第3話双子と切り裂きジャック

文字数 4,680文字

「女性が相次いで殺されているそうですよ」
「先輩が以前語っていた、切り裂きジャック、とやらに似ていますね」
 双子の後輩は相変わらず真意の読めない笑みを浮かべている。しかし青少年期の大食漢、健啖家がぞろりと揃う寮の食堂でする話ではない。
 香冴左文字は苦笑いを浮かべるも、双子は何も知らないとばかりに微笑むだけだ。
 香冴の前には飯と鯖の味噌煮、香の物、汁物。双子はカレーライスを選んでいる。
「…人死にの話を食事時にするものじゃあないよ」
「そうでしょうか。これ以上なく、良い頃合いだと思うのです」
「食事は葬儀です、香冴先輩」
「何だって?葬儀?」
 はい、と双子の弟の方である布都ふつは気怠そうに頷き、双子の兄の方である羽々斬はばきりは柔和に笑んだ。
「生きていたものを腹に収める葬儀様式は珍しいものではありません」
「豚、鶏、牛、魚に菜。彼等の弔いに食うのです」
「…僕は食事をそんなふうに考えたことはないよ。生きるためだ。腹が減るから食うのさ」
 羽々斬と布都はシンメトリィに小首を傾げる。目尻と頰の黶までも彼等は鏡写しで、見ていると段々と怪しい心持ちになってくる。酩酊するような、眩暈がするような。愉しいような、心細いような。
「勿論、食事の全てが葬儀と捉えるのは難しいでしょう。僕達はこの間、兄とホットケーキを食べました。あれはとても美味で…頰が落ちそうで」
「ホットケーキを前に、葬儀などとはとても言えません。目眩く、愉しい一時でした」
「食事を葬儀と考えるのは中々に珍妙だよ。他の者からすれば、ホットケーキと同じく愉しむものだ」
「では、香冴先輩の食事時には人死にの話は慎むことにいたしましょう」
「俺達の兄は陸軍少尉でしてね。少々警察にも顔が利くので、少しばかり面白い話を聞かせて貰ったのですが、」
「───聞かせてくれ」
 香冴はあっさりと敗北宣言し、好奇心のままに促した。
 双子は全く同じ貌に微かに異なる笑みを浮かべて、頷いた。




 香冴左文字は怪奇が好きだ。猟奇が好きだ。下手物が好きだ。隠秘を好み、光に唾を吐く。学業は疎かにしなかったし、運動にも真面目に取り組んだ。人付き合いは少なかったが、友人達には『少々変わった趣向を好むが、悪い奴ではない』という立ち位置を確保している。
 香冴のような怪奇趣味も持つ者は少なくとも先輩方にもいたらしく、心霊や怪奇現象、古今東西の猟奇事件を研究する、怪しげな部活が公然として発足していた。
『怪奇倶楽部』という看板はバンカラな運動部員に数度叩き割られた経験があるものの、健在だ。
 当然に香冴は入部し───そして翌年入部してきたのが、この双子───首堂羽々斬と首堂布都だった。
 彼等は、陰鬱な本性を曝す部員達の中に飛び込んだ、陰の光だった。物を燃やさぬ陰火。光を食う炎。彼等の異形すら、どことなくエログロの趣きに思えて、絡み合う六本指が艶めかしく、そして不吉だった。
 双子は素直に倶楽部の先輩達の話に耳を傾け学ぶものだから、可愛がられた。香冴としても目の離せない後輩だ。そして彼等は逆に、何処で仕入れたのか、先達も知らない猟奇犯罪や魔術などを語って聞かせることもあった。今思えばそれは、陸軍少尉である兄から齎されたものだったのか、それとも兄に強請って仕入れてきてもらったものだったのか。 
「…内緒、ですよ、香冴先輩」
「十束のあにさまに教えていただいたお話なのです。広まるとあにさまが困ってしまいます」
「分かった。聞いた話は僕の腹の中で貯めておく」
「えぇ、鯖の味噌煮と一緒にお腹にしまってください」
 カレーライスを口に運びながら双子は器用に語り始める。
「新聞では女性全体に警戒を促すため、殺された女性達についてはあまり言及されていませんが、殺されているのは売笑婦ばかりです」
「閨事は暗闇で、人気の無いところで致すものですが───いえ、違う趣向の方もいらっしゃるでしょうが───これは人殺しにはうってつけの状況です」
「一人目───埋樹はるさん。
 二人目───金蛇つるさん。
 三人目───飛奈津きくさん。
 いずれも髪をざんばらに切られ、顔と乳房を剥ぎ取られ、陰部には異物が突っ込まれたままに、腸を引き摺り出されていたというのです。それも、裸で道端に捨てられていて、下手人には僅かばかりの慈悲もなかったようです」
「四人目の、蔵原民江さんだけ、女学生でした。売笑婦と繋がりがあるわけもない、品行方正で、美しい方だったそうですよ。」
「何れの方も───女性で、美しい方で───そして犯人によってある臓器を盗られてしまったと」
「何処だと思います?」
 香冴は鯖の味噌煮を突きつつ、応えた。
「そうだな、子宮、かな」
「そう、そう思われるでしょう?切り裂きジャックの話をご存じの先輩なら。しかし我が国のジャックが持って逃げたのは、腎臓です。腎臓を二つ、大事に抱えて逃げたのです」
「腎臓?」
「えぇ。しかし僕はこう思うのです。犯人は、腎臓と女性器を間違えたのではないか、と」
「暗闇で、人の腸を捌いて正確に目的のものを取り出すのは、医者でも至難です。それも正常な判断力の落ちる、犯行時」
「卵巣と腎臓を間違えたのでは、というのが僕達の見解です」
「しかし、先輩。持ち帰った臓器を、犯人は如何しているのでしょう」
「ホルマリンにでも漬けて眺めているのか、それとも───」

 ───食べてしまったのでしょうか。


 

 香冴左文字は双子には話していないことがある。先般の切り裂き事件の四人目の被害者───蔵原民江。
 彼女は香冴の婚約者だった。

 親が決めた婚約者ではあったが、僅かばかりの情もないわけではない。寧ろ、好ましかった。
 俯き加減に、口元に手を当てて密やかに笑う人だった。小袖袴にレースのリボンは合わないかしら、とはにかみながらも、舶来物に憧れる、普通の、少女。民江。
 ───彼女の両親は娘の最期に嘆き悲しむどころではなかった。狂乱して、剥ぎ取られた彼女の顔を探しに駆け出す有様だった。葬儀の後も屋敷は廃墟のように静まりかえり、両親の喪は明けることがないのだろう。痛ましいことだ。
 香冴の二親は───香冴が死んだところで、そこまで悲嘆することはないだろう。優秀な兄がいる。良家に嫁ぐ姉がいる。香冴は兄の予備だ。もしもの時の代用品だ。父と母の関心は兄姉に注がれている。民江と一緒になったのなら───家族を作ったなら、きっと、末の子どもにそんな思いをさせるまいと、思っていた。 

 ───思っていたのに。





 ───彼は焦っていた。
 血脂に滑る手で探る。腸を掻き分け探す。
 夜闇。月明かりもない新月の夜。光は無い。探し物は難しい。とはいえ、昼日中であっても、彼の探し物は難しい。
 解剖書でしか見たことのなかった、人の中身。更にその特別な一部。
 ───女を女たらしめているものを。
 ───子宮。
 生温かい。粘る音を立てながら、何の臓器かも分からないままに掻き分け掻き分け、探す。これだろうか。これかもしれない。いいや、きちんと判別しなければならない。今度こそ、間違えたりしないように───。


「子宮は見つかりましたか?」
「卵巣と腎臓は間違えていませんか?」
 草叢に響く、二重の声。
 彼は弾かれたように振り向いた。
 その二人はカンテラを携え、いた。
 制帽、詰め襟、外套はインバネス。履き物は赤い鼻緒の一本歯下駄。何の音も、気配もなく、いた。
 カンテラに照らされた口元は笑っている。

「ねぇ、香冴先輩」

 血塗れの彼───香冴左文字は、呆然と、双子を見上げた。
 彼等の背後からはどたばたと大人数の怒号が響いている。警官のようだ。
「香冴先輩」
「目的の臓ではないかもしれないと、焦りましたね」
「さぁ、どちらだったのでしょう?」
「貴方がこれまで狩ってきたのは、腎臓?それとも子宮?どちらだったのでしょう」
「僕達には如何でも良いのです」
「ただ、貴方を動揺させたかっただけ。尾行しやすいように、犯行が読みやすくなるように」

 香冴は警官に取り囲まれ、殴り倒され、縄を掛けられながら、その言葉を聞いていた。
「…何故、僕だと」
 かつ、かつ、と下駄を鳴らし、そして双子は地面に引き倒された香冴の前にしゃがみ込んだ。そしてにこりと笑む。
「売笑婦ばかりを狙っていれば、貴方と気付きませんでした」
「四人目のお嬢さんは、貴方の婚約者だとか」
「犯行は何れも夜」
「良いところのお嬢さんが出歩く刻限ではありません」
「しかし、」
「婚約者の秘密のお誘いであれば、胸をときめかせて出て行ったことでしょう」
「家人にも内緒で」
「可哀相に」
「貴方が本当に殺したかったのは、」

「お母様だったでしょうに」



 ───女が嫌いだった。
 民江が嫌いだったのではない。女が嫌いだ。母というものが嫌いだった。手を伸ばしても届かない。届かせてくれない。僕は知っている。母は家人と密通していると。浅ましい女だと。
 男を欲情させる女が嫌いだ。民江もいつか、そういうモノに成り下がるのだから。いや、成り下がっていたのだから。
 だから僕は、


 羽々斬と布都は襤褸雑巾のように成り果てた先輩を見送っていた。警官達の義憤は分かり易い暴力となって彼を襲った。香冴左文字。母を欲して憎んだ少年。
 香冴は双子に振り返り、
「…母は、面会に来てくれるだろうか」
 夢見るように、呟いた。
「さて、どうでしょうか」
「僕達は、母を知りませんから」
 香冴は応えを望んでいなかったのだろう。薄らと微笑みながら、警官に曳かれていった。
「ねぇ、布都」
「えぇ、あにさま、羽々斬」
「母様というのは、そんなにも大事で、心惹かれるものなのかい」
「僕達には分かりませんね。十束のあにさまに訊いてみましょう」
 双子はくぁり、と欠伸をして、白んでいく空に目を細めた。

 その後、香冴家は一家心中にて絶え、その報を聞いた稀代の殺人鬼、香冴左文字は母を呼び、声を嗄らして泣き喚いてそして、獄中にて首を括って死んだ。
 殺された被害者達の剥ぎ取られた肉や臓器は、見つからないままに終わった。





 そして再びの銀座。純喫茶だ。
 ホットケーキを嬉々として食べる双子とは対照的に、首堂十束は深々と溜め息をついた。連続殺人鬼の逮捕に貢献した弟達ではあるものの、手放しで褒めることは出来ない。もう少し早く警察に通報していれば、五番目の被害者は出なかった。訊けば、生の人体解剖や殺人鬼の手際を見たかったから、という噴飯物の応えが返ってきた。こればかりは警察には言えるわけもない。とはいえ、自力で殺人鬼に辿り着いたのは間違いなく───そう、十束は双子に警察情報など渡していない。どう考えても事態を悪化させるのだから。渡さなくても悪化したのが今回の件だったが。
「あにさま、今日のホットケーキは更に美味しいです!」
「十束のあにさま、ホットケーキに蜂蜜、バターとは何と罪深い!」
 ───罪深いのはお前達だと兄は言ってやりたい。
「…お前達、人命をもう少しばかり考慮しろ」
「軍人のあにさまが言うと説得力があります」
「先の戦争にて鎧袖一触。素晴らしい武勲を上げた十束のあにさま」
「私は敵以外殺さん。───例外はあるが」
 双子はくすくすと笑った。
「例外が怖ろしゅうございます」
「あぁ、でも、殺されるのであれば、十束のあにさまの御手が良い」
「この首を、」
 詰め襟から僅かに覗く細く白い首に、指を這わせ、
「すぱりと、一刀の下に」
 お願いいたしますね、と笑う双子に、十束は憮然と珈琲を啜った。
 そして夢想する。
 双子に刃を向ける己を。

 その姿はどうしても、母と重なった。
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