第6章 日本語と大日本主義

文字数 2,356文字

6 日本語と大日本主義
 水村美苗は、日本語の頂点を二葉亭四迷や夏目漱石、森鴎外、谷崎潤一郎らが活躍した明治後半から昭和初期だったと主張する。蓄えた漢学の素養を基盤に、西洋互角に渡り合える思考力を担う「国語」が形成されていくが、文学者たちはそこで大きな役割を果たしている。

 水村美苗は、「語の機能・陰影 どう護る」において、その頃の知識人たちへのリスペクトを次のように応えている。

 福沢諭吉が一年間も枕を使って眠るのを忘れたほど、猛烈な勢いで西洋の知識を輸入し、急速に日本語は近代化した。ところが英知を受け取るほどに、西洋との隔たりにも苛まれもしたわけです。

 石橋湛山は、1913年の辞典でも『自国語で学問の出来ぬ国』の中で外国語をちゅう得しなければ、学問研究ができない状況だと嘆いている。江戸時代から数えれば、西洋近代学問と接触してから150年あまりも経っているのに、それを消化しきれていない。

 近代日本語は国民国家の形成と植民地支配という二つの契機によって発展している。言文一致運動は国内における国民国家体制の確立と密接な関係がある。しかし、近代日本語が標準化されていくのは、日本が帝国主義化していく過程においてである。水村美苗が賞賛する時期は、石橋湛山が厳しく批判した「大日本主義の幻想」の時代と言ってもよい。

 台湾の教員として新規則の制定に関与した山口喜一郎は、1904年、「新公学校規則を読む(一)」において、日本語の中には「国民の知識、感情、品性」のすべてが含まれており、日本語教育によって台湾人と日本人の「同情同感」が可能になり、「母子両地」が確かなものになると主張している。山口に従えば、日本人の「国民性」とは何か、あるいはそれを指し示す「知識、感情、品性」とは何かという問いは意味をなさない。日本人の「国民性」は日本語が体現している。日本語で語られれば、西洋近代文明であろうと、中華文明であろうと、天皇の勅語であろうと、日本人の「国民性」そのものになる。植民地支配における屈折は日本語によって改称される。その上で、山口は日本語教授法として体験的に日本語を「体得」させる直説法、すなわち全教科目における教授用語の日本語化を推進する。教師は、台湾語を用いて、日本語を理論的に教えるのではなく、日本語を体に叩きこまなければならない。

 1910年代前半には、総督府の刊行していた教科書から台湾語の対訳が削除され、教育現場より台湾語を完全に排除する。山口への批判は当時からすでに強かったが、日露戦争という時代の中、山口の意見は主導権を獲得する。正統性の欠落を日本語審美主義によって埋めざるを得ない。借り物の近代化を背景に、文化的に負っている中華文明を支配するのを正当化するには山口の主張が有効である。日本語審美主義として、日本の帝国主義は日本語の普及のために、行われていく。

 こうした占領政策がとられたのは、日本語が植民地政策において特別の意味を持っていたからである。政治や司法、官庁、軍部が日本の帝国主義を正当化するために、国家的プロジェクトとして日本語に過剰な意味づけを行っている。日本語は、近代日本において、天皇制以上の政治的イデオロギーである。日本語の表記に関する問題は言語学ではなく、国内外の政治情勢と密接に結びついている。

 日清・日露の両戦争の勝利を通じて、台湾や朝鮮半島、中国大陸へと侵略を進めていく中で、漢字廃止の運動も盛んになり、加えて外地での日本語教育の問題から漢字を制限しようという動きが高まっている。ところが、昭和に入ると、極端な復古主義・国粋主義の立場からそれに抵抗しようという勢力が生まれる。教育現場での方言の尊重という意見が内地では出ていたものの、植民地において、正しい日本語の確立と確実な教授が要請されていた理由から、標準語の絶対性は揺るがせない。大日本帝国は、言語の面でも、大東亜共栄圏の規範とならなければならない。不純な日本語では日本の帝国主義政策が不純ということになってしまう。

 1902年に政府によって設置された国語調査委員会は調査方針の一つとして「方言ヲ調査シテ標準語ヲ選定スルコト」をあげている。なるほど、言文一致に関しては、文学者が積極的にかかわっているように、民間主導で達成されているのに対して、標準語を目指す国語は、文学以外の領域で始まり、学校現場を通じて、広まっている。けれども、自然主義文学から派生したドメスティックな文学である私小説という特殊な文学ジャンルが日本近代文学の主流となっていく過程には、帝国主義政策が関連している。日本の国語政策が日本的帝国主義と不可分であるとしたら、日本近代文学はこの日本的帝国主義の産物である。それどころか、日本の帝国主義を強化する役割の一端を担っている。日本近代文学は、西洋の近代文学とは異なった方法で、植民地支配に荷担してきたのである。

 植民地支配の言語に及ぼす影響は、意識的であろうとなかろうと、小さくない。日本手話は、語彙の面で、韓国手話や台湾手話との共通点が多く、その原因をかつての大日本帝国統治と考える専門家も少なくない。

 なお、日本では二種類の手話が使われている。日本手話は、聾唖者の間で、自然発生的に生まれ、日本語とはまったく別の言語である。他に、日本語を逐語的に翻訳した日本語手話がある。前者は音声言語による会話以上に微妙なニュアンスを表わせる非常に豊かな原義であるけれども、中途失聴者にとっては習得が難しいとされている。そのために後者の必要性が説かれていたはずなのだが、従来、教育現場やメディアではこちらがあまりにも優勢となっている。両者の位置付けや関係をどうすべきか関係者の間で議論が続いている。
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