被害者

文字数 904文字

 本当にこれがえん罪だとすれば、自分はここにいてはいけないと思われた。
「ごめんなさい。私はここにいるのは相応しくないので帰ります。これ以上は関われない」
「ですよね。すみません。兄は少し感情的になっていて」
「分かりますよ。教師という仕事も奪われてしまうなんて」
 楓は立ち上がると逃げるように、この場を去ろうとした。
「お願いします。僕から逃げないでください。これだけは言わせてください、本当の被害者は僕なんです。ちゃんと聞いてくださいませんか」
 彼は教師の時の名刺を楓に渡した。
 楓は握り締めるとその場から立ち去る、そう、これ以上関わってはいけない。しかし、初めて見たときから、きれいな横顔に楓は何となく惹かれていた。じゃないと仕事終わりに会おうなどと思わない。本当は彼の本心を聞いてあげたいと思っていたが、妹を同伴してくるということは完全に警察として自分を味方につけるつもりなのだと理解できる。
 真実がどこにあるのかなんて、巡査の自分には関係がなかった。知りたいのは藤井壮亮の本当の姿、興味があるのはあの儚い、寂し気な瞳の先に何があるのかということだけだった。
 空虚な自分の心を埋めるにはとっておきの男だと思えた。手の中にある名刺の裏にはメールアドレスが書いてあった。一人きりの部屋で大きなかち割氷とお気に入りのジントニックをコップの中で遊ばせながら、深夜11時にメールを送信する。もちろん相手は藤井壮亮だった。待っていたかのようにすぐに返事がある。面白くなってきたと楓は思う。妹なんか面倒だった、少しくらい若い感じだがここででしゃばるのもどうかしていると思えた。まるで彼女のように思えたのは気のせいだろうか……。
『会いませんか、今度。あの話抜きにして』
『どうして?』
『あの話ぬきでないと私は仕事を失うわ、あなたみたいにね』
『明日は夜勤なので、夜勤明けの翌日は暇にしているの。ホテル・チャリオットでどうかしら』
 本当は壮亮という男はクロだと思っていた楓は本当のことを聞き出すつもりでいると同時にほんの少し遊んでみたくなった。夜は一人で過ごすことが正直我慢ならない。誰でもいいなら、あの男が面白いと思っていた。


 
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