拝啓ビジネスレター

文字数 3,960文字

拝啓

桜も咲きほこるうららかな季節、御社にはますますご清祥のことと心からお慶び申し上げます。

さて、私事で大変恐縮ですが、このたび4月末日をもちまして、株式会社ザンギョウスキーを退職することになりましたことをご報告させていただきます。

平成元年、弊社に入社し、30年。平成の終わりとともに社を去ることは大変感慨深いものがあります。

私自身、中途採用から身を置き、課長職にまで上り詰め、社の売り上げ貢献、制作部の人事掌握、取引先との接待の日々。
瞳を閉じれば充実したことばかりが網膜の裏によみがえります。

できることなら、定年を迎えるまでには取締役に昇進を果たし、さらなる飛躍をなしとげ、12歳年下の豊胸をたくわえました女子社員と素敵な思い出を重ねながら、猫しか相手をしてくれない自宅でのんびりとした生活を送る人生のはずでした。
でしたのに。どうしてこんなことになってしまったのか。


……奴のことは可燃ゴミだと認識しておりました。
もしくは塵。だまって働いていれば気にも止めない存在です。

正社員でも契約社員でもない、部外者の派遣社員です。
いくら10年奉仕したからといっても、自分は派遣社員であるという自覚がなかったのでしょうか。
今ですから、奴のことをなんとか思い出して言いますが。
仕事がきついから人員を増やせだの。どうして派遣社員が深夜のタクシー残業を強いられなくてはならないだの。ここまで働かせるのであったら、正式に契約社員にしてくれとか。
そんな発言を臆せず、ない胸張って訴えてくるから、私としては上司である常務と2分間の話し合いにより可燃ゴミとして焼却処分にしてあげただけです。
決定を下したのは常務でありますが、もちろん私も大賛成させていただきました。
奴は可燃ごみです。腐敗臭が、健全に労働をしている他の従業員に移らないように取り除いた。
会社を動かす者として間違ったことをした覚えはこれっぽっちもない、常識ある判断において任務を遂行しただけでしたのに。

どういうことか、可燃ゴミは焼却炉の中でカスが残っていたのです。
粘着質というか、なぜそこまで我が社にこだわるのか。お前はいらないのだから、おとなしく消えさってくれればよかったのに。
派遣社員の分際で、業界ではそこそこ有名な会社の課長クラスの人間に恨みを持つなど、どういう了見なのでしょう。なぜ私がこんな目にあわなくてはならないのでしょう。

これで若くて豊胸な女性ならばいざ知らず。ほうれい線ですよ。派遣社員で我が社にいさせてあげただけでもありがたいと、どうして思えなかったんでしょうか。
派遣社員は会社の方針に意見するまえに自分の仕事をしっかりやっていれば契約を更新させてやれるのに。
残業代だってちゃんと支払っていましたし、タクシーチケットも出していましたよ。いまどきこんな良心的な会社ありますか?
常務もそのようにおっしゃっていましたよ。

なのに、お年を召したクレーマー派遣社員にはわからないのですね。そんなに文句があるなら辞めていただいて、ご自分のご都合に会う会社に移動していただければいいのです。なんで我が社に執着するんですかね。そんな人間契約社員になんかしたくないですよ。そうでしょ?

私も暇じゃないんですよ。昼間はいかに人件費を削り、業績をあげるかの会議。夜は接待。もちろん常務の肩を揉むことも忘れていません。最終的には次の常務の座を狙っていましたから。常務には忍者の如くお側を離れず、常に目を光らせ、両手を揉みあわせながら陰日なたとついてまいりました。

それでしたのに。私の二十歳から積み上げてきた30年の努力と苦労が、たったひとりのほうれい線派遣社員に握りつぶされるだなんて、誰が想像したでしょう。

これより奴のやり口を説明いたします。いかに卑劣で執念深いものかがわかると思います。あまりの下劣さに吐き気をもよおしますので、そばにエチケット袋を置かれることを推奨いたします。

まず、私のことをつけ狙っていたとは思ってもいませんでした。
今まで契約を終わらせていただいた派遣社員や契約社員の皆さんは、それはもう全員おとなしく辞めていってくれたので、なんのわだかまりもなく、二度とお会いすることもなく平和に日々を過ごさせていただいたというのに。奴だけはそうじゃなかった。
辞めていただいた日から恨みを持たれていたと思うと背筋が凍る思いです。
こうして生きていられるから言えることですけれどね。
皆様もご存知の通り、私は奴に刺されて全治1ヶ月の重症を負いました。よく助かったものだと。自分の運の良さに、神様も捨てたものではないなと、日々のありがたみを感じるものです。
奴は夜の10時過ぎに、帽子にマスクという変装をして私の後をつけ、こともあろうか牛丼屋で隣の席に座っていたのです。
ヘックシシン、とか気持ちの悪い発音のくしゃみなんかしてね。しかしながらその時は気付かなかったんですよ。だってそうでしょ、いち派遣社員ですよ。こちらからさようならしてもらったものをいちいち覚えている管理者がどこにいますか? そんなの時間の無駄でしょう。
奴だって私に八つ当たりするなんて時間の無駄だと気付かなかったんですかね。やめることになったのは全部自分のせいであることがわかっていない馬鹿者ですよ。

私は牛丼屋を出たところで襲われたんですけど。それはもうひどい仕打ちでしたよ。額に牛丼とまで書かれたんですから。いままで働かせてあげた恩をなんだと思っているのか。
刺されたショックでおもらししちゃったくらいですからね。精神的被害も計り知れません。

ちなみにですが、私が助かったのは体内に蓄積された脂肪のおかげだそうです。内臓に届かなかったおかげです。
普段から皆様に「油を控えたほうがいい、食べる量を減らしたほうがいい、せめて酒と甘いものを半量にしては」と言われ続けて参りましたが、忠告を守らないおかげで助かる命もあるものだなと苦笑の限り、そのときから私はこの先も自分の思うままに生きていこうと決心を固めた次第です。

奴は逮捕され(殺人罪でしかるべきなのに傷害罪とは運のいいやつです。二度とまともな人生は送れないでしょうが)、私も傷が癒えて無事退院の運びとなり、さらに一ヶ月の自宅療養の後、会社に復帰したわけですが。

どうしたことか。
従業員の私を見る目が、どこかおかしかったのです。

私は完全なる被害者です。あたまのおかしくなった元従業員に逆恨みで重症を負わされ、それでも無事帰還することができた。
花束を渡されて盛大な拍手で迎えられる。それが当たりまえの運びだろう。
なのに、なんだ従業員たちのその目は。私は賞味期限切れの牛乳か? 手をつけることにためらいを感じているようなその目はなんだ?

私はボディーラインに関係なく、高待遇を餌になんでも言うことを聞いてくれる女子社員を会議室に呼び出しました。
ぽっちゃり系のそいつは加害者の直の上司でもある。事件のことで警察に事情聴取されたそうだが。私の顔を見ないのはそれが原因ではないらしい。問い詰めたところ、部下の口から出てきた言葉は。
 私が無条件によくしてやっていた豊乳女子社員が、私の復帰と入れ替わりに退社したということだった。
 部下は「あたしも課長とあの子の関係を警察に聞かれました。あたしはなにもしりませんでしたけど。加害者がそんなこと言ったって。だから、あの子も事情聴取受けて。それから会社来なくなって……」と。
なんとまぁ、そんなデマを信じるのか。笑い飛ばしましたね。確かによくしてはやりましたよ。でもね、これだけは神に誓って言えますよ。体の関係だけはありませんでした。
従順なはずの部下は、もういいですか、と言って会議室を出て行き、代わりに入ってきたのは社長をセンターにした取締役たち。もちろん、敬愛する常務もいらっしゃいました。

そこからはもう、だれも私の言うことに耳を傾けてくれなかったわけですよ。私は会社を愛し、常務にも尽くしてきた。なのにその常務から「君のせいで、わたしは記憶にもない派遣社員に家ごと木っ端微塵にされるところだったんだ!」と、30年の業績を賽の河原の鬼のように蹴り飛ばされたのです。なんと奴は常務も手にかけようとしていたのです。
(しかしながら申し上げますと、なにかと社のことに意見をしてくる奴を嫌っていたのは私より常務のほうが上だったのですが。なぜかすべて私のせいです。課長の、つらいところですね)

私はひとつの部署を任された課長として、常務の判断を仰ぎ、己の信じる判断で記憶にもない派遣社員にやめてもらっただけだというのに。
会社の半数以上を占める契約社員と派遣社員に「加害者は真面目な人だったのに、なんでやめさせたのか」「課長は好き嫌いで人事動かす」「意見したらアウト」「若い巨乳がお気に入り」と影口を叩かれ続け。いつの間にか家族の耳にもそれが入り、猫すら高いところから降りてきてくれなくなり……。


この度、平成元年から平成31年4月まで、全力で駆け抜けて参りました株式会社ザンギョウスキーを退社する運びとなりました。
皆様にはこれまで格別のお引き立てをいただき、心より御礼申し上げます。

最後ではありますが、私は新元号5月より、弊社協力会社である、株式会社サイジツシュッキンに制作部部長として就任することが決まりましたことも合わせてご報告させていただきたく存じます。

これからも変わらぬご指導ご鞭撻をよろしく御願い申し上げます。

敬具

平成31年4月吉日
株式会社ザンギョウスキー 制作部課長……
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