ある日のこと

文字数 819文字

 その人はいつも傷ついている。
 みんながふつうに歩く道も、わざわざのたうち回って体に傷をつけるように。
 かと思うとコンビニでお菓子を買ってうれしそうに食べる。
 麦酒を飲む。
 ジッポで火をつけて煙草を吸う。

 私にとっては雲の上のような存在の先輩なのだが、たまにその行いに目が点になる。

 愚行というのではない。

 その人の、自分の人生の扱い方に。

 ずいぶんと自分の人生を雑に扱う。

 でも考え方によっては誰よりも人生を大切にしているのかもしれない。

 生き方全てをあるものに懸けるために。

 歳はいくつか知らない。たぶん、私よりずいぶん若い。

 けれども、知識量と生きてきた経験値で、私より遥かに歳上のようだ。

 老人のようで子どものようで。

 その人はなぜそうなのかと言うと、全てを書くことに懸けているからなのだ。

 小説を書くことに。

 今は、珈琲店に居候している女の子の物語を書いている。

 どこからそんな話を思いつくのだろうと思うほど奇想天外な物語——。


 ***


 いつものカフェで先輩は上着を着たまま席に座り、カップの飲み物を啜った。

「先輩、今日も抹茶ラテですか?」

 私は読んでいた本を閉じて机を空ける。

「当然。ところで新しい連載読んだよ。なかなかいいね」

「ありがとうございます。今度はエタらないようにがんばります」

「肩の力抜いて、楽しんだらいいんじゃない?」

 意味不明に見せかけて、いつも人の心をスッとすくいとる。
 私はすっかり冷めたカフェオレを飲み干した。

「じゃあ先輩、私先に行きますね」

「おう。更新したらまた読むよ」

「ありがとうございます!」

 私は夢見ている。

 先輩の人生を懸けた小説が、いつかもっと多くの人に読まれることを。
 読んだ人の心に輝きを与えることを。

 珈琲の香りが満ちた店のドアを閉めて午後の街を歩き出す。

 ふとガラス張りの店内を見ると、もう先輩はパソコンを開いてキーボードを叩いている。

 先輩のカラダから無数の物語が生み出されていく。
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