捜査開始

文字数 3,445文字

「岩山田さん、こっちです」
 ベビーフェイスの若い刑事が規制線の前で手をあげて立っている。捜査一課に配属されたばかりの鈴木敬二は、若々しくスーツをぱりっと着こなしているが、さすがに暑いのか、汗で張り付いた前髪を指で撫ぜる。
「おお、敬二。おつかれ」
 鈴木に近寄るのは、いつもペアを組んで行動しているベテラン刑事の岩山田誠まことである。スーツのジャケットを脱いで手に持ち、汗を拭きながら歩いてくる。強面で体格の良い岩山田は、テレビドラマに出てくる、いわゆるザ刑事といった風体で、鈴木は時々おかしくなる。そんな鈴木は「刑事になりたての敬二くん」と先輩たちにいつも冷やかされているのだ。
「立派な家だな」
 清水家の日本家屋を眺めて岩山田がつぶやく。
「はい。代々続く地主だそうです」
「マルガイは」
「この家の主人です。もう運び出されています」
「そうか」
 岩山田は規制線をくぐり、現場へ入る。六畳ほどの狭い和室で、鑑識がまだ作業をしている。小さな換気用の窓が一つ。部屋の両側に、胸の高さほどの本棚。部屋の真ん中に、床に座って使うタイプの小さなテーブル。そして立派な座椅子。テーブルには、吸い殻の入った灰皿と本が数冊。本は、骨董に関するものだった。畳にはこぼれた飲み物のしみがあり、湯呑が転がっている。
「亡くなったのは、この家の主人、清水大五郎、六十六歳。死因は、ビピリジニウム系の農薬による中毒死と見られています」
「パラコートか」
「はい。ご家族によりますと、家の裏手にある納屋の棚に、置いてあったとのことです」
「最近使っていたのか?」
「いえ、孫が生まれてからは、危ないので使っていないということでした」
「ふん」
「このあたりはもともと蚕の飼育が盛んだったらしく、清水家もその蚕飼育で財を成した家系だそうです。最近は、もう蚕はやらず、もっぱら農業を行っていたそうで、家の裏手の畑は全て清水家の土地だそうです」
「うむ」
 岩山田は厳しい眼差しで家屋と離れを眺めている。
「今日は、この家の長男、大輔の七回忌の法事だったそうで、マルガイを含め、七人の人物が家にいました。六人はこの家に住んでいる人物で、長女、梨寿は別居して出戻り中。その夫、哲夫は、横浜の家からこちらに来ていたようです」
「別居中なのに、法事には顔を出していたわけか」
「そのようですね。死体発見者がその梨寿ですので、そのあたりも含めて、話を聞きましょう」
「ああ」
 二人はそろって、清水家の人々がそろう客間へ向かった。

 客間では、四十代くらいの女が床に座り込んで泣いており、その背中を男がさすっていた。岩山田と鈴木が入ると、三十代くらいの女が、「お茶を」とつぶやいて立ち上がろうとするが、台所も鑑識が入っている。それに気付いたのか、女は座り直し、じっとしていた。その女にへばりつくように、少女が二人両脇から抱き付いている。
「今回の件を担当することになりました。岩山田と申します」
「鈴木です」
「まずは、お悔やみ申し上げます」
 そう言って岩山田は頭を下げた。
「主人の死因は何ですか?」
 気の強そうな、六十代くらいの女が声を張る。主人ということは、この女が清水寿美子か。鈴木は、上司にいたら嫌なタイプだなと思った。
「おそらく、農薬による中毒死です」
 岩山田が答える。
「納屋の棚にあったものですか?」
「今のところ、そう考えています。同じものかどうか、今調べているところです」
「そうですか。自殺……ということでしょうか。使わないなら、早く捨ててしまえば良かったわ」
「本当よ! そうじゃなければ、お父さんがあんなことにならずに済んだのに」
 座り込んで泣いていた女が叫ぶように言う。長女で第一発見者の梨寿のようだ。岩山田は梨寿のそばに座る。
「田中梨寿さんですね。申し訳ありませんが、もう一度、お父さんを発見したときの状況を話していただけますか?」
 涙をぬぐって、梨寿は岩山田に向かって正座をし直し、話し出した。
「発見したときって言われても……みんなでケーキを食べようってことになって、お父さんだけ一人で書斎にいたから、声をかけに行っただけです。扉の外から声をかけたんですけど返事がないので、開けて入りました。そしたら、いつもの座椅子に座った状態で、上半身だけこっちを向いて倒れていて、すごい顔をしていて、苦しそうな……。驚いて大きな声をあげました。こっちに向かって手を伸ばしていたので思わず握りました。温かかったので、息があるんだと思って、息がある、温かい! って叫んでいた気がします。私の声を聞いて集まってきた誰かが、救急車を呼びました」
「救急車を呼んだのは僕です」
 梨寿の背中を撫でていた男が言った。
「田中哲夫と言います。梨寿の夫です」
「どんな状況でしたか?」
「お義父さんを呼びに行った梨寿が、悲鳴をあげたので、驚いて駆けつけました。すると、部屋の中でお義父さんが倒れていて、梨寿が手を握っていました。何があった? と聞いても、『わからない、来たら倒れてた、でも温かいから息はある』と繰り返すので、自分の携帯電話から119番をしました」
「そのとき他の方は何を?」
 岩山田が寿美子と春子のほうに目をやる。
「私たちも、梨寿の悲鳴が聞こえたので、哲夫さんと一緒に駆けつけました。春子さんも、子供たちも、みな一緒にです。しかし、主人があまりにも苦しそうな形相をしていたので、子供たちに見せるものではないと思い、春子さんと一緒に、子供たちはすぐに客間に戻しました」
 気丈に答えている寿美子だが、唇が震えているのを岩山田は観察していた。一家の主を亡くした今、自分がしっかりしなければ、と踏ん張っているに違いない。
 そのとき、捜査員の一人が客間の入り口から岩山田を呼んだ。
「ちょっと失礼します」
 岩山田が席を立つ。鈴木は、客間に残され、四人の大人と二人の少女を順番に眺めた。気の強そうな寿美子。娘の梨寿は、今は父親の死を発見したショックが大きそうだ。その夫の哲夫は、いかにもダメ男という雰囲気が漂っている。しかし、性根は優しそうな憎めないタイプにも見える。嫁の春子は、美人だが幸が薄そうな印象だ。その春子にへばりついている少女たちは、双子らしいが、本当にそっくりで見分けがつかない。
 岩山田が戻ってくる。
「みなさんに報告することができました」
 客間に一瞬、静かな緊張が走る。
「大五郎さんは、何者かに殺害された可能性が高いことがわかりました」
「えっ」「そんな」「っ!」
 みな一様に驚きを見せる。岩山田は、一人ずつをじっと観察していた。もともと殺人の可能性が高いことはわかっていた。現場から、毒を入れてあった容器が発見されていないからである。農薬のプラスチックボトルは納屋に戻してあり、現場である書斎では、本人が使っていたと思われる湯呑からのみ、毒が検出された。そのため、当初から自殺にしては不明な点が多いと思われていた。そうでなければ、捜査一課の岩山田と鈴木が呼ばれることはない。しかし、確証がなかったため、家族には伝えていなかった。そして今、台所のシンクに入っている湯呑から、少量ではあるが同じ成分の毒が発見されたことにより、自殺ではなく殺人として捜査されることが決定したのだ。つまり、この部屋にいる人物たちが、ただの遺族から、容疑者に変わった瞬間である。
「こ、殺されたって、どういうことですか?」
 寿美子が声を震わせながら言った。
「主人は、自殺じゃないんですか?」
「どうして自殺だと思ったのですか?」
 岩山田は、静かに聞く。
「え、だって、どうしてって、はずみで毒を飲んでしまうことなんてないし、一人で書斎で毒で亡くなったなら、自殺と思うのが普通じゃありませんか」
 気丈に振る舞っていた寿美子も、さすがに動揺を隠せない様子であった。それは、客間にいたみなが同じらしく、梨寿は「怖い……」と哲夫に寄り添い、春子は両脇に双子の娘を抱きかかえて不安そうな顔をしていた。母親に抱かれた双子の姉妹だけが、状況を飲み込めていないのか、そっくりな顔でじっと岩山田を見つめていた。
「そこで、お一人ずつ、大五郎さんが書斎に行ってからの行動を細かくお聞きしたいのですが、よろしいですか?」
「アリバイ調べってことですか?」
 寿美子が、もはや弱々しさすら感じる声で言った。
「形式的なものだと思って下さい」
 岩山田はそう言ったものの、これが事実上、容疑者たちへの事情聴取であることに、かわりはなかった。

つづく
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