第三章 昔馴染み冤罪事件

文字数 37,306文字

「こっちよ。足下に気を付けてね。あと、この辺に生えてる木には触れない方がいいわ。毒があるから」
「えっ、毒ですか!?」
 祭り囃子が遠くに聞こえる。
 僕と小夜子さんと美桜さんの三人は、土がむき出しの坂道をのぼっていく。
 街灯の灯りも届かない暗い道は、スマホのライトだけが頼りだ。
「夾竹桃は街路樹なんかで結構その辺に植えられてたりするけど、最悪死ぬような強さの毒があるから注意が必要よ」
「なんでそんな危険な花が平気で植えられてるの……」
 僕は周囲に生えている木々が急に気になりだす。
「花が綺麗だし育てやすいのよ。他にもスズランとかダチュラとか、綺麗だから園芸用に規制もされず植えられるけど強い毒を持っている花は案外沢山あるわ」
「怖いですね……」
 心配そうに美桜さんが言う。
「ちゃんと扱いを間違えなければ大丈夫よ……もっとも、コレを私に初対面の時ドヤ顔で語ってきた人は、実際に花の毒で次々人を殺していったけれど」
「ああ……」
 その人が誰だかわかった。
 たぶん、小夜子さんの生活ゴミに毒入りジュースを混ぜてた人じゃないかな……。
「小夜子さんって、時々シームレスに冗談言いますよね~」
 クスクス笑いながら美桜さんが言う。
 残念ながらこの話は冗談じゃない。
 そもそも、小夜子さん自体が冗談みたいな存在だけれど。
 それにしても、浴衣に下駄だと歩き辛い。
 足の親指と人差し指の間に鼻緒が食い込んで痛いし、そろそろ疲れた。
 いい加減僕の足が限界を迎えそうだと思った時、辺りは急に開けた。
 僕達がのぼった高台の下には町の夜景や祭りの出店、行き交う人達が小さく見える。
 直後、目の前が明るく照らされて、色とりどりの光が弾けた。
 身体中が震えるような重低音が辺りに響く。
 目の前にある柵の下を覗き込めば、急な斜面が続いていて、もし落ちたら最悪死ねる高さだ。
一応、柵はあるけど花火が綺麗だからって柵から外に身を乗り出すのは辞めた方が良さそうだ。
「間に合ったみたいね」
 小夜子さんが安心したように息を吐く。
「花火がすごい綺麗に見える……小夜子さん、よくこんな穴場知ってましたね。私子供の頃からこの辺に住んでたけど全く知らなかったです」
「花火大会に行くならって、この場所を教えてくれた親切な人がいたのよ」
 にっこりと笑顔で小夜子さんは答える。
「……その情報の出所、大丈夫なの?」
「大丈夫、その人は大学時代からの友達だから!」
 小夜子さんは笑顔で答えるけど、僕には副音声で、
「大丈夫、その人は大学時代からのストーカーさんだから!」
 と聞こえる。 
 僕の気のせいなら良いのだけれど。
 柵からすぐ手前にあるベンチに僕達は腰掛ける。
 周りにはほとんど灯りが無いけど、花火が上がる度に当たりが照らされていく様はどこか幻想的にさえ感じる。
「こうして花火の綺麗に見える穴場にはちゃんと来れたのに、なんで今更その人の信用の話になるの?」
 不思議そうに美桜さんが聞いてきた。
「例えば、こういう人気の無い所で花火に夢中になってる所を後ろから襲われたら危ないでしょ」
「え~、由乃くん考えすぎだよ」
 美桜さんはもう高校生なのに、こんなに危機意識が低くて大丈夫だろうか。
「いいえ、由乃くんの話ももっともだし、まずはその辺を疑って本当にその人は信用出来る人なのかは確認する必要があるわ」
「そうなんですか?」
「ええ、世の中は意外と物騒だから、気を付けるに越した事は無いわ」
 言いながら小夜子さんはスマホを取り出しケースを開くと、花火にカメラを向ける。
 空いっぱいに広がる花火を写真に収めようと小夜子さんは、ああでもないこうでもないとカメラの向きや角度を変えながら写真を撮る。
 スマホケースの内側についている鏡がたまに花火や地上の灯りを反射してチラチラ光った。
「小夜子さん、写真を撮るのも良いですけど、やっぱりこれは肉眼で見た方が綺麗ですよ」
 空いっぱいに広がる花火を見上げながら、美桜さんが言う。
「うーん、わかってはいるんだけど、つい写真に収めたくて」
 なんて言いながら小夜子さんは花火が終わるまでスマホを手放さなかった。
 だけど、僕は小夜子さんが写真を撮りながらたまにスマホケースの鏡で背後の確認をしていたのを知っている。
 気付いていないフリをして、小夜子さんは辺りを警戒はしていた。
「花火綺麗だったわね~」
「これで街灯があったりもうちょっと道が歩きやすかったら最高なんですけどね~」
「たぶん、そうなったら穴場じゃなくなるんじゃないかな」
 打ち上げ花火も終わって、僕達が来た時と同じようにスマホのライトで道を照らしながら坂を下りていると、坂の下で赤いライトがチラついていた。
「あら? どうしたのかしら……」
 小夜子さんの声が少し低くなる。
 坂を下りきった場所には、パトカーと救急車が止まっていて、ちょうど誰かが搬送される所だった。
「ママ太郎先輩!」
 担架に乗せられている血まみれの男の人を見ると、突然小夜子さんが駆け寄る。
「何があったんですか! しっかりしてください!」
「大丈夫、まだ息はあります」
 慌てる小夜子さんを救急隊員の人がなだめる。
 小夜子さんと暮らし始めてまだそんなに経ってはいないけれど、こんなに取り乱した小夜子さんを見るのは初めてだ。
 それから小夜子さんはいくらか救急隊員の人と話すと、サイレンを鳴らして走り去る救急車を見送った。
 その頃には周囲に人だかりが出来ていて、僕達は注目の的だった。
「あの人のお知り合いですか?」
 救急車が走り去った後、中年のおじさんが警察手帳を見せながら小夜子さんに話しかけてきた。
「はい、大学時代の先輩です。一体どうして……」
 小夜子さんが刑事さんの言葉に頷けば、その人について詳しく聞かせて欲しいと刑事さんは言う。
 僕と美桜さんは一応隣で話を聞いているけれど、救急車で運ばれて行った人の事は知らないので、特に話す事は無い。
「ママ太郎先輩……真島(ましま)(こう)太朗(たろう)さんは私の通っていた大学の先輩で、同じ文芸サークルに所属していました。卒業後もサークルの人達とはSNSで繋がっていて、最近は写真にはまっているようでした。SNS上に素敵な花火の写真が投降されていて、私が花火大会の話をしたら、ここの丘の上が穴場だと教えてくれたんです」
「ちなみに、真島さんと今日は一緒に花火を見る予定だったのではないのですか?」
「いえ、ママ太郎先輩には、今年も行きたかったけど別の予定が入ったので自分の分まで楽しんできて欲しいと言われました」
 三日前に突然花火大会に行こうと言われた時はどうしたのかと思ったけど、そんな下りがあったのは知らなかった。
「なるほど……ちなみに、彼はこの丘の頂上から落下したようなのですが、その時の詳しい話を聞いてもよろしいですか?」
「小夜子さんはずっと僕達と一緒に花火を見てたよ」
「そうです! 三人でずっと花火を見ながらおしゃべりしてましたし、頂上に他の人もいて、しかも落ちてたなんて全然気付きませんでした」
 なんだか不穏な気配がして僕が頂上での事を話せば、美桜さんも話に入ってくる。
「この二人は?」
「この子は親戚の子で由乃くんといいます。こっちの女の子は友達の美桜ちゃんです」
 小夜子さんは僕の肩に手を置きながら、刑事さんに僕と美桜さんを紹介する。
「なるほど、お話はわかりました。ちなみにそれを客観的に証明はできますか?」
「いいえ」
「ちょっと待った!」
 小夜子さんが首を横に振った直後、背後から妙に勢いのある声が聞こえる。
 僕達が振り返れば、そこにはバンダナを頭に巻いて眼鏡をかけた男の人が息を切らせて立っていた。
「……あなたは?」
 怪訝そうな顔で刑事さんが尋ねる。
「通りすがりのカメラマンです」
「はあ……」
 困惑した様子で刑事さんはまたバンダナの人を頭の上から足先まで見る。
「私はこの祭を楽しむ人々の光景を収めようと動画を撮っていたのですが、コレを見てください」
 ゴツい一眼のデジタルカメラをバンダナの人が差し出す。
「これは……!」
 バンダナの人が持ってきたデジタルカメラには、少し離れた場所から僕達が丘の上で花火を見ている様子が映っている。
アングル的に、少し離れた高い場所から撮っているようだ。
少しすると、画面の端で人影が一回転して落下していく様子と、バンダナの人の声と思われる驚いたような焦ったような声が聞こえる
「画面真ん中には彼女達が打ち上げ花火を楽しんでいる様子が見えますが、この左側に見える人影! 位置的に全く彼女達が関与しようがない場所から勝手に落下しています! これは彼の落下と彼女達とが関係無い事を示す紛れもない証拠と言えましょう!」
 ママ太郎先輩とやらが頭から落下していく所で映像を一次停止してバンダナの人は早口にまくし立てる。
「……ところで、少しこちらのカメラをよろしいですか?」
 刑事さんはデジタルカメラの映像をじっと見た後、バンダナの人に聞き、バンダナの人は大人しくカメラを渡す。
 そして、刑事さんは映像を巻き戻す。
 すると、なぜか夏祭りを楽しむ僕達の映像が流れ出す。
近くからだったり、少し離れた所からだったりするけれど、カメラの映像にはずっと僕達が映っていた。
「ちなみに、彼とはお知り合いですか?」
 刑事さんが僕達に尋ねる。
 僕達は全員首を横に振って知らないと答える。
「ひっ……まさか盗撮ですか!?」
「ち、違う! コレは違うのです!」
 怯えたように美桜さんが言えば、バンダナの人が狼狽える。
「……あまりこういった行為がエスカレートすると、都の迷惑防止条例に引っかかる可能性がありますよ」
 呆れたような哀れむような顔で刑事さんは言う。
「これは、そのぅ……」
 バンダナの人の冷や汗がすごい。
「ええっと、どこのどなたかは知りませんが、この人の撮っていた映像で私達の潔白が証明されたのは確かですし、きっと彼はその為にこの少し離れた場所から走って来てくれたんだと思うので、ここはなんとか穏便に話を済ませられませんか?」
 見かねたように小夜子さんが刑事さんや美桜さんに言う。
「まあ、あなたの方がよしとするのなら問題はありませんが……」
「僕は大丈夫だよ」
 刑事さんは僕の方も見るので、とりあえず頷いておく。
「私も、証拠として使った後は処分してくれるのなら大丈夫です」
 僕と小夜子さんの反応を見た美桜さんも、一応頷いてくれた。
 バンダナの人はわかりやすく安心していたけど、たぶんこの人、まだまだ沢山余罪のある小夜子さんのストーカーなんだろうな、とも思う。
「しかしまあ、この動画を見る限り、これは単独の事故で決まりかな」
 デジタルカメラの映像をもう一度見ながら刑事さんは言う。
「本当にそうでしょうか?」
 けれど、小夜子さんはそれに異議を唱える。
「え?」
「先輩が落下したらしいこの辺には見たところ、カメラもスマホも落ちていません」
「それが何か?」
 きょとんとした顔で刑事さんは首を傾げる。
「もし単独事故の場合、頂上には落下防止の柵があるので、そこから身を乗り出してバランスを崩したと考えるのが自然です。例えば、カメラやスマホで下の様子を撮ろうとした、柵の外側から見た花火の写真を撮りたかった等です。そうして何かに夢中になっていたのなら落下事故も頷けるのですが、何も持ってないのにそんなに身を乗り出すなんておかしいと思いませんか? ロケーションを肉眼で確認するだけなら、わざわざ落下するまで身を乗り出さないと思うんです」
「では、真島さんが落下したのは何が原因だと考えますか?」
 刑事さんは小夜子さんの言葉を聞いて少し考えた後、小夜子さんに尋ねてくる。
「誰か一緒にいた人に落とされたんじゃ無いでしょうか。古典的ですが、柵の下の方を見てあれは何だと声をかけ、ママ太郎先輩が覗き込んだ瞬間に両足を持ち上げて柵の外に出すんです。咄嗟に抵抗する暇も無しに勢いよく放り出されたから、あの映像では一回転してから地面に落ちたんじゃないかと思うんです」
「つまり、頂上にはあなた達以外にも人はいたと?」
 刑事さんの言葉に小夜子さんは頷く。
「花火に夢中でしたので、私は姿を見ていませんけれど」
「なるほど。そっちの二人は何か見ました?」
 刑事さんに尋ねられて、僕と美桜さんは首を横に振る。
 大体、視線は花火に釘付けだし、ずっと花火の音だってしてたんだから、街灯の無い薄暗い後ろの林で何かあったって、早々気づけるはずが無い。
「ママ太郎先輩はひょうきんでサプライズ好きな人なので、きっと自分は来ないと言っておいて私を驚かせようとしていたんじゃないかと思うんです。もし今私が言った方法で彼が落とされたのなら、顔見知りの犯行かもしれません……先輩が目を覚ましてくれればすぐわかる事でしょうけれど」
 小夜子さんは沈んだ表情で言った。
 その後僕達は、警察の人達からその場で小夜子さんの先輩が落ちたらしい頃の話を少し聞かれて終わった。
 小夜子さんと美桜さん、バンダナの人は身分証の提示や連絡先を聞かれていたので、また今度この件について連絡があるかもしれない。

「ママ太郎先輩って、小夜子さんのストーカーさんだったの?」
 美桜さんと別れた帰り道、僕は小夜子さんに聞いてみる。
「ストーカーさんと言うよりは、取り巻きかしら?」
「そこは友達じゃないんだ……」
「もちろん友達よ? だけど、それはそれとして、どんな感じの関係だったかと聞かれれば、そんな感じね」
 どんな感じの友達なのか。
「ふーん。でもあんなに取り乱した小夜子さん初めて見たよ」
「そりゃあ、友達だもの」
 小夜子さんの言葉を聞きながら、その言い方だとじゃあストーカーさんは友達じゃ無いの? と言いかけて辞めた。
 当たり前だ。
 ストーカーは友達じゃないし、友達と違っていて欲しい存在じゃない。
 だめだ、少し小夜子さんのストーカー達との接し方に慣れたせいで大分感覚がズレてきている。
「さっきの推理、さ」
「うん?」
「妙に確信を持った感じだったけど、犯人に心当たりでもあるの?」
「どうかしらね」
「えー、気になるよ。もしかして小夜子さん、花火の写真撮ってた時、スマホケースの鏡で花火に照らされた犯人を見てたんじゃないの?」
「あら、後ろ見てたのバレてたのね。ママ太郎先輩が後ろから驚かしに来るかと思ってチラチラ見てたんだけど、残念ながら林の奥は真っ暗で何も見えなかったのよね~」
 でも、鋭い洞察力ね!
そう言って小夜子さんは僕を褒める。
だけど、こんなタイミングで言われても、小夜子さんが実は何か隠してるんじゃないかと思ってしまう。
隠されると気になる。
ママ太郎先輩の顔見知りかもしれないと言っていたし、同じ文芸サークルの人だったりするんだろうか。
隠された謎があると知りたくなってしまう。
そう考える僕の気分は名探偵だった。
もしかして犯人は小夜子さんの元恋人とか、特別仲の良かった親友で、小夜子さんはその人をかばっているのかも。
でも、なんでその人はママ太郎先輩を丘から落としたんだろう。
死ぬかもしれないのに。
いや、殺すつもりで落としたのかも。
なんでママ太郎先輩を殺すつもりになった?
小夜子さんを巡っての三角関係?
……もし小夜子さんならそんな風にこじれる前にさっさとどっちか選ぶか両方ふってしまいそうだけど。
いや、ふられても諦め悪く付きまとっていて、それを止めようとした友達と揉めてあんな事になってしまったとか。
「たぶん由乃くんの推理は違うと思うけど、想像力を巡らせる事は、事前に危機を察知して先回り出来るようになったり、由乃くんの身を守る事にも繋がるから、良い事よ」
「へ!?」
 まるで僕の頭の中を見透かしたような小夜子さんの物言いに、思わず僕は小夜子さんを見る。
「その反応は、やっぱりそうなのね」
 僕と目が合った小夜子さんは、にんまりと笑う。
 はめられた。
「聞いてみたいな、由乃くんの名推理」
 ニコニコしながら小夜子さんが聞いてくるので、少し恥ずかしくなりながら僕はさっきまでの自分の考えを話してみる。
「確かにありそうね」
 楽しそうにクスクス笑いながらコメントする小夜子さんの反応を見て、僕はどうやら自分の推理がはずれているらしい事に気付く。
「ええ~、どこが違ってたの?」
「だから最初から隠してなんかないってば。でも面白かったから帰りのコンビニで何か一つ好きなおやつ買ってあげる」
「やった! 小夜子さんありがとう」
 僕と小夜子さんが手を繋いで話していると、不意に後ろから声をかけられた。
「もしかして、小夜子ちゃん?」
 その言葉に僕と小夜子さんが振り向けば、内側の髪が紫色のおかっぱ頭をした女の人と、大人しそうな雰囲気の男の人がいた。
「まあ未梨亜(みりあ)先輩、お久しぶりです」
「やっぱり小夜子ちゃんだ! 久しぶり~」
 そう言って二人は近づいて、お互いの両手を合わせて楽しそうにしていたけれど、僕は首を傾げる。
 この人が先輩?
 身体より大きい服や靴を身につけていて、化粧はしているけど子供っぽい顔だし小夜子さんより背も低いのもあって、全体的に幼い感じがする。
「わあ、この子可愛い! 小夜子ちゃんって弟いたっけ?」
「この子はうちで預かってる親戚の由乃くんです。可愛いでしょう。未梨亜先輩は彼氏さんとのデート帰りですか?」
「えへへ、そうなの」
 未梨亜さんは嬉しそうに隣にいる男の人と腕を組む。
「ど、どうも……至道(しどう)です」
 緊張したような、気まずそうな様子で至道さんは頭を下げる。
「あー、(ろく)くん小夜子ちゃんが美人だからって緊張してるでしょ。勒くんはぁ、アタシのなんだからね!」
「う、うん……!」
 拗ねたように未梨亜さんが至道さんを自分の側に引き寄せて頬をつつけば、至道さんは未梨亜さんに合わせて身をかがめながら嬉しそうに顔をにやけさせる。
 僕達は一体何を見せられているんだろう。
「そういえば、そっち駅とは逆方向だけど、もしかして地元?」
「ええ。最近こっちに引っ越してきたんです」
「そうなんだ! 私も今この辺に住んでて、今日は勒くんとお泊まり会なんだよ」
「二人のラブラブっぷりが眩しいです」
「ありがと。また今度久しぶりに遊ぼうよ」
「いいですね、是非」
 こうして小夜子さんと未梨亜さんはにこやかに別れた。
「今の人も文芸部の先輩?」
「あら、よくわかったわね」
 さっきの推理ははずれてたけど、今度は当たりらしい。
「文芸サークルの人達とは今もSNSで繋がってるって言ってたから」
「由乃くんは名探偵ね~」
 調子よく小夜子さんは笑っていたけど、僕はなんだか胸の奥がワクワクした。

 家に帰ると、生暖かい空気に包まれた。
「うわ、暑い……」
「夜だしそんなに暑くならないだろうって思ったけど、まずは換気した方が良さそうね」
 小夜子さんはドアの戸締まりをした後、リビングの窓を開ける。
 僕は早速苦しかった青い浴衣を脱ぎ捨ててパンツと肌着だけになると、ベランダで夜風にあたる。
「あー、風が涼しい……」
「あら、ダメよ由乃くん」
 行儀が悪いのはわかってる、でも……。
「だって、慣れない浴衣で歩き回って疲れたんだもん」
 外を歩いている時はそうでもなかったけど、家で腰をおろしてくつろいでしまったらもうダメだ。
 疲れが一気に押し寄せてもう何もやる気が起きない。
「そうじゃなくて、たぶんベランダは外からこっちを定点で見てるストーカーさんがいるから……」
 そっちか……。
 考えてみれば、外であれだけストーカー達に監視されているのだから、ベランダだけ見られてないって事もないだろう。
 だけど、僕はそのままベランダに足を投げ出した状態で床に寝転がる。
 ひんやりして気持ちいい。
「今日はもうこのまま寝ちゃダメ?」
「風邪ひいちゃうからベッドで寝ましょうね。それと、せめて足の指の間は消毒しておきましょうか」
 エアコンのスイッチを入れた小夜子さんは、呆れたように僕を家の中に引き込む。
「…………」
 そのまますぐ窓を閉めず、小夜子さんはじっと窓の外を見る。
「小夜子さん、どうかした?」
「いいえ、なんでもないわ」
 声をかければ、小夜子さんはすぐに窓を閉めて鍵をかけてカーテンを閉めてしまった。
 それから僕は赤くなっていた足の親指と人差し指の付け根を手当てしてもらってから眠りについた。
 窓の外を見ていた小夜子さんは、まるで何かを探しているような気がしたけど、気がしただけなので、よくわからない。

 翌日の昼過ぎ頃、僕達の元へ東雲さんがやって来た。
「昨日、真島光太郎さんが意識不明の重体になった事件ですが、小夜子さんの言った通り、事故ではなく何者かに突き落とされた可能性が高いです」

「ママ太郎先輩の容態はどうでしょうか」
「危険な状態は脱したそうですが、まだ意識は戻りません。下がコンクリートでなく土だったのが不幸中の幸いです。後遺症が残る可能性もあるそうですが、現状はまず本人が目を覚まして確認しないことにはわからないとの事です」
「そうですか……」
「あの後、すぐ現場は封鎖したのですが、突き落とされた現場には、真島さんが履いていた物と別の足跡がありました。大きさからして恐らく男性でしょう」

「真島さんが落下した地点や突き落とされた場所、搬送された真島さん本人の持ち物も確認してみましたが、カメラもスマートホンもありませんでした。それらに残されたデータが物的証拠となるのを恐れた犯人が持ち去った物と思われます」
「それで、犯人は見つかりそうですか?」
「いえ、現状ではなんとも……真島さんが対人関係で誰かと揉めていたり、折り合いが悪いという話は聞いたことはありませんか」
「人当たりも面倒見も良い人でしたから、表だって何かトラブルがあったという話は聞きませんし、私にも見当がつきません」
「では、真島さんが所属しているというSNSの元文芸サークルの集まりについてですが……」
 東雲さんはその後しばらくママ太郎先輩の事をたまに思い出したように絡めつつ、小夜子さんの大学時代の話やサークル活動、小説の話や普段の生活について尋ねていた。
 個人的な興味や感想がかなり混じっているような気がしないでもない会話が続く。
 結局、東雲さんは一時間以上、小夜子さんと楽しそうに話すと満足したように帰って行った。
 何しに来たんだあの人。
「犯人、すぐ捕まるといいね」
「……そうね。これで終わると良いんだけど」
 困ったように小夜子さんは呟いた。

 特に暑い日だった。
 花火大会からしばらくは平和で、その日僕は小夜子さんと水族館の帰りだった。
 少し早めの夕食も済ませてきたので、空はもう暗くなりそうだ。
 小夜子さんと二人、電車に並んで座りながら揺られていると、小夜子さんのスマホのバイブが鳴る。
「あらあら、まあまあ」
 スマホを確認して操作する小夜子さんは、だんだんと上機嫌になっていく。
「どうしたの?」
「未梨亜先輩が花火専門店に行ったみたいで、買い過ぎたからお裾分けくれるみたい。おまけにもらった変わり種の花火が沢山あるんですって」
「花火って、自分で火を点けるやつ?」
「ええ。打ち上げ花火もいいけれど、手持ち花火はまた違った趣きがあるわよね。今日は夜も晴れるみたいだし、花火する?」
「いいの?」
「もちろん。やりたい事はやりたいうちにやるのが一番楽しいもの」
 家の最寄り駅に着けば、既に待ってたらしい未梨亜さんと至道さんが改札のすぐ前に立っていた。
「良かった~気になったの全部買ったら、おまけもいっぱいもらっちゃって持て余してたの。もらってくれて助かる~!」
 花火が入った紙袋を渡しながら未梨亜さんは言う。
「わ、こんなにいただいちゃって良いんですか?」
 小夜子さんが受けとった紙袋の中には花火らしき物がぎっしりと入っている。
「うん、流石にあんまり多いと飽きちゃうし、そっちで楽しんでくれたら私も花火も嬉しいよ~」
「……電車の中で由乃くんと早速今夜花火をしようと話してたのですが、未梨亜先輩と至道さんも一緒にやりませんか?」
「ありがと。でも、今夜はこれから用事があるから、二人で楽しんで」
 至道さんの腕を組んで、未梨亜さんは小夜子さんの誘いを断る。
「あら、残念です」
 そこまで残念じゃなさそうな調子で小夜子さんが言う。
 僕達は未梨亜さん達にお礼を言って家に帰ると、早速紙袋の中身を開けてみる。
 出てきた花火はコンビニやスーパーには置いていないような変わった物も多かった。
 人魂風の炎を糸で吊すものや、鳥の絵が描かれた大きなマッチ箱のようなもの、花火の途中で蛸の足みたいに別れるらしいもの。
「こんなにあるなら買い足さなくても大丈夫そうね」
「小夜子さん、早く準備して公園に行こうよ」
「ああ、待って由乃くん。家の前の公園は花火禁止なのよ」
 ワクワクしながら僕が言えば、小夜子さんはスマホで確認しながら僕を止める。
「じゃあ、どこで花火すればいいの?」
「ちょっと待って、今調べるから」
 小夜子さんがスマホで花火が出来る場所を確認している間、僕はロウソクやライター、バケツ等の準備をする。
「この辺りだと近所の土手の下辺りは大丈夫みたい」
「ちょっと歩くね」
 たまに歩く道なので、なんとなくの場所はわかる。
「花火は大きな音が出るものもあるし、住宅街でやるとどうしても迷惑になっちゃうから仕方ないわよ」
「 小夜子さんって、ストーカーさん達を手玉に取って好き勝手やってるように見えて、法律とか地域のルールとかしっかり守るよね」
「そんなに好き勝手はやっていないと思うけれど……そうね、何かあった時に守ってもらうには、普段からルールを守る必要があるのよ」
「ふーん?」
「後ろめたい事があると、自分も罪に問われるんじゃないかとか、心配になって通報できないでしょう? 例えば、家に泥棒さんが入ったとして、自分も泥棒だったら、自分も逮捕されるかもしれないから警察も呼べず完全に泣き寝入りするしかなくなるでしょう?」
「なるほど……」
「さて、じゃあ早速行きましょうか」
「うん!」
 小夜子さんの言葉に、僕は花火セットを持ってウキウキしながら歩き出す。

「土手なのはいいけど、なんで橋の下なの? 空は晴れてるのに」
 天井を見上げながら僕は尋ねる。
「少しでも私達の姿を遮るものはあった方がいいと思って」
「どういう事?」
「だって、花火を楽しんでる私達の姿を見て一目惚れしちゃう人が出たら可哀想だわ」
 ロウソクに火を付けながら小夜子さんが言う。
「ああ、道を踏み外してストーカーさんになっちゃうから?」
「ええ、犠牲者は少ない方がいいわ」
 ストーカーさんは犠牲者なのか……。
「そういえば、この前の花火大会で突き落とされてたママ太郎先輩も小夜子さんのストーカーさんだったの?」
「うーん、微妙なラインね」
 紙袋の花火を並べながら、小夜子さんは首を傾げる。
「微妙なの?」
「元々ママ太郎先輩は私の二年先輩だったんだけど、何かと理由を付けては留年を繰り返して、結局私と同じ年に卒業してたわ」
「小夜子さん目当てで残ってたって事?」
 もうストーカー認定してもいいような。
「どうかしら。私が大学一回生の時に告白されたけど、断った後も普通にそのまま友達として付き合ってたし、その後特にアクションも無かったわ。私のファンクラブ作って会長になってた位かしら」
「それは、結構な事じゃないの?」
「でも、そのおかげでストーカーさんになりそうな人を事前にブロックしたり、それは恋じゃない、推しへの想いだ! って言ってストーカー予備軍の人を更生してくれたりしたから」
 並べた花火から一つを選んで、小夜子さんは火を付ける。
 更生……更生なのか?
「小夜子さんはアイドルか何かだったの?」
「学校のアイドル、みたいなニュアンスならそうね。まあアイドルの語源は崇拝の対象だから、そっちでもあながち間違ってない気はするわね。仕事の方のアイドルは何度かスカウトが来たけど、何か取り返しのつかない事になりそうでスルーしてたわ」
「そうなんだ……」
 小夜子さんが手に持った花火がくるくると回転しながら暗闇に輪を描く。
 僕も小夜子さんに並んで、持ってきた花火に火を付ける。
 未梨亜さんがくれた花火は初めて見るような珍しい物が多くて、初めは別の話をしていた僕達もだんだん花火に夢中になっていった。
「あら? 何かしらアレ」
 最後の花火も終わってしまって、後片付けをしていると、小夜子さんが川の反対側を指さして不思議そうに言う。
 川を挟んで向かい側の指さされた先には少し背が高い雑草が生い茂っている。
「え、どれ?」
「ほら、何か紐みたいな物が上から伸びてる」
 言われて見れば、草むらから橋の天井まで、何か細い棒のような物が一本真っ直ぐ立っているように見える。
「ホントだ、なんだろ?」
「……ちょっと行ってみましょうか」
「う、うん」
「何も無ければ良いのだけど」
 小夜子さんの表情が曇って、僕はなんだか嫌な予感がした。
 僕達は背後にある土手を上ると、橋を渡って、また土手を下る。
「……何も無くは、無かったね」
 天井から真っ直ぐ伸びていたのは一本のロープだった。
 ロープの下にはコンクリートブロックが結びつけられていて、血まで付いている。
 更にその下には、一人の男の人が頭から血を流してうつ伏せで倒れている。
「良かった、まだ息はあるわ」
 男の人の口元に手をやって、小夜子さんは安心したように言うと、すぐに救急車と警察を呼んだ。
「こんな風に頭を強く打っている時は、下手に動かしちゃダメよ」
 うつ伏せで寝ている男の人の身体を仰向けにしようとしたら、小夜子さんに注意されて手を引っ込める。
 だけど、僕はこの人の顔に見覚えがあった。
「この人、花火大会の時にわざわざ証言しに来てくれた人だよね」
「ええ、この眼鏡とヘッドバンドは間違いないわね」
 僕の言葉に小夜子さんは頷く。
「この前はヘッドバンドじゃなくてバンダナだったよ」
「あら、そうだったかしら」
 そんなやり取りをしながら、僕達は倒れている男の人を観察する。
「倒れている原因は、このブロックが頭に直撃したからなんだろうけど」
 男の人が倒れているすぐ目の前には三脚で固定されたカメラがある。
 位置的に、花火をしていた僕達を撮影していたんだろう。
「このコンクリートブロック、血以外でも濡れてるわね」
 天井から吊されたコンクリートブロックの写真をスマホで撮りながら小夜子さんは言う。
「たぶん、左右のどちらかに……あった」
 辺りをキョロキョロ見回した小夜子さんは、橋の影から出た辺りに街灯に照らされてキラキラ光っている塊を見つけてまたスマホで撮影する。
「何これ、氷?」
「この氷を使って、ブロックをあの橋のへりに固定してたんじゃないかしら。こう、何も無いとギリギリバランスを崩して下に落ちる位置にブロックを置いて、その上に大きめの氷を乗せて重さのバランスを取るの。後はこの暑さで氷がブロックを押さえきれない位に溶けたら……」
「バランスの崩れたブロックが下に落ちて、ロープに繋がれてるからそのまま振り子みたいに動いてこの人の頭にぶつかった?」
 じゃないかしら。と、小夜子さんは僕の言葉に頷く。
 僕達はもう一度ロープがぶら下がっている場所へと戻る。
 ロープは橋の鉄骨を補強するように渡された細い部品が交差する部分に引っかけてある。
「この橋の天井は結構高いのに、どうやってあんな所に紐を通したんだろ」
「高いと言っても、せいぜい七、八メートル程度だもの。そんなの簡単よ」
 言うなり小夜子さんはその辺に落ちていた石を天井に向かって投げる。
 石はロープの渡されている補強部分と鉄骨の間を通って地面に落ちた。
「確かに、石は投げたら届くけど……」
「その石なりボールなりに釣り糸でもなんでも軽くて強い糸をくくりつけておけば、跡からロープの端にソレを結んで、反対側から引っ張り上げられるわ」
「なるほど……」
 小夜子さんはむき出しの地面に石で図を描きながら僕に説明する。
「後は同じように橋の上にも糸を結んだボールを投げて、後からロープを引き上げればいいわ。そして橋の上に置いておいたコンクリートブロックにロープを結んで、歩道の下のへりに乗せれば完成よ。ここ、向こうの橋と違って車の交通はほぼないし」
 小夜子さんが顔を上げた視線の先には、大きな道路に直接繋がっているここよりも太くて立派な橋がある。
「原理はわかっても、この仕掛けを用意する手間を考えると大変そうだなあ」
「……そうね。こんな仕掛けを思いついてもわざわざ本当に作って実行するなんて、きっと頭のいいお馬鹿さんなのね。いっそロマンチックだわ」
 推理小説でもあるまいし、とため息交じりに小夜子さんは言うと、視線を倒れている男の人に戻す。
「小夜子さん、これは明らかに誰かの仕業だよね?」
 男の人の上にぶら下がるコンクリートブロックとソレを支えるロープを見ながら僕は言う。
 本当に推理小説みたいだ、と僕の胸は高鳴る。
「気候の変化で起こる自然現象では無いわね……ああ、やられたわ」
 突然小夜子さんが右手で額を押さえて悔しそうに言う。
「やられたって、どういう事?」
「この仕掛けを使えば、わざわざ橋の上にいなくても、時間経過でこのブロックをこの辺にいる人間にぶつける事が出来るわよね」
「そうだね」
 それがどうしたんだろう。
「このロープの長さと位置は、ちょうど草むらに寝転がって隠れながら対岸の私達を撮影している彼の頭にしっかりブロックがぶつかるように調整されているわよね。まあ、そうじゃないと、こんな事になりっこないんだけど」
「つまり、犯人は最初から僕と小夜子さんの様子を撮影するこの人を狙ってこんな仕掛けをしたって事?」
「でしょうね」
 小夜子さんが頷く。
「でも、この暑さで氷が重りの役を果たさない位に溶けるのなんて、せいぜい一、二時間位でしょうから、ブロックとロープのしかけ自体は人目につかない早朝や深夜に出来ても、いざ氷を置いてこの時限式の仕掛けをセットするには、今から一、二時間位前にこの場所に来る必要がどうしてもあるわ」
「まあ、そうだね」
「今日、ここで花火をしようと決めたのは?」
「小夜子さんだよ」
「いつ決めた?」
「花火やる直前……」
「こんなコンクリートブロックがあんな高い場所から勢いよくぶつかってきたら、最悪死ぬかもしれないわよね」
「うん……」
「私は、この人が私達のストーカーさんで、こうして盗撮している事を花火大会の日から知っているわ」
「そう、だね」
「つまり私は、この犯行に必要な情報を持っていて、実行可能で、動機がある一番怪しい人間なのよ……」
 小夜子さんの質問に答えながら、僕はやっと今の状況を理解する。
「僕も、一応その条件に当てはまらないかな?」
「当てはまるけど、小学五年生の男の子と成人済みの女なら、後者の犯行と考えるのが一番自然なんじゃないかしら。しかも私は今まで何度も自分のストーカーさんと揉めてる経歴があるから……」
「ああ……」
 つまり、現状この事件の一番有力な容疑者は小夜子さんだ。
「私達が花火を始めたのは約三十分前で、その頃にはこんなロープはぶら下がってなかった。つまり、ブロックはその間に振り下ろされた。多めに見て、今から大体三時間前までの連続したアリバイがあればなんとかなりそうだけど……」
 小夜子さんの言葉に、僕はふと思い出して男の人が固定しているカメラを見る。
「あ、まだ動画撮ってる」
「少なくとも、私達がここで本当に花火をやっていたのかって事はこれで証明出来そうね」
 カメラから少し離れた場所で、小夜子さんが小声で話す。
「後、マンションの防犯カメラの記録で出入りを証明出来ないかな。そしたらその時間には家にいましたっていうのもわかるし……」
「今日は水族館に出かけてたから、電子マネーの履歴で最寄り駅に帰ってきた時間は証明できるわね。問題はこの橋が駅からの道すがら簡単に寄れてしまう点だけれど……」
 何かを思いついた様子でまたスマホを取り出した小夜子さんは、SNSのアプリを立ち上げる。
 急募 私の本日のアリバイ 十六時頃~十九時頃まで 駅から自宅までの映像 日付もわかると尚よし
 そんな言葉を並べて小夜子さんは記事を投稿する。
「いくら魅了体質だからって、そんな毎回都合良くストーカーさんが動画とか撮ってないよ」
 僕が小夜子さんにそう言った直後、小夜子さんのスマホのバイブが震える。
「あ、匿名だけどいい映像もらったわ。ほら、これだと駅前の看板も映ってる」
「なにこれこわい……」
 素直な感想だった。
 その後すぐに救急車とパトカーが到着した。
僕達ができるだけ解りやすく状況を説明しつつ、アリバイを提示したら、用意周到過ぎて逆に怪しいという反応をされたけど、それ以上は追求されなかったのでたぶん大丈夫だろう。

「刑事さんも言ってたけど、今回はホントに被害者を見つけてからの行動に全く無駄が無かったね」
「一瞬でも、こんな事で疑われるのは嫌だもの」
 帰り道、僕が小夜子さんに言えば、少し拗ねたように小夜子さんは答える。
「小夜子さん、もしかして犯人に心当たりある?」
「さあ、どうかしら」
「いつもなら、犯人は私のストーカーさん達の中にいるわ! とか言い出しそうなのにと思って」
「……私だって、いつもそんなんじゃないわよ。でも、そうね」
 いや、いつもそんなんだったよ、と喉まで出かかったけど、僕はそれを飲み込む。
 隣を歩く小夜子さんの目に、明らかな怒りの感情があったからだ。
「この落とし前はちゃんと付けてもらわないとね」
 犯人が誰か、小夜子さんはもうわかっている。
 わかったうえで、通報はしないでいる。
 直感的に、そんな気がした。

「小夜子さん、お風呂あいたよ~」
 ドアをノックして、僕は声をかけながら小夜子さんの部屋に入る。
 すると、ベッドに腰掛けて本を読んでいた小夜子さんと目が合う。
「ああ、ありがとう由乃くん」
「それは?」
 小夜子さんの手にある本は、なんだか僕の知っている本と少し形が違う気がする。
「ああ、これは学生時代の同人誌よ。文芸サークルの活動の中にはこうやって自分で書いた小説を本にするのも含まれててね、文化祭でこういう同人誌を作って売ったり、他の学校の人達ともそれぞれ書いた小説を見せ合ったりしたわね」
「ふうん、それって楽しいの?」
「私は楽しかったわ~特にこの人の小説がお気に入りだったの」
 そう言って小夜子さんは本の表紙を僕に見せる。
「忙殺寺ミロク……変な名前」
「まあペンネームだから」
「そういえば、小夜子さんにもペンネームってあるの?」
「あるわよ。竹川夕っていうの」
 そう言って小夜子さんはベッドの前にある本棚を指さす。
 本棚には竹川夕が出版した本が何冊か並んでいた。
「どうしてその名前にしたの?」
「本名をちょっともじっただけね。本名でやると大変そうだから」
「じゃあ、皆ペンネームでやってるの?」
「本名でやる人もいるけど、大体はそうじゃないかしら。本名をもじったり、願掛けやダジャレで付ける人もいるわね」
 言いながら、小夜子さんは膝の上に置いた小説の表紙をなでる。
「それ、文芸サークルの人の小説?」
「内緒。でも、一番好きな作家さんだったわねえ……また書いてくれないかしら」
「忙殺寺ミロクって人は、どんな小説を書いてたの?」
「主に推理小説ね。鬱屈した自我を研ぎ澄まして切りつけてくるような、私には書けないタイプの小説だわ」
「ふうん、小夜子さんそういうのが好きなんだ」
 一瞬、小夜子さんの瞳が見開かれる。
「ええ、好きよ。この人の小説はね。じゃあ、私もお風呂入ってくるわね」
「その本も持ってくの?」
「なんだか久しぶりに目を通したら、止まらなくなっちゃって」
 そう言って小夜子さんはお風呂へ向かう。
 僕は自分の部屋に戻って考える。
 今日、僕達以外に僕達が花火をすると、知っていた人間がいる。
 僕達に花火をくれた未梨亜さんと至道さんだ。
 花火をもらった直後に小夜子さんはこれから花火をやるから一緒にどうかと二人を誘っていた。
 でも、元々小夜子さんの性格をよく知っていたのなら、今回の小夜子さんの行動はもっと早い段階で予想しやすい。
 小夜子さんは基本的に興味を惹かれたらすぐ行動したいタイプの人間で、変わった物や新しい物も好きだ。
 花火専門店で沢山変わり種の花火を買ったからお裾分けすると言われれば、すぐに試したがると簡単に想像はつく。
 そして、法律やルールはちゃんと守る性格なので、小夜子さんの住むマンションからあの土手が一番近い事がわかる。
 魅了体質やその事に関する小夜子さんのスタンスをどの程度理解しているかはわからないけれど、こんな時、小夜子さんなら橋の下を選ぶ事も予測できただろう。
 こうして、小夜子さんが花火をする日時と場所は特定出来る。
 次に被害者のストーカー、この人が橋の下で花火を楽しむ小夜子さんを気付かれないよう撮影しようとした場合、僕達のいた場所では見晴らしが良過ぎて隠れる物が無い。
 一方で川を挟んだ対岸なら、正面から花火で遊ぶ小夜子さんを撮影出来るうえ、川岸に沿って生えている少し背の高い雑草に寝そべって身を隠せる。
 小夜子さんのいる対岸の、川からカメラを一台挟んだ程度の距離、その横軸さえわかれば、後はその真ん中のちょうどいい位置にロープをかけて、コンクリートブロックが頭を直撃するような高さに調節すればいい。
 ……ものすごく手間で、小夜子さんの性格やその他関連情報を熟知している必要はあるけれど、出来ない訳じゃない。
 なんだか小夜子さんは最初から気付いていて、僕にソレを隠そうとしているような気がするけれど。 
「忙殺寺ミロク……」
 僕は小夜子さんの読んでいた小説の作者を思い出す。
 スマホで検索してみたけど、そんな名前は出てこない。
 ただ、関連で弥勒菩薩の記事が出てきた。
 弥勒菩薩……将来悟りを開くことを約束された存在。仏陀になるために修行していて、衆生を救済してくれる菩薩。
 ペンネームは、本名をもじっただけの場合もあると、小夜子さんは言っていた。
 この時、僕にある想像が浮かんだ。
「シドウロクって、どういう字だろう」
 スマホでシドウ、と打って変換する。
 始動、指導、私道、志藤、至道……六、録、禄、碌、勒……。
「道に至る弥勒……弥勒菩薩……菩薩……忙殺……」
 少し強引な言葉遊びだけど。
 でも、もし至道さんが忙殺寺ミロクで、小夜子さんの元彼なら、色々と合点がいく気がする。
 だとすると、最初会った時に至道さんが小夜子さんと初対面みたいな反応してたのは、なんでだろう?
 僕は至道さんと未梨亜さんに初めて会った時の事を思い出す。
 あの時、最初に未梨亜さんが小夜子さんに気付いて話しかけて来たんだ。
 そして、話の流れでお互いの連れを紹介していた。
 ……未梨亜さんは、小夜子さんと至道さんに面識があったと知らなかったんじゃないか?
 二人が元恋人同士なら、至道さんは今の彼女を連れてて、気まずいと思うかもしれないし、小夜子さんも未梨亜さんが自分達の過去の事を知らないなら、あえてその事を言わなくてもいいと考えたのかもしれない。
 もし、未梨亜さんがとても焼きもちを焼きやすい性格なら、余計に二人はその事を黙っていようと考えそうだ。
 だとすると、至道さんは別の大学の文芸サークル出身か、未梨亜さんが卒業した後に入った人だろうか。
 ……もしかして花火大会の夜、ママ太郎先輩を突き落としたのは至道さんなんじゃないか?
 本当に小夜子さんは鏡を使って林の奥で至道さんがママ太郎先輩を突き落とす瞬間を見ていた……なんて。
 東雲さんも、現場にはママ太郎先輩以外にもう一つ男物の靴跡があったと言っていた。
 まあ、その足跡のサイズも、至道さんの靴のサイズも知らないんだけど。
 小夜子さんは、犯人がわかっていたのに隠していた?
 ……でも、この落とし前はちゃんと付けさせると言っていたので、明日辺りにでも殴り込みに行くのかな。
 それならそれで楽しみだ。
 翌日、僕は小夜子さんが至道さんの所へ殴り込みに行くんじゃないかとワクワクしていた。
 アクション映画でこれから敵との決戦だというシーンでワクワクするのに似ている。
 そして当然僕は小夜子さんについて行って、その現場を見られるものだとばかり思っていた。
 だって、今まで大体そうだったから。
 ところが僕の期待は裏切られる。
「お留守番?」
「ええ。私は今日これからある人と大事な話し合いがあるの。そして、それは由乃くんの教育にはあまりよろしくないものだから。今日は大人しくお留守番してて欲しいのよ」
「昨日言ってた、犯人の人に落とし前を付けてもらいに行くの?」
「……そんなところね。明るい内には帰る予定だけど、お昼は勝手に食べちゃってちょうだい。家にある物は好きに食べていいし、一応お昼代も渡しとくわね」
 そう言って小夜子さんは財布から千円札を出して僕に渡す。
「うん、わかった」
 今、家には僕の朝ご飯用のシリアルと小夜子さんの完全栄養食、そしてジュースしかないので、お昼は何か買いに行こう。
「由乃くん、くれぐれも知らない人にはついて行っちゃダメだし、私の知らない間に私の知り合いって人がやって来ても、家に入れちゃダメよ」
「わかってるよ」
「私の後をついて来てもダメよ」
「……わかった」
 自分の考えが見透かされているようでちょっと悔しい。
 小夜子さんが正面出口から出かけて行くのをマンションのベランダから見てたら、小夜子さん僕の方を振り向いて、笑顔で手を振ると、さっさと影になって見えない道へと入ってしまった。
「……気になるなあ」
 本当は、エレベーターに小夜子さんが乗った後すぐ階段から降りて、後を追いたかった。
 だけど、小夜子さんはそれを見越してか、小夜子さんが下に降りて出かけていくのをベランダで見送るように言ってきた。
「どうしてもついて行っちゃダメ?」
 食い下がってもみたけど、
「どうしてもダメ」
 笑顔で却下された。
 それからしばらくはふてくされてずっとゲームをやっていたけれど、一時過ぎになって空腹の方が気になり始めた。
 ハンバーガーとか食べたい。と思った僕は、小夜子さんからもらった千円札を財布に入れて、駅前へ向かった。
 すると、意外な人間を見つけた。

「至道さん?」
 僕が声をかければ、至道さんは意外そうな、困惑したような顔で僕を見る。
 まさか話しかけられるなんて思ってなかったとでも言いたげだ。
「あれ、君は確か……未梨亜の友達の親戚で……」
「由乃だよ」
「今日は一人かな?」
「うん。小夜子さんは大事な用事があるんだって」
「ああ、それで……いや、なんでもないよ」
 至道さんは何か思い出したように言いかけて止める。
 軽く鎌をかけたつもりだったのだけど、これはもしかしてあたりかな?
「ねえ、至道さんはこの後、時間ある?」
「え、ま、まあ用事はもう終わったし大丈夫だけど……」
 ということは、思ったより早く小夜子さんのお説教は終わったのだろうか。
 単純にそこから逃げ出してきたという可能性もありそうだけど。
「僕、至道さんとお話してみたいな」
 上目遣いで、できるだけぶりっ子して言ってみる。
 前に小夜子さんから聞いた話が正しいのなら、魅了体質の人間からこうねだられれば、十人中九人はちょっと話す位まあいいかと受け入れてくれるはずだ。
「え、僕と?」
 全くの予想外みたいな顔で至道さんは僕に聞き返してくる。
 でもちょっと嬉しそうなので、子供から慕われるのは満更でもないらしい。
「ダメ?」
 もう一押しでいけそうな気がした僕は、今度は至道さんの左手を両手で持って、また上目遣いで聞いてみた。
「ダ、ダメじゃないけど……」
 そわそわしながら至道さんが答える。
「やったあ、至道さんって、僕の周りにはあまりいないタイプの人だから、お話してみたかったんだあ」
「あ、あまりいないタイプってどういう……」
 心配するように至道さんは聞いてくる。
 小夜子さんがこんなに入れ込むような人はあまりいないのでつい言ってしまったけど、これは僕の口から本人に言っていいのか。
「ないしょ!」
「内緒かあ……」
 とりあえず笑ってごまかしたら、至道さんは安堵したような表情になる。
「ねえ、至道さんはもうご飯食べた?」
「いや、まだだよ」
「僕、今日のお昼は一人なんだ。ハンバーガーとか食べたいなあ」
「じゃ、じゃあ、一緒に食べようか」
「わぁい!」
 こうして僕達は駅前のファーストフード店へ向かった。

「由乃くんはどれにする?」
「うーん、ハンバーガーのAセットかなドリンクはコーラにする」
「わかった」
「えっ」
 至道さんは僕の話を聞くなりレジに行って僕の分と至道さんの分の注文を済ませてしまった。
「僕お昼のお金はもらってるし、自分の分は自分で払うよ」
「これ位なら僕が払うよ。使わなかった分は自分のお小遣いにしたらいい」
「いいの? ありがとう!」
「……」
「え、どうしたの?」
 図らずもお昼代が浮いてラッキーだと思っていたら、至道さんが急に黙り込む。
「いや、まさかハンバーガーセットをおごった位でこんなに喜ばれると思わなかったから……」
「なんで? 僕嬉しいよ?」
「それは……僕も嬉しいな……」
 至道さんはどうやら感動しているらしかった。
 僕もまさかお礼を言っただけでこんなに感動されるとは思わなかった。
「ねえ、至道さんの字ってどう書くの?」
 空いている適当な席に至道さんと並んで座った僕は、早速一番聞いてみたかった事を聞いてみる。
「え、こう、だけど」
 スマホのメモ帳に表示された【至道勒】の文字に、僕はにわかにテンションが上がった。
「へえ、道に至る弥勒……弥勒菩薩だね!」
「……名前負けだよ」
 ちょっと得意気になりながら僕が言えば、至道さんは気まずそうに目を逸らした。
「そうかなあ」
「道に至る所か、今まで何一つ成し遂げられなかった人生だよ」
 自嘲気味に至道さんが言う。
「至道さんは、どんなお仕事してるの?」
「……勒」
「え?」
 僕は首を傾げる。
「由乃くんには、下の名前で呼んで欲しいな」
「勒さん?」
「うん」
 僕が名前で呼べば、勒さんは満足気に頷く。
 急に僕と勒さんの心の距離が縮まった気がする。
 今まで特に意識してこなかったけど、これが魅了体質の力なのか。
「勒さんは、どんなお仕事してるの?」
「しがない会社員だよ」
 思ったより普通だ。
「ふーん、でもそれだと勒さんは未梨亜さんとどう知り合ったの? 接点無さそうだけど」
 髪型から服装から、未梨亜さんからは会社勤めという雰囲気がしない。
「……共通の趣味を通してSNSで知り合ったんだ」
 少しぼかすように勒さんは言うけど、それが小説を書くような集まりだったのかな。
 あの小夜子さんがあんなに全力で警察沙汰にするのを避けたがってるなんて、よっぽど面白い小説を書くのかな。
「そこから未梨亜さんと仲良くなったんだね」
「そうだね。仲良く止まりだけど……」
 何か含みのある言い方だ。
「仲良く止まりって、仲良くなるより先があるの?」
「えっ、ま、まあそれは、心を開いてくれるというか、身を預けてくれるというか……うん、そうだな、彼女にはもっと信頼されたいんだ」
 僕が尋ねれば、なぜだか勒さんが急にドギマギしだした。
「でも、二人は付き合ってるんだよね?」
「付き合ってるって言っても、俺はたまたまキープから彼氏に昇格出来ただけだから……」
「キープって何?」
「ご、ごめん! 由乃くんはまだ知らなくていいんだ!」
 また勒さんは慌てる。
「あ、いや言葉の意味は知ってるんだけど」
「知ってるの!?」
「お母さんの見てたドラマとかで……」
「そ、そっか……」
 勒さんはさっきから慌てたり安心したり忙しいな。
「そうじゃなくて、なんで勒さんが最初から一番じゃないのかなって思って」
「かっ……買いかぶりすぎだよ由乃くん!」
 あ、なんか嬉しそうにもじもじしだした。
「それに、相手は生花店をチェーン展開するやり手の経営者だったんだ。僕なんかじゃ相手にならないよ」
「え」
 困ったように笑う勒さんの言葉に、僕は固まる。
 一瞬、最近逮捕された小夜子さんのストーカーを思い出したからだ。
「どうかした?」
「ううん、勒さんは運良く未梨亜さんの彼氏になれたって言ってたけど、その人に何かあったの?」
 いや、まだそうと決まった訳じゃない。
 生花店の経営者なんて、別に珍しい職業という訳でもないし。
「人を殺して逮捕されたらしいよ。飲み物に毒を混ぜるイタズラをして三人位殺したって……ああ、由乃くんもそのニュースを見たのかな?」
「う、うん、一時期ワイドショーでやってたから……」
 下田さんだった。
 その手口は間違いなく下田さんだ。
「えっと、勒さんはその事件の事、どこまで知ってるの?」
「彼女のスマホでそいつの名前を突き止めたら、その後すぐに逮捕されたニュースを見ただけだよ」
 ……だけってなんだ。
 勒さんはサラッと未梨亜さんのスマホを勝手に見てます宣言をする。
 これは、お母さんが好きなドラマやバラエティ番組でよく話題になるやつだ。
 恋人のスマホを見る事に抵抗がなくて、相手の動向を探ろうとするのは、ストーカー的な気質に繋がるんじゃないだろうか。
 小夜子さんの性格や行動パターンを熟知していないと不可能な昨日の犯行を思い出す。
「由乃くんは、昨日一緒にいたあのお姉さんと暮らしているみたいだけど、両親はどうしたんだい?」
「えっと」
「……いや、答えたくないならそれでいいんだ。ごめん」
 魅了体質の事は伏せたうえで、どう説明したら良いんだと僕が返事に困っていると、急に勒さんが申し訳なさそうな顔をして謝ってきた。
 何か、変な誤解をされている気がする。
「家庭の事情で、十八歳になるまでは小夜子さんと暮らす事になったんだ」
「ごめん。不躾だったね」
 僕が答えれば、ますます勒さんは恐縮する。
 誰にでも話せる最低限の情報を開示すると、いかにも訳ありっぽくなってしまうけど、それ以外にどう説明したらいいのかわからない。
「勒さんはさ、未梨亜さんのどんな所が好きなの?」
 こんな時はさっさと話題を変えてしまうに限る。
「……俺はさ、俺がいないと死んじゃうような、不安定でか弱くて、俺の愛情を確かめようとわがままを言っては余計に不安になってしまうような子が好きなんだ」
「へ、へえ……」
 随分具体的に勒さんは例をあげる。
 でも、たぶんそれはなるべく関わらない方がいいタイプの人だと思う。
「いつも、そんな感じの幻想を相手に期待するけど、実際皆たくましいよ。俺がいなくたって生きていけるし、強い。そもそも俺の代わりなんていくらでもいるんだ」
 ……もし、この人が小夜子さんの元恋人だとしたら。
 この人が小夜子さんと付き合って別れた原因が少しわかるような気がする。
「それにここだけの話、男子校出身だからか、女の子って未知の生物に思える」
 内緒話でもするように勒さんは言う。
 僕にとって小夜子さんは未知の生物だけど、仮に小夜子さんが男でも同じような感想を持っていたと思う。
「勒さんの言ってる事はよくわからないけど、よくわからないから、知りたくなるんじゃないかな……僕、勒さんと友達になってみたいな」
「そ、そうだね……! 僕も由乃くんの事がもっと知りたいよ」
 僕が連絡先の交換を提案したら、勒さんは二つ返事で連絡先を教えてくれた。
 小夜子さんの態度も気になるし、今後勒さんの連絡先は役に立つかもしれない。

 夕方の六時を回った頃、やっと小夜子さんは帰ってきた。
「ただいま~、帰りにお見舞いに行ってたら遅くなっちゃった。でも美味しそうなお惣菜買って来たわ」
 そう言って小夜子さんはテーブルの上にヒレカツやロースカツメンチカツなんかが入った袋を置く。
「わあ、ほんとだ」
 揚げ物はテンションが上がる。
「あと、犯人と思しき人はきっちりしめておいたから、きっともう大丈夫よ」
「そ、そっか……」
 もしかして、勒さんが妙に挙動不審だったのは小夜子さんが怖かったからだったりするのかな?
「でも念の為に私の対ストーカーさん用アカウント注意喚起はしておきましょうか。大介侍(だいすけざむらい)さんも、汗止めに付けてたタオル地のヘッドバンドと生まれ持っての頭蓋骨の厚さが無ければ即死していたらしいし……怪我が治れば元通り生活出来るそうだから良かったわ」
「あの人、大介侍っていうの」
「ハンドルネームだけどね。一応調べてみたけど、ガイドラインに沿って活動していたクリーンなストーカーさんよ。私達があの時気付かなければ、恐らく熱中症で命を落としていただろうし、そんな人が命を落としてしまうのは心が痛むわ」
 当たり前のように小夜子さんは言うけれど、クリーンなストーカーなんて存在しない。
 なぜなら、大前提としてストーカーという行為そのものがクリーンじゃないから!
「じゃあ、もう事件は解決?」
 今回は思ったよりもあっけない幕引きだった。
「そうね。また同じような事が起こらなければ」
「結局、犯人は誰だったの?」
「……まあ、昔の知り合いとだけ言っておくわ。幸い今回はまだ死人は出てないし。ママ太郎先輩も無事意識を取り戻して、犯人からは治療費以外はもらわないって言ってるの」
「ふーん」
 確かにそれは良かったけど……。
「あら、由乃くん不服そうね」
「だって、いつもは犯人が誰でどうなったかまで教えてくれるのに」
「こんな日もあるわ」
「じゃあ、一つだけ教えてくれる?」
「なあに?」
「犯人は、忙殺寺ミロクさん?」
 ニコニコしていた小夜子さんの顔が固まる。
「……どうして、そう思ったの?」
 真剣な顔になって小夜子さんは聞いてくる。
「なんとなく。手口も推理小説に出てきそうな感じだったし、事件の後忙殺寺ミロクさんの小説を読んでた時の小夜子さんを見てたら、ああ、だから警察沙汰にしたくなかったのかなって思っただけ」
 他にも色々と考えた事はあるけど、一番のヒントになったのはこの小夜子さんの言動だった。
「あと、花火大会の帰りに話した、実は犯人が小夜子さんの元彼っていうのも実はあってたんじゃないかなって思う」
「うーん、由乃くんを侮っていたわねえ……」
 唸るように小夜子さんは言う。
「じゃあ、当たり?」
「半分だけね。あの人と私は別に恋人だった事なんて無いわ。あの人の作品は好きだけど、あの人個人をそういう対象としては見られないわ。致命的に面倒くさい性格してるし」
「そうなんだ……」
 優しく僕の頭をなでながら小夜子さんは中々辛辣な事を言う。
「ただね、本当にあの人の作品は好きだから、あまり前科とか付けたくないのよ。あの人、気位の高さとおつむの出来の良さの割にメンタルが雑魚だから、また意味も無く自殺を図りそうで……」
 ため息交じりに小夜子さんは言う。
 なるほど、それは面倒くさい。
 大人しそうに見えたけど、人は見た目によらないものだ。
「まあ、なんにせよ、一件落着ね!」
 ぱちんっと両手を合わせて、小夜子さんは言う。
 この話はここで終わり、という事だろう。
 その日、僕達はそのまま解散して眠りについた。
 だけど、事件の方は一件落着してなかった。

「ぬをおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!! だ、誰か!!!!!!!! 誰かぁ!!!!!!!!」
 プールサイドにタンクトップ山田さんの野太い声が響き渡る。
 左右に手すりのあるジャグジー風のプールで、タンクトップ山田さんがプールの端に手をかけて水面ギリギリで身体を真っ直ぐ支えている。
 ちょうどまっすぐ立ってバンザイした体勢をそのまま横にしたような体勢だ。
 はたから見ると、異様に体格の良い男の人がただふざけているように見える。
 だけど、小夜子さんはすぐに異変に気付いてタンクトップ山田さんに駆け寄ると、まず手前側にある手すりの柵に引っかけられたI字型の金具を縦にして外す。
「……脚の方の糸は外したので、もう立てるはずです」
 周囲をキョロキョロ見渡しながら小夜子さんが言う。
 小夜子さんが取り外した金具にはよく見ると糸のような物が結ばれていて、
 ジャグジー風のプールに目を向ければ、下から上がってくる空気の形がある場所でだけ不自然な形になっていた。
 そこだけ上がってくる空気が二つに割れている。
 僕がそれをじっと見ていると、小夜子さんがプールに入り、奥にももう一つセットされていた糸のような物を手早く回収した。
「小夜子さん、それ……」
「ピアノ線ね。場合によっては人間の肉も切ってしまう、推理小説ではおなじみのアイテムよ」
 僕が尋ねれば、小夜子さんは回収したピアノ線を周囲から隠すように見せてくれた。
 どうやらI字型の金具の真ん中にピアノ線の両端をそれぞれ結んだものを、ジャグジー風プールの手すりに引っかけて、二本のピアノ線が張られていたようだ。
 近くでゼイゼイと息を上げながら座っているタンクトップ山田さんの足首辺りには左右一本ずつカッターか何かで真っ直ぐ切られたような傷があって、血がにじんでいる。
「死ぬかと思った……一度ならず二度までも命を救ってくれるなんて……小夜子さん、やはり貴女は俺の女神だ……!」
 小夜子さんの前にタンクトップ山田さんが跪く。
「いいえ、タンクトップ山田さんが助かったのは、腕を伸ばせばプールの端まで届く類い希なる体格の良さと全身を支える筋力、ジャグジーの空気があったとはいえ、水面に張られた異物に気付く動体視力、そして足下の状況から目の前の存在の危険性を理解して避けられる咄嗟の判断力によるものよ」
 首を横に振って小夜子さんは言う。
 そう考えるとタンクトップ山田さん、かなりすごいのでは。
「いや、しかし、前回も今回も、俺一人の力ではどうしようもなかった。貴女の知性があってこそです。俺の筋力と小夜子さんの知力、両方が合わされば、きっと無敵だ。そう思いませんか小夜子さん!」
 かなり興奮した様子でタンクトップ山田さんが言うけど、一体タンクトップ山田さんは何と戦うつもりなのか。
「ごめんなさい、私この程度のトラップも自力で脱出出来ない殿方はちょっと……」
「なんと……!」
 タンクトップ山田さんが愕然とした表情になる。
「くっ! 俺に、俺にもっと筋肉があれば……!」
 蹲って床に拳を叩き付けながら何か言っている。
「小夜子さん、今の……」
「面倒な事になる前に、早く帰りましょう。ピアノ線は回収したし、幸いまだ周りの人はカップルが騒いでる位にしか思ってないわ」
 内緒話をするように、近づいて小声で確認しようとすれば、小夜子さんは小さく首を横に振って足早に歩き出す。
「でも小夜子さん、さっきの防犯カメラに映ってるんじゃ……」
「たぶんあれはダミーよ。首振り動作が不自然だし、昼間にもLEDが常時点灯してるし、質感が安っぽい」
 後を追いかけながら心配すれば、小夜子さんは淡々とそれに答える。
「そ、そうなんだ……」
「仮に本物でも、こんなすぐ取り付けられる形のピアノ線じゃ、肉眼でも一見わからないし、カメラを通して見たら何が起こったか説明されないとわからないわ」
 つまり、自分達が黙っていれば、この出来事は起こっていないのと同じだと小夜子さんは付け加える。
「でも、タンクトップ山田さんがこの施設や警察に訴えたら」
「たぶんしないわ。タンクトップ山田さん、さっきの私の言葉でむしろトラップを回避出来なかった自分を恥じているから」
 立ち止まって振り返った小夜子さんに習って振り向けば、まだタンクトップ山田さんはジャグジー風プールの前で蹲っているのが見えた。
「ああ……」
「由乃くんは、相手の言葉を額面通りに受け止め過ぎちゃダメよ。相手がどういう立場と意図でそんな事を言っているのか気を付けないと、悪い大人に騙されてしまうわ」
「小夜子さんは、悪い大人?」
「世の中には完全な善人も、完全な悪人もいないと私は思ってるわ」
 ニッコリと小夜子さんは笑う。
「……忙殺寺ミロクさんは、悪い大人?」
「悪い寄りの、ダメな大人ね」
「あのトラップ、ちゃんと発動してたらどうなってたの?」
「初めの浅いところで脚を引っかけて水面に転んだら、タンクトップ山田さんの首にピアノ線が食い込んで、動脈まで届いたらそのままあそこは血の海になってたでしょうね。水場だからすぐに止血するのも難しいでしょうし……」
 わざわざピアノ線の位置が体格の良いタンクトップ山田さんの首に合わせられてたから、あれも最初からピンポイントで狙ってたのね。
 プールエリアを真っ直ぐ突っ切って歩きながら静かに小夜子さんは言う。
「小夜子さん、これからどうするの?」
「カチコミかしらね」
 小夜子さんの語彙がどんどんストレートで物騒になっていく。
「今までのやり方からして、相手の目的は、恐らく私に冤罪をかける事なんでしょうけれど……」
「なんで、忙殺寺ミロクさんはそんな事するの?」
「……私を貶めたら、相対的に自分の立場が上がるとでも思っているんじゃないかしら」
 冷たく言い放つと、小夜子さんは立ち上がる。
 気がつけば、男女それぞれの更衣室への分かれ道まで来ていた。
「由乃くん、今日はせっかくプールに遊びに来たのに、ごめんなさいね。埋め合わせはまた今度するわ」
 僕の方を振り返った小夜子さんは、申し訳なさそうに言う。
「小夜子さん、カチコミって、一体何をする気?」
「もう二度とこんな事をしようなんて考えないように、“説得”するだけよ」
 ピン、と回収したピアノ線を小夜子さんは両手に持って軽く引っ張る。
 説得するのに、どうしてピアノ線を引っ張るのか。
 一体小夜子さんは何をする気なのか。
「じゃあ、着替え終わったら出口に集合ね。帰ったら準備もしないと……由乃くん、悪いのだけど、今日の晩ご飯はまた一人でいいかしら?」
「う、うん……」
 小夜子さんが女子更衣室に入っていくのを見届けて、僕は走り出す。
 流石に小夜子さんが洒落にならない暴行や殺人事件を起こす前に止めないと。
 でないと最悪、小夜子さんと一緒に暮らせなくなってしまう。
 幸い、勒さんの連絡先は知ってる。
 そして、その事は小夜子さんに知られていない。
 先回りする事は十分可能だ。
 小夜子さんはなんだかんだ僕には甘いので、僕がその場にいたら、新聞に載るレベルの凶行には走らないはずだ。
 なんとかして、僕が小夜子さんのブレーキにならないと。
 ……上手くいく確証はないけれど。
 でも、少しでも上手くいく確率を上げる方法は思いつく。
 今の僕に必要なのは、筋肉だ。

 仕込みが終わって小夜子さんの家の自分の部屋に戻ると、早速僕は勒さんに連絡用アプリから電話をかける。
「ねえ勒さん、今から勒さんの家に行ってもいい?」
「えっ、急にどうしたんだい由乃くん」
「……ダメかな」
「ダ、ダメじゃない……! 由乃くんは今、どこにいるのかな」
「小夜子さんの家」
「じゃあ、この前花火を渡した駅までの道はわかる?」
「うん」
「じゃあ、その駅から僕の教える駅までおいで。切符代もこの前のハンバーガー屋でのお金が残ってるなら、十分足りる額だから」
「わかった」
「詳しい金額や乗り換えはメッセージで送るよ。とりあえず、電車に乗ったらメッセージを送ってくれ」
 思ったよりあっさり約束を取り付ける事が出来た。
 小夜子さんは部屋で何か準備をしているようで、家に帰ってからずっと籠もっている。
 僕はちょっと買い物に行ってくるとだけ小夜子さんに伝えて、家の鍵もちゃんと持ってから家を出る。
 アプリに送られて来た勒さんの家の最寄り駅までは、小夜子さんの家の最寄り駅から一回乗り換えで、三十分の比較的近い場所だった。

「待ってたよ由乃くん、迷わなかった?」
「うん、大丈夫」
 目的の駅に着いて改札を抜ければ、勒さんが笑顔で出迎えてくれた。
「今日は特に暑いから、はやく家に向かおう。二十分くらい歩くけど、クーラーは効いてるよ」
 それから、勒さんの後に付いてしばらく歩いた。
 日差しが痛い位に照りつけて、セミの声がうるさい。
「……暑い」
「あそこのコンビニでアイスでも買っていこうか」
 僕がポツリと呟けば、勒さんが少し先に見えるコンビニを指さす。
「いいの?」
「もちろん」
 笑顔で頷かれたので、その言葉に甘える事にした。
 涼しい店内で、アイスを買ってもらって、僕達はまた勒さんの家に向かう。
「あー、生き返る! 勒さん、ありがとう」
「うん、うん……!」
 買ってもらった棒アイスを食べながらお礼を言えば、勒さんはとても嬉しそうだった。
 アイスを買ってもらった僕よりもずっと。

 ようやく着いた勒さんの家は閑静な住宅街にある一軒家だった。
 促されるまま開かれたドアをくぐれば、ひんやりとした空気が僕の肌をなでる。
 外が蒸し蒸しした暑さだったので、冷房の効いた部屋の中は息がしやすい。
「うわ、涼しい! おじゃまします」
「いらっしゃい、由乃くん」
「こんな立派な家に住んでたんだね」
 外からの見た目の通り、家の中は広々としていた。
「叔父の家の管理を任されてるだけだよ」
「ここには一人で住んでるの?」
「そうなんだ。部屋は余ってるし、僕一人には広過ぎて持て余し気味だよ」
「未梨亜さんは?」
「何度か同棲を持ちかけてみたんだけど、毎回断られてるよ」
 寂しそうに勒さんは言う。
 この家は、何か曰く付きだったりするのだろうか。
「広いし片付いてるし、僕はいいと思うけどな」
「なら、由乃くんがここに住んでみるかい?」
「考えとくよ」
 勒さんは結構真面目そうだから冗談なんて言わないと思ってた。
 でも、こんな軽口を言い合える位には仲良くなれているらしいと思うと、魅了体質で良かったと思う。
「小夜子さんと何かあった?」
 リビングに通されて、ソファーに僕と隣り合って座った勒さんは、深刻そうな顔で僕に聞いてくる。
「へ?」
「いや、言いたくないなら言わなくていいんだ。帰りたくないならここに泊まっていいし、ずっと居たっていい」
「……なんで?」
 なんだか、ものすごく的外れな心配をされている気がする。
「僕は由乃くんの味方だからね。頼ってくれて嬉しいよ」
「う、うん?」
 会話が噛み合ってないような。
 たぶん、純粋な善意から言ってくれているんだろうけれど。
「突然の事で急だったから、まだ掃除は行き届いていないけど、余ってる客間は由乃くんの部屋にしていいから。そうだ、日用品も買わないと」
「僕、別に家出してきた訳じゃないけど……」
 そして、いつの間にか勒さんの中で僕がここに転がり込むみたいになっている。
「えっ、そうなの……? なんだ、僕はてっきり……恥ずかしいな」
 きょとんとした顔になった後、勒さんは顔を赤らめる。
「勒さん、ちょっとトイレ借りてもいい?」
「トイレはリビングを出てつきあたりを右だよ」
「ありがとう」
 少し話した所で、僕はトイレに行くと言って勒さんから離れる。
 たぶん、後から小夜子さんもここに来るだろうけど、その前に家の大体の構造位は把握しておきたい。
 もしもの時の助けにもなるだろうから。
「うわ……」
 とりあえずトイレの位置を確認しようと廊下を歩いていたらドアがあったので、どんな部屋かと覗いてみた。
 その部屋には、小夜子さんの写真やいくつかのピンや書き込みのある付箋が付いた地図、橋やプールの写真、図形の書かれた紙なんかが壁に沢山張られていた。
 そして、その中のいくつかには見覚えがある。
 小夜子さんと花火をした橋の下、今日僕が小夜子さんと行ったプールの写真、振り子の図形や、プール施設の見取り図。
 きっとここで計画を練ったんだろう。
 振り返れば、ドア横の本棚に竹川夕の小説と、薄い冊子が何冊も並んでいる。
 犯行の動かぬ証拠以外の何物でもない。
 僕は音を立てないようにそっと部屋から出ると、そのままトイレへ向かい、鍵をかけると、急いでスマホでメッセージを打つ。
 リビングに戻る時、玄関の鍵とドアロックがなぜかかかっていたので、一応開けておく。
 途中いくつか大きめな窓はあったけど、侵入には不向きそうだったし。

「ところで、家出じゃないなら今日は急にどうしたんだい?」
 リビングに戻ると、勒さんが僕にお茶を用意してくれていた。
「もちろん普通に遊びに来てくれたって事ならそれはそれで歓迎するけど」
 個別包装のお菓子も用意されている。
「勒さんを助けてあげようと思って」
 出されたお茶を飲んで一息つくと、僕はまっすぐ勒さんを見る。
「僕を?」
「小夜子さん、すごく怒ってたよ。これからここに来る」
「えっ、なんで……?」
 ポカンとした顔で勒さんは聞き返してくる。
「心当たり、無い訳じゃないでしょ」
「…………」
 だけど、僕が念を押すように言えば、気まずそうに目を逸らした。
「あるんだね」
「えっと……小夜子さん、どれ位怒ってた?」
 縮こまったような、緊張した様子で勒さんが聞いてくる。
「ピアノ線を両手に持って、落とし前を付けるとか言ってたよ」
「そ、そっかー……」
 勒さんは遠くを見るような目で明後日の方を見つめる。
「僕、小夜子さんを殺人犯にしたくない」
「そんなに怒ってるの!?」
「当たり前だよ。危うく殺人犯に仕立て上げられそうになったんだから」
「まあ、そりゃそうだよね……」
 両手で顔を覆いながら、勒さんは深いため息をつく。
 そんな風に思うなら最初からやらなければ良いのに。
「小夜子さんは、それでも普段はこんなに怒らないよ。実際自分のストーカーさん達が次々殺されていって、自分に犯行の疑いをかけられてもゲーム感覚で犯人を推理して、寸劇を交えながら警察に突き出してたし」
「どういう事なんだ……」
 眉間に皺を寄せて理解し難いという顔で勒さんが僕を見る。
「だって、小夜子さんだよ?」
 僕は肩をすくめる。
 それが答えだ。
「そんな小夜子さんが今とても腹を立ててるのは、きっとお世話になった先輩を重体にされたからだし、勒さんが大事な友達だからだよ」
「友達……? 僕が、小夜子さんの……?」
「小夜子さんは、勒さんが書く小説が一番好きだって言ってたよ!」
「ん? 僕は小説なんて書いた事無いけど……」
 勒さんは怪訝そうな顔をする。
 ここまできて、勒さんが僕に嘘をつく必要性は無い。
「……忙殺寺ミロクは、勒さんじゃないの?」
「ああ、それは未梨亜のペンネームだよ」
「えっ」
 合点がいったとばかりに勒さんは手を叩く。
「忙殺される程売れっ子になって、自分を救いたいという思いからつけたペンネームだそうだよ。まあ、それは叶わなかったんだけど」
「……ならトイレに行く途中にある部屋はなんなの?」
「ああ、アレを見たんだね。それは未梨亜が持ってきたんだよ。自分の家にいる時まで小夜子さんの事考えたくないからって」
「考えなければ良いんじゃないの……」
「何もしない方が考えちゃうみたいだよ。特に狙ってた相手が小夜子さんに入れ込んで殺人事件を起こして逮捕された直後なんて、酷いものだったよ」
「そう、だったんだ……」
 つまり、忙殺寺ミロクは勒さんじゃなくて、未梨亜さん……?
 いや、でもママ太郎先輩が突き落とされた時、現場には男物の靴跡が……そこまで考えて僕は思い出す。
 花火大会の帰り、初めて会った時の未梨亜さんは、服も靴も全体的に身体に合わない大きめの物を身に着けていた。
 男物の、がっちりした服や靴を大きめに着るのが好きなんだろう。
 つまり、あの足跡は未梨亜さんの物だったんだ。
「大学で出会って以降、自分の一番欲しいものはいつも小夜子さんがかっ攫って壊していくんだって言ってたよ」
「それは……」
 もしかしたら、小夜子さんの魅了体質を起因とした対人トラブルがあったのかもしれない。
 小夜子さんの話だと、実際取り巻きはいて当たり前の存在だったみたいだし、芸能人でもないのにファンクラブまであったのなら、ソレを面白く思わない小夜子さんに無関心な人がいてもおかしくない。
「憎くて憎くてたまらないけど、それを表に出したら自分が悪者になるだけだし、何より一番腹立たしいのは小夜子さんが未梨亜のその考えを知ってもなお好意的に接してくる事だったらしい」
「ええっと……なんで?」
 じゃあもうどうしたらいいんだ。
「自分は小夜子さんの事が嫌いで憎んでいるのに、それさえ受け入れられて好意を向けられたら、圧倒的な器の違いを感じざるを得ない訳で、それが余計に彼女の自尊心を傷つけたらしい」
 面倒くさい……!
「だから未梨亜はそんな自分を見ないよう、大学卒業後は小夜子さんと距離を置いて、小夜子さんが自分の小説をいたく気に入っていた為に筆を折った。他にやりたい事、好きな事を探して、それまでとは違う自分になろうとした」
 ……なんというか、それは小夜子さんも未梨亜さんもお互いに気持ちがすれ違っていたようだ。
 未梨亜さんの面倒くさい性格は小夜子さんに伝わっていたし、それでも小夜子さんが好意的に接していたのは、未梨亜さんの書く小説が好きだったからだ。
 だけど、結果的に小夜子さんのその行動が未梨亜さんの筆を折らせてしまったのは皮肉としか言いようがない。
「そして、将来結婚したいと思う程好きになった相手が出来たけど、ある日その相手から一方的に別れを切り出された。その時だよ、僕が未梨亜と自殺希望者同士のグループで出会ったのは」
 未梨亜さんとは共通の趣味の集まりで出会ったと勒さんは言ってたけど、共通の趣味が重すぎる。
「ああ、僕は別に死にたかった訳じゃない。ただ、人生に絶望して死にたがっている子を救って、その子の生きる理由になりたかったし、僕の生きる理由になって欲しかった。今まで良くて二位止まりの人生だったから、せめて誰かの一番になりたかったんだ」
 自殺グループが出会い系みたいな使われ方をされてる。
 というか、この人も色々こじらせてるな……。
「出会った時、未梨亜は死にたがってた。そんな時に彼女の話をひたすら聞いて距離を詰めて、後日その彼が殺人罪で逮捕された時、正式に付き合う事になった」
 小夜子さん側からの下田さんとの話も知っているから、まるで風が吹けば桶屋が儲かるみたいな話だ。
「そこまでは上手く行ってたんだ。なのに、彼女の大学時代の知り合いが、最近男にふられたらしいという情報を聞きつけて、花火大会に誘ってきたんだ。そして、小夜子さん達の雑談の内容で自分が彼にふられたのも、彼が逮捕されたのも小夜子さんが原因だと知ってしまった……!」
 膝の上で握った勒さんの拳が小刻みに震えている。
「でも、それなら未梨亜さんが突き落とすべきは花火大会に誘った知り合いじゃなくて、小夜子さんじゃないの?」
 だからといって、小夜子さんを突き落とされても困るけど。
「それがそうはならなかったらしい」
 勒さんはため息交じりに首を振る。
「自分をふった相手が小夜子さんに入れ込むあまり殺人まで犯して逮捕された。何重負けなのかわからないその状況を知った時、一瞬相手が小夜子さんならしょうがないかと納得してしまって、その事がまた未梨亜の精神を苛んだ」
 未梨亜さんの性格、難儀すぎでは……?
「大学時代より更に大きな憎しみを抱えた彼女は、その発露について考えた。もし、自分の憎しみをそのまま小夜子さんに直接ぶつけたとして、それが成功したとして、小夜子さんはどんな反応をするのか」
 わからない。
「万が一にも小夜子さんにそれを許され、同情されたのなら、小夜子さんと未梨亜の立場は決定的なものになり、それで小夜子さんが命を落とせば、もう二度と覆らない呪縛となる」
 考え過ぎじゃないかなあ……。
 確かに致命的なまでに面倒くさい性格をしている。
 でも、たぶんそういうひねくれた考え方から生まれた未梨亜さんの作品が、小夜子さんは好きだったんだろう。
「そこで未梨亜は考えた。では一体どうなるのが一番自分の心を落ち着かせるのか。もし小夜子さんが、自分と同じか、それ以上に自分を憎んでくれたなら、その時やっと自分達は対等になれる。それが未梨亜の出した答えだった」
「……よくわかんないや」
 なぜ、その結論に行き着くのか。
「僕もよくわからないよ。だけど、未梨亜の中ではそれがロジックとして成立していて、その為に未梨亜は小夜子さんに殺人の冤罪を被せようとその計画をせっせと練っていた」
「ああ、だから大介侍さんが病院送りになって小夜子さんから色々言われても、気にせずプールにトラップを仕掛けたんだね……むしろ予定通りだから」
 つまり、小夜子さんに何を言われたところで、未梨亜さんには辞める理由にならないんだ。
「そうだね。そして、今の話だと、由乃くんが僕を忙殺寺ミロクと勘違いしていただけで、小夜子さんはちゃんと未梨亜の所に向かったんだね」
「うん、忙殺寺ミロクさんが犯人で、これからカチコミに行くとは言ってたから」
「なら良かった。これで未梨亜も満足して死ねるだろう」
 勒さんは安心したようには胸をなで下ろす。
「……え? それって、どういう事?」
「未梨亜は今、やっと小夜子さんと対等な状態になれた。けれど、この先小夜子さんが未梨亜の事を許す可能性はゼロじゃない。だから、二人のこの瞬間を永遠にしたいんだそうだよ」
「それは、未梨亜さんがカチコミに来た小夜子さんと無理心中しようとするって事?」
「僕に未梨亜は手に負えない。かといって、僕から未梨亜をふると、彼女のトラウマを刺激して刺されそうだからね。彼女の目的を応援して、厄介者同士消えてくれるなら、それが一番だよ」
「厄介者って……」
 穏やかに笑う勒さんに、僕は薄ら寒いものを感じる。
「由乃くん、小夜子さんがいなくなったら、君は一人ぼっちになっちゃうね。だけど大丈夫。これからは僕が君とずっと一緒にいてあげるからね」
「なに、言って……」
 急に強い眠気に襲われる。
 辺りがグルグル回って、身体を起こしていられない。
「やっと薬が効いてきた。頑張って長話した甲斐があったよ」
 遠のく意識の中、そんな声が聞こえた。

「やあ、由乃くん、目が覚めたかな?」
「タンクトップ山田さん」
 目が覚めたら、ゴツゴツした膝枕で寝てた。
「ああ! 俺が来たからにはもう大丈夫だ!」
 身体を起こして視線を向ければ、タンクトップ山田さんが大きく頷いた。
「クソッ! 一体なんなんだお前は! どっから入って来た、不法侵入だぞわかってんのか!」
 声がした方を見れば、ガムテープで拘束された勒さんが床に転がっている。
 どうやら、間に合ったらしい。
 合気道の心得がある小夜子さんが本気で暴れたら僕にはどうしようもない。
 そう考えた僕は、小夜子さんと更衣室前で別れた後、すぐにタンクトップ山田さんの元へ走った。
 怒りで我を忘れている小夜子さんが道を踏み外さないよう助けて欲しいと言ったら、二つ返事で協力を約束してくれた。
「名乗る程の名じゃないが、そう、あえて名乗るならば、通りすがりのタンクトップ山田さ」
 そう言ってタンクトップ山田さんは勒さんにサムズアップをしながらパチンとウインクする。
「だから、なんなんだよ!」
 勒さんの渾身の叫びだった。
 タンクトップ山田さんには小夜子さんを止めてもらう予定だったけど、結果的には僕が助かった。
「そうだ、小夜子さんが危ない!」
「何、どういう事だ由乃くん!」
 慌てて僕が言えば、タンクトップ山田さんが勢いよく食い付いてくる。
 僕はスマホを取りだして、小夜子さんにかけてみる。
 だけど、呼び出し音が鳴るばっかりで、全然反応が無い。
「未梨亜さんの家はどこ!」
 床に転がったままの勒さんに詰め寄る。
「急にどうした由乃くん」
「この人の彼女の未梨亜さんが今、小夜子さんと無理心中を謀ってるみたいなんだ!」
「何!?」
 僕達はタンクトップ山田さんが呼んだタクシーに乗り込み、勒さんの案内で未梨亜さんの住むアパートに向かう。
 車内では一番奥の席に未だガムテープで拘束された勒さんの横にタンクトップ山田さんさんが座り、その反対隣に僕が座っている。
「どうやって死ぬつもりだとか、未梨亜さんから聞いてないの!?」
「睡眠薬は、一瓶買ったのを二人で分けたから、今までの計画に使われてないなら、それを使うんじゃないか?」
 タンクトップ山田さんを挟んで僕が聞けば、勒さんがおずおずと答える。
「まさか睡眠薬を大量に飲ませて……」
「いや、最近の睡眠薬はどんなに飲んでも早々死ぬような配合じゃない。俺はサプリメントには詳しいんだ! 健康な筋肉は健康な身体に宿る!」
 僕の考えを、力強くタンクトップ山田さんが否定する。
「そういえば、勒さん随分ぐるぐる巻きにされたね。というか、よくそんなにガムテープ家にあったね」
 改めて勒さんを見る。全身ガムテープに巻かれた姿はまるで芋虫だ。
「……未梨亜が、メーカーごとガムテープの粘着力を試していたから、その余りを押しつけられたんだ」
「あっ……」
 決まり悪そうに答える勒さんの話を聞いて、僕は嫌な考えが浮かぶ。
「どうした由乃くん」
「睡眠薬飲んで、部屋に目張りして、ガスを部屋に充満させて一家が自殺するドラマ、昔お父さんが見てて怖かった記憶があるんだけど……」
 騒がしかった車内が沈黙に満ちた。
「急いでくれ! 俺達の大切な人の命が失われようとしているんだ!」
 タンクトップ山田さんの声が車内に響いた。

 未梨亜さんが住んでいたのは四階建てアパートの三階にある一室だ。
 勒さんはタンクトップ山田さんに抱えられて案内をさせられている。
「小夜子さん! 返事をしてくれ! ダメだ、鍵がかかってる」
「未梨亜さんの家の合鍵は!?」
「最初から渡されてない! 俺の家の鍵は渡したのに!」
 僕が背後に立てかけられた勒さんに問えば、哀しみに満ちた答えが返ってきた。
「隣の部屋から移れないか!」
「ダメだ、チャイム押しても出ない」
 しかも未梨亜さんの部屋は角部屋なのでその部屋以外お隣さんは存在しない。
「あの窓の柵外せない? 僕ならあそこから入ってドアを開けられる」
 僕は玄関横に取り付けられた柵に目をつける。
 あの柵ならタンクトップ山田さんの筋力でどうにか出来るかもしれない。
「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 力強い雄叫びと共に、柵は大きな音を立てて外れた。
 中にある窓にも鍵は掛かっていたけれど、タンクトップ山田さんは来ていたタンクトップを脱いで右腕に巻き付ける。
「ふん!!!!!!!!」
 かけ声と共に、小窓の磨りガラスも割れた。
「頼んだぞ由乃くん! ガスを吸わないように息を止めるんだ!」
 タンクトップ山田さんに持ち上げられて、僕は小窓から室内に侵入する。
 窓の下はキッチンで、すぐ下で空気が抜けるような音がする。
ホースが切られたガス栓を閉めてドアを開けようとすれば、想像以上にがっちりガムテープで目張りされていた。
 これじゃドアが開けられない!
 窓も、ドアも、全部しつこい位にガムテープで目張りされてて、どれも剥がしきるまで僕の息がもたない。
 小夜子さんと未梨亜さんは奥の窓の前で寝ているけど、そっちの窓にもぎっちり目張りがされている。
 何か窓を割る物があれば!
僕が部屋を見回すと、未梨亜さんが随分立派なトロフィーを抱えている。
 奪い取るようにそのトロフィーを持って、僕は重たい台座部分を窓ガラスに叩き付ける。
 窓が割れた瞬間、目の前の窓から、玄関の小窓に向かって風が吹き抜けていく。
 これならいける。
 それから僕はしばらく目の前の窓が窓枠しか残っていなくなるまで叩き割り続けた。
 途中ちょっと手を切ったけど、そんな事気にしてなんていられない。
 なんとか窓を割り終わって、手に持っているトロフィーを見れば、【文芸サークル合同 第一回小夜子杯】と書かれていた。
「小夜子さん! しっかりして! 小夜子さん!」
 僕が駆け寄って身体を揺すりながら声をかければ、小夜子さんは起きなかったけど、身じろぎをした。
 口元に手を持って行って、寝息を立てているのを確認して、僕は一息つく。
 そしてふと後ろに眠っていた未梨亜さんの方を見たら、寝転がったまま無言でこっちを見つめていた未梨亜さんと目が合った。
 心臓が止まるかと思った。
 怖い。
 僕はもう、散々この人が色んな仕掛けで人を殺そうとしたり、小夜子さんを陥れようとしたりしていたのを知ってしまった。
 というか、今まさに小夜子さんと無理心中しようとしていたのを目の当たりにしている。
「な、なんでこんな事するの! 僕から小夜子さんを取らないで! ストーカーさんならちゃんとガイドライン守ってよ! もっと周りの人を大切にしてよ! 相手を大切にしないから大切にされないんだよ!」
 自分でも何を言ってるのかよくわかんなかったけど、とにかく何か言わないといけないような気がする。
 実際、怖くてちょっと泣いた。
 よく吠える臆病な犬って、こんな感じなんだろうなって思う。
「好き……」
 だけど、未梨亜さんの第一声は全く予想外なものだった。
「えっ」
「私、これからはガイドラインを守ってちゃんと優しくする……ごめんなさい……」
「えぇ……」
 目に涙を溜めて、未梨亜さんはそんな事を言い出して、僕はただただ困惑した。

 結局、発見が早かったおかげで小夜子さんも未梨亜さんもすっかり回復した。
 小夜子さんは睡眠薬を盛られ過ぎたせいで救出された後も丸一日寝ていたけど、目を覚ました後はすっかりいつもの小夜子さんだ。
 勒さんに監禁されかけた件について、僕は小夜子さんに報告していない。
 未遂だったし、あの一件から自分を変えようとしているみたいだから。
 最近、勒さんはタンクトップ山田さんに鍛えられている。
「筋肉が足りないからそんな卑屈な考えになるんだ! ほら、ラスト一回!」
「ぐっ! もうダメだ……」
 画面の向こうでは、中々暑苦しい筋トレ風景が広がっている。
「よく頑張ったな! 勒くんの筋肉が喜びの声をあげているぞ!」
「由乃くん! 僕、頑張って由乃くんを守れるような強い男になるからね!」
「うん、二人共頑張ってね」
 タンクトップ山田さんとも普通に仲良くなった。
 最近はなぜかモチベーションアップの為とかで、ビデオ通話でトレーニング風景を見せられる事が多いけど。

 未梨亜さんは退院後、小夜子さんと和解し、今はネット上で小説を公開している。
「小夜子殺すべし……すごいタイトルだね」
「可愛い弟、由乃をさらっていった規格外に強いショタコン女剣客小夜子を一般人の主人公があの手この手で殺そうとする話なの。でも話自体は弟視点のミステリーなんだよっ」
 僕がスマホで未梨亜さんの小説を見れば、すぐ隣で未梨亜さん嬉しそうに内容を説明してくる。
「というか、あんな事があったのに結局和解するんだ……」
 僕が呟けば、未梨亜さんとは反対側に小夜子さんがやってくる。
「だって、それが一番未梨亜先輩へのダメージが大きいんだもの」
「わかっててやってたんだ」
「ええ。だって私、未梨亜先輩の小説は好きだけど、未梨亜先輩個人は嫌いだもの。だから嫌がらせに未梨亜先輩の事は許すし仲良くし続けてやるのよ」
「……つまり、好きって事?」
「ごめんなさい、私リアルなショタコンの人はちょっと……」
「違いますー私は由乃くんが好きなの! 他の子供には興味ないし、由乃くんが大人になっても大好きだよっ」
 からかうように小夜子さんが言えば、未梨亜さんは口を尖らせて拗ねながら僕に抱きついてくる。
「えっと、未梨亜さんはなんで急に僕に興味を持ちだしたの?」
「だって由乃くんったら、まだこんなに小さいのに、あの日私が本気で死ぬ為に準備した計画をほとんど一人で壊して、私を救って、私の為に泣きながら叱ってくれたんだもん」
 なんだか未梨亜さんの記憶がかなり脚色されている。
「あの、勒さんは……」
「別れたよ。今はあいつもライバルだから」
「そ、そう……」
「あらあら、由乃くんモテモテね」
 茶化すような、微笑ましいものを見るような目で小夜子さんは言うけれど、僕としては今まで未梨亜さんがやらかした事が怖過ぎてそれどころじゃない。
 そして、勒さんが一瞬僕に向けてきたあの感情は、一時の気の迷いであって欲しい。
「僕に言わせればほぼ修羅場なんだけど……」
「由乃くん、修羅場は楽しむものよ!」
 心底楽しそうに小夜子さんは言う。
 僕にもいつか、この状況を楽しめる日が来るんだろうか。
 まあでも、小夜子さんと一緒ならそれも悪くない。
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登場人物紹介

笹川 由乃(ささがわ ゆの)

本作品の主人公。

ある日突然発現した魅了体質が原因で小夜子のもとに預けられた小学五年生。

小夜子さんと一緒にいると心の中でツッコミが止まらない。

笹川 小夜子(ささがわ さよこ)

由乃の親戚で同じく魅了体質のお姉さん。

彼女の周りにはいつもエキセントリックな人達で溢れている。

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