王音の望み

エピソード文字数 2,388文字

「……なるほど……」
 王音がつぶやいた。
 王音の屋敷の、応接の間で、扇賢たち三人と、屋敷の主人である王音は向かい合っていた。真ん中に扇賢、彼の右隣に暎蓮、左隣には獏烏が腰かけている。
 王音は、長椅子の真ん中に腰をおろし、いち『国王』の前であるにもかかわらず、高々と脚を組んだ、気を抜いた姿勢だった。その彼女の裳の裾から、見事な脚線美がこぼれている。獏烏が、その扇情的な姿から、まるで、『目の毒だ』というように、顔を赤らめて目をそらし、扇賢は、そんなものは最初から目にも入ってはおらず、暎蓮は、これほど女性性の高い女に会うのは初めてで、その艶っぽい雰囲気にどぎまぎしていた。
 彼らの前には、繊細な装飾を施した豪華な卓があり、その上には人数分の杯と、酒の瓶が並んでいた。
「……では、その妙薬が、悪用されるのを防ぐために、わたくしにも出張れ、ということですのね?」
「早く言うと、そうだ。……おい、客が来たのに、昼からいきなり酒か?」
 扇賢の言葉には耳も貸さず、王音は、暎蓮に向かって微笑んで見せた。
「暎蓮様、このお酒は、女性のお肌にとてもよろしいものなんですのよ。宜しければ、一献、お召し上がりになって」
「は、はい。ありがとうございます」
 暎蓮は、王音の手からそっと杯を受け取った。一口、その酒を口に含むと、彼女の顔は明るくなった。
「……おいしい」
「でしょう?味もよく、美しくもなれるお酒なんて、飲まずにはいられませんわよねえ」
「ええ……」
 暎蓮は『斎姫』だ。儀式のために自身で酒を造ることも、酒を飲むことも多い。つまり、外見に似合わず、結構な酒豪なのであった。
「獏烏様には、こちら。このお酒は、少々強いものですが、男性の舌によく合う、さわやかな飲み心地ですのよ。さあ、どうぞ」
「は……。あ、ありがたく、頂戴します」
 獏烏が、困惑したような顔で、それでも王音から杯を受け取る。
「そんな話はどうでもいい。おい、聞いているのか」
 王音は、今度は、扇賢に向かって、面倒くさそうに振り返ってみせた。
「聞いておりますわよ。……それで?……報酬は?」
「報酬?」
「お仕事には、報酬はつきものですわよ。……それとも、このわたくしに、ただ働きをしろと?」
「そんなことは言わん。……今のところ、お前にやれそうなものは、まだ、考えていないが、おいおい、なにかで埋め合わせはする」
「まあ!じゃ、報酬の額も知らせずに、か弱い女に戦いに出向けということですのね?」
「今は考えていないというだけで、後でちゃんとすると言っているだろう。……大体、客人に長刀を突きつけるようなお前の、どこがか弱いんだ」
「このような粗野な夫では、暎蓮様も、さぞ落胆されていらっしゃるでしょうねえ。民の声を聞けない王というのは、昏き王ですわよ。……暎蓮様、よろしければ、もっと、いかが?」
「おい、暎蓮にあまり酒を飲ませるな。まったく、相変わらずお前は……。……丁中将は、この女のどこがよかったんだろうな」
 扇賢は、悔し紛れに、苦々しげに言った。明らかに、人生経験で、彼の負けだった。
「あら、じゃ、離縁されたら、わたくしを側女(そばめ)にしてくださる?誠心誠意、お仕えいたしますわよ」
「なッ!」
 扇賢は、今度は、顔を真っ赤にして詰まった。
「俺は女は暎蓮だけで充分だ。……大体、お前に毎日尻を蹴飛ばされる、あの日々が戻ってくるなんて、冗談じゃない」
「あら、あれもわたくしの愛情の一つでしたのに、わかっていただけていなかったんですのね」
「なにが愛情だ、大体お前は……」
 気が付くと、暎蓮がこらえきれないように、赤い顔を袖で覆って笑っている。年若い扇賢の手玉のとられように、獏烏も笑いをどうにかこらえているようだった。
 扇賢は、憮然とした顔で言った。
「お前たち、俺がこの女に遊ばれているのが、そんなに楽しいのか」
 暎蓮は、笑いをなんとかおさめつつ、言った。
「扇賢様、落ち着かれて。……王音様、なにか欲しいものがおありなのでしょう?教えていただけませんか」
 暎蓮は、世間知らずではあるが、年齢はそれなりに重ねている。それだけに、彼女は、王音が、扇賢をからかうことで、師としての愛情をこめていることが感じ取れたのだった。
「暎蓮様からのご質問でしたら、答えないわけにはまいりませんわね。……わたくし、扇賢様の二の太刀である『散華(さんげ)』がいただきたいのですわ」
「なに!?」
 扇賢がぎょっとした。
 『散華』は、彼の大事にしている気に入りの長刀だった。
「あ、あれが欲しいのか!?」
「はい。あれと引き換えになら、月沃まで参ってもよいのですけれど。ああ、でも無理ですわよねえ、あれは扇賢様の愛刀、そして、わたくしは産後で、乳飲み子がまだ……」
 扇賢は、露骨に、『人の足元を見やがって』という顔をした。だが、背に腹は代えられず、仕方なさそうに言った。
「わかったよ、あれはお前のものだ。あと、産後と言っても、もう一年は経っている、お前の体力なら戦えるだろう。おまけに、乳飲み子とか言っているが、どうせ乳母がいるんだろう」
 最後のほうはふてくされた言い方だった。しかし、王音の表情は、それと反比例して、輝く。
「決まりましたわね。そういうことなら、わたくし、この命を賭して、扇王様にお仕えいたしますわよ。……それでは、すぐに支度をしてまいりますわ。少し、お待ちになって」
 彼女はそうして、腰軽く応接の間を出て行った。
「なにが、『命を賭して』だ。……俺の『散華』……」
 扇賢が、まだ恨みがましく、小さな声でつぶやくのを聞いて、暎蓮と獏烏は、またひそかに笑いをかみ殺した。
(面白い方だわ、王音様って)
 暎蓮は、頼もしい仲間が増えた気がして、少し安心した。
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登場人物紹介

桐 扇賢(とう せんけん)

十七歳。『玉雲国』国王にして、『天帝の御使い』、『五彩の虎』の性を持つ。

普段はがさつだが、武術と芸術には強い。単純な性格だが、恨みをあとに引きずらない。生涯の女性は暎蓮ただ一人と決めている。愛刀は『丹水(たんすい)』。

甦 暎蓮(そ えいれん)

二十四歳。扇賢の年上の妃で、『玉雲国』の『斎姫』も務める。扇賢に一途な愛を注ぐ。『傾国の斎姫』と呼ばれるほどの美貌で、狙われやすい存在。使う武器は、『破邪の懐剣』。

白点 彪(はくてん ひゅう)

十三歳。

街の『巫覡』であり、また『術者』。扇賢の街での弟分。温和な性格だが、戦いでは後には退かない。

暎蓮に生まれて初めての恋をする。

関 王音(せき おういん)

二十代後半。

扇賢のもと・武術の師で、『天地界』中に名を知られた武術家でもある。普段は扇情的な美貌とプロポーションを持った妖艶な女。だが、さっぱりした性格なので、過剰な色気はない。

扇賢から奪った愛刀、『散華(さんげ)』を持つ。夫、子供有。


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