プロローグ 『玉雲城』と彪

エピソード文字数 9,726文字

 ……ここは、『天地界(てんちかい)』。
 この宇宙を作った『天帝』の落胤を休ませるための、地球上にある特別な島。
 島には『天人』のほか、『巫覡(ふげき)』と『人間』が、修行のために住んでいる。
 このお話は、ひどく昔。この島の文明開化の結果生まれた国々の中の一つ、『玉雲国(ぎょくうんこく)』の城内で起こる話。
 主人公は『巫覡』と、『巫覡』の最高位を務める『斎姫(いつきひめ)』の、二人。
 その年の差、なんと十一。しかし、「『気』の相性度は抜群」の二人の、冒険が始まる。
 ……語っていこう。

白点(はくてん) (ひゅう)は、玉雲城内にある占天省(せんてんしょう)の、自分の仕事部屋の文机で居眠りをしていたことに気がついて、
「いけない、またここで寝てしまった」
と、つぶやいた。
 占天省というのは、王宮の『巫覡』や占術師などを集めた省なのだが、各個人の修行のやり方が違うこともあり、一人ひとり別々の部屋が与えられている。その個室で、それぞれ、修行をしたり、『術』を磨いたりするわけだ。
 彪は、もとは庶民の出の、街の『巫覡』で、最近占天省に入省したばかりの、下っ端のはずなのだが、彼の『術使い』としての名が城下町中に知られているため、わりと高待遇で占天省に迎えられ、こうして個室も与えられているのであった。
 どうも、個室というのは、他人の眼が気にならない分、気も緩む。夜中じゅう『術』の練丹に精を出そうとしても、うっかりすると、こうしてすぐに寝てしまうのだ。
 彪は部屋の窓脇に置いてある日時計を見て、
「ああ、もうすぐ朝参(ちょうさん)の時間だ。……だめだ、もう、みそぎする時間がない。みそぎは後にして、とりあえず、……着替えてこないと」
 と、一人でぶつぶつつぶやいた。
 彼はいったん、個室を出て、占天省の入っている宮殿、『宇天宮(うてんきゅう)』も出て、 そのまま、王宮に常勤する単身者の男性の入るための寮である『清白宮(せいはくきゅう)』に向かった。
 『清白宮』に向かう道々、出会う王宮の同僚たちと散々会釈をかわす。……面倒だ。
 彼は、身分証明書を見せながら、『清白宮』に入り、自室に戻ると、まず占天省の人間であるという証の制服の単衣を脱いだ。
「あーあ」
 それを床に放り出して、伸びをしつつ、寝台に寝転がる。
 ……(せん)様は、『占天省に入れば、いろいろ利点がある』みたいなことを言っていたけれど。
 毎日、この馬鹿みたいな単衣を着て、時間に縛られて仕事をして、大人たちと社交辞令での付き合いをして……。
 確かに、街にいたころと比べると、段違いにお金はもうかるし、その日の食事にも困らないうえに、こんないい個室まで与えられて。……その通り、『利点』だらけだ。……こんな状態で文句を言うってのも、それこそ馬鹿みたいだけれど。
「ああ、わずらわしい」
 彪はつぶやいた。
「……なんだって、こんなことになっちゃったんだろう……」
 それは、最近、この国の王になったばかりの『扇様』が、自分の臣下になるように、彪に命じてきたからなのだが。
今はこの国の王となってしまったので、その頻度は減ったが、彼の街での兄貴分の(とう) 扇賢(せんけん)は皇子時代に、よく街に遊びに来ていた。『奔放な皇子』として名が高かった彼は、王となってからは、この国を護るために必要な旅に出ることが多く、その時には、『術者』の力を持つ彪を必ず連れて行く。その扇賢が、彪を『宮廷巫覡』として、占天省に正式に迎え入れたい、と言ったのが、事の始まりだった。
 扇様だけならともかく。……お姫様の頼みじゃあ、断りきれなかったんだよなあ。
 こういってはなんだが、彼の中では、『扇様』の愛称で呼んでいる、兄貴分の扇賢と、彼の妻で、この国の『斎姫(『巫覡』の最高位)』、() 暎蓮(えいれん)への態度の差が明確に分かたれていた。
 それは当然だ。暎蓮はこの国の『宝』だし、彪の中では、彼女は、扇賢の執着度とはまるで違うが、それでも一応、『淡い初恋』の相手なのだから。
 暎蓮は、扇賢が彪を占天省に誘った時、自分も、半ば懇願するようにして彼を占天省に迎えたがった。
 その懇願に、彪は抗えず、一大決心をし、宮廷勤めをすることにしたのだ。
 彪は、扇賢が彼女の『最大の鎧(と、彼は常々言っている)』であるのなら、自分は、暎蓮の『最大の術者』でありたくて、この任を引き受けたといってもよかった。しかし、庶民の出である彪にとって、宮廷勤めというのは、格式ばりすぎていて、なかなか面倒なことが多く、そのストレス解消に、というわけではないが、彼の休日は、街に出て、彼自身が街で暮らしていたころに着ていたような古臭い衣服に着替えて、ぼさぼさ頭のままで、庶民たちの雑な葬式の手伝いをしたり、『口寄せ(死んだ人の魂を一時的に呼び戻すこと)』をやったりと、結構活気があるのだ。
 しかし、城に戻ってくると、彼は、浴室で体を清浄にし、似合いもしない(と、本人は思っている)上質の、宮廷勤務者用の正服に着替え、髪を整え、占天省の制服をまとい、まるでもとから自分はこうだった、というように上品に振舞わなくてはいけない。しかも、その『上品な振る舞い』にも、ちゃんと教育者がいた。占天省に入る時に、研修を受けさせらせられたのだ。
「まったく、宮廷ってところは……」
 それらの経緯を、思い出しても面倒くささが先に立った彪は、一人、ぶつぶつ言ったが、ふと我に返り、自室の日時計を見て、それどころではないことに気が付いた。
「……支度、しなくちゃ」
 と、起き上がる。
 昨夜着ていた占天省の単衣を床から取り上げ、簡単にたたむと、部屋の外に出す。部屋の扉のわきには、箱が置いてあり、中には、新しい単衣と、今日着る正服が、ちゃんとそろえられて入っている。……毎日が、こうなのだ。
 その箱を部屋に引っ張り込み、蓋をあけ、しわひとつなくたたまれた衣服一揃いを見た彼は、あらためてため息をつきつつ、朝参に向けて、ようやく、着替えだした。

 ……白点 彪という少年は、十三という歳にしては小柄で、裾にゆとりのある長ズボンの上から、長い衣を何枚も重ね着するという、宮廷勤務者用の正服を着ている時にはあまり気づかれないが、衣を脱ぐと、まだ子供らしく、余計な肉のついていない、やせた細い体をしていることに気が付かされる。  
 しかし、『巫覡』であるがゆえに、いわゆる『菜食者』ではあるのだが、それでも骨や筋肉などはしっかりしており、小柄である割には、肉体は意外に恵まれていて、頑丈なほうだ。
 濃い焦げ茶色の短い髪を、普段は後ろで一つにまとめ、象牙色の、きめの細かい肌をしている。顔の造作は、まだ愛嬌があり、かわいらしい。『大人になったら、かなりいい男になるに違いない』、と予想されることも多いのだが、しかし、今現在まだ『子供』である今は、……彪本人は、かなり不本意な言われようなのだが、暎蓮に言わせると、『上等なお人形さん』のようなのだ。
 彼は、温和な性格をしており、大抵の人間や動物から好かれる。それは、ここ、宮廷でも同じで、年若い彼をかわいがってくれる人は大勢いるのだった。
 ……もちろん、庶民の出で、後ろ盾がなく、かつ史上最年少で宮廷入りした彼に、蔑みや妬みの視線を送る者も、いなくはないが、彼には暎蓮や扇賢という精神的に大きな支えがいたし、彼自身が、そんな『馬鹿』に付き合っているほど暇な性格ではなかったため、彪はそんなことは毛ほども気にかけてはいなかった。

 ……それにしても。
 彼は、再び、思った。
 ここにいて、本当にいいことが一つあるとすれば。
「お姫様と頻繁に会える、ってことだけだよなあ」
 彼は、また独り言を言った。
 お姫様……暎蓮は、『彪と自分の『気』の相性度は抜群だ』と言って、彼を占天省に誘ったのだった。それは、彪にとっては、いわば殺し文句のようなもので、それと、宮廷にいれば、彼女と会える確率も今までよりぐんと上がる、という打算も多少はあり、彼は、結局こうして、ここにいるのだった。
 彪は、頭を一振りして、考えるのをやめると、支度を済ませて、朝参に向かうべく、部屋を出た。

 ……朝参の後、いつものように、占天省の入っている『宇天宮』へと向かっていると、辺りを行き来する、ほかの宮廷勤務者たちに気付かれないように、近くの建物の物陰から、暎蓮が顔を出して、笑顔で彪を手招きしているのに気が付いた。
 暎蓮は、『斎姫』だが、夫である扇賢以外の男性と隔絶されている『雲天宮(うんてんきゅう)』に住んでいるため、城内の警備兵以外の、王宮勤めの人間の大半が出席する朝参には、基本、出ない。そのため、時々こうして、そっと『雲天宮』を出て、彪に会いに来る。
「……お姫様。おはようございます」
 彪は、急いで、彼女のほうへ向かった。自分も物陰に入り、小さな声で、あいさつする。
「彪様、おはようございます」
 暎蓮は、言った。
「午後の休憩の時に、『雲天宮』までいらしてくださいませんか。ご一緒に、お茶にしましょう」
「は、はい」
「ありがとうございます。……では、お待ちしていますね」
 暎蓮は、いつも着ている、薄いベージュ色の、『斎姫』専用の、体の線を隠す、丈の長い衣装の裾を踏まないように、衣服の腿の辺りを両手で持ち上げると、彼の顔を見、もう一度にこっとして、一礼してから、くるっと体の向きを変え、他人と会わないように気をつけつつ、小走りに『雲天宮』のほうへ戻っていった。
 『雲天宮』は、城の最奥部にあるので、城の奥へ行けば行くほど、宮殿の警備兵以外の人間に出会う確率は少なくなるのだ。その宮殿から、彪の勤める『宇天宮』近くまで来るというのは、彼女にとっては、大きな勇気が必要で、且つ冒険のようなものなのだが、それでも暎蓮は、彪に会いたいと思ってくれるらしく、こうして、他人の眼にふれるかも、という危険を冒してまでも、『雲天宮』から出てきてくれるのだった。

 ……暎蓮は、『天地界』じゅうの人間から、『傾国の斎姫』と噂されるほど美しく、また、実際、愛らしい顔の持ち主だ。睫毛が長く、大きな瞳。唇はふっくらとしているが、その形までもが完璧だ。だが、普通ならば、人にはそれぞれ好みというものがあるのだから、暎蓮の顔の造作を好まない場合もあるはずなのだが、彼女に限っては、『斎姫』という職業柄、他人にめったに顔をあらわにしないために、『美しい』という噂だけが先行しているということもあるうえ、実際、数少ない、彼女の顔を見たことがある者たちの中でも、彼女の顔の造作について、批判的な意見はほとんど耳にしない。どんな人間をも惹きつけるという、……なんとも不思議な魅力がある顔だちなのだ。
 そして、黒くて柔らかそうな長い巻き毛を、いつも『斎姫』特有の形に結い上げており、それがまた彼女によく似合うのだった。
 身長も低く、体の線がわからない、『斎姫』専用の衣服越しに見ても、華奢な感じで、いってみれば、見た目からして、いわゆる『保護欲』を刺激する相手なのであった。
 そんな彼女は、時には、人間以外のものも惹きつけてしまうらしく、その事実に、彼女の夫である扇賢や、彼女を護るための『術者』である彪は、いつもやきもきさせられている。
 彼女の性格は、育ちがいいせいか、穏やか且つ柔和で、いつも優しい微笑みを浮かべている。
 『斎姫』という職業柄、『邪気』がなく、その『気』は誰よりも清浄だ。……そして。彼女は、夫である扇賢一筋に、愛を注いでいる。
 だが、彪は、そんな彼女が一番好きなのだった。
 暎蓮は、彪のことを、まるで弟のように思っているらしく、扇賢以外の男子禁制である『雲天宮』にも特別に入れてくれるし、こうして、お茶に誘ってくれるのもしょっちゅうだ。
 彼女の趣味は、料理や菓子作りなどで、お茶の時間には、なにがしか自分で作った菓子の類を出してくれたり、手作りの食事に誘ってくれる時もあった。もちろん、そういう時は、扇賢はもちろん、扇賢の、もと武術の師である美しい女性、『(せき) 王音(おういん)』や、扇賢の(しもべ)であり、暎蓮に懸想している西方美男子である、『玉雲国』唯一の『騎士』を名乗る、『ウルブズ・トリッシュ・ナイト』といった、よく一緒に旅に出る主要メンバーである仲間たちも誘っているが、彪の中では、そんなことも王宮勤めの合間での楽しみの一部ではあった。……たとえ、彼女が、彪のことを全く『男』として見ていないということがわかってはいても。
 それは、誰が見ても明らかなことで、以前など、暎蓮からは、よりによって人前で平然と、『一緒に入浴しよう』と誘われたことすら、あるのだ。
 そのことを思い出すと、彼は、照れで、今でもつい、顔を赤らめる。その時は、少年としては、恥ずかしさのあまり、必死に固辞したのだが、だからといって、断ったことを後悔するほど、彼はまだ男性として成熟してはいなかった。その、彼女の、度肝を抜かれるような提案には、……かなり、あせりはしたが。
 ……が、それはともかく。午後の休憩時間には、暎蓮に会えるのだと思うと、彼の足取りは、自然と軽くなった。すれ違う同僚たちとも、笑顔で会釈をかわせる。
(こういうことがあるから、仕事にも身が入るっていうものだよなあ)
 彪はそう思いつつ、自分に割り当てられた個室に入り、文机の前に座った。

 彼は今、近頃は、この世界を狙う悪鬼や魔物と戦うことの多くなってきた、この国を護るという責任、というか、『使命』を持つ、『王』である、『天帝の御使(みつか)い』、『五彩の虎』の(さが)を持つ兄貴分、扇賢を補助するために、『退魔』のための『術』をいくつか練丹しているところだった。
 彼の場合、『術』の練り方は、文机の上で、自分なりに陣形を組み、それを紙に描いて、眺めてみる。その布陣の『力』の流れで、納得したら、立ち上がって、部屋の中で、それを今度は実際に発動させてみる。『聖気(せいき)(『巫覡』の持つ『気』のこと)』の込め方次第で、『術』の質は変わるので、陣形内の『気』の動きを確認しながら、ああでもない、こうでもない、と、様々な方法で、『術』自体の働きを確認してみるわけだ。

 ……そして、今日も。彼は、作りかけの布陣を、試しに発動させてみた。しかし、なんだか、その進捗度は芳しくなかった。彼の心情を現代の言葉で表すとするならば、……なんというか、『術』自体に、いまひとつ『インパクト』がないのだ。
「……方向性としては、間違っていないと思うんだけれど……。なんだか、あともう一工夫、欲しいところだよなあ……」
 何度か陣形を発動させてみて、彼はぶつぶつつぶやいた。
 その『一工夫』が、なんだかわからない。弱り果て、彼は、思わず床に寝転んだ。
天井を見つつ、考える。
「そうだ」
(お姫様なら、なにか助言をくれるかも)
 彼はそう思って、身を起こした。
 ……午後の休憩時間が、また楽しみになってきてしまった。

 その日の午後、休憩時間に、彪は『宇天宮』を出て、城の最奥部にある『雲天宮』へと向かった。
 門の前では、暎蓮が、ちゃんと彼を待っていてくれた。遠くから、一生懸命手を振っている。……彼は、うれしくなった。
「お待ちしていました、彪様。……どうぞ、お入りになってください」
 暎蓮が、笑顔で彼を迎える。その愛らしい微笑みに、相変わらず弱い彪が、顔を赤らめつつ、照れのあまりに、ぼそぼそと、
「失礼します……」
 と言って、もう顔見知りになった、門前の兵士にも、一応礼をして、門に近づく。

 『雲天宮』の門前を警護する兵士は、城内の兵士たちの中でも屈強で、且つ教養があり、しかも『雲天宮』に関連する機密事項を護れるという、特別に選りすぐられた、心身ともに優秀なメンバーたちだ。その彼らが、暎蓮を護るため、二十四時間交代で宮殿の警護についているのだ。

 ……暎蓮に促され、彪は、宮殿内に入り、まずは、沓を履いたまま、いくつもの部屋を通り抜けたり、外通路を歩いたりする。
 そして、宮殿内でも、女官や侍女といった、『雲天宮』勤務者以外では、暎蓮に近しい関係者だけしか入れない、土足では上がれない部屋のところまで来たところで、彪は、普段履いている革の沓を脱ぎ、上り口に上がらせてもらう。……宮殿内には、いつものように、外部から世俗の毒を持ち込まれないよう、清浄な『気』を保つための浄香の香りが満ちていた。
 暎蓮の乳母(めのと)山緑(さんろく)が奥から彼を迎えに出てきて、
「彪様、お務め、お疲れ様でございます。さ、どうぞ、奥の房へ」
 と言ってくれる。
「いつも、ありがとうございます」
 彪も、いつものように山緑に一礼して、あいさつを返す。
 彼はもはや、扇賢の次に、この宮殿の『顔』と言ってよかった。

 暎蓮は、廊下を歩きながら、彼女の後ろにいた彪の手を、楽しげにとり(ここでまた、彪はつい、顔を赤らめるのだった)、軽く引っ張って歩いた。そして、毎回彪を迎えている部屋である、『雲天宮』の、『応接の間』に彼を(いざな)った。……この『応接の間』は、彪以外には、たとえば、彼女の家族などがこの宮殿を訪れた時にも使う、『正客』のための、特別に豪華な部屋だ。彪は、この華麗な部屋に、初めて誘われた時は、緊張して言葉が出なかったものだった。庶民の出である自分を、ここまで厚遇してくれていいのだろうか、とも思っていたが、暎蓮は、そんなことは気にもせず、毎回、彼を大事な『正客』扱いで、この部屋に誘うのだった。

 『応接の間』には、もう座がしつらえられてあったが、暎蓮は気を遣って、上座下座を作らないようにしてくれてあった。……本来ならば、この国の『正妃』である彼女が上座に決まっているのだが。
「どうぞ、お好きな側へ、彪様」
 先に部屋に入った暎蓮が振り返り、彪を招じ入れ、座を手で示した。
「ありがとうございます」
 彪は、一礼して、片方の座に正座した。
 暎蓮も、卓をはさんだ彼の正面に座り、二人の座の横に置いてあった横長の棚を開け、そこから茶道具を取り出すと、彪のために、いい香りの茶を淹れてくれた。
 茶卓に茶器を置き、優雅な手つきで、それを彼に差し出しつつ、彼女は言う。
「今日は、この間、王音様に教わったお菓子を、作ってみたのです。彪様のお口にも、合うとよいのですが……」
「いや、そんな。もったいないことで……」
 彪は口ごもった。暎蓮に気を遣ってもらうなど、申し訳ない。
「まず、お茶を一服、どうぞ」
 彼女の勧めに、
「ありがとうございます。……いただきます」
 彪が一礼して、茶を一口飲んだ。
 ……宮廷に入る前は、こんな高級な茶は飲んだことがなかったが、それでも、暎蓮が淹れてくれたと思うだけで、どんな茶であろうとも、彼にとっては、『甘露』同然だ。
 その『甘露』の茶を、口に含み、しみじみと味わい、ゆっくりと飲み込む間に、暎蓮が、今度は、宝物を見せるかのように、自分の後ろから、埃よけの布をかぶせた菓子盆を取り出した。盆から布を取り去り、言う。
「……その、王音様から教わったお菓子というのが、これなのですが」
 中身がよく見えるよう、彼の側に傾けられたその盆を覗き込んだ彪が、感嘆の声を上げる。
庶民の出の彪が、見たことのないような、かわいらしい菓子が、盆の中にきれいに並んで入っているのだ。
 彪は、暎蓮がこんなに上手に菓子を作れるということに、感心した。
「きれいだね」
 本心から、彼は褒めた。しかし、それに対する彼女の返答は、
「これ、王音様のお子様が、一番お好きなお菓子なんですって。どんなものか作り方をおうかがいしたら、とてもおいしそうだったので、ぜひ彪様にも召し上がっていただきたくて」
 ……であった。それを聞いて、彪は、ひっくり返りそうになった。
 王音の子といえば、まだ赤子で、味の好みもわかるかわからないかの境目ではないか。
 それと、もう十三にもなる自分とを、同一視して、この菓子を作ったのかと思うと、彪は思わず、苦笑せずにはいられなかった。
(お姫様は、俺よりも子供みたいだな)
 ちなみに、暎蓮の年齢は、彪とは十一違いの二十四歳。夫の扇賢はまだ十七歳で、彼よりも上の歳なのだが。世間から隔絶された生活を送っているせいか、純真だ。ついでに言うなら、『斎姫』というのは不老の力があるため、彼女の外見もまた若く、どう見ても、十四、五にしか見えないのだった。
 彼のそんな思惑にも気づかないように、暎蓮は、茶道具を並べて置いてある、大きな盆の上に幾枚か重ねて置いてあった菓子皿を一枚出し、菓子用の取り箸を使い、おそらく、菓子の形が崩れないようにだろう、丁寧な仕草でゆっくりとその菓子を盆から皿に取りわけ、それを笑顔で彼に差し出した。
「……いかがですか?」
 と、言う。
 彪は、その菓子のできあがった経緯を考えると、半分ありがたく、半分仕方なく思いつつ、
「ありがとう、……いただきます」
 と言って、その菓子を手に取り、口に入れた。
 ……いかにも赤子が好きそうな、優しい味の、柔らかい菓子だった。どことなく、懐かしさを感じさせる香りもする。
「……おいしい」
 これは、本気で言った言葉だった。暎蓮は、それを聞いて、とてもうれしそうな顔をしてくれた。
「よろしければ、どうぞ、もっと、お召し上がりになってください」
「ありがとう」
 彼が、暎蓮に菓子皿を返そうとした、次の瞬間だった。
 突然、二人の背に、戦慄が走った。
 ……これは……。
 『天帝』からの声、『天啓』だ。『天啓』ではあるが、いつものものと違い、なにか、まがまがしいものが来るという予言だった。それは、『戦慄』という形をとって聴こえたことでもわかる。
 二人は、同時に、城内で、目の前に大きな『邪気』が現れる、という情景を、一瞬だけ()ていた。
 暎蓮が、鋭い声で言った。
「彪様。今の、ご覧になりましたか」
「うん。この城になにかが起こるっていう『天啓』だった。……明日。『邪気』を視たから、……たぶん、魔物?」
「あるいは、『邪霊』のようですね」
 しかし、『天啓』を受け終えた彼らの緊張は、一気にほぐれ、二人とも大きな吐息をつき、姿勢を崩した。
 暎蓮は、彪が驚くようなことを言った。
「……彪様。明日、私と、この城内を見回ってくださいませんか」
「ええ!?」
「私の役目には、『斎姫』として、この城を護るということもあるのです。でも、こうして、私たち二人が同時に『天啓』を受けたということは、……彪様のお力も、お借りしないといけない、ということかもしれません」
「お、お姫様がなにもそんなことをしなくても、俺たち、占天省の人間に任せておけば……」
 暎蓮は首を振った。
「おそらく、この『天啓』は、私たちのほかには誰も視ていません。つまり、『天帝』様は、私たち二人を選んで、このお役目をくださったのだと思います。……どうか、お願いできませんか」
 彪は、言った。
「でも、危険があるかもしれないよ」
「私は普通の『斎姫』ではなく、『武力』を持たなければならない『斎姫』です。そして、この国を護るのが役目。その名に恥じないためにも、少々の危険は、覚悟の上です」
「じゃあ、扇様にも言って……」
「いいえ、これは私たち『巫覡』の仕事です。ご公務でお忙しい扇賢様を巻き込みたくはありません。私たち、二人だけで」
 暎蓮は、その美しい眼で、彪の眼を見た。もう一度、言う。
「お願い、できませんか」
 彪は、すぐには答えられなかった。
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登場人物紹介

白点 彪(はくてん ひゅう)

十三歳。『玉雲国』の『宮廷巫覡』で、強力な『術』を使える『術者』でもある。

この国の『斎姫』で初恋の相手、十一も年の違う憧れの『お姫様』である暎蓮を護るのに必死。

温和な性格。

甦 暎蓮(そ えいれん)

二十四歳。しかし、『斎姫』としての不老の力で、まだ少女にしか見えない。『玉雲国』の王である扇賢の妃。『傾国の斎姫』と言われるほどの美女。世間知らず。

彪が大のお気に入りで、いつも一緒にいたがる。しかし、夫の扇賢に一途な愛を注いでいる。

使う武器は、『破邪の懐剣』と『破邪の弩』。

桐 扇賢(とう せんけん)

十七歳。暎蓮の夫にして、『玉雲国』の王。『天帝の御使い』、『五彩の虎』の性を持つ。単純な性格ではあるが、武術や芸術を愛する繊細な面も。

生涯の女性は暎蓮一人と決めている。

彪とはいい兄弟づきあいをしている。愛刀は、『丹水(たんすい)』。

関 王音(せき おういん)

二十代後半。扇賢のもと・武術の師で、宮廷武術指南役。美しく、扇情的だが、『天地界』中にその名と顔が知れ渡っているほどの腕の『武術家』。

暎蓮にとっては、優しい姉のような存在。彪や扇賢にとっては、やや恐れられている?

愛刀は『散華(さんげ)』。

ウルブズ・トリッシュ・ナイト

二十代後半(王音より少し年下?)。扇賢のしもべで、『玉雲国』ただ一人の『騎士』を自称する、人間界の西方が出自の金髪美男。暎蓮に懸想しており、彪や扇賢とは好敵手関係?戦うときは銀の甲冑と大剣を持つ。マイペースな性格。

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