質素な封筒に入っている金釘流で書かれた無地の便箋

文字数 1,240文字

 拝復
 素敵な贈り物をありがとうございます。この便箋は一つの桜の花弁となって、僕にひどく奥底に沈んだ故郷の想見を喚起させます。どうにもこちらでは桜の木が立つことは無いようで、今年は見られないものかと思っていましたが、貴女のおかげで一つ私の心に桜木を見ることができました。
 この御手紙を書くにあたって、きっと僕は文具屋も唸るほどの枚数の書紙を用意しなくてはならないでしょう。まずは、半年以上もの間返書も宛てず音沙汰無しで、貴女のことを等閑にしてしまったこと、本当にごめんなさい。実は、ここまでの不通は胸中貴女のことを忘れると心誓ってのことだったのです。
 世間の潮流とは兎にも角にも厭わしいもので、これは以前話しあげた通りですが、私は、生活してゆくため、生きてゆくため、そして一人前の男を周囲の人間に示すため、高校卒業後に一人都会に出て働く道を選びました。激流とも云うべき世間の流れに、私は逆らうことができなかったのです。其の結果、私は貴女を失うことになりました。
 向こうでは人の多く、なれば職は引く手数多、難無く仕事に就けました。不格好でどちらか着ていてどちらが着られているのかわからない背広一つを武器に僕は、汗水垂らして東奔西走しました。潤う財布とは裏腹に私の心は荒んでゆき、そして心の裏面では貴方への念が強くなりました。そして、どうか落胆しないで欲しいのですが、仕事の繋がりと縁の繋がりであって、私は会社の上司方に連れられて、初めて街頭ぼやけて色めく色街へ行きました。
 今私に降り掛かっているのは僕の罪と罰です。僕の不甲斐なさと不純とが招いた結果。募るは自責の念ばかり。僕が逆流にも立ち向かえる人間であり、汚れを厳と断り突き放せる人間であれば。いや、本当にこの罪と罰を背負ってゆく気なら、そもそもこんな手紙など書いてなどいけないのです。一人忘れて忍び耐えると決めたのに、貴方に寄っている僕は、やはり弱い人間です。
 貴女からの御手紙は一言一句余す所なく全て拝読しています。断固として変通しないつもりでした。ですから、この手紙は長くは書かないつもりでしたし、これ以上つらつらと書いても、自身の胸を絞めることにしか役に立たないので、終わりにしようかと思います。
 都会を知り、世間を知り、人との付き合いを知り、酒を知り、女で金を稼ぐ女を知り、そして残ったのは手元にない貴女でした。染まり汚れてしまった僕はもう貴女には会うことができない。今やどんな顔をして会えば良いのかわかりません。
 結びの言葉で貴方は「お身体にお気をつけて」と書いてくれましたが、私にはどうもこの言葉しか思い浮かばないため、これで締めさせていただきます。
 ごめんなさい。
 敬具

 追伸
 詩は初めてとは思えないほどとても流麗です。しかし、僕から相問歌のように返歌はできません。然して、時に「へんか」という文字は千差万別多種多様に姿を変えるわけで、僕の「へんか」は無いわけで。この言葉を返しと取っていただけたら幸いです。
  
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