オクロ

文字数 1,995文字

 二月十五日の朝、僕は珍しく寝坊した。

 クラスメイトのみならず同じ高校に通う人はほぼ全員が知ってるんことなんだけど、僕の家では猫を一匹飼っている。名前はオクロ。僕が名付けた。
 オクロはスマートなメスの白猫だ。なのにどうしてオクロと付けたかというと、オクロは僕にとって目覚まし時計のような存在なんだ。時計は英語でクロック。そこから取ったクロに、「お」は時代劇に出て来る女性名によくあるあれ――お千代とかお浜――のつもりで頭に付けて、おクロ。何時何分の「時」を表すオクロックにも通じるし、僕の自己満足にとどまらず、オクロ自身も気に入っているように思う。
 オクロは僕が翌朝起きたい時刻を寝る直前に告げると、だいたいその五分前ぐらいに起こしに来る。枕元にちょこんと飛び乗り、長い尾っぽで僕の首をくすぐってくる。初めてやられたときは驚き、物凄くくすぐったかったけれどももう慣れた。慣れても目を覚まさせる効果は抜群で、これまで起きなかったことはない。
 オクロの正確な起こしっぷりを友達に話したら、いつの間にか皆に知れ渡った。同じようにペットを飼っている男友達の一人が、「俺も起こされるけど、我王(飼っている犬の名前)の奴、巨体で胸に乗るんだよな。おまえがうらやましい」と言ったっけ。
 ちなみに名前の由来を話すと、「だったら『おとき』でよかったんじゃない?」なんて反応をよくされる。僕だってそれくらいは思い付いたけれども、あんまりストレートなのも面白くないでしょ。
 とにもかくにも、正確無比な“生きてる目覚まし時計”みたいなオクロが、今朝は起こしに来なかった。僕は十分近く寝坊したが、元々早めに起きる習慣であるため、学校に遅刻する恐れはまずない。
 それよりも不安がよぎる。オクロが起こしに来なかったその原因は何だ?
 僕は目を覚ますやベッド上で、がばっ、と上半身を起こした。最初に壁時計を見てほっと息をつき、次いでオクロを探した。どこにいるんだ、具合を悪くしてるんじゃないかと心配しつつ、ぐるっと見渡すと、勉強机に乗っかっている白い物体を見付けた。
 オクロだ。後ろ姿だけど、学生鞄の上で何やら食べる仕種をしているのは見て取れた。はて、あんなところに食べ物を置いたっけ……? 疑問が浮かんだ僕は、思い返してみてすぐ理解した。
「あ! それ食べちゃだめ!」
 学生鞄の上には昨日、学校でもらったチョコレートを置いていた。そう、バレンタインデー。本気かどうかは別にして、我が校では伝統的にバレンタイン及びホワイトデーでの贈り物のやり取りが盛んであり、学校側も認めている。昨日、僕は三人の女子からもらえたんだけれども、その内の二つを食べ、一つを残しておいたんだ。何故って、それをくれたのは僕が内心、密かにいいなと想いを抱いている同じクラスの上原(かみはら)さんだったから。上原さんのチョコを早く口にしたい気持ちはあったが、それ以上に、簡単に食べてしまうのはもったいないとする気持ちが勝った。
 なので一日おき、じっくり味わうつもりでいたんだが、まさかオクロが手を出すなんて。
 僕がオクロを叱りつけたのは、何も上原さんのチョコを食べられたからだけじゃあない。チョコは、猫や犬に食べさせてはいけない物の一つだと知っていたからだ。カカオに含まれるナントカという成分により、具合が悪くなるという。
 にもかかわらず僕がオクロのいる部屋で、チョコを出しっぱなしにしていたのは、オクロ自身、チョコが身体に合わないものだと理解している風だったから。猫にとってよくないそのナントカ成分はホワイトチョコには含まれないらしいんだけど、オクロはホワイトチョコも口にしない(脂分や糖分の摂り過ぎにならぬよう、ホワイトチョコも推奨はされていない)。
 だからオクロなら大丈夫と思い込んでいた。
 ベッドを降りた僕は、ごめんよと呟きながらオクロに近付いた。まだ症状は出てないけど、このあと苦しむんだろうか。ペット病院に連絡する準備を――。
 しかし。
 オクロはいつまで経っても平気でいた。安堵と同時に何で?という疑問が止まらない。

 僕はオクロの様子を見るために時間を取り、学校には結局遅刻した。
 何があったと聞いてくる友達をひとまず適当にあしらい、真っ先に上原さんのところへ行く。昨日のチョコ、飼っている猫に食べられてしまったんだけど……と切り出すと、すべてを話す前に上原さんが両手を合わせた。
「やっぱり。あぁ、よかった」
「やっぱり? よかった?」
 訝しむ僕に、上原さんはいたずらげな笑みを見せた。
「猫を飼ってるって知ってたから、もしもの場合を考え、カカオフリーにしたの。私、凄くない?」
「カカオフリー……ああ、そっか」
 合点が行き、同時に凄いと思った。さすが、僕の好きな上原さん。
「それで、あなたは食べ損なったの? しょうがないなー。また作って持って来るね」

 おわり

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