ばあちゃんの老眼鏡

文字数 2,509文字

 小さい頃から、ばあちゃんが大好きだった。

 理由はいろいろあるけれども、一番大きな理由は、幼少期ずっと暮らしていたことだろう。うちは両親が共働きで、幼少の頃、俺は母方の祖母であるばあちゃんの家にずっと預けられていた。すなわち、物心のつかない頃から主に接していたのは、ばあちゃんだったというわけだ。
 俺が預けられた頃、じいちゃんは既に亡くなっていた。俺の母は一番下の娘だったので、母はもちろん、伯父や伯母といった、ばあちゃんの子どもたちもみんな家を出てしまっていた。よくよく考えると、老人一人ではいろいろと危ないし、実際、長兄が自分の家に引き取る計画を進めていた時期もあったらしい。だが、ばあちゃんはかくしゃくとした人で、そのような提案を一蹴した。さらには、共働きで忙しい末娘夫婦の子供の面倒まで、二つ返事で引き受けてしまうような方だったのだ。

 ばあちゃんの家での生活は、楽しかったの一言に尽きる。まず、何をしても自由だったし、怒られることなどほとんどと言っていいほどなかった。正確には、してはいけないことは、ちゃんと納得のいく理由を説明してくれたし、それらに納得をしていた以上、怒られるようなことをするはずもなかった。思えば、俺の前に自分の子供を六人も育てていたわけだ、俺のような分かりやすいガキの制御など、ばあちゃんにはちょろいもんだったのだろう。
 次に、飯がとにかくうまかった。特に鶏の唐揚げとハンバーグは絶品だった。ちなみに後年、ばあちゃんからその二品のレシピをもらったが、悲しいことに俺の手では再現できない状況だ。そして、うまいだけじゃない、苦手なものを克服させるのもばあちゃんは上手だった。母方の家は、みんな野菜が苦手だったらしく、俺の母もあまり野菜を食わない。そんな母の血が入っている俺も野菜が苦手なのだが、ばあちゃんが作った料理となると、ぺろりと平らげてしまう。人参や玉ねぎが山ほど入ったカレーだろうと、お宝なんてないと断言していい野菜だらけの八宝菜だろうと、よりによってなんであんなものに詰めるんだと不思議に思っていたピーマンの肉詰めも、ばあちゃんが作ってくれたものだとなぜか完食できた。あと、ばあちゃんは決して、「体にいいから野菜を食べなさい」とは言わなかった。どうやら、そんなことを言っても食わないもんは食わない、そう固く信じていたようだった。ある時、俺はあまりの苦さにセロリを残したことがあった。あれは癖が強いので、野菜が嫌いじゃなくても苦手な人は多いだろう。だが、この時もばあちゃんは何も言わず、残ったセロリを黙って自分の腹に収めていた。その日の夜、眠っていた俺がトイレに起きると、ばあちゃんは手帳に何やら一生懸命メモを書いている。俺がどうしたのか聞くと、ばあちゃんは
「今度こそ、おまえがセロリをおいしく食べられるような料理をこしらえてやっからな」
と言った後、にっこりとほほえんだ。ばあちゃんは子どもが野菜を食べないことすらも、楽しんでしまう余裕があったんだ。数日後、そのメモに書いたレシピのおかげで、俺はセロリを食べられるようになった。

 具体的なばあちゃんのうちでの一日は、だいたいこんな感じだった。朝は6時にばあちゃんに起こされる。ばあちゃんがいつ、起きていたのかは分からないが、朝食が既にできていたところを見ると、相当早くに起きていたんだと思う。そのため、朝食後に小一時間ほど時間ができる。小学校に上がりたての頃は、この時間に宿題や、持っていくものの準備をしていた。ばあちゃんはそれについては何も言わなかったが、早めにやったほうが良いことに自分で気付いて、この時間にはやらなくなった。そして、8時前ぐらいに学校に登校し、15時頃にに帰ってくる。そして、宿題をさっさと済ませ、遊びに出かけるのだ。先に述べたように、最初の頃はすぐさま遊びに行ってたのだが、次第に宿題を気にして遊んでいると、大して楽しくないことに気付き出す。そこで、帰ってきてからすぐ宿題をやることにした。これについても、ばあちゃんは何も言わなかった。ただ、ばあちゃんは面倒なことは何でも後回しにはせずに、最初にやってしまう。口では言わずとも、実際に行動で見せていたんだ。だから最初、俺は宿題を先にやることに気付いたのは自分だと思いこんでいた。しかし、よく考えてみると、ばあちゃんがそれとなく教えてくれていた。後に、そのことをばあちゃんに話したが、空っとぼけていた。で、遊びからだいたい6時頃に帰ってくる。門限は決められてなかったが、腹が空いて、腹が空いて、晩飯食いたさに戻ってきてしまうのだ。そして7時に晩飯を食べて、9時に寝る。そんな生活を小学4年生まで続けていた。

 小5になり、手間もかからなくなったということで、俺は両親の家に戻ることになった。しかしそこに待っていたのは、自由な環境とは程遠い、がんじがらめの生活だった。やれ遊びは6時までに帰ってこいだの、やれ宿題はさっさと済ませろだのといったことを両親は口うるさく言ってくるのだ。気付いたと思うが、6時までの帰宅も、宿題をすぐ済ませることもばあちゃんのうちなら普通にやっていたことだ。だが、やれと命令をされると心も穏やかではないし、事情も変わってくる。このころから、少しずつだが何かが狂い出し始めたように感じた。そのせいで、俺はいまだに両親があまり好きじゃない。

 それから30年以上の月日が流れ、先日、ばあちゃんが亡くなった。102歳の大往生。最期まで大きな病気もせず、いわゆるピンピンコロリだった。悲しみのせいか、またたく間に四十九日が過ぎ、形見分けをしようということになった。そこで、俺はばあちゃんが愛用していた老眼鏡をもらうことにした。

 俺も初老と呼ばれるくらいのいい年になり、最近、少し近くが見えにくい。型はかなり古いが、ばあちゃんの老眼鏡をレンズだけ入れ替えて、普段遣いにしようかと考えている。
 これで少しは、あの偉大なばあちゃんに近づくことができるだろうか。正直、難しい気もするが、あの世のばあちゃんは多分、何も言わずにあの世で見守ってくれていると思う。
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