かりそめキューピッド
文字数 2,605文字
ドジなママはすぐにものを壊す。
ついこのあいだは、分厚いパーカーを干すのに物干し竿の片方を取り外し、T字になるように袖を通していたところ、ベランダの隔て板に穴を開けてしまった。
ボロい団地とはいえ、こちらの過失だから弁償することになって、「こんなことならクリーニング代の方が安かったわ」なんて悪態ついていたけど、自分のせいだから。
お給料の一日分? いや、もっと? そりゃあカツカツの生活で、そんなことで出費なんてしたくないでしょうよ。
開いた穴はちょうどわたしの目線にあり、物干し竿の直径ほどの大きさだった。
その穴からお隣さんを覗くとベランダが丸見えだ。
お隣さんにもこの事態を伝えてあるが、工事はもう少し先になりそうなので応急処置でガムテープを貼っている。
貼ったのはこちら側だから、たまにそろりと剥がして向こうの様子をうかがってみたりもする。
はじめは悲鳴を上げそうなほどぎょっとした。
物干し竿にはダーツの的のようなバルーンがぶら下がっていたのだ。
その下にあるミニトマトの鉢植えを鳥から守るためだという。
「それって本当に効果があるの?」
と、問いかけてみれば、
「いまのところ、鳥害にはあっていない」
という返事が戻ってきた。
うちのお隣はわたしと同じ中学校に通う三倉 大貴 と、そのお父さんが住んでいる。
もう何年も隣人同士で、気心知れすぎて、ちょっとの覗きくらいで大貴がとやかくいうこともなかった。
ミニトマトは10個ぐらい房になっているが、まだ青い。
それを大貴はスマホで撮影していた。
毎日SNSにアップしているのを、わたしもスマホで見ている。代わり映えのない写真を、毎日だ。
でも、代わり映えがしなくたって、10日前、一ヶ月前と、時間を巻き戻せば様子が異なる。
といっても、つまらないことには変わりないけど。なぜだか投稿されれば見ずにはいられなかった。
誰かと誰かのきらびやかなつながりだとか。揚々と最先端に乗っかってる自慢の品々だとか。誰かが勧めてくる誰かが踊っている動画だとか。考えてみればそれもやっぱり代わり映えしないものだった。
「あの二人、そろそろくっつけばよくない?」
唐突にたずねても何度となく同じことを聞いてるせいか、「介入するのはややこしい」と、とくに聞き返すこともなくいつもと同じような答えが返ってきた。
鉢植えをぼんやり見つめて1時間過ごせる大貴は、もともとひとにはあまり興味を持っていなかった。たぶん、わたしのことも興味ない。
「あのひとたち、わたしたちに遠慮してない?」
「そんなことないだろ」
「こそこそしているくらいなら、ちゃんとさ。噂だって立つし」
「一緒にいたところで別になんとも思われてないでしょ。付き合い長すぎてスルーされてる気もするよ」
「とくに変わらなくたっていいんだよ。この仕切りをぶち破る程度で。コネクティングルームみたいに行き来してさ」
「ほどよい距離感ってのがあるんだよ」
前にはこうもいっていた。シングルでいた方が行政の支援を受けやすくて得するんだよって。
バカみたいとか、気持ち悪いとか、親の恋愛に憎悪をさらけ出すわけじゃないけど、大貴が歓迎的ではないそぶりをするのはホッとしていた。
いくら物わかりのいい子供でも、大人が勝手に決断する人生の転機を、そう易々と受け入れるほど柔軟ではない。
別の意味でもややこしいし。
幼なじみの大貴とその父親が、ママが作る朝食をわたしの隣の席で毎日食べていたとしても、さして違和感もなく、むしろあまり記憶にない実父が食卓にいた方が気まずくてすぐに席を立ってしまいそうだけど。
何かが引っかかる。
ママと大貴のお父さんが結婚したら、わたしと大貴の関係はどうなってしまうんだろう。
「わたしと大貴の距離感はどうなの」
「ミニトマトの写真に毎回『いいね』を押されてもウザいとは思わない距離感」
「なんなのそれ。だいたい、『いいね』って押してるの、わたしだけだし」
「オレの物語は、数人の登場人物で完結する」
「わたしがいなくなったらエピソードがなくなるね」
「もちろん――」
そういうと、わたしが見ている小さな穴に向かって大貴はやってきた。
ちょっと言い過ぎたかなとひるむほどに、不服そうにも見える真剣な表情で近くまで顔を寄せた。
「理子がいなくなったら寂しいよ。家出するときはいってよね。ついて行くから」
「……いや、出て行くとかいってないから」
怒ってないとわかって、気を取り直して付け加える。
「わたしと大貴がいなくなったらそれはもう、家出っていうか、駆け落ち」
「駆け落ちって、恋するふたりがするものでしょ」
「そ、そうだけど、そう思われちゃうよねって話しでしょうが」
「なるほど、勘違いね。だったらうちの親父とそっちの母さんも、理子の思い違いだと思う」
「こういうことは、女の勘の方が鋭いんだから」
「無理にくっつけないほうがいい」
「わかってる。今のままの方がいい」
「オレたちも?」
「えぇ?」
急に?
天然なの?
どういう意味なのか、なんでそんなこといいだすのか、わけがわからなくなって、剥がしたガムテープで穴を塞いだ。
「ちょっと、理子……?」
戸惑い気味な大貴の声を聞きながら、仕切り板に背をつけた。
むやみにどきどきしている。
自分たちも今までと同じでいる方がいいといっているのか、なにか進展があってもいいといっているのか、判断がつかない。
すると、ポケットに入れていたスマホが震えた。
見れば大貴がSNSに写真を投稿していた。
ガムテープで塞いだ穴の向こう側から仕切り板を撮っている。穴から見える粘着部分にけっこうほこりがついていた。
ほかの誰かが見たらシュールにうつるだろう。
珍しくコメントが添えられていた。
『ひらけごま』……って。
思わず吹き出しそうになって『いいね』のボタンを押した。
「いや、いいね、じゃなくて、どうしたの?」
「きょう、夕飯の当番だったの忘れてた」
「もう、いつも一方的だよな」
仕方ないといった感じで息をつく様子が目に浮かんだ。
「じゃあ、またね。ミニトマトが赤くなるころ」
「ずいぶんと先だな」
「そうなの?」
「ああ。でも、気まぐれには慣れてるから大丈夫」
わたしも、短気を起こさない大貴に慣れてしまっていた。
今までと変わらない、わたしの好きな大貴が、ずっとそばにいてくれたらいいのになって、今は、そんな気持ちだ。
ついこのあいだは、分厚いパーカーを干すのに物干し竿の片方を取り外し、T字になるように袖を通していたところ、ベランダの隔て板に穴を開けてしまった。
ボロい団地とはいえ、こちらの過失だから弁償することになって、「こんなことならクリーニング代の方が安かったわ」なんて悪態ついていたけど、自分のせいだから。
お給料の一日分? いや、もっと? そりゃあカツカツの生活で、そんなことで出費なんてしたくないでしょうよ。
開いた穴はちょうどわたしの目線にあり、物干し竿の直径ほどの大きさだった。
その穴からお隣さんを覗くとベランダが丸見えだ。
お隣さんにもこの事態を伝えてあるが、工事はもう少し先になりそうなので応急処置でガムテープを貼っている。
貼ったのはこちら側だから、たまにそろりと剥がして向こうの様子をうかがってみたりもする。
はじめは悲鳴を上げそうなほどぎょっとした。
物干し竿にはダーツの的のようなバルーンがぶら下がっていたのだ。
その下にあるミニトマトの鉢植えを鳥から守るためだという。
「それって本当に効果があるの?」
と、問いかけてみれば、
「いまのところ、鳥害にはあっていない」
という返事が戻ってきた。
うちのお隣はわたしと同じ中学校に通う
もう何年も隣人同士で、気心知れすぎて、ちょっとの覗きくらいで大貴がとやかくいうこともなかった。
ミニトマトは10個ぐらい房になっているが、まだ青い。
それを大貴はスマホで撮影していた。
毎日SNSにアップしているのを、わたしもスマホで見ている。代わり映えのない写真を、毎日だ。
でも、代わり映えがしなくたって、10日前、一ヶ月前と、時間を巻き戻せば様子が異なる。
といっても、つまらないことには変わりないけど。なぜだか投稿されれば見ずにはいられなかった。
誰かと誰かのきらびやかなつながりだとか。揚々と最先端に乗っかってる自慢の品々だとか。誰かが勧めてくる誰かが踊っている動画だとか。考えてみればそれもやっぱり代わり映えしないものだった。
「あの二人、そろそろくっつけばよくない?」
唐突にたずねても何度となく同じことを聞いてるせいか、「介入するのはややこしい」と、とくに聞き返すこともなくいつもと同じような答えが返ってきた。
鉢植えをぼんやり見つめて1時間過ごせる大貴は、もともとひとにはあまり興味を持っていなかった。たぶん、わたしのことも興味ない。
「あのひとたち、わたしたちに遠慮してない?」
「そんなことないだろ」
「こそこそしているくらいなら、ちゃんとさ。噂だって立つし」
「一緒にいたところで別になんとも思われてないでしょ。付き合い長すぎてスルーされてる気もするよ」
「とくに変わらなくたっていいんだよ。この仕切りをぶち破る程度で。コネクティングルームみたいに行き来してさ」
「ほどよい距離感ってのがあるんだよ」
前にはこうもいっていた。シングルでいた方が行政の支援を受けやすくて得するんだよって。
バカみたいとか、気持ち悪いとか、親の恋愛に憎悪をさらけ出すわけじゃないけど、大貴が歓迎的ではないそぶりをするのはホッとしていた。
いくら物わかりのいい子供でも、大人が勝手に決断する人生の転機を、そう易々と受け入れるほど柔軟ではない。
別の意味でもややこしいし。
幼なじみの大貴とその父親が、ママが作る朝食をわたしの隣の席で毎日食べていたとしても、さして違和感もなく、むしろあまり記憶にない実父が食卓にいた方が気まずくてすぐに席を立ってしまいそうだけど。
何かが引っかかる。
ママと大貴のお父さんが結婚したら、わたしと大貴の関係はどうなってしまうんだろう。
「わたしと大貴の距離感はどうなの」
「ミニトマトの写真に毎回『いいね』を押されてもウザいとは思わない距離感」
「なんなのそれ。だいたい、『いいね』って押してるの、わたしだけだし」
「オレの物語は、数人の登場人物で完結する」
「わたしがいなくなったらエピソードがなくなるね」
「もちろん――」
そういうと、わたしが見ている小さな穴に向かって大貴はやってきた。
ちょっと言い過ぎたかなとひるむほどに、不服そうにも見える真剣な表情で近くまで顔を寄せた。
「理子がいなくなったら寂しいよ。家出するときはいってよね。ついて行くから」
「……いや、出て行くとかいってないから」
怒ってないとわかって、気を取り直して付け加える。
「わたしと大貴がいなくなったらそれはもう、家出っていうか、駆け落ち」
「駆け落ちって、恋するふたりがするものでしょ」
「そ、そうだけど、そう思われちゃうよねって話しでしょうが」
「なるほど、勘違いね。だったらうちの親父とそっちの母さんも、理子の思い違いだと思う」
「こういうことは、女の勘の方が鋭いんだから」
「無理にくっつけないほうがいい」
「わかってる。今のままの方がいい」
「オレたちも?」
「えぇ?」
急に?
天然なの?
どういう意味なのか、なんでそんなこといいだすのか、わけがわからなくなって、剥がしたガムテープで穴を塞いだ。
「ちょっと、理子……?」
戸惑い気味な大貴の声を聞きながら、仕切り板に背をつけた。
むやみにどきどきしている。
自分たちも今までと同じでいる方がいいといっているのか、なにか進展があってもいいといっているのか、判断がつかない。
すると、ポケットに入れていたスマホが震えた。
見れば大貴がSNSに写真を投稿していた。
ガムテープで塞いだ穴の向こう側から仕切り板を撮っている。穴から見える粘着部分にけっこうほこりがついていた。
ほかの誰かが見たらシュールにうつるだろう。
珍しくコメントが添えられていた。
『ひらけごま』……って。
思わず吹き出しそうになって『いいね』のボタンを押した。
「いや、いいね、じゃなくて、どうしたの?」
「きょう、夕飯の当番だったの忘れてた」
「もう、いつも一方的だよな」
仕方ないといった感じで息をつく様子が目に浮かんだ。
「じゃあ、またね。ミニトマトが赤くなるころ」
「ずいぶんと先だな」
「そうなの?」
「ああ。でも、気まぐれには慣れてるから大丈夫」
わたしも、短気を起こさない大貴に慣れてしまっていた。
今までと変わらない、わたしの好きな大貴が、ずっとそばにいてくれたらいいのになって、今は、そんな気持ちだ。