第1話

文字数 5,000文字

「今週、全然寝てないんだよねぇ」
「えー、大丈夫?」
 そんな女子高生の会話が聞こえる。そういう私も女子高生なのだが、彼女たちとは学校が違うし、見た目も大分違う。ここが通学電車でなければ、花のようなルックスのモテ系女と私のような地味ブスが服が擦れそうな距離まで近づくこともないだろう。
「三日で三時間しか寝てないよぉ。やばいやばい」
 彼女はへらへら笑って言う。
 盛ってるな、と私は思った。
 ガタンと電車が揺れた。持っていた吊り革で支えることはできたが、私は少し体をぐらつかせた。隣の彼女と、腕同士があたった。
「うっ……。あれ、なんか……」
 急に彼女の顔が青くなった。ばっちり開いていた目が閉じかかり、その下にどす黒い隈があらわれた。
「きつっ……。めちゃ眠い……」
「ほら、三日で三時間ならそうなるって」
 ふらつく体をもう一人に支えられて、彼女は降車駅でおりていった。
 嘘の現実化。私の持つ超能力だ。
 他人が嘘をついて十秒以内に体に触れることで、その嘘を実現させる。
 この能力に気づいたのは中学の頃だが、嘘をついた人間に触れる機会がなかっただけで、実は生まれたときから備わっていたのかもしれない。
「今日のテストやばい〜。全然勉強してないもん」
 男子高校生の二人組が乗ってきた。
 半ば衝動的に、私は喋っていた彼に足をぶつけた。
「ごめんなさい」
 そう言ったが、彼は聞こえていないようだった。間の抜けた表情で空中をぼんやり見ていた。知識、自信、大切な諸々が抜け落ちた顔。
「あれ……俺まじで全然勉強してないかも……」
 と言った。相手に「はあ?」と返されていた。
 降車駅について、私は電車をおりた。
 くだらない嘘ばかりだ、この世の中は。

 駅を出て、繁華街を歩いて学校へ。
 ちなみにこの能力、作為的な利用はできない。中学の頃に母や兄で散々試したが、私が嘘を言わせて触ってもそれは実現しないのだ。理由はわからない。嘘を言わせたからだめなのか、相手に能力のことを喋ったからだめなのか。もしそれができていたら、宝くじを当てて今頃大金持ちだったのだが、結果何も起きなかったので私は未だに家族から中二病と思われている。
 学校についた。廊下を歩き、教室の騒がしい声が聞こえた途端、溜息がでた。
 人に嘘は必要不可欠といっていい。保身や虚飾だけでなく、お世辞や社交辞令、建前……世の中を円滑に回すために、誰でも大なり小なり嘘をついて生きている。
 だが稀に、あきらかに不要な嘘を、呼吸をするようにつく奴が存在する。
「俺は医者になるぜーっ!」
 こいつだ。クラスメイトの堀尾。無駄に髪の毛を立てた、高校デビューの失敗作のような男だ。でも聞いたところ、小学生からずっとこのキャラらしい。
「俺は家族親戚みんな医者だからな! なるしかないだろこれは! 第一希望、医者! 第二希望、医者! 第三希望、医者!」
 堀尾は教壇にて、そのように書かれた進路調査票を掲げた。
「お前の家、八百屋だろ」
 と誰かが言った。
「ホラオ、ホラってんじゃねー」
 他の誰かが言った。
「……ふっ」
 嘘というより、本人の中ではギャグだったのか、堀尾はネタが滑ったような苦笑いをしたが、すぐに気を取り直したかのように、
「おいおいそんなことよりインターネットに代わる新しい通信技術のアイデアを思いついたんだ。こりゃノーベル賞とれるぞ」
 ……こいつの嘘はでかすぎる。
 実現したら余波的に何が起きるかわからなくて怖いし、また本人が得するようなことばかりのため、触る気にはならない。爆弾だ、私にとっては。いつものように、距離をとりながら自席へ向かう。
「おっ、真琴」
 見つかった。しかしなんでこいつは女子を全員名前で呼ぶんだ、そして、
「今日もかわいいな!」
 なぜ必ずこれを言うんだ。信用ゼロのホラ吹きに言われても誰も喜ばないし。かわいいとか、中学で男子が作った顔面ランク最下位の私にとっては拷問でしかない。
 ……だけど、
 私は静かに視線をやる。全く悪びれない顔で彼は私を見ている。
 ……今触れば、私は美人になる。
 その考えを打ち消すように首を振った。なってどうする。ブスがいきなり美人になって、整形かと思われる。逆に見苦しい。
「適当言うな、ホラオ……」
 雑に言って席についた。

 日曜だ。今日は選挙の日で、リビングのテレビでは候補者がいかにも口だけであろう公約を掲げている。
『消費税ゼロを約束します! 国民の皆様に負担はかけません! どうか私に一票を! ゼロ、ゼロ、消費税ゼローーーーーッ!!』
 ……触りにいこうかな。
 ソファーでポテチを食べながら私は思った。
 そのとき、テレビにノイズが走った。すぐに直ったので気にしなかったが、直後ガタガタと部屋が揺れた。地震か、久しぶりだな、と思っていると、急にCMが入って、かと思えば誰もいないスタジオが映されて、さらに画面が二転三転した末に真っ黒になり、
『今』
 と声がした。
 そして私は、画面上に緊急速報が流れながらアナウンサーが同一のニュースを読むという、混乱の極みのような様相を目にすることとなった。
『今、シカゴに巨大隕石が落下……。アメリカ大陸が消滅したと報告が』
 よく知った女性アナウンサーだったが、哀れなほどに取り乱していた。
『え? さらに、えっえっ、な、なさの、NASAの観測で、同様の隕石が数百、地球に向かっていることがわかりました。えっ、ええっ』
 チャンネルを回したが、どこも同様の状態だった。
 ……え、これ、やばいんじゃ。
「おい真琴、これマジか」
 リビングに入ってきた、角刈りで野獣のような兄が、今は去勢後のような覇気のなさで言った。
「映画じゃないわよね……」
 母も自室から出てきて、深刻な顔で言った。
 マンションの他の部屋で上がったような悲鳴や泣き声が聞こえてきた。何を考えているのかわからないが、なぜか気持ちは痛いほどわかる奇声も、色んな方角から聞こえた。
 押し寄せる終末感から逃げるようにして、私は携帯を手に、ネットの掲示板を開く。リアルがどんなにパニックを起こしても、ここは冷静なはず……。
 ではなかった。ある意味リアルより酷かった。普段は煽り合いしかない雑談スレッドが、『さようなら』『今までありがとう』の書き込みで埋め尽くされていた。
 ……えっ、……終わり?
 数百の隕石が落ちて、地球終わり? 助からないよね、これ。……ははっ。ははははは。
 人生おわりか! 私、ブスなままおわり! はははっ……。
 涙が出た。それでやっとわかった。私はブスが嫌だったんだ。
 かわいくて華やかな女子高生になりたかった。変に拘ってないで美人になっておけばよかった。オシャレして、青春しておけばよかった……。
 私は家族に涙を見られないように顔を俯けた。
「なあ、これ、実は別に騒ぐほどのことじゃないんだろ。みんな助かるんだろ? なあ……誰かそう言ってくれよ、嘘でもいいから!」
 兄が咆哮した。
「言えるわけないわよ! どう考えても終わりなのに!」
 母がヒステリックに叫んだ。
 ……嘘でもいいから……。嘘……。
 私は涙に濡れた目を見ひらいた。
 ……いや、嘘でいいんだ。その嘘つきに私が触れば、それは真実になる。
 気づけば走り出して、外に出ていた。マンションの階段をおりて、また走る。道では誰もが絶望の叫びをあげている。裸になっている人もいる。ヤケになる気持ちはわかる。でも、嘘でいい、助かるって口で言ってる人はいないのか。――いない。無理もない。それどころじゃないんだ。みんな恐怖に潰されそうになりながら、残りの時間の過ごし方を必死で考えている。助かるなんて言って何になる。誰もが言ってほしいだろう。でも言う奴なんていない。みんな、自分のことで精一杯で……。
「……いた」
 瞬間去来したひらめきに、私は立ち止まった。
「この状況で、嘘をつける人間……」

 道を走る車はまばらで、しかし猛スピードで爆走するものが度々いた。『私たちの残り時間は、あと十分程と予測されています……』ラジオでアナウンサーが言っていた。人々は、最期の時を動かずに過ごすと決めた者、大切な誰かの元へと急ぐ者、二つにわかれたのだろう。
「代金はいらないよ」
 タクシードライバーの中年はぶっきらぼうに言った。
 私は歩道におりて頭を下げた。
 そして走った。駅前繁華街は狂騒のさなかにあった。誰もが酒を飲み、歌をうたい、店の商品を投げ合い、涙を流し……。
 少し時間がかかりすぎていた。クラスメイトにメールをして、聞いた自宅に電話をかけて、そうしてたどり着いたのがここだ。あいつは最初の速報を知ってすぐ街に出ていた。
「堀尾」
 すぐに見つけた。彼は広場前のビル屋上にいた。
「みんな、聞いてくれ!」
 そう声を張り上げた。
「俺は……俺は、そう、神の力を手に入れた! 今からこの災害を消してやる!」
 少し笑い調子の堀尾に、観衆の冷めた反応は当然といえた。
「なんだあいつ」
「不謹慎だぞ!」
 彼は罵られ、冷たい目を向けられ、
「ならやってみろよ、今すぐ」
 と言われた。
 堀尾はいつものように苦笑しながら、
「ちょ、ちょっと待ってくれ! あと一分ぐらいかかる!」
「ふざけるな」
 野次が飛んだ。
「一分たっても何もなかったらそこから飛び降りろ!」
 私は駆け出した。人だかりで埋まった店舗入口ではなく、裏の非常階段へ。柵を乗り越えて駆け上がる。
 わかった気がする
 あいつは、人のために嘘をつく。ただ場を盛り上げるため、絶望を打ち消すため。だからつくのは誰かが得する嘘ばかりで、こんな最悪な状況でも平気ででかい嘘がつけるんだ。
「四五、四四、四三……」
 酔っ払い達のえげつないノリだ。飛び降りのカウントダウンが聞こえる。そして……追い打ちのように空には、凄いスピードで大きくなっていく光の玉が見えた。
 封鎖チェーンを飛び越えて屋上へあがった。堀尾の横顔から、笑みは消えかかっていた。代わりに浮かんだのは、紛れもない恐怖だった。しかし彼は、
「うっ、ううううううう……!」
 むりやりに、本当にむりやりに笑顔を作って、叫んだ。
「安心しろ! こんな隕石、全部、なかったことにするから!!」
 硬直する彼の手を、私は勢い任せにつかんだ。
 閃光が走った。
 花火のように光が空を彩った。
 そこにもう、隕石はなかった。
『い、今…………ッ』
 しばらくして、街頭ビジョンから女性アナウンサーの上ずった声がした。
『隕石が、全て消滅しました。一体、何が……。えっ? はい? あ、あの、こちら、衛生からのリアルタイム映像です。アメリカ大陸が……あります!! あっ、あはっ……あはは』
 アナウンサーの、スタジオの、街の人々の、歓喜の声がきこえてきた。
 私は手を離して、長いため息をついた。
 堀尾はきょろきょろとして、状況についていけてないようだった。そして後ろの私に気づき、
「真琴? なんでここに?…………まあいいや。今日もかわいいな」
 私は肩を揺らして笑った。
 そして思った。……今触れば、私はかわいくて華やかな女子高生になれる。
 ビルの下では、誰もが抱き合い、涙を流して喜んでいる。……私も正直になろう。
 彼の腕に触れた。そして私は自分でも驚くようなスピードで踵を返し、屋上入口ドアの窓に顔を映した。
 ブスなままの私がいた。
「かわってない」
 呆然とした。
「かわいくなってない」
 え、じゃあ。
 私は振り返り、首を傾げる堀尾を見た。
 かわいいって、本音だったのかよ。
 う……。
 そうして急にしゃがみ込んだ私に、堀尾は「どうした?」と声をかける。
「うるさい。おまえはずるい……」
「はあ?」
「嘘つきは嘘だけついてればいいのに……」
 私は頬をおさえる。
「何いってんだ?」
 さっきまでの嘘みたいな現実は、もっとでかいホラ吹きの嘘によって消え去った。
 そして今は……、
「う……、うーーーーーっ」
 一番信じがたいこの熱さが、どうしようもなく私の現実なのだった。
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