前編

文字数 5,351文字

 1314年シテ島。
 テンプル騎士団の上位四人が生きたまま、火あぶりにされる。
 その様子を記憶に刻むように見つめる目があった――青年の名はギザという。
 父も、またその父もテンプル騎士団に属し、自分もいずれは父や祖父のような騎士になるのだと希望を抱いたのもつかの間、時が悪かったとしかいいようがない。
 世界中に散った騎士団の行方はわからず、みな息を潜め、この事態が落ち着くのをまっているのだから、見つけようとするのは難儀である。
 それでも見つけなくてはならないのだと、抱えている『もの』を改めて強く抱きしめた。
 ――必ず守ってみせます、このふたつの聖杯。
 ギザは秘密裏に託されたそれを、人目から避けるようにして島から持ち出し、船着き場へと向かった。
 船着き場には船が一艘だけあり、三人の男が待ち構えていた。
 ギザが知る唯一のテンプル騎士団の生き残りであった。

 時は流れ、フィリップ四世の統治国から無事脱することができた四人は、見知らぬ土地に流れつき、そこでその土地の者に溶け込み、ひっそりと暮らしていた。
 青年だったギザは大人の男となり、妻を娶り子を成していたが、その子供が旅に耐えられる歳に成長すると、妻に別れの言葉を告げずにその土地を去り、また見知らぬ土地へと流れていく。
 旅の途中では時折行先が同じなどの理由で、見知らぬ者たちと行動を共にすることもあり、そうした中で親しくなった男女が夫婦となり子を持つことも珍しくはない。
 多くは伴侶に素性を話すことなく時がくれば静かに分かれていく。
 ギザの子が、彼が聖杯を託された歳になると、自然と女性と恋に落ち夫婦となり子を持つ。
 ギザが辿った人生と似た道を歩くのだが、ふと疑問がわく。
 幾度となく沸いては消える疑問、ギザに聞いたこともあるが、大半は誤魔化されて終わってしまっていた。
 時折、知りたいことを話してくれても彼には理解し難いことで、無意識に頭の中で「これは理解してはいけないことだ」と処理をしてしまっていた。
「ねえ、父さん。どうして?」
 ギザの子の子が旅に耐えられる歳になると、立ち寄った町を出ることになる。
 妻をそこに残し、女の子供も残し、男たちだけで旅を続けることに疑問を抱かない若者はいない。
 ギザと共にシテ島を脱出したあの三人の子孫も同じだった。
 しかも問題はそれで終わることはない。
 当時のギザは青年といえる歳であったが、ほかの三人は彼よりも歳が上で、ギザの父と同期だった者もいる。
 ギザが成長すれば、彼らはその分、歳をとるのだ。
 当たり前のことを予知できなかったわけではないが、ここまで追われる生活をさせられるとは、当時の彼らは思っていなかったのだった。
「いずれ、話す。時を待て」
 どうしてと問う息子に、待てとしか言えないギザ。
 人知れず守らなければいけない聖杯の存在を話すには、時期が悪すぎる。
 まずは、今にでも命の灯が消えそうな、あの三人の中で一番の年長であった者を、どうするかが目先の目標だからだ。
「ギザ、来てくれ。あの人が呼んでいる」
 三人の中で一番の年長者の命があと僅かで切れる、伝えに来たのはその者の部下であり、歳の差は親子ほどあったが、ギザよりは上で、近い将来、その者の命も尽きる。
「わかった。今行く。あの人にも声をかけてくれ」
 呼ばれたギザは何かの覚悟を決め腰を上げる。
 息子に「すまない」と軽く断りの言葉を告げ、小箱を持ってその場を後にした。
 息子でさえ目にしたことのない小箱の存在、それこそが今はまだ最初の四人しか知らない聖杯のこと。
 聖杯本来の意味を知っているのは、まだギザだけだということを、とりあえず言っておく。
ギザが最年長の男のところへと着くと、鉢合わせするかのようないい具合で呼びに来た男と、もうひとりの男がその場所に着く。
 最年長と呼びに来た男が親子ほどの歳の差だとすれば、もうひとりの男はその中間くらいであった。
 四人の顔が揃うと、ギザは抱えていた箱をほかの三人の前に置く。
 ギザは赤茶色の髪が特徴で、うっすらと顎鬚を生やしているが、この場にいる者たちの中で一番若い――といっても、最近では目の端のシワも目立ちはじめ、いい感じのおじさんになりつつある。
 横になり命の灯が消えかかっている年老いた男の頭髪は薄く、死期が近づいている者独特の土色に近い肌と、唇は血の気のない紫がかったものであった。
 年老いた男の部下は黒髪で、薄っすらと白髪が目立ちはじめているが、まだ身体つきもよく声に張りもある。
 もうひとりの男はどちらかといえば死期間近の年老いた男に近い細身の身体つきで、頬もこけ始め出している。
 次第に老人への身体へとなりつつあった。
 いずれ近い将来、自分たちはこの世を去る時がくる。
 その時にすべてが解決しているという確証がない今、まだ死ぬわけにはいかなかった。
「聖杯を使おう」
 突拍子もないことをギザが口にすると、彼を呼びに来た男――ルカと名乗るその者は、目を見開き露骨なまでに驚いた顔を見せた。
 次にシェハと名乗る、ルカがギザに言われて呼びに行った相手の男が
「そんな物が存在するはずがない」
 ――と言い切る。
 さらに、
「あれは迷信だ。テンプル騎士団が見つけ出し持ち帰ったという噂を耳にしたことはあるが、実物を見た者はいない」
 ――と、存在しない理由を口にした。
 しかし、横たわっている年老いた男――ラムダスの見解は違う。
「頭ごなしに決めつけてしまうのは、おまえの悪い癖だな、シェハ。よく記憶を思い出せ。なぜ我々四人がシテ島に行ったのか、なぜギザだけ……」
 咽ることで言葉が切れるが、彼が何を言おうとしていたのか、この場にいる者たちはわかっていた。
 火あぶりになる前、それ以前にそのことを察知したテンプル騎士団上位の四人がギザだけを呼び、そして何が何でも生き延びなければいけない使命を与えたのか。
 ほかの三人がなぜギザの力になるよう、最後の命を与えたのか、それらの意味はギザの持つ箱の中身であることを。
 聖杯は存在しないと言い切ったシェハの視線がギザに向けられる。
「本当なのか、聖杯が存在しているのは」
「はい、この箱の中に。とは言っても、まだ中を見たわけではないので、聖杯がなんなのか知りませんが」
 ギザがその場にいる者たちにそう伝えると、呼吸を整えたラムダスが話を続ける。
「聖杯とはキリストの生き血のことだ。生きたまま貼り付けにされた際、流した血を一滴残らず保管した、それを聖杯と呼ぶ」
 ラムダスほどの歳になれば、噂の信ぴょう性も高まるのに加え、もっともらしい裏付けを聞かされている可能性もある。
 間違ってはいないが、聖杯と呼ばれるのにはもうひとつの要素があった。
 ギザは託された際に聞かされた真実を、今、この時が伝える瞬間だと覚悟を決め、ゆっくりと唇を動かした。
「ラムダスの言っていることは半分だけ正しい」
「半分とは?」
 聞き返したのはルカ、ギザはそんな彼に目線だけを向けて、話を続ける。
「聖杯はふたつ存在する。ふたつとも取り戻しているからこそ、テンプル騎士団の中で聖杯の存在が噂になっていた」
「ふたつ? どういうことだ、ギザ。きみの持っている箱はそれほど大きくはない。キリストの生き血が聖杯の中身なのだとしたら、量が合わない」
「すでに、その生き血を何かに使われていたとしたら?」
 含みのある言い方をすると、痺れをきらしたシェハが口を挟む。
「もったいぶらずに話してくれ、ギザ」
 シェハの言葉に、ルカが強く頷いた。
「わかった、じゃあ話すけど、これは我々四人だけが知ること。血の繋がった息子にも言うな」
 他言無用と釘さすと、ギザは改めてゆっくりと真実を語りはじめた。

 話し終わると、シェハは作り話だと言い張り受け入れがたい態度をとり、ルカは中立の立場を貫く。
 ラムダスだけは覚悟を決めたようで、
「ギザの解釈はわかった。聖杯を飲めば不老不死の肉体を得られる。キリストの加護を得られるというのだな? だが、成功した例を見ていないと上の方で報告を得ている、そうだね? どうするかはわたし自身が決める……いや、そうではない。わたしには選択肢がない。いいよ、その聖杯を飲もう。どのみち、まだ死ぬわけにはいかないのだからね」
 ラムダスの言葉を受け、ギザが箱の二を開けると中にはワインを飲むための器があり、その中にワイン色をした液体が入っている。
 量にしてひと口分程度だろうか。
 それを見た彼らのうち、ルカが口を開く。
「ラムダスにはまだ生きてやってほしいことがあるが、彼がこれを飲んでしまっては、ほかの者たちはどうなる? それに、ギザの使命は?」
 いずれ自分たちもこれを飲み死期を遅らせるなり不老不死の身体を得る時期がくると悟っての意見。
「ルカ、それを決めるのはギザだ。そうだろう?」
 あくまでも自分には選択肢はない姿勢を貫くラムダス。
 ギザはひと口しかないキリストの生き血をラムダスに与えることに躊躇はなかった。
 器を手に取り、彼の口の中にそれを流しいれる。
 キリストの血を口にするなど……恐れ多いという考えもあるが、この時の彼らはそうではなかった。
 どんなものでもいい、キリストの慈悲に縋りたい。
 彼の起こす奇跡を信じたい、その気持ちに陰りがない。
 失敗はない、その気持ちを強く持ったことがよかったのか、死期間近のラムダスの肉体が回復をし、僅かだが若返ったようにも見えた。
 そしてこの奇跡はさらなる奇跡を呼ぶ。
 無くなったはずの血がまた器の中に湧き上がるのだ。
 飲んでも減らない、まさにキリストの生き血が奇跡を起こした瞬間だったのだが、そこまでうまい話が続くことはなく……
 数年後、シェハやルカよりも先にギザの死期が近づいていたのだった。

「父さん、僕にはできない」
 キリストの生き血を口にして一時は回復するまでの成果を見せたギザの肉体は、やはりラムダスと同じく腐敗していく。
 次第に理性も壊れはじめ、守り育てていかなくてはいけない仲間を襲う回数も増える。
 いつ、どんな時に理性の鍵が外れるのか、それはラムダスとギザでは違っていた。
 ラムダスはギザを守り若い騎士の育成に己の全てを捧げた生粋の騎士であったが、ギザは女を愛し子を作り、肉親への愛情を持ちながら託された聖杯を守りつつ、テンプル騎士団が表にもう一度出ることを支えにしていた分、精神的負荷が大きかった。
 ラムダスは追ってや刃向かってくる敵と対峙している時は冷静でいるのに対し、平穏な日常が長く続くと溜まった何かを発散するかのように当たり散らかす。
 それは、彼がなんの為に腐敗していく身体を得てまで死なない選択をしたのかを見せつけられているようなものだった。
 暴れないよう、適度に剣の相手を、それも相手を殺すくらいの殺気を持って付き合うことで回避していたが、ギザの場合は――
「やれ、もう父は無理だ」
「でも……!」
 親子の会話にルカが立ち会う。
「察してやれ。ギザは辛いんだよ、ここまで育ててきた者たちを傷つけるのが。愛しているんだろう、父のことを。だったら、その願いを叶えてやれるのは、息子のあんただけだ。そして、ギザという名を受け継ぎ、その箱を守る。中身は知っているか?」
「聖杯とだけ。でも、聖杯がどんなものかなんて、興味ない」
「ああ、それでいい。ただ守ってくれさえすれば、わたしたちがきみを守る。ギザを守るのが我々の使命だからさ」
 この時すでに、ふたつあったとされている聖杯はひとつしかない。
 もうひとつの聖杯がなんだったのかを知るのは、今にでも狂いそうになるのを堪えている初代ギザだけ。
 いつどこで無くしたのか、それ以前に、本当は最初からなかったのかもしれない。
「ルカ、息子を頼む。そしていつの時代かでもう一度会おう。その時、テンプル騎士団が胸を張って表に出られている時代であることを切に願う」
 一見、どこにでもいる普通の人間にしか見えないギザが突如、血をわけた息子へと襲い掛かる。
 理性の鍵が外れたのか、それとも息子の手にかかりたくての演技なのか。
 首と胴を離さなければ死なない身体になったギザが息絶えたのは、その直後だった。
 この頃になると、噂を聞きつけた追ってから逃れることが多く、若くして命を落としかける者も少なくなく、後、聖杯を飲んで不老不死とはいえ腐敗した肉体を得た物たちをゾンビと呼ぶのだが、初代ギザが作った聖杯を守るための騎士団の大半は、ゾンビと呼ばれる者たちになっていた。
 誰がいつどんな状況で理性の鍵がはずれるのかがわからない危険もあるが、だからといって、肉親を手にかけることがどうしてできるだろうか。
 父を手にかけた二代目ギザは、救いを求めるような悲痛な叫び声をあげるのだった。

 聖杯の伝説は海を渡り東洋の島国へと繋がっていく。

   聖杯~生き血のワイン 後編 に続く
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