上司ガチャ

文字数 1,999文字

 ここは都内にある一族経営の企業、〇社。上場しており、順風満帆な経営で安定した会社です。そこへ社長の息子が入ってきました。まっとうに就職活動をせず、親のコネで就職を果たしたのです。息子は、当たり前のように上司に怒られます。働き始めてから毎日注意され、季節が一つ巡る頃、息子は堪忍袋の緒が切れました。
「父さん、あの人は良くないよ。注意するばかりで全然アドバイスもしてくれないんだ」
「そうか。それは良くないな。会社を腐らせる原因に居続けてもらっては困る」
 社長は人事に金を握らせて、上司を左遷にしました。あたかもゲームに課金して、新しいキャラを引くようです。次の、その次の上司も。季節が変わる度に上司が変わり、二度も夏がやってくる頃には、七人目の上司が赴任していました。

 上司たちは執念深い一人によって集められ、愚痴や恨みを肴にして盛り上がります。
「あの息子が入ってからだ。俺は訴えてやるぞ。お前もどうだ?」
「俺も賛成だ。あんな会社、炎上させてやれば良い」
 彼らは協力して、とうとう裁判を起こしました。さらに自分たちの境遇をSNS上にアップし、テレビにも出演しました。
「私たちは会社を良くしようと必死に勤めてきたのに、コネで入社した社長の一人息子に全てを壊されました。あそこは社員を顧みず、身内だけを甘やかす悪魔のような会社です」
 すぐにマスコミは企業に矛先を向けました。世論を味方につけた上司たちは、したり顔で会社に通います。周囲の視線など気にせずに過ごしていると、社長に呼び出されました。
「どうかこれ以上の風評被害はやめて下さい。示談金なら幾らでも支払いますから。ですからどうかこれ以上は……」
「いいや、止めない。これは貴方が息子さんを甘やかしたツケだ」
 そこを何とか。示談金とは別に金を渡しても良い。上司たちは散々ふっかけて、ようやく条件を飲みました。翌日、彼らは示談金よりも多い金を使って、意気揚々と酒盛りをしました。バイキングの宴のように豪快で、心からの笑いが溢れていました。彼らはそれぞれの幸福を祈り合って解散しました。

 上司であった一人の男は、すぐに再就職のために動き出しました。
「私は以前、〇社に十年間勤めておりました。技術もありますし、忍耐力にも自信があります」
「そうか。貴方は〇社にいらっしゃった方なのか。連日ニュースを見ていましたよ」
 男はしめた、と思いました。にこにこ顔から勝手に白い歯が零れます。しかし男とは反対に、面接官の顔は険しく曇りました。
「我が社にとって、貴方のような方はリスクでしかありません。申し訳ありませんがお引き取りください」
 殆ど門前払いでした。その次も、そのまた次の会社も。世間を味方につけることがあたかも借金だったみたいに、彼らの行いのツケが回ってきたのです。途方に暮れていると、ふと昔の上司仲間と出会いました。
「僕はあれからまともな働き口につけていない。裁判が話題になったせいで全然雇ってくれやしないんだ」
「お前もなのか。実は俺も……」
 同類を見つけたと思った男でしたが、淡い幻想でした。キッと睨みをつけられ、三つの山が連なる眉間をずい、と寄せられます。
「歪んだ正義感のツケだ。僕たちはあんたに踊らされた。次はあんたを訴えるぞ」
「そんな、あんまりじゃないか。そんなことをするのなら、俺にだってやりようがあるぞ」
 そうして上司たちは、社会的信用を落とし続けました。一人を突き落とすと、そのまた次へ。お互いに火をつけ合う地獄絵図です。ごうごうと燃え上がった彼らへ、誰も救いとなる蜘蛛の糸を垂らすことはありません。

 やがて彼らはたくさんのものを失いました。貯金に家族、住所。大切と呼ばれるものは凡そ無くなりました。
 カラッカラの日照りを避けようと、誰の物ともわからない屋根の下に、男たちは暮らしていました。水にも困る日々を過ごしていると、そこへ社長の息子がやって来ました。喘ぐように彼を見つめて「下っ端で良いから会社に戻してくれ」と懇願しました。息子は言います。
「貴方たちが身勝手な人だとわかっていたから、私は辞めさせるように言ったんです。一時は大変でしたが、今は親切な人たちのお陰で軌道に乗っていますよ」
「違う。あなたが仕事をできないと思ったから叱ったんだ」
「思ったから、ですか」
「そうだ」
「僕は貴方たち以外から、一度足りとも『仕事ができない』だなんて言われていませんよ。他の人たちはみんな、ちゃんと褒めてくれていた。上司になったその日から僕を目の上のたんこぶ扱いしたのは、貴方たちだけなのですよ」
 上司たちは過去の行いを省みました。そして今初めて、無自覚の思い込みから社長の息子を馬鹿にし、部下を蔑ろにして利益を追っていたのか気付かされました。
 三度目の夏、炎天下。お天道様が見下ろす先には、燃えかすが集まって、汗ではない雫をポロポロと落としていました。
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