夏の終わり

文字数 4,465文字

 岩山田と鈴木は客間に戻る。全員のアリバイが確認されたことで、寿美子は持ち前の気丈さを取り戻していた。
「刑事さん、やっぱり強盗のような、行きずりの犯行だったんじゃありませんか? だって、これだけみんな揃ってアリバイがあって、どうやって主人を殺したりできるんですの?」
 岩山田は少し視線を動かしてから
「人生ゲームを始めてからケーキを食べようとするまで、その約二時間の間、本当に誰も五分以上客間を出ていないのですか?」
「だからー」
 いい加減にしてくれ、と言いたげに哲夫が言った。
「人生ゲームは全員で囲んでやっていたんです。ゲームのあとだったら、僕はここでスロットの雑誌を読んでいました。お義母さんも春子さんも梨寿もずっと一緒にいました。絹ちゃんと綿ちゃんが廊下を走り回っていて、交代で僕のところに来ては時間を尋ねるものだから、よく覚えていますって」
 哲夫がそう言った瞬間、春子が手にしていた空の紙コップを滑らせて落とした。すとんと畳の上に転がった紙コップは、半円を描きながら、揺れている。
「大丈夫ですか?」
 岩山田が声をかける。
「あ、はい。すみません」
 春子は、目の焦点が合っていないように見えた。それから、ふと話し出した。
「あの……やはりお義父さんは、自殺だったのではないでしょうか」
 眉をぎゅっと寄せて苦しそうに話す春子の言葉を、岩山田は静かに聞く。
「どうしてそう思いますか?」
「だって、ここにいる全員にアリバイがあって、お義父さんはお一人で亡くなってらっしゃいました。まさか、刑事さん、全員が共犯だなんて、仰いませんよね」
「全員が共犯だとすれば、全員が嘘をついていることになります」
「そんなまさか!」
 声を荒げたのは寿美子だ。
「そんなはずがないでしょう」
「ええ、全員共犯、というのは、私も無理があると思っています」
 岩山田の冷静な返事に、寿美子はふんっと鼻を鳴らす。
「大五郎さんが自殺する動機は、何か思い当りますか?」
「その……最近、物忘れがあると、気に病んでいらっしゃいましたから」
 春子は、黒いワンピースの裾をぎゅっと握りながら、一言一言慎重に言葉を選んでいるように見えた。
「他の方から見て、大五郎さんの自殺の動機に思い当る方はいますか?」
「そういわれてみれば、物忘れのことは気にしていましたけれど」
 寿美子が言う。
「だからって、自殺しそうに見えたかと聞かれると、そうは見えませんでしたけど」
「でも、自殺する方が、全員自殺しそうにみえるとしたら、自殺なんて起こらないと思いませんか?」
 春子が寿美子に意見するのが珍しいのか、寿美子は一瞬虚を突かれた顔をした。
「まあ、そう言われてしまえば、そうなのかもしれないけれど」
 静かになった客間の、沈黙を破ったのは岩山田だった。
「二時から三時の間、絹ちゃんと綿ちゃんを、二人同時に見た人はいますか?」
 春子が青ざめた。それ以外の人々は、どういう意図の質問か理解できずにいた。
「刑事さん、どういう意味っすか? さっきも言った通り、絹ちゃんと綿ちゃんは、交代で僕のところに走ってきていたんすよ。それも、二~三分置きに。そっくりだからって、見間違えたりしませんよ。はじめましての刑事さんには同じ顔に見えるかもしれませんけど、絹ちゃんの左頬を見てください。小さなホクロがあるでしょ? それに今日は綿ちゃんが黄色いカチューシャをしている。さすがに、見分けつきますよ。二~三分置きに二人が交互に現れたんだ。二人同時に見たのと変わらない」
 哲夫は敬語が崩れてきている。もともとあまり形式ばったやりとりは苦手なのだろう。
「では、二人同時には見ていない、ということですね」
「まあ、そうだけど、同時に見たようなもんっすよ」
 哲夫がふてくされている。春子は、無言のまま双子を両腕で抱きかかえていた。
「春子さん、何かお気づきのことがおありですか?」
 岩山田が、丁寧に声をかける。
「何も、ありません」
 下を向いたまま答える春子。
 岩山田は確信を持った。春子はわかっている。気付いている。そして、それを隠している。寿美子も梨寿も、岩山田が何のことを言っているのかわかっていない様子だった。春子の表情が固い理由も、双子が春子にしがみついている理由も。
 岩山田が、春子のそばに寄る。
「絹ちゃん、綿ちゃん、おじさんと一緒にあっちの部屋に来てもらってもいい?」
 双子は体をびくっとさせて驚いた。春子が腕に力をこめて娘たちを抱きしめる。
「関係ありません。娘たちは関係ないでしょう!」
 静かだが攻撃的な物言いに、寿美子はじめ、家族たちが驚く。
「春子さん、何をそんな言い方して。刑事さん、絹と綿には関係ないんじゃありませんか?」
 寿美子が戸惑いの声を出す。岩山田はそれを無視する。
「絹ちゃん、綿ちゃん、おじさんとお母さんと一緒に、ちょっとあっちの部屋に行こう。見てほしいものがあるんだ」
 双子は春子の顔をのぞいた。
「大丈夫よ」
 春子は優しく双子にそう言って、手をつないで立ち上がった。岩山田をにらみつけるようにして「娘たちに何を見せる気ですか」と春子が言う。
「ちょっと説明してもらいたいだけです」
 そう言って、岩山田は客間の隣の部屋へ行った。あとを追う春子と双子。そして、他の家族たち。
「絹ちゃん、綿ちゃん、ちょっとこれ、見てくれる?」
 岩山田が指したのは、鏡台の横にある小さなゴミ箱だった。そこには、丸めたティッシュが何枚か捨ててある。それを見た途端、綿が「あ!」と言った。
「綿ちゃん、これ何か知ってるの?」
 岩山田は優しい声で聞いた。
「綿、言っちゃだめだよ、しー!」
 絹が綿の口を手でふさぐ。春子が「ああ……」と息をもらし、両手で顔を覆って下を向いた。岩山田にじっと見つめられた綿は、じんわりと涙を浮かべ始めた。
「綿、泣いちゃだめ」
 絹が綿を叱る。それを聞いて綿は、「だって、だって」と言いながら、しまいにはヒックヒックと声をつまらせて泣き出した。
「ちょっと、どういうことですか! 刑事さん! 子供を泣かせたりして!」
 寿美子が大きな声を出す。
「春子さんも、何とか言ったらどうなの!」
 寿美子に声を荒げられ、春子は顔を覆っていた手をはずし、しゃがんで絹と綿の二人を優しく抱きしめた。
「ごめんね。お母さんが悪かった」
 それを聞いて、絹も綿も、一緒に泣き出した。
「違う! 違うもん! 悪いのは、おじいちゃんだもん! おじいちゃんがお母さんをいじめるから、いつもいじめてるから、仕返ししたんだもん!」
 絹が泣きながら、大きな声で死者を罵倒した。

 鏡台の横にあるゴミ箱に入っていたのは、寿美子の使っているアイブロウペンシルを拭き取ったティッシュだった。その意味を、春子は瞬時に理解した。いや、双子の娘たちが交互に現れていたときから、その両方が綿一人であったことを、母親はわかっていたのかもしれない。そのときは、綿がカチューシャをはずし頬にホクロを描くことで絹になりすまし、哲夫をだまして遊んでいるだけだと思った。でも、大人全員にアリバイがあり、双子がなりすましていたことを考えると、導き出される答えは一つしかなかった。
 事態を理解していない家族を客間に戻し、春子と双子だけを部屋に残す。
「どうして、おじいちゃんに仕返ししたのか、教えてくれる?」
 岩山田は、ようやく泣き止んだ双子に優しく聞いた。
「お母さんが、おじいちゃんの書斎で嫌なことされてるの知ってたから」
 絹がぶすっと答える。
「お母さん、泣いてるの見たことあるもん」
 綿も答える。
「二人で相談して決めたの?」
「そう。綿にホクロ描けば、絹とそっくりだから」
 絹が答える。
「カエルで練習して?」
 岩山田が聞くと、そこまでバレているのか、といった感じで、二人は渋々頷いた。警察が大勢やってきて、大人たちが泣いたり大声を出したりしている中で、自分たちがやってしまったことの重大性を感じ取っていたのかもしれない。

 岩山田は、双子を客間とも別の部屋へ行かせ、婦人警官と一緒に過ごさせた。家族たちに質問攻めにされないためだ。否応なく、今後二人には過酷な環境が待ち受けている。せめて今だけでも、静かに過ごさせてやりたかった。

「春子さん、大五郎さんとの間に何が?」
 部屋に残された春子に、岩山田は聞いた。春子は唇を噛み、痛みに耐えるような顔をした。そして、小さな声で話し出した。
「お義父さんに……その……無理に関係を迫られていました」
「いつからですか?」
「主人が、亡くなってすぐからです」
 それをあの少女たちが見ていたと考えると、鈴木は胸糞悪い気持ちがした。
「どうして家を出なかったのですか? 経済的な問題ですか?」
 岩山田の質問に、春子は言い淀んだ。
「何か、弱みを握られていましたか?」
 静かに言う岩山田の顔を、そっと見上げる春子。
「娘たちの……絹と綿の父親は、主人ではありません」
 鈴木は驚いた。岩山田は、すっと目を細め「どんな事情ですか?」と聞く。
「主人と結婚する直前まで付き合っていた男性の子供です。私は、愛していた男性より、目の前の生活の安定を選んだのです。妊娠していることを薄々感じていたにも関わらず。私がそんなことさえしなければ……」
「大五郎さんはなぜそのことを知っているんですか?」
「主人が六年前、交通事故で亡くなったとき、運転していたのが、私の元恋人です。主人は、私の元恋人に呼び出されたようでした。そして、事実を知ったようです。元恋人は、絹と綿との親子関係を証明する書類を持っていたようです。どうやって娘たちの何かを手にいれたのか不思議でしたが、決定的な証拠があるようでした」
「どうしてそんなに詳細なことがわかるのですか? その人も、事故で亡くなったんですよね?」
「事故のあと、主人の携帯電話から録音されていたボイスメモが見つかったんです。義父はそれを警察に渡さず、私への脅しに使いました。それに……元恋人の話はそれで終わりじゃありませんでした」
 春子は唾を飲んでから、青い顔で言った。
「元恋人はこう言いました。『春子や子供たちを返さないとお前を殺す』と」
 岩山田も、さすがに眉間に皺を寄せた。
「では、六年前の事故は、あなたの元恋人が故意に起こしたものだと?」
「義父はそう言いました。そして『君の娘たちの本当の父親が殺人犯だと知れたら、絹と綿の将来は、どうなると思うかね?』そう言って、私の体を求めました」
 春子は項垂れた。
「私が……私が悪いのです。はっきりと拒めば良かったのです。交通事故が故意だったかどうかなんて、わからないじゃないですか。実際、警察は事故と処理したのです。それを、私は、私は……娘たちを守りたかったばかりに……それがこんなことになるなんて」
 春子は両手で顔を覆った。すすり泣く涙が指の間を流れて落ちる。
 鈴木は、やはり最悪の結末だったな、と思った。岩山田は、何かに耐えるように、じっと春子を見つめるだけだった。

 蒸し暑く、残酷な夏が、終わった。


おわり
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