一話完結

文字数 1,999文字

 母が一人で住んでいたアパートの部屋を片付けていた谷口敬介は、古いアルバムを見つけて手を止めた。ページをめくると、新婚当時の父と母、赤ん坊の敬介を抱く母の横に笑顔で立つ父、真新しいランドセルを背負う敬介の両側に立つスーツ姿の父とドレスを着た母、キリンの檻の前で敬介を肩車している父と笑っている母が現れた。更にページをめくる。もう父の姿は無かった。
 敬介の父は二十年前に亡くなった。母は小学生だった敬介を育てるために清掃の仕事を始め、このアパートに引っ越した。その母も心筋梗塞で急に亡くなった。まだ、六十一歳だった。
 敬介はアルバムを閉じた。
 昨日、母の葬儀を終えたばかりだったが、敬介にゆっくりアルバムを眺めている暇はなかったのだ。勤務している工場をいつまでも休めないし、アパートを早々に解約する必要があった。
 段ボールに遺品を詰めていた敬介がもうそろそろ昼だなと思った時、チャイムが鳴った。
 敬介が玄関のドアを開けると、黒いドレスを着た母の妹が立っていた。
「あっ、優子叔母さん」
 敬介は、海外に住んでいる優子が来るとは思っていなかった。
「ごめんね、葬式に間に合わなくて」
 頭を下げた優子を、敬介は中に招き入れて母の寝室に案内する。葬儀屋が作った簡単な祭壇に白木の位牌と骨箱が置いてあり、優子は骨箱に手を置き、目を閉じた。敬介はここに居ると邪魔になると感じ、寝室から出た。
 敬介が居間のちゃぶ台にお茶と菓子を用意して待っていると、焼香を終えた優子が寝室から出て来て敬介の向かいに座った。
「お姉さん、元気だったのに、急に亡くなるなんてね。敬介ちゃんは死に目に会えたの?」
 敬介は首を横に振る。
「工場で作業してる時に、母さんが働いている会社から連絡が来たんです。母さんが危篤だって聞かされて、急いで病院に駆け付けたんですけど、隣の県からだったので時間がかかってしまい……間に合いませんでした」
「あら、敬介ちゃん、転職したの? 敬介ちゃんが高校を卒業した時に、敬介ちゃんが寮住まいになって寂しくなるけど市内の良い会社に就職したってお姉さん喜んでたのに」
「昨年、転勤になったんです。上司が推薦してくれて隣の県にある工場の班長になりました。母さんも祝ってくれたんですけど、こんなことになるんだったら、断った方が良かったかなって……」
「そんなこと言ったら、お姉さん悲しむわよ」
「頭ではわかってるんですけど、父さんが亡くなってから、母さんが一人で頑張って育ててくれたのに……俺、何にも親孝行してなくて。せめて最期に『ありがとう』って母さんに言いたかった」
 うつむいた敬介の顔から涙がポタリと落ちた。
「敬介ちゃん、元気出しなさい」
 優子が敬介の顔を上げさせようとしたら、亡くなった父が大事にしていた振り子時計がボーンボーンと鳴った。
「ほら、十二時よ。何か食べましょう。私、お好み焼きがいいな」
 敬介は袖で涙を拭って顔を上げた。
「この辺りに、お好み焼き屋は無いですよ」
「敬介ちゃんが作って」
「俺、料理できないですよ」
「高校の学校祭でお好み焼きを焼いていたじゃない」
「何で知ってるんですか?」
「お姉さんから『私が行ったら、敬介が嫌がるから』って言われて、代わりに様子を見に行ったのよ」
 敬介は、クラスメートに母が来たのを知られてマザコンとからかわれるのが嫌だった。それで、母に「絶対来ないでよ」と釘を刺していた。
「そうだったんですか。まあ、お好み焼きならできなくもないですけど。でも、材料があるかな?」
 敬介は台所へ行って冷蔵庫や戸棚を調べた。必要な材料はあったが、専用ソースは無かった。
「市販のお好み焼きソースが無いんで、俺が作るソースでいいですか?」
 敬介はホットプレートをちゃぶ台に運んでいる優子に訊く。
「作れるの?」
「学校祭のときに覚えました」
「それは楽しみね」
 優子は目を細めた。
 敬介は野菜を刻み、他の材料と共にボウルに入れて混ぜる。できたタネをちゃぶ台に運ぶと、既にホットプレートは温められており、小皿なども置いてあった。敬介はホットプレートの上でタネを手際よく焼き、ソースを塗った上にマヨネーズで網目模様を書いてから青のりと鰹節を振りかける。
「はい、でき上がり」
 敬介が切り分けていると、優子は小皿を三枚差し出した。
「一枚多いよ」
「お姉さん、敬介ちゃんが作ったお好み焼きを食べたがっていたのよ」
 優子はそう言って寝室に行き、位牌を持って戻って来た。お好み焼きがのった小皿の前に、位牌が置かれる。
「お姉さん、願いが叶ったわね」
 位牌に話し掛けた優子が敬介の方に向き直った。
「敬介ちゃんの親孝行ができたことだし、さあ皆で食べましょう」
 優子に促され、敬介もお好み焼きを口に入れる。敬介の脳裏に幼い頃の光景が浮かんだ。それは、父が焼いているお好み焼きをワクワクしながら待っている母と自分の姿だった。

<終わり>
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