冬来たりなば春遠からじ

文字数 1,991文字

 私は人を見る目がある。

 実家は大衆食堂をしていて、いろんな人が出入りしていたからかもしれない。
私は高卒で学歴も教養もないけど、料理と人を見る目には自信があるのだ。


 あの頃は人生の春だった。
一回り年上の旦那は、工場を営んでいた。
従業員たちは一癖も二癖もあるけど、許容範囲。私は繁忙期や月末に、お稲荷さんや唐揚げ、春巻きなんかをこしらえては、みんなに振舞った。いつもは強面(こわもて)な職人たちが勢いよく平らげて、そりゃあ賑やかで。
寒くなると、牛すじおでんを作った。餅入り巾着(きんちゃく)、さつま揚げに大根、じゃが芋も美味しいとみんな喜んでくれた。

 毎日忙しく汗をかいて、人生の梅雨や夏を乗り越えた。子どもができない焦りは仕事にぶつけて。
そして会長であった義父が多臓器不全で亡くなった頃、景気も陰りをみせ、秋が訪れた。


 私は人を見る目がある。
最初から「原いずみ」は虫が好かなかった。旦那が中途採用した大卒の女性。
会長が生きていたら採用に反対したはずだ。

 案の定というか、原と旦那は不倫関係になった。親子ほど年が離れているというのに。会長が生きていてくれたらこんなことには。
秋は実りではなく、台風を連れてきた。

 私が問い詰めると、旦那はのらりくらりかわした。
(ほど)なくして原は辞めたけど、疑心暗鬼はしばらく付き(まと)った。疑念は自分から滲みだす毒。相手だけでなく自分も(むしば)んで。
その頃は、従業員たちから哀れみの目を向けられているように感じ、(まかない)を作る気は失せていた。


 状況は変わる。季節が巡るように。
そのあと採用した宮地さんと星さんは、私に小春日和(こはるびより)を連れてきた。
晩秋から初冬の穏やかに晴れた日のような。

 私は人を見る目には自信がある。私が採用したのだ。
「二人とも高卒で野暮ったい、もっと気の利いた子いなかったの?」
 従業員から面と向かって言われた時は、「彼女たち商業高校卒で即戦力なの」と表向きはそう返したけど。
みんなはわかっていない。
一番大切なことは、信頼関係を築けるかどうかということ。偏差値や如才(じょさい)ではないのだ。

 私は二人に目をかけ、たまに近所の甘味処で、甘いお揚げさんをのせたきつねうどんと、あんみつをご馳走した。
訥々(とつとつ)とした会話の中で、宮地さんと星さんの性格の謎が解けていった。

 宮地さんは、責任感と向上心が強い。
強すぎる故、すぐに「自分のせいだ」と考える癖があり、「もっとできるようにならなくちゃ」という焦りが気になっていた。
あんみつの平べったいスプーンを見つめながら宮地さんが話してくれたことは、両親が家庭内別居中だということだった。「自分が役立たずだから」と呟いたので、私と星さんとでそれを否定した。強すぎる責任感と向上心は、自己肯定感の低さからきていたのだ。

 眼鏡の星さんは、父子家庭育ちだった。
彼女は内気だけどしっかりしていて、精神年齢が大人だった。つまり、大人にならざるおえない境遇だったのだ。

 私はまた以前のように、月末には従業員たちにお稲荷さんを振舞うようになった。
みんな、ぼそぼそと噛みしめ「美味しい」と言ってくれて、私同様みんなも年をとったものだと感慨深かった。
旦那といえば、ずっと腰が痛いと整形外科に通い、食欲もなく(ふさ)ぎ込んでいて。
それが末期のすい臓がんだとわかったのは、一年後のことだった。


 厳しい晩冬だった。
親会社が倒産して、旦那が亡くなって、迷うことなく工場を畳むことにした。リスケしたって焼け石に水なのだ、弁護士に一任した。

 大荒れな人生模様なのに、私は何から手をつけていいのかわからない有様で、無音の雪景色めいていた。
私にはなにも残らないだろう、身一つでここに来たのだ、身一つで出ていくだけだ。

 最後の給料を払って、従業員たちが去っていった。
株式会社山本金属の灯は消えた。



 冷えた工場で「安全祈願」のお札をぼんやり眺めていた時。

「山本さん、今までお世話になりました」
 宮地さんと星さんが花束を抱えやってきた。

「あの、これ、山本さんのイメージで作ってもらったんです、ね!」
「ね! 優しくてきれいで仕事ができる女性なんですって花屋さんに伝えて」
「感謝っていう花言葉の花も入れてくださいって」
「うん」
「本当によくしてもらったから」
「私みたいなダサい子採用してもらって」
「私だって」
「いろいろ教えてくださって」
「いつも助けてくれて」
「ずっと元気でいてください」
「あと、私、山本さんのお稲荷さん大好きで」
「私も! 甘じょっぱい黒糖と山葵(わさび)入りが止まらなくて」
「もう食べられないかと思うと」
「悲しい」
「うん、悲しい」

 私はもう、言葉にならない。

 途中から私たち三人は泣くばかりだった。
春色が(あふ)れる、フリージア、スイートピー、カーネーションの花束。
私の胸に春の種が蒔かれた。

 春は来る。冬来たりなば春遠からじ。
季節は巡り、私の人生に春はまた訪れるのだ。
そして二人の前途にも、春の種が蒔かれますように。


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