第9話

文字数 4,011文字

 私は彼と別れてから、新たなイイ男を見つけるために赤い糸を使って数々の男たちと交際してきた。しかし、最初は魅力的でも次第にどこか目につく点が自分の中で嫌になっていき別れた。こんなことをしていれば、普通の女は行き遅れになってしまうだろう。しかし、私には赤い糸があるので、まったく問題ない。私はこれを使って理想の男性を必ず我が物としてみせる。ファウストさんは赤い糸をほどくと、因縁が残り私に悪い影響をもたらす可能性があると言っていたが、私の身には今まで何も起こっていない。私は彼の忠告を忘れて理想の男探しを続けていたが、ある日、私の身の回りで異変が起こり始めた。
 残業を終えて、夜遅くに帰宅したとき、郵便受けに一通の手紙が届いていた。手紙の差出人は不明でとても不気味だった。私は手紙を自宅に持ち帰り恐る恐る封を開けて、中の手紙を見た。手紙にはこう書いてあった。
「あなたの事を忘れる事ができません。今度、必ずあなたに会いに行くので待っていてください」
私はこの内容を読んだとき、恐怖で足から力が抜け、その場にへたりこんでしまった。私はファウストさんの忠告を思い出した。おそらく過去に赤い糸を使った後に別れた男の誰かが私の住所を突き止めて、この手紙を送ってきたのだろう。私は身の危険を感じたので、明日にこの手紙を証拠として持っていって警察署に行き、対応策について相談する事を心に決めた。しかし明日は仕事で会議があった。自分の身の危険が関わっているので、会議など休むべきなのかもしれないが、それだと出世だけでなく社内での評判にも悪影響が出るので、休む事はできなかった。そのため、明日は仕事を終えてから警察署に向かう事とした。その日は手紙の内容に恐怖して何も食べ物を口にせず、風呂で身体を洗ったあと、すぐにベッドに入って眠ることにした。しかし、頭の中で何度も手紙の言葉がこだまして恐怖でなかなか寝付けなかった。ベッドの中でブルブル震えていると、窓から光が差し込み私の顔を照らした。結局私は一睡もする事ができず、眠い眼をこすりながら身支度をすませ自宅を出た。会社へはいつも徒歩で出勤しているが、その日は安全のためタクシーで出勤した。仕事では手紙の内容で頭がいっぱいで全然身に入らなかった。それでもなんとか、会議と通常業務をこなし、退勤時間となった。いつも残業しているが今日は幸運にも残業はなく、すぐに退勤して警察署に向かうことができた。
 警察署での警官との相談は淡々としていた。警官は手紙を証拠として預かったあとに、私の家の近辺のパトロールを強化すると言っていた。正直、これだけしか対応してくれないのかと思い警官に対して苛立ちを覚えたが、何もしてくれないよりは全然マシだ。手続きを終えた後、警官にお礼を述べ、私は犯人が捕まってくれるのを願い警察署を後にした。警官との相談では証拠の手紙だけでなく、心当たりのある人物や自分の個人情報などを事細かに話したりもしていたのでとても時間がかかり、あたりはすっかり暗くなっていた。私はタクシーを拾って自宅に帰ろうとも思ったが、自宅ではストーカーの事が頭にちらつき、安らぐことができないだろうと思ったので、近くのホテルに宿泊し夜を明かすことにした。ホテルへはそこまで距離が遠くないので、わざわざタクシーを使うのはお金がもったいないし、自宅からほど遠い、ここではストーカーと出くわす事はないだろうと思い、徒歩で向かうことにした。
 ホテルに向かっている途中、突然雨が降り始めた。私は折り畳み傘をバッグから取り出して、すぐにさし、歩き始めた。雨の勢いはどんどん強くなる一方だ。一刻も早くホテルに到着したいと思い足早に移動していたが、私の目の前に一人の黒いフードを深く被った男が傘をさしながら突っ立っていた。男はじっと立っているだけで一向にその場から動かない。私の頭の中ではとある仮説が浮かんでいたが、その仮説を信じたくなかったので、同時に否定していた。しかし現実は非情だった。目の前に立っていた男は一言、私に語りかけてきた。
「やっと、会えたね」
私はこの言葉を聞いて戦慄が走った。私の頭の中で思い浮かんだ仮説は正解だった。目の前に立っていた男は私の事を追っているストーカーだった。私はすぐにその場から逃げ出した。振り返ると男は私を追ってきている。私はもっと早く走るために持っている傘を放り出して無我夢中になって逃げる。私は激しい雨に濡れながら、ストーカーから必死に逃げる。また一瞬後ろを振り返ると、やっぱりまだ追いかけてきている。私は助けてくれる人がいないか周りを見渡しながら走っているが、これまた現実は非情であたりに人は誰もいなかった。ホテルのある大通りなので普通は人がいて当然だが、このときは、いくら見渡しても誰もいなかった。
「追われてます。誰か助けてください」
私は声をふり絞って助けを呼ぶ声を叫んだが、どこからも反応がなかった。私の精一杯の声が激しい雨の音でかき消されているような気配がし、現実は非情であると心から痛感した。
後ろを振り返ると、男と私の距離がだんだん迫ってきている。私は軽々しく赤い糸を使った事を後悔した。もう二度とつかわないと心に誓った。今まで好き放題していた分、都合が良すぎる事は重々承知だが、それでもこの男からどうにか逃げ切れないだおるかと必死に神様に祈った。私が男から逃げていると、見覚えのある場所まで来た。私がファウストさんと出会うきっかけになった、花屋が目の前にある横断歩道だ。この場所が目に見えた時、私は
「そうだ、ファウストさんなら助けてくれるかもしれない」
と思ったが、ここから彼の事務所まではかなりの距離があるので絶望的だった。私は
「もう無理なのだろうか?ここで彼に殺されてしまうのだろうか」
と思ったが、私に一筋の光明が差し込んだ。神様が私の願いを叶えてくれたのだ。なんと横断歩道の向こう側にファウストさんが立っていたのだ。私は彼に
「ファウストさん、助けてください。ストーカーに追われているんです」
と助けを求めながら横断歩道を渡る。彼は私の事に気づいており、私の方に笑みを浮かべながらこう言った。
「ええ、あなたが昨日から追われていることは知ってますよ。だってあなたの居場所を彼に教えてあげたのは私たちですから」
私は彼の言葉を聞いたとき、何を言っているのか理解できなかった。そんな私の事を置いてけぼりにするように彼は続けた。
「あと、気を付ける方がいいのはストーカーだけじゃないですよ」
彼がそう言い終えたのを聞いたのと同時に、私の真横の方から大きなクラクションの音が聞こえた。
「え、嘘なんで?」
真横を見ると大型トラックが赤信号を無視し、私の方へ向かってきていた。
「ああ、私の人生は結局トラックに轢かれて終わるのね」


「時よ止まれ」
僕はそうつぶやいた。すると僕以外の全て、ここでは金花茉莉、大型トラック、そしてストーカーの動きが全員止まった。僕は使い魔になったとき、主人からとある力を渡された。その力とは時間を停止する事のできる力である。この力は私との契約者、またはこれから契約の誘惑をしかけるターゲットにしている人間の身に危機が迫っている時に呪文を唱えると時間を停止させる事ができる。停止した時間を動けるのは僕だけだ。
 さて、これからイイ感じの位置に調整しなければならない。ここ一番の大仕事だ。
「このままだと、金花茉莉は死んでしまうな。何とかしないとね」
僕は彼女の命を助けるため彼女の身体を動かす事にした。しかし今回は、彼女が自殺しようとしたときに横断歩道の前まで動かし、無傷で助けたような事はしない。あくまで命だけは助かるように位置調整するのだ。
「うん。まあこんなもんでいいだろ」
僕は彼女が死にはしない位置に調整する事に成功した。
「汝は美しい」
これは時間を再始動させる呪文だ。金花茉莉も大型トラックもストーカーも全員再び動き出した。

グシャッ
鈍い音が鳴ったが、すぐに激しい雨の音にかき消された。私は今まで感じたことのない大きな衝撃を受けて吹き飛ばされ、そのまま地面に身体を強く打ち付けた。私はかろうじて生きていたが、同時に感じたことのない激痛が私の身体を襲った。しかし、声を一切発することができない。力を入れる事もできない。頭の後ろから何か生暖かいものが流れ出ている気配がする。それが自分の血であることはすぐに理解できた。これが赤い糸の代償か。そして、私が神に対して祈っていた願いはどうやら悪魔の元に届いてしまっていたらしい。まさか彼がストーカーを手引きしていたとは。
「私って、やっぱり男を見る目がないんだわ」


「さて、後は君の出番だよ、せっかくここまでお膳立てしてあげたんだから、上手くやってよね」
そう言いながら、トラックの運転手は座席から降りてきた。運転手は僕の主、メフィストフェレスだ。
「はい、ここまでありがとうございます。これで彼女を僕のものにできそうです」
男は携帯電話で119番通報して彼女の状況を説明し、頭から流れている血を止血し始めた。
「ここからは、私たちは何もできないから退散しようかファウスト」
「ええそうですね、後はあの女が目覚めたときにとびっきりの絶望を収穫するだけですね」
「ああ、すごく楽しみだ。彼女の絶望はどんな味がするのだろうか」
私たちは、彼女の絶望の味に期待を膨らませながら闇夜の中に姿を消した。


私が意識を失いかけている中、誰かに手当をされている気配がした。力をふり絞って目を動かし気配のする方を見ると、なんとストーカーの男が止血を行っていた。男は私に優しい口調で話しかけてきた。
「大丈夫?」
どこかで聞き覚えのあるフレーズだ。しかしもう過去を振り返る余力は私には残されていない。
「お母さん一人にしてごめんなさい」
私は心の中でそう呟き、やがて意識を失った。
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