ひなたぼっこ

文字数 4,051文字

 うららかな日差しにほどよく暖められた草原(くさはら)に、心地よい草いきれが漂っていて、ロンは寝そべってそれを堪能していた。暑くもなく寒くもない、気持ちのいい日向ぼっこ日和である。
 そのすぐ横で、シノワも同じように腹這いになって寝そべり、頬杖をついて、なんだか嬉しそうに日向ぼっこをしているロンを眺めていた。
「本当に綺麗だねえ」
 この子どもは何度同じことを言うのだろう、とロンは少し呆れてシノワをふり返る。
 シノワはもう子どもってほど幼くないよ、とガゼルは言っていたが、一年や二年で変わる人間の微細な年齢の差などロンにはわからなかったし、興味もなかった。千年以上生きるロンから見れば、まだ十五年しか生きていないシノワなど、生まれたての赤ん坊とさして変わりがない。竜なら、まだウロコがフニャフニャしていて、“エビの殻”とバカにされるような年頃だ。ガゼルは人間のくせにデタラメな方法で、もう百年生きているが、竜から見ればまだまだお子様だ。
 シノワは相変わらず、にこにこしながらロンを見ていた。ロンのウロコがめずらしいらしい。
 ぺオースのウロコは竜の中でも特に美しく、剥がれ落ちたウロコを人間がよく装飾品に使っている。
《ぺオースはみんなこんなものだぞ》
 言ってみるが、この子どもは魔法使いではないので言葉が通じない。何か伝えようと思えば、紙に書いてやらなければならないので面倒だった。ロンはシノワたちが話すテサの言葉をきちんと理解しているのだが、竜の舌には発音が難しいので、話す気はない。
 シノワは少し残念そうに小さく首をかしげると、ふふっと笑みをこぼした。
「僕の母さんもね、ぺオースのウロコの耳飾りを持ってて、綺麗だなって思ってたんだけど、ロンのウロコは全然違うね。いつもは白っぽく見えるけど、光が反射してるだけなんだね。少し透明で、ウロコの下の肌がほんのちょっと透けてるから、ほんのり青っぽい。ちょっと角度が変わると、色も変わるし、不思議な色だねえ」
 シノワは草の上に置いた手の上にアゴを乗せ、ロンを真横から眺めた。
「生きてる竜を見たのはロンが初めてだけど、太陽の光を浴びると、こんなにきらきらするんだね。ロンが息をするたびに虹色の光が揺れてるよ」
 うっとりとシノワはため息をこぼした。
 さすがのロンもそこまで言われると、なんだかむずがゆい気持ちになって、尻尾の先でシノワの額をペシッと軽く叩いた。
「竜と友達だなんて、ガゼルはすごいね。ロンはカリナにいたって言ってたけど、どうやって出会ったの?」
 言葉がわかるわけでもないのに、そんなことを聞く。周りを見渡すがガゼルの姿はない。
 ロンは、書いてなんかやらないぞ、と伸びをしつつ大あくびをする。
 ガゼルとは、確かニ百年ほど前に、緑都(りゅうと)──彼らがカリナと呼んでいる国──で会ったのだ。まだ司祭になる前で、もっと年寄りの魔法使いと一緒だった。ロンもまだ二百五十歳ぐらいの若造だった頃だ。
 ガゼルは年寄りの魔法使いと一緒に、人間のくせに時を渡ってやって来ていて、最初に会った時は、年寄りの魔法使いに魔法の力を封じられて風変わりな修行をやっていたのだ。だからてっきりガゼルはただの生意気な人間だと思っていたのに、まさか司祭になるなんて、ロンには思いもよらないことだった。
 ガゼルはロンを人に紹介する時、たまに「獅子(シン)に食べられそうになっていたのを助けたら懐かれちゃって」と余計なことを言う。間違ってはいないが、ちょっとばかり語弊がある。
 獅子(シン)がガゼルを襲ったので、助けてやろうとしたら、獅子(シン)が思いのほか老齢の猛者で、苦戦していたらガゼルの魔法が元に戻って、逆に助けられてしまったというだけの話だ。竜が獅子に負けたりするものか。魔法を無理矢理元に戻してしまったことを、ガゼルは年寄りの魔法使いに叱られていた。
 助けてやろうと思ったのは、べつにガゼルのことを気に入っていたからではない。か弱い生き物が、獰猛な精霊に食われるのは哀れだなと、そう思っただけなのだ。ガゼルが魔法使いなのなら放っておけばよかったのだが、助けられてしまったのは事実だから、しかたがない。
 しかたがないので恩を返すと言ったら、時代を移動するからお別れだ、とガゼルは言った。しかし竜は千年以上生きる。お前がいるべき所へ戻ってくるのを待っていてやる、と言ったら、ガゼルは少し泣きそうな顔で笑ったのだった。
 そして五年前、ようやくガゼルは戻ってきた。だからロンは、こうして暑くて居心地の悪いテサなんかにいてやっているのだ。手紙の配達なんかを手伝ってやっているのは、恩を受けてしまったから、しかたなくやっているだけだ。しかたなくだ。ガゼルはロンのことを友達だと言うのだが、べつに友達というわけではない。竜は義理堅いだけなのだ。
 だから、この子どもの手紙まで運んでやれと言われるのは甚だ遺憾である。竜は誇り高い精霊なのだ。軽く扱ってもらっては困る。
「ぺオースを見るとね、幸運が訪れるって言い伝えがあるんだよ」
 シノワが相変わらずにこにこしながら言う。
 そんなのは迷信だ。大体、お前は自分のことを毎日見てるじゃないか、とロンはばかばかしく思った。
 もっと昔はテサにもぺオースはたくさんいた。だが、ぺオースのたくさん住んでいた地域で鉄の生産が始まって、みんなカリナに移動してしまったのだ。鉄は竜にとっては毒になる。鉄を口にしたり、鉄でできた物で刺されでもしない限りはたいした害はないが、鉄の匂いを竜は好まない。特に製鉄場のにおいは胸焼けがするのだ。
 ロンが生まれる前には、テサからカリナへ、夏になるとペオースが一斉に渡りをしていた。それはなかなかに壮大な眺めだったという。
「でも僕はぺオースを見ること自体が幸せだと思うんだよ。日向にいるロンは本当に綺麗だしね」
 今度ウロコが抜け落ちたら、一枚ぐらいシノワにやってもいいかな、とロンは少し思った。
「ガゼルは世の中にはいろんな竜がいるって言ってたけど、ロンは言葉も話すし、字も書けるし、竜ってすごく賢い精霊なんだね」
 そう言ってシノワは指先でロンの頭なでた。
《おい。俺は人間に触られるのは好きじゃない》
「うん?」
 言葉がわからずに、シノワが首をかしげるが、指先はそのままロンのやわらかなたてがみをなでている。
《断じて好きじゃないぞ……》
 断じて好きではないが、そのなで方は悪くない。と、ロンは目を細めてシノワの指にぐりぐりと頭をすり付ける。
「おや、仲良くしてるね」
 ハッとしてふり返ると、ガゼルがすぐそばに立っていて、いつものように口元に笑みをためて二人を見下ろしていた。
「ああ、ガゼル。お帰りなさい」
「ただいま」
 ロンはあわててシノワの手元から抜け出して、ガゼルの肩に乗る。
《お前が仲良くしてやれって言うから、日向ぼっこのついでに、しかたなく触らせてやっただけだからな。しかたなくだ》
「ふうん」
 ガゼルがにやりとして見やると、ロンは不満げにビシビシと尻尾でガゼルの肩を叩いた。
《そんなに簡単に仲良くなんかしてやるもんか。俺はそんなに気安い竜じゃないからな》
「なんだよ。最近よくシノワと一緒に寝てるくせに」
《そっ、それは……俺が寝ようとした場所に、いつもあいつがいるだけだ》
 あはは、とガゼルが声を上げて笑うと、ロンは怒ったように「ガウ」と吠えた。
「ロンは何を怒ってるんですか?」
 シノワが草の上に座ったまま、不思議そうに見上げている。
「ああ、ロンはね……」
《言うなよ!》
「いいじゃないか、べつに」
《言うなってば!》
「言っちゃダメだって言ってるんですか?」
「ロンは恥ずかしがり屋なんだよ」
《そういう言い方はやめろよ!》
 ガゼルはまたおかしそうに笑っている。元々よく笑うやつだが、シノワと旅に出てからはヘラヘラしすぎだとロンは腹立たしく思った。
《勘違いするなよ。俺は人間と馴れ合ったりしないんだからな!》
「わかったわかった」
《お前と一緒にいるのだって、べつにお前といたいからじゃないからな!》
「はいはい」
 まだ笑いを引きずったまま、なだめるようになでたガゼルの手を、ロンは腹立たしそうに尻尾でビシビシと叩いた。
 それでもまだ気が治らない様子で、尻尾をブンブンふり回しているロンにシノワは小首をかしげていたが、どうせからかわれたのだろうなと苦笑する。しかし、怒っていてもガゼルの肩から降りないあたり、きっとロンはガゼルのことが大好きなのだろうと、シノワはふり回されている尻尾を見ながら思っていた。
《でもねえ、ロン》ガゼルが竜の言葉で話しかける。《大事なことはちゃんと言っておかないと、私はともかく、人間なんてあっと言う間に死んじゃうんだよ。いなくなってから、言っておけばよかったって思っても遅いんだからね》
《大事なことって何だ?》
《好きな人間には、ちゃんと好きだって言っとかなきゃダメだってことだよ》
《はあ? 俺はシノワのことなんか好きじゃないぞ!》
 ガゼルはまたくすくすと笑いながら、耳元でわめくロンの頭を指先でなでたが、ロンは《やめろ》とガゼルの指先をガジガジとかじる。
「こらこら、痛いよ」
 まったく何をバカなことを言っているんだ、と思いつつ、ロンはガゼルの指を放すと、なんとなく後ろをふり返る。シノワは歩き出したガゼルについて歩きながら、服についた枯れ草を払っていた。
──あっという間に死んじゃうんだよ
 確かに、たった十五年で子どもではなくなってしまうなんて、人間など本当に瞬く間に年老いて死んでゆくのだろう。司祭が長生きだと言っても、ロンにくらべればガゼルもずっと早くいなくなってしまう。
 尻尾をふり回すのをやめてロンは、むう、と低く唸った。
──僕はぺオースを見ること自体が幸せだと思うんだよ
 べつにシノワのことを好きなわけではないが、少しぐらいならなでさせてやってもいいか、とロンは少し思い直した。決してシノワを気に入ってなどいないが、あいつはガゼルよりなで方がうまいので。
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