老齢の黒い雄猫

文字数 1,027文字

祖父母の家をふたたび訪れた。

終戦後しばらくして祖父母が建てた平屋であった。五十年近い年月が経ったいま、いたみが進んでしまったので、ちかぢか壊して建て直しされることになっていた。

門は金属のきしむ音をたてて開いた。生いしげっている南天の灌木のわきをぬけて、ぼくは家の扉を開けた。

当初は祖父母とその子ら、あわせて七人の家族の暮らした家であった。
いまは、祖父母は死んでしまい、ともに未婚のままの叔父と伯母、二人だけが住んでいた。

屋内は落ち着いていた。

灯りは古く、やや暗かった。祖父が吸っていたタバコのにおいが、家の香りとして残っていた。

——ごめんください。ぼくです。

そう呼んで、しばらくすると、叔父が奧から顔を出した。

——良くきたな。まあ来いや。荷物こっち置け。

台所に据えられたテーブルにぼくたちは座った。台所は古く、狭かった。テーブルの上にはビニールのクロスがかかっていたが、それもずいぶんくたびれていた。

叔父は湯呑み茶碗を出して僕の前にむぞうさに置いた。

——湯はポットに入っとる。適当に茶でも飲めや。

急須の中には出がらしの茶殻が入っていた。ぼくはポットの湯を急須に注ぎ、急須をぐるぐる数回回すように振ってから、湯呑み茶碗に茶を注いだ。茶は、濃い緑色だった。ぼくはそれを軽くすすってから、訊いた。

——取り壊すのはいつですか。
——こん冬かな。あと半年はある。
——ちょっとさみしいな。ぼくは。
——そうは言うけどな。住んでる側ぁ、やっぱ新しいほうが良いわな。隙間風も入るしな。住んでる側ぁな。

叔父はそのままタバコに火を付けて、ゆっくり吸った。彼はいつもそうであるように無愛想だったが、たまに訪ねてきたぼくを彼なりに歓迎しているようであった。

——そうだ、ねこ、いなかったっけ。黒いねこ。

ふとぼくは気になって訊いてみた。老齢の黒い雄猫がいたはずだ。

——今日は見なかったな。どこかにいるの?
——そういや、いたな。でも最近見かけんなぁ。

叔父はあまり関心無さそうだった。

——たぶん、山のほうで、死んでしまったんでないかなぁ。

ぼくは立ちあがった。台所の勝手口に降りて、扉を開けた。

柵があり、その向こうは裏山だった。
そこは他家の地所であり、ぼくもあまり立ち入ったことはない。
裏山には竹林が生いしげっていて、暗かった。

外は夕暮れだった。

風が吹いて、竹林がいっせいにざわめいた。
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