買い物カート

エピソード文字数 708文字

 居酒屋からの帰り道。深夜三時をとうに過ぎたらしい。水を打ったようにしんと静まり返った真っ暗な団地内の道をわたしは一心に歩いていた。道はまるで迷路のようだった。ここに住んでいる団地の住人じゃないと途中で迷ってしまうに違いないと、わたしはへべれけのまま考えた。どの家も窓にカーテンが閉ざされ人々は闇の中で眠っているに違いない。

 闇の中でぴたぁんぴたぁんというサンダルの音だけが厭にはっきりと聞こえる。後を振り返ると、そこには誰もいない。わたしの両腕に鳥肌が立ち複雑な迷路のなかを何かに追いかけられるように更に足を急がせた。

 ふと、わたしはわたしの足音のほかにもう一つの別の音を耳にして足を止めた。その音はわたしの背後から聞こえるのである。

 ギイーッ――!
 ギイーッ――!

 なにか車輪の(きし)む音であった。潤滑油が切れている車輪を無理に動かしている音である。

 わたしは再び歩き出した。足を急がせるに従ってその音は次第にけたたましく聞こえてくる。

 ギイーッ――!
 ギイーッ――!
 ギイーッ――!
 ギイーッ――!

 わたしは足を止め、恐る恐る振り向いた。
 それは一台の買い物カートであった。

「おはよう、マー君や。わたしゃこの買い物カートを間違って持ってきてしもうた……すまないけど、ラウソンに返してきておくれ……」

 わたしは眼を上げて女の顔に視線を移した。

「ひええっ!」わたしは悲鳴をあげた。

 女は買い物カートを止めてぼーっと月を仰いでいた。
 女はお隣に住んでいるお婆ちゃんだったが、お婆ちゃんの顔のパックは月の光を浴びて妖怪のように冴えて青かった。

 

 

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