7:ナイスマッスル

文字数 5,252文字

 市街地の某病院に到着した俺達は、村篠さんを先頭に中に入っていくが、御頭さんはついてこず、所要がある、とどこかに歩いていってしまった。
「今もカメラを回してるから、気をつかってるらしいのね。他の部分で気をつかってほしいんだけどねえ。ってか、やっぱり丸投げじゃないの」
 美子は自分のヘッドセットカメラにそうこぼすと、頭に取りつける。
 村篠さんが受付で話し始めた。
「え? ここって撮影OKなの?」
「まさかぁ」
 おばちゃんが手を振る。
「馴染みの人がいるから、その人のコネでねぇ。今、面談の手続きをしてるとこよぉ」
「え? でもいきなり面談なんてできるもんなんすか?」
「勿論よぉ。あの先生は話の判る人だし、何より私達に借りがあるしねぇ」
 ああ、と俺は手を打った。
「その馴染みの人は美子――マドモアゼルと繋がりがあるわけだ」
 美子が頷いた。
「前に色々とあったのよ。それにしても、どうなってるのかしらね」 

 待合室は結構な広さだったが、大勢の人がいた。だが、どうやら患者ではないらしい。受付自体は空いているのである。
「……もしかして、意識不明の人達の関係者?」
「多分そうでしょうね。あんた、耳塞いで、無駄にそこらに触るんじゃないわよ。下手をすると――」
 美子は溜息をついた。
「出番の前にここの病院にやっかいになるかもよ」
 俺はドキリとして、両手を縮めて身を竦めた。おばちゃんが笑う。
「きゃっ! いやん! みたいなポーズねぇ!」
 俺と美子は顔を見合わせ、ややあって、ぶはっと吹き出した。
 おっと、と腕で口を隠す俺。だが、美子はそれが追い打ちになったらしく、小指立ってると更に笑った。俺も自分の小指を見てツボに入ったのか笑いが止まらなくなる。美子がぎょっとした顔をしつつ、やはり両手で口を隠した。
「こ、れ――あんたの能力――」
 肩を震わして笑う美子。俺も笑いが止まらない。たまらず美子の手を取って、待合室の観葉植物の影に滑り込む。
「あ、あんた、あたしの笑いを吸い取ってこっちにぶつけてくんのやめなさいよ! とまらないでしょ!? 手を離せ~!」
「し、しらねーよ! 霊能力者なんだろ!? どうにかしろっての!」
「う、うっさいわ!! あたしゲラなのよ! 止まんないじゃないの!? 殺す気ぃ!?
「知らねーし!」
 やめようとしても相乗効果のように後から後から笑いが来る。美子の笑いが伝染して笑ってしまう。そしてそれを見て美子が笑う。いや美子の言い分では俺が笑いを流し込んでいるのか? 酷いループだ!
 これは本当に笑い死ぬのでは、と不安になった所で村篠さんに肩を叩かれた。
「ほれ、もう終わりな。三階の院長室。行くぞ」

「いやあ、美子――じゃなくてマドモアゼル! 久しぶり! あ、カメラそこ? ムラシーさん、おばちゃんさん お久しぶりですねえ!」
 いかにも医者って感じの、白髪オールバック眼鏡の常識人という初老の男性がニコニコしながら歩み寄ってきた。
「ひっさしぶりねえ、先生! あーっと、渾名はモリモリだっけ?」
 そうそうそう! とモリモリこと森下重盛先生(名札で確認)は俺達をどうぞどうぞとソファーを勧めた。ドラマの影響で、もっとごてごてした部屋を想像していたが簡素でそんなに広くない部屋だった。
 美子は森下先生の腹をいきなり小突いた。
「うわっ、カッチカチじゃないの! あれからもやってますなあ?」
 げひひ、と笑う美子に森下先生は所謂マッスルポーズをとった。
「ハマっちゃって暇見つけてはジム通い! おかげで筋肉院長とか言われちゃってさあ! ん? マドモアゼル目が赤いようだけども――」
「いや、笑いすぎたの。死ぬかと思ったわ」
「あらら、いつも大変だねえ。あ、コーヒーでいいかな? そちらのかたは?」
 俺は立ち上がってお辞儀をする。
「あ、新人の飯館――イダケンと申します。よろしくお願いいたします」
「これはご丁寧にどうも。私モリモリと申しまして――」
「いや、んな変な自己紹介合戦いらんから。あとコーヒーもいいわ。本題にズバッと入りましょう」
 森下先生はそうだね、と俺にもう一度頭を下げると机の上にあったカルテの束をテーブルに広げた。

「うちに入院しているのは十八人。学生が七人で後は社会人だね。全員が当初は痛みや刺激に対して反応を見せない深昏睡の状態にあった。だが、時間経過、具体的に言うと二時間後に全員が意識を回復――」
「意識が戻った?」
 美子が片眉を上げた。
「ってことは、喋れるの?」
「まあ、少しなら……」
 森下先生の言葉に、それは良い事なんじゃね、と俺は口を挟んだ。
「だって、原因が聞ける……んじゃないの?」
 美子と森下先生の視線に気づいて俺の語尾は小さく消えた。
「同時に意識が回復したけども、いまだに面会謝絶で家族が受付にすし詰めにされている。つまりは別の症状が出てきたかもしれないのよ」
 美子の言葉に森下先生が頷く。
「意識は戻ったけども全員が体を自由に動かせない。喋れる人も一人いるけど、片言だね。脳梗塞、全身性のジストニア、硬化症の症状に似ていると言っている医師もいる」
 詳細は判らないけれども、どれも難病だった気がする。

「で、あたしらが呼ばれたってことは、そういうことなのね」
 美子がジト目でカルテをかき回す。森下先生が溜息をついた。
「みんな頭を抱えてるよ。一人か二人ならまあわかる。だけども、これだけの数が同時発症なんて絶対におかしい。しかも検査の結果は身体的に異常が無いんだ。全くの健康体なのに体が動かないわけだ。看護婦の一人が『祟りだわ』なんて休憩室で言ってたけどね、私も正直そっちの可能性が高いんじゃないかと思ってる」
 美子はカルテを二枚抜き出すと俺の前に滑らせた。
「どう思う?」
「どうって、俺が見ても意味が……」
 俺は手に取ると目を通す。両方女性で、年齢は中年くらい。身長体重はバラバラ――
「職場が同じ?」
 美子が頷く。森下先生がどれ、とカルテをとる。
「確かに同じだね。ああっと――ここのスーパーなら――」
 森下先生がカルテを更に一枚取り上げる。
「この子は親がこのスーパーに勤めてるね。学生だな。他の病院にも照会するかい?」
「是非そうしてちょうだい! おばちゃん、なんか感じる?」
 おばちゃんはずっと(うつむ)いて座っていたが、サングラスを外して顔を上げた。驚いたことに黒目が無く真っ白だった。
「外部からの接触、及びこの病院内でも霊的な動きは無しねぇ。……地下に何かあるぅ? そこにちょっといるけども、脅かすぐらいの連中かなぁ」
 森下先生は、スマホでメールを送ると、ああと顔を歪めた。
「そこには霊安室があるね。後でお祓いをしておこうかな」
「必要ないわ。むしろいなくなったらもっと悪いのが流れ込んでくるかもしれないわよ」
 そういうものなの、と美子に聞くと、彼女はカルテを睨みながら頷いた。
「白河の清き流れに魚住まずってね。この世界で人が死んでない場所なんてないのよ。そういうワダカマリはどこにでもあって、それでバランスが取れてるの」
「じゃあ、あの廃墟はバランスが崩れてたわけだ」
「そういうこと。モリモリ、ムラシーにさっきの三枚まわして」

 村篠さんはカルテを受け取ると、タブレットを取り出し地図ソフトを立ち上げた。職場の場所が表示される。
 スーパー山羽逸見町店。
 大通りに面した駐車場の大きな店だ。周囲は水田で、裏には線路が一本通っており、そばに細い道が一本ある。
 森下先生のスマホが鳴った。
「同じスーパーの店員一名が他の病院に入院しているね」
 美子はふむと頷くと、カルテを更に無造作に三枚抜き取り、村篠さんの前に滑らせた。
「この人達の勤め先も」
 村篠さんが入力すると、地図は少し広い範囲が表示された。思いのほか三人の勤め先はスーパー山羽に近かった。
「……このスーパーで何かあったってこと?」
 美子はソファーに深くもたれた。
「例えば現在進行形の呪術の類ならば、常時対象者に霊的な接触があるわけ。わかる?」
「それは――バックドア付けてハッキングするようなもんか?」
 美子は、それよ! と俺の腿を叩く。
「うまい事言うわね! で、今回はそれがどうやらない」
 おばちゃんが、完全にないわぁと声をあげる。美子がこりゃ失礼っと軽く流すと続けた。
「となれば、これだけの規模なら何かに障ったのかってことになる。祟りとかそんなのね」
「それは――今時そんな祟りとか起こす物ってあるのか?」
 美子はうんうんと頷く。
「ご質問ごもっとも! 勿論昔よりも数は減ったって聞くわね。でも、あたしに言わせりゃ、より厄介になったってとこよ。つまり、影響の弱い奴、中途半端な奴はとっくに祓われたり遺棄されたり賞味期限が切れてたりする」

「祟りの賞味期限!?

 いやいや、と手を振って美子は訳知り顔で何度も頷いた。
「妙に聞こえるけど、これって結構そのままの意味よ。大体さ、弥生時代の祟りなんて聞いたことある? ないでしょ? 江戸時代、戦国時代も最近はあまり聞かなくなってきたでしょ? 鎧武者云々の幽霊だって少なくなってきたしね」
 ああ、と俺は腕を組んだ。実話怪談等でそういうネタが流行らなくなってきただけだと思っていたが、実際に期限切れになっていたわけか。
「つまり無意識に俺達は警戒を解いていたわけ?」
「そんなとこね。でもね、それでも残っている奴ってのは相当ヤバいわけよ。あと人の口にのぼらない奴ね。なんでかわかる?」
「凄い霊能力者が封印したんで、秘密になっているとか?」
「そういうのもあるけども、もっと簡単に考えて」
「……関係者一同、全員お亡くなりに、とか」
 そうよ、と美子は頷く。
「封印した云々のやつは噂に尾ひれがついてて眉唾な奴が多いんだけども、そういう凶悪な野放しの奴は怖いわよ。見ただけで、聞いただけで、下手すりゃ知っただけでどんなに遠距離だろうと殺しに来るのもいる」
 俺と森下先生がごくりと唾を飲む。
「……こ、今回もそういう――」
 森下先生の質問に美子は唇をごしごしと擦った。どうやら考え込むとき、体の一部を擦ったりする癖があるようだ。

「ちょっと違う感じね……症状に思い当たるものがあると言えばあるけども……モリモリ、やっぱコーヒーお願いできる?」
 森下先生は、頷くとギクシャクとした動きで立ち上がって部屋の外に出ていった。
「……前にモリモリが厄介なのに憑かれたことがあったのよ」
 ああ、と俺。
「その時以来の縁なんだ。で、そういうのって――」
 俺は声を潜めた。
「聞いていいもんなの? カメラとかで撮っても?」
 美子はべっつにダイジョブよ、とからからと笑った。
「モリモリ自身の問題じゃなくて、通り魔みたいなやつだったからね。ともかくモリモリを寝せないって奴だった。寝れば金縛りやら嫌な幻覚、みたいな?」
「で、そいつをマドモアゼルがびしーっ! と?」

「いやいや、めんどいんでモリモリにコツを教えたったの。筋トレしなさいって」
「……は? 筋トレ?」

 いい、と美子はソファーから身を起こすと内緒の話を打ち明けるように声を潜め、俺に顔を近づけた。
「ここだけの話、金縛りって大体が心身の不調が原因なわけ。そこに付け込んでくる連中がいるから話がややこしくなってくるのよ。で、モリモリには寝る前にストレッチと筋トレしろと言ったわけ。そうすりゃ眠りが深くなるし、金縛りにあっても対処できるのよ」
「き、筋トレで金縛りに対処?」
「上から抑えつけられるって言ってたからね、『じゃあ、腹筋で返せ!』って」

 俺は想像した。

 深夜。ベッドの上で苦しそうな森下先生。
 その上には薄ぼんやりした黒い影が(うごめ)いている。
 だが、突然森下先生は目をカット見開き、ぐぐっとブリッジを始めるのだ。動揺する黒い影をよそに森下先生は自分との戦いを始める。
 ナイスマッスル! 
 腹筋段々畑だよ! 
 そんな脳内の声援を耳に森下先生は奇麗なブリッジを決め、そのまま上体を起こし始める。黒い影はいつの間にか霧散して――

 ぱんぱんっと太腿を叩かれ、俺は我に返った。美子が姿勢を低くして俺を睨んでいる。
「あんた、カルテかソファーの残り滓からモリモリの何かを読んだわね? 瞳孔が開いてたわよ」
 俺はぎょっとして身を竦める。
「え? い、いや、今ちょっと妄想をして、その――」
「バカッ、完全に意識が飛んでたわよ! あんまり無造作に読むと何が起きるか――で、何が見えたの?」
「……森下先生が脳内応援に励まされながら――」
「ふぐっ!? ――――の、のうないおう、えんて、ど、どんな?」
「いや、『キレてるキレてるキレまくり』とか『モリちゃんナイスマッスル』とか、こうアイドルとかの声でさ、んでブリッジを決めて悪霊を追い払って――」
 うおっと声がした。森下先生がコーヒーを乗せたお盆をもってドアの所に立っていた。
「それが彼の能力かい!? たしかにあの夜そのままだよ!」
 俺はドキリとしたが、美子はソファーに突っ伏してゲラゲラ笑っていた。
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