天国と地獄

文字数 2,000文字

「シヌ…」
炎天下、滝汗をかきながら私は、昼休みのオフィス街を彷徨っていた。
会社の近くの公園のベンチは、かつては憩いの場であったのだけれども、この国の夏は、いや、地球の夏はあまりにも暑すぎて、昼休みにひとりー否、ぼっちランチをする場所ではなかった。ベンチに座るとお尻が燃えそうだ。

「行き場がない…」
仕方なく、外でのランチを諦めた。このまま彷徨っていたら手製のおにぎりは腐るし、昼休みも終わってしまう。
会社から少し離れた、イートインスペースのあるコンビニで、ペットボトルのお茶とプリンを買って席につくことにした。
ーコンビニ、割高だから使いたくなかったな。
総務部総務課、入社三年目、薄給で貯金なしの私はコンビニを忌避していた。
会計をし、ふう、とため息をつき、イートインスペースに向かうと上司の赤シャツが窓際の椅子に腰掛け、こちらに背を向けてスマホを連打していた。
ーげっ!赤シャツ…バレないように避けようっと。
赤シャツは、一心不乱にスマホと格闘していた。
赤シャツは総務部の課長で、いつも派手な赤いシャツを着ているのですぐに誰かわかる。一見おとなしい。しかし、嫌味たらしくネチネチしつこい。旧帝大卒らしいがうちみたいな会社に入ってくるあたり、世渡りは下手なのだろう。

「ーウワッ。終わったわー!!」
声が気になるので後ろからさりげなく覗きこむ。
ーソシャゲだ。アイドル育成ゲームだ…課金してガチャしとるわ…ウワ、キモ…
赤シャツは独身貴族で、何が楽しくて生きているのかわからないような風貌、無趣味そうに見え、ゲームの趣味があるとは意外だった。堅物で真面目だけが取り柄の、顔色の悪い冴えない中年。
イヤホンをしていてゲームに集中しており、私に気がついていない。そのまま成り行きを見守ることにした。
「俺が絶対、武道館に連れて行くからな…」
赤シャツがスマホに向かいうっとりつぶやく。
ーウワ、キモ…
じっと覗きこんでいたら、暗転したスマホに映りこんだ私に赤シャツが気づいた。
「ウワ!!ーなんだよ、瀬川か」
「すみません。課長…アイドル育成ですか?」
「プロデューサーと呼んでくれ。…今はファン感謝祭に向けて準備をしている」
ーこいつ、結構ヤバいかもしれない…
「なあ、瀬川。…会社には内緒な。俺はこのグループ…放課後小町に本気なんだ」
「はあ…」
「これまで、いくらガチャに課金してると思う?」
「さあ…?」
「貯金の7割だ。ちなみに今、一瞬で8万溶けたが後悔はしていない」
「えっうそ、まじやばない?」
「クソな現実の合間に見る夢、俺のアイドルグループ放課後小町。ますます輝いて見える」
赤シャツは私に向かってスマホを差し出す。黒髪ツインテールの、触角がある、魔法少女みたいなアイドルの子が
「ありがとうございます、プロデューサーさん♡」
と上目遣いでこちらを見ている。
「この子は2%の確率で出たイベント限定のキャラだ」
そう語る赤シャツの眼は澄んでキラキラして、まるで美少女自身に成り変わったように見えた。
「へ…へえ?」
「あとな、このコンビニはweb moneyが買えるんだ。最高だろう」
「つまり、課金しほーだい?やばない?」
「天国だ。そう思わないか瀬川?」
「地獄じゃない?ってか課長、昼休み終わりますよ!」
「やべ、費用稼がないと!こんど課金イベントあんだよね」
オフィスに戻ると、私たちは何事もなかったように、ただPCに向かって月末締の人事労務の仕事をしていた。しかし、私の胸はざわめいていた。
ー赤シャツ、やべえ…
オフィスでの赤シャツはいつも通り、冴えないただのオッサンだった。細かいことまでネチネチうざい上司。
ーん、もしかして…
私はPCに向かう赤シャツの、シャツをちらりと見た。
ー赤ってもしかして、推しのカラー?
「ありがとうございます、プロデューサーさん♡」
確か昼に見た、スマホの中のツインテールのアイドルの子の衣装は、赤色のミニワンピースだった。ゾッとしつつ私は確信した。
地味で真面目な赤シャツの赤シャツな理由。私はその日以来、赤を見ると考えてしまう。

それから私は昼休み、そっと赤シャツを見守ることにした。赤シャツの純粋な、しかし異常な眼の輝きが気になって仕方ないからだ。
ーあいつはヤバい。現実に戻ってこれなくなるかもしれない。
本気で心配だったし、もともと私はぼっちだし。夏でも涼しいコンビニでの上司ウォッチは時間潰しになった。
それに、赤シャツが人生のすべてを捧げているアイドル、「放課後小町」の行く末を見守りたくなったからだ。
「プロデューサーさん、アイドルたちの調子はいかがですか?」
「ん?合宿とかライブ練、頑張ってるよ」
ー課金合宿か…
「なあ、瀬川、温泉いかんか?」
「へ?」
「聖地巡礼したいんだよね。アニメ版でアイドルたちが宿泊してさー卓球とかしてたの」
「はあ…」
今日も昼休み、コンビニでスマホを連打する、親子ほど歳の離れた上司が心配でたまらない。
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