5話 松永久秀とメンチカツと

文字数 4,337文字

 ——パチリ

「……ぐっ。そんな手を使うのか、久秀」

「ぬっはっはっは! お前は昔からそんな甘いことを言っておったのかっ。全く変わっておらんなぁっ!」

 悔しそうに歪む信長さんの顔を愉快そうに笑ってみている白髪(ロマンスグレー)の少し渋いオジサンが松永久秀さんである。

 松永久秀さん——
 戦国時代きっての梟雄(きょうゆう)と呼ばれる大悪党。
 信長さんを三度も裏切ったり、当時の将軍・足利義輝さんを襲撃し殺害してしまったりとした人である。
 最後は自爆という手段で自らの命を絶ったという壮絶な人なんだけれど……

 わたしの前にいる松永さんは本当にただの渋いオジサンにしかみえない。

 そんな松永さんと信長さんは、我が家に来てからずっと将棋をさしている。

「——王手っ!」

 パチリと激しく音をさせて、松永さんは信長さんの「王将」の前に自分の駒を置いた。

「ぐ……ええいっ、もう一度だ、久秀っ!」

 ちょっと機嫌悪そうに信長さんは基盤の上の駒をぐちゃぐちゃにかき回して、また交互に並べ始めだした。

「ぬははははっ! この久秀何度も勝負を受けてやろではないか」

 そんな信長さんをみて、松永さんはますます愉快そうに笑いだした。

「ねえ、信長さん。これで何度目です?」

「ぐっ……何度目かなんてもう関係ない。俺が勝つまでやってやる」

「……本当に負けず嫌いなんだから、信長さんは」

「ぬっはっはっはっ! この負けず嫌いも昔から変わらぬなぁ」

 松永さんの笑い声が癪にさわるのか。
 笑うたびに信長さんの眉の端がピクピクと動いている。

「さあ、並べたぞ! 始めるぞ、久秀っ!」

「ぬははは……また負け姿を堪能させてもらうとするか」

 松永さんは不敵に微笑んで、手の中にある駒をチャリチャリと鳴らしていた。

「はぁ……勝負まだまだかかりそうですし。わたしは晩ごはんの準備してきますね」

「おう、お嬢ちゃん。是非、わしにも美味い飯を頼んだぞ」

「はーいっ。もちろん期待しててくださいね」

 わたしは松永さんに答えると、キッチンへと向かうのだけれど。

 信長さんは真剣な表情で将棋盤を睨んでいた。
 わたしの声にも反応しないだなんて、よっぽど勝ちたいんだろう。
 そんな信長さんのためにも、美味しい晩ごはんを作ってやらねば、だ。


 ◇


 お気に入りのエプロンを身にまとい、冷蔵庫から食材を取り出す。

 キッチンに並べられた、卵、キャベツ、玉ねぎに合い挽き肉。

「じゃ、作っていきますか」

 まずは玉ねぎとキャベツを粗みじん切りにする。

 切ったキャベツと玉ねぎをボウルに移し、そこに溶き卵、塩胡椒に合い挽きを入れ、粘りが出るまでよ〜くかき混ぜる。

「……うん。これくらい粘り気があれば大丈夫かな」

 そして次に具材を丸めたら、平ら潰して小判形に整える。
 もちろんこれを人数分作る必要があるのだよ。

 具材に直接小麦粉をふり、手で軽くたたきつけるようにして、まんべんなくまぶしていく。
 小麦粉をまぶしたら具材を溶き卵にくぐらせ、パン粉をまぶす。

「さてと……次はいよいよ揚げていきますかっと」

 フライパンに油を入れて、170度まで熱したら具材を投入する。
 ここで一気に多くの数を投入すると油の温度が下がってしまうから、まずは3個ずつ入れていくしよう。

 ——じゅわっ! 

 油の跳ねる音の後には、カラカラ〜っと衣が揚がっていく心地い音が続く。
 この揚げられる音と匂いが、いっつもわたしのお腹を刺激するのだよ。

「んふふ〜……本っ当に辛抱たまんないっ」

 揚げている具材がどんどん狐色に変わっていくのも、またわたしの食欲を刺激してくれる。

 途中で上下ひっくり返して、約8分ほど揚げれば——

「メンチカツの出来上がりだけれど……」

 居間の方へ目をやると、まだ二人の対局は続いているようだ。

「もう少し続きそうだし……残りのメンチカツも揚げちゃっかな」

 材料はまだ幾分か残っているから、信長さんとわたしの追加分のメンチカツを揚げることにした。


 ◇


「ほほぉ〜これがメンチカツという料理か。なんとも美しい色合いに匂い……これだけで美味い食い物だとわかるわ」

 お皿に盛られたメンチカツを掲げて、松永さんは感嘆の声を上げている。

「——それで、今度は将棋勝てたんですか、信長さん?」

「……また負けた」

 テーブルに頬杖をついた信長さんは、ぶすっとした仏頂面で不機嫌そうに呟いた。

 いつもなら料理を目の前にすれば満面の笑みを浮かべるんだけれど。
 松永さんに勝てないのがよほど悔しいらしい。

「ぬはははっ。いつも信長に将棋でしてやられてるわしだが……信長に常勝できるとは胸がすく思いだわっ!」

 信長さんをみて、不敵な笑みを浮かべる松永さん。
 先の時代の信長さんに将棋で負けてるから、今の若い信長さんに勝つことで、将棋の負けの鬱憤を晴らしているんじゃないの? と勘繰ってしまう。

「ちっ……飯を喰ったらもう一勝負だ、久秀。お前が負けるまで帰すつもりはないぞ」

「ぬははは! わしに勝つまでとな? それは一生帰れないということかな、信長よ」

 言って、松永さんは体を揺すって愉快そうに笑い出してる。

「なんとでも言え。あとで吠え面をかいてもしらんぞ……?」

 松永さんを睨む信長さんは不敵な笑いをしてるし。

 テーブルを挟んで対峙する二人の間には、火花がバチバチと散っているようにわたしにはそう見えた。

「あのですね。とりあえずご飯にしません? 食べないならわたし一人で全部食べちゃいますよ?」

「ぬっ! それは渡さんっ!」

 わたしから信長さんはお皿を素早く奪いとり——

「油断も隙もない女だな、お前は……これは俺の飯だから誰にも渡さんぞっ!」

 わたしを睨みつけながら、腕でしっかりと囲ってお皿をしっかりと守っている。

「はいはい。誰も信長さんのには手を出しませんから」

「——ならばいい」

「はいはい。じゃあいただきましょうっ」

 言って、パクリとわたしはメンチカツをかじった。

「んんんんん〜〜っ!」

 ざくりとした食感から中はふわっと柔らかい。
 衣に閉じ込められたお肉からは、これでもかってくらい肉汁が口の中に溢れ出してくる。

「はぁ……幸せの味……」

 自分の表情は見えないけれど。
 わたし今、うっとりとした表情でお皿のメンチカツを眺めているはずだ。

「くぅ……ここに来るようになってから肉の旨さに気づいたが……やはり倫が作る飯に(かな)うものなしだなっ」

 すっごく満面の笑みで、信長さんはメンチカツを食べている。

 メンチカツからの白ごはん。
 白ごはんからのメンチカツ。

 このループは美味しく料理を食べる最強の法則だということを、信長さんは理解しているのだよ。

「くははははっ! 旨いっ! 旨すぎて箸が止まらんぞっ! そうは思わんか、久秀っ」

「……この上ない旨き飯だ。わしは今まで何を食っておったのかと、自問したくなる」

 松永さんは目を閉じて咀嚼していた。
 その表情はなんとも言えない至福の顔をしている。

 料理に感動してくれるのは、作り手としては当然嬉しい。
 ただ——

「すこし大袈裟すぎません? 美味しいのは美味しいですけれど……」

「いや。お主が作ったこの肉を油で揚げた料理はわしに感動を与えてくれておるのは間違いない……もっと自分の料理の腕に自信を持つがよい」

「そ、そうですか……あはは。なんか褒められるとむず痒くなっちゃいますね」

 稀代の大悪人と言われるような人物に、そこまで褒められると照れ臭くやら嬉しいやら……悪い気はしない。

「えへへ……まだまだメンチカツはありますからね。どんどん遠慮なく食べてくださいっ」

「久秀、このメンチカツ、貴様だけに全て喰わせるわけつもりはないぞっ」

「ぬはははっ! わしとて貴様に全て奪わせる気はさらさらないぞ、信長っ」

 また睨みあって火花をばちばちさせてるし。
 頼むからご飯のときは穏やかで静かに食べてほしいよ。


 ◇


 メンチカツを堪能した後——

 再び信長さんは松永さんに将棋の勝負を挑んでいた。

 開始から数十分経過している。
 わたしはあまり将棋には詳しくはないのだけれど。

 信長さんの駒はいくつか松永さんに奪われて少なくなっている。
 それに松永さんに幾分か攻められていて、駒の数だけで見ればピンチだということは理解できた。

「俺から奪った駒を使って、俺の陣地を攻めてくるか……」

「そう。お主から奪った駒をわしの配下として……またお主を追い詰めてやるのよ」

 そう言うと、松永さんはパチリと信長さんの陣地へ駒を指した。

「この小さき将棋盤の上も戦さ場と同じよ。相手の配下を籠絡し仕えておった元の主を襲う……まさに乱世と同じとは思わんか、信長っ」

「……」

「己の元配下に裏切られる気分は? 裏切り裏切られ……実に愉しいではないかっ! ぬはははっ!」

 ご飯を食べて優しい笑顔を浮かべていた松永さんはそこには居なかった。
 微かな嘲笑を浮かべ、信長さんをギロリと鋭い眼光を向けている。

「どうだ、信長っ! また今度もわしの勝ちはのようだな——」

 ——パチリ

 信長さんが指した一手に、松永さんの笑い顔が少し歪んだ。

「ぐぬ……その一手でくるか……ならばっ!」

 松永さんが駒を指した瞬間。
 信長さんは間髪いれずに次の一手を指した。

「たしかに家臣に裏切られたらキツいものがあるが……だがな、久秀。家臣が幾度も裏切ろうが俺は許す」

「ぐぐっ……!」

 ここから信長さんの逆転劇は見事なものだった。
 明らかに劣勢だったのに、信長さんは松永さんから駒を奪いとると、どんどん松永さんの陣地を攻めていく。

 そして勝負の決着のときが訪れる。

「これで終わりだ、久秀っ!」

 パチリと指した駒の先には、「玉将」と書かれた駒があった。

 駒を指した音は、信長さんの中で今日一番の心地よい音に聞こえただろう。

「ちゃんと俺はお前に勝ったぞ、久秀」

 信長さんは勝ち誇ったようにニヤリとほくそ笑んでみせた。

「ぬっはっはっはっはっ!」

 松永さん、負けたのに悔しそうにするどころかめちゃくちゃ愉しそうに笑いはじめてしまった。

「——なぜ笑う、久秀っ」

 負けた松永さんがあまりにも楽しそうに笑う姿に、信長さんは不愉快そうに顔をしかめている。

「将来の好敵手をこのわしが創り出したとは……これが笑わずにいられるかっ!」

 信長さんはピンと来ていないようだけれど、わたしはなんとなく理解できた。

 未来の信長さんが将棋が強くなったのは、今日我が家で起きた勝負が起因なんだろう。
 それを松永さんも察して、笑い出したんだろうなーっと。

 ひとしきり笑った松永さんは最後に、

「今日の料理は美味かったぞ、お嬢さん」

 と言って帰っていってしまった。

 松永さんを見送った後、信長さんは——

「……道三殿と同じで疲れた」

 と、呟いていた。
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