気持ちになったのかもしれない。もしかしたら、寂しくなって屋根の上で泣いてるのかもしれない。でも、夜中だし外を探しに行くこともできない。どうしようもないから今日はあきらめようと、ふとんを頭からかぶった時だった。
「ねえ、リュウタ、どうして、あたしに気が付かないの?」
 暗闇の中から、かすかにハナコの声が聞こえたような気がした。あわててふとんから顔を出して、暗い部屋を見渡したけど、どこにもハナコはいなかった。そんなはずはないと思って、真っ暗な部屋の中でじっと目を凝らすと、突然目の前にハナコがあらわれた。
「わあ、おどかさないでよ!」
「ずっとここでリュウタを呼んでたんだよ。聞こえなかったの?」
 だんだんと、ハナコの声がはっきりと聞こえるようになってきた。でも、いつもより声が小さいような気がした。しかも、注意して見ないと、ハナコの姿さえもよくわからない。今にも消えてなくなりそうなくらい透明になっていた。
「ねえ、ハナコ。もっと、大きな声でしゃべってよ。姿も透明人間みたいになってて、よく見えないよ……」
 ハナコは、自分自身の異変に気が付いたみたいだった。少し慌てた様子で自分の手や足を見ていた。
「ねえハナコ、どうしたの? なにかあったの?」
「あたし、もしかしたら天国へ行くのかもしれない……」
 どうしてってたずねると、ハナコは当時のことを話してくれた。むかしむかし、だんだんと透明になっていくハナコのお父さんとお母さんを見て、ハナコが「どうしたの」と聞いたら、「天国に行くんだよ」と答えたそうだ。すると、何日かあとにとつぜん、ハナコもおいでと言い残して両親の姿は完全に消えてしまった。それ以来、どれだけ大きな声でお父さんとお母さんを呼んでも返事の一つもなかったんだって。きっと、お父さんとお母さんは天国に行ってしまったんだって思ったそうだ。
 しかしハナコはわからなかった。どうして自分も一緒に天国に行けなかったのか。だから、ハナコは助けを待った。誰かが自分を見つけ出して助けてくれるのをずっと待っていたそうだ。
「また、あの人がやってきて、あたしのことを助けてくれるかなって思ったの……」
「あの人ってだれ?」
 ハナコは何も言わずに黙ってうつむいた。そして、少し間をあけて笑顔でぼくを見た。
「でもね、あたし天国に行けない理由が分かったの。この世に未練がたくさんありすぎたみたい……」
 聞けば、ハナコにはやり残したことがたくさんあったようだ。お父さん、お母さんと一緒にもっとたくさん遊びに行きたかった。戦争が終わったら家族で旅行に行こうねと約束していたのに、結局三人とも死んでしまった。しかも、ハナコを残してお父さんとお母さんはいなくなってしまった。戦争はもうとっくに終わったのに。
 おしゃれもしたかったし、絵も描きたかったし、まんがも読みたかった。でも、ひとりじゃなにもできない。洋服も画材も、マンガもなにも買えない。だから何十年もの間、ずっと一人ぼっちで、それができる日を待っていたそうだ。
 でも、ぼくたちがこの家に住み始めたおかげで、今日みたいに一緒に遊びに行ったり、ときにはお姉ちゃんに憑りついてマンガを読んだり、おしゃれをしたりして、やりたかったことが全部できたんだって。この世に未練がなくなったから、きっと天国の神様からお呼びがかかったんだって話してくれた。
 それなのにハナコの表情は、どことなく曇っているように見えた。
「どうしたの? うれしくないの?」
「ひとつだけ、心残りがあるの……」
「なぁに?」
「まだリュウタと二人だけであそびに行ってない」
「えっ、二人だけで……?」
「うん、二人だけで……」
 どうしよう、デートに誘われてしまった。やっぱりハナコはぼくのことが好きなんだ。
 東京の小学校にいた時、クラスの女子からバレンタインチョコレートをもらったことはあった。でも、それは義理チョコだった。そもそも女子とお付き合いをしたことなんて一度もない。もちろん、いっしょにあそびに行ったことだって一度もない。
 それに、あそびに行こうなんて言われても、どこへ行ったらいいのかわからない。おとなみたいに車に乗って遠くへお出かけもできない。どう答えようかと困っていると、そんなぼくの心の中を察したかのようにハナコが窓の方を指さした。
「明日、裏山へ行こうよ」
「えっ、裏山?」
「うん。あそこはあたしの遊び場なの」
 裏山は、この前お母さんが草刈りに行った場所だ。あそこに遊び場があるとは思えなかった。でも、ハナコがそこへ行きたいと言うなら、頭をひねってデートコースを考える必要もない。ぼくは、にっこりと笑って「じゃあ明日ね」と言うと、ハナコもにっこりと笑ってすっと消えていった。
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