第1話

文字数 2,386文字

幾つものランプが燈された部屋は、喧騒に包まれている。
空気を震わせるほどの騒がしさの理由は簡単だ。
この部屋の机に置かれた黒電話が、遠慮がちに、されどひっきりなしに呼び鈴を鳴らし続けているからだ。
「はいは~い、こちらはWriter Notesでーす!」
電話の応対をしているのは、喪服のように真っ黒な背広をだらし無く着崩した男。
ぼさぼさの髪を整えることもせず、椅子にも座らず、大きなアンティークデスクに横たわって電話の応対をしている姿は、誰が見ても「いい加減」の一言に尽きるだろう。
だが男は気にしない。
鳴り続ける電話の受話器を取っては適当に耳に当て、お決まりの挨拶を返すだけだ。
「はい……、はぁ……。……いえ、うち新聞は取ってるんで」
どうやら今の電話は間違い電話だったらしい。
男は明らかに受話器を取った時よりも低いテンションで受話器を置く。ちん、と控えめにおしまいの合図が鳴りはするが、その直後にはまた電話が鳴り始める。
ジリリリ、ジリリリ、と間断なくなり続ける電話。しかもこの電話は男が再び受話器を取るまで鳴りやむことはない。
「あぁ~、もう……」
頭をボリボリと掻きむしりながら、鳴り響く電話を男は取ろうともしない。それでも電話は鳴りつづけ、止まる気配は一行に見せない。
だんだんと男の眉間にしわが寄ってくる。だが電話が男を気遣うわけもなく、ただひたすらに鳴り続ける。
ジリリリリ、ジリリリリ
男はまだ取らない。
ジリリリリ、ジリリリリ
男は電話からそっぽを向くように天井を見上げる。
ジリリリリ、ジリリリリ
男は――



「だから……、あぁ~………、うるさぁい!」



ついに男はキレた。
机の上にある電話をしかるように怒鳴りかえし、机からぴょんっと飛びおりる。
そのままくるりとその場でターンして電話に向かい合って見せれば、電話はいつの間にか静かになっていた。
その様子に満足した男は息を一つ付き、部屋に備え付けているソファの上に寝転びなおす。
その際、ソファの上に乱雑に置かれていた書類が床に落ちるが、男にとってそれらはさほど重要なことではない。
ソファに寝転んだまま、視線だけでぐるりと部屋の中を見回す。

古びた本棚。
大きなアンティークデスク。
今は沈黙を守る置物と化した黒電話。
そして散乱する、一面の書類の山。

男にとってはすっかり見慣れた風景であるはずなのに、いつもと違う視点から部屋を見ているせいか、どこか新鮮な感じであった。その事に知らず、男の頬の筋肉がゆるむ。
不意に、かつん、かつんと軽い靴音が響いてくる。
耳をそば立ててよく聞けば、ゆっくりとした足取りでこの部屋に向かっているようだった。
その事実に、更に男の表情が明るいものとなる。
「……なにやってんですか」
きぃ、と丁寧な動作で開けられた扉から、控えめな声が聞こえてくる。あえて男が聞こえない振りをすれば、声の主は呆れたようにため息を漏らす。
「聞こえましたよ、社長の怒鳴り声。たくっ……、今度こそ電話壊したりしてないでしょうね」
ボーイソプラノにしては少し高く、女の子にしては少し低い声。
普段の男――社長であればずっと聞いていたいと思うような心地いい声音は、されど今はちくちくと針を刺すように社長を責める。いつまでも聞いていたい音は、されど内容までは優しくはない。
「大体なんです? 社長が電話止めるって。仕事放棄も甚だしい……。仕事というのは一度ストップさせると後が大変なんですよ? そのしわ寄せは誰に来ると思ってるんです?」
「……だって、電話うるさかったんだもん」
「僕より年上のくせに「もん」とか言わないでください。なんかひたすらにいらっとします」
社長の小声にも、適格な返しは止まらない。
社長の怠惰さとは裏腹に、声の主は実に仕事熱心な性質の持ち主なのだ。
勿論、だからといって普段から誰に対しても厳しさを求めるわけではない――が、相手が社長となれば話は別だ。
つまり、社長がぼちぼちと止めの一言を口にしないと、おそらく半永久的にそのお小言は続いていく。
「だから電話に変えた時、僕も正直どうなんだろうってちょっとだけ思ってたんですよ。だって書面なら、ある程度自分のペースといいますか。自分のやりたい分量をやろうと思えるタイミングでできるじゃないですか。けどそれに対して電話は……」
「でもさ~」
「……でもって、何が」
「ははっ。でもさ」
ふわぁとあくびを一つこぼし、社長はソファから起き上がる。そうすれば、いつの間に近くにまでやってきていたのか。社長のすぐ足元に、いつものごとくまっすぐに背筋を伸ばした声の主と向き合うことになる。
声の主は一見して、少年のようであった。
薄暗い室内でさえ輝く、月光のような金髪。宝石よりも鮮やかなエメラルドの瞳は不満気に細められ、社長を見下ろしている。先ほどまで自分もデスクワークをしていただろうに、白カッターにも黒パンツにもしわ一つない辺り声の主の性格を表しているようだ。

「もし面倒なことが起きても、トゥルーが手伝ってくれるもの」

そう言って社長はにっこりと声の主――、トゥルーに微笑みかける。
トゥルーは一瞬、社長の言葉の意味が分からなかったのだろう。しばらくの間ぽかんと突っ立て、その瞳を数回ぱちぱちと瞬きをさせる。そんな幼い動作のトゥルーに社長は苦笑しながら、言葉を続ける。
「何かあっても君がいれば安心ってことだよ。――もっとちゃんと喜んでくれて良いんだよ?」
最後までしっかり、これでもかと丁寧に告げてやった数秒後。ようやく意味を理解したトゥルーの顔が、一気に真っ赤に染めあがった。
その様子に、社長はいたずらが成功した時のように、つい口元を手で覆いながらも笑いは止められない。
ようやくトゥルーにとって不本意なその笑いを社長が収めることができたのは、散々にトゥルーがすねきった後のことだった。

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