口裂け女VSコロナ禍の人々

文字数 1,969文字

「ワタシ、キレイ?」
 深夜、わたくしは道行く女性に声をかけました。

「すいません、急いでいるので」
 女性は怯えた様子もなく、ただただ迷惑そうな顔で去っていきました。

 わたくしは、呆然とその背中を見送りました。



「ワタシ、キレイ?」
 今度は男性に声をかけます。

「あ、ちょっと密なんで離れて貰えますか?」
 手でちょっと待ったポーズをされたので五メートルほど距離を取ります。

「ワタシ、キレイ……?」
 改めて尋ね直しますと、男性は目を眇めました。

「悪いけど、よく見えないなぁ」
 男性が去っていきます。これだけ離れていると街灯のない夜道では顔など認識することできません。

 遠くから追い討ちのように「見える訳ないじゃん」という呟きが聞こえました。



「ワタシ、キレイ?」
 それならばと視界が良好な逢魔が時(夕方)に、お爺さんに声をかけます。

「すまんのう? よく聞こえんのじゃ?」
ワ、タ、シ、キ、レ、イ?
「最近、タワシは食べておらんのう……」

 遠くから「行方不明者を捜索しています」とのアナウンスが聞こえたため、最寄りの警察署に通報しました。



「ワタシ、キレイ?」
 わたくし、今度こそはとお兄さんに声をかけました。

「はぁ、多分?」
「コレデモ?」
 嬉しくなってマスクを外します。

「突然、マスク外すなよ! 迷惑な女だな!」
 お兄さんはそっぽを向いて声を荒げると去っていきました。

 それを見送ったわたくしは、その場に崩れ落ちました。




「こんな生活、もういやぁ……」
 溢れ出る感情を抑え切れず、手で顔を覆って泣いてしまいました。

 昔は良かった。真夏にマスクをしている人なんていませんでした。なにせ夏にマスクをしているのなんて病人か、犯罪者か、口裂け女くらいです。病人は夜中に出歩きませんから、犯罪者か口裂け女の二択です。その上、真っ黒なロングコートを着ていたら怪しさ抜群。暗闇ですれ違っただけでビクッとしてくれました。

 今は違います。老若男女年中無休でマスクをしています。むしろマスクをしていない人を警戒するのです。

 一時期はもっとひどかった。普段愛用していたマスクが突然、手に入らなくなり、外に出ることさえままなりませんでした。

 ようやく入荷したと思ったら、社会的距離(ソーシャルディスタンス)なるルールが取り決められ、一定以上、近づくことが許されなくなりました。

 正直、口裂け女は近くで見てもらわないと迫力に欠けます。顔を隠していても、美人だと思われるようにモデル体型で生まれてきます。天然の八頭身です。忘年会で菜々緒ポーズとかやると大ウケです。

 要するに顔が小さすぎて、離れるとよく見えないのです。

 緊急事態宣言だか何だかで人通りもまばらな昨今、努力と執念で夜中にうろついている獲物に近づくのですが、マスクを外した瞬間アウトです。犯罪者扱いされて相手にしてもらえません。

 わたくしは犯罪者でも感染者でもありません。
 もっと恐ろしい妖怪(バケモノ)です!

 わたくしが座り込んだまま泣いていると、声をかけられました。

「あの、お姉さん大丈夫?」
 振り返ると、学習塾の鞄を背負った男の子がおりました。

 子供です。彼らは警戒心が薄く、好奇心旺盛で、それでいて反応が素直なので、わたくしたち怖がらせ系妖怪の大好物です。

 しかし、子供は夜に出歩くことはなく、近年は犯罪に巻き込まれないよう送迎や集団下校が徹底されているため一人でいることはなくなりました。絶滅危惧種と言うべき貴重な存在です。

 時間帯を移したおかげでしょうか。もしかしたら毎日、頑張って口裂けているわたくしへの神様からの贈り物かもしれませんね。

「……ワタシ、キレイ?」
 わたくしはさっそく尋ねました。

「悲しいの? このハンカチ、使う?」
「ううん、そうじゃなくて……キレイかどうか聞きたくて……」
「僕でよかったら話、聞くよ。他人のほうが話しやすいこともあるかもだし」
「そうじゃなくて、キレイって……」
「はい、これでよし」
 ハンカチを受け取らないでいると、少年はわたくしの目に浮かんだ涙を拭き取ってくれました。なんて心の優しい子でしょう。また泣きそうです。

「……お願い……キレイって言って……」
 わたくしが懇願すると、少年は微笑みながらこう言ってくれました。

「お姉さんはキレイですよ」
「コレデm――」
 マスクに手をかけると、少年はわたくしの手にそっと触れました。

「僕にはまだ難しいことはよく分からないけれど、顔に傷があることを気にするような男性、別れて正解だと思うよ」
「あ、」
 少年は、わたくしの頭をポンポンすると立ち上がりました。

「……あの、ハンカチ」
「あげる! 傷ついたキレイなお姉さんに、僕からのプレゼント!」

 わたくしは、頬を赤らめながら走り去っていく、小さなジェントルマンを見送りました。

 コロナ禍もたまには悪くないかも、と思うわたくしでございました。
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